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2006年4月

中学、新たな心配

しばらく前に、ニューでビッグな話題として、「代替弁当2種類」と書きましたが、
そんなことは吹けば飛ぶような小さいことだ!と思うような(あくまで主観的に)ことが起こったのでありました。

そりは、ぶ・かつ。部活動です。
ピカリンは、今まで、特に運動は得意でないし(小学校低学年の頃は、明らかにクラスでドンケツ)、ずーっと、将来は美術関係の仕事をしたいと言い続けていたし、中学では美術部に入る、とも申しておりましたので、私どもは安心していたわけです。
「中学に多い、運動誘発性アナフィラキシーショック(死亡例が多い)は、少しの注意で、係わり合いにならず、乗り越えられるだろう」「多少、美術部の有機溶剤系素材が心配だが、個人主義の強い部活だし、工夫すればうまくいくだろう」「そうして彼女は大人になるのである」

が、しかし。
人生は、予想外のことが起こるのが、常であります。

部活、バスケット部に入ることにしたから
ひえっ?!
What? なぜに? Why?!
後で聞くと、夫も頭真っ白、思考停止状態に陥ったそうです。

これを読んでいる皆さんのご年齢は存じませんが、
今、中学の部活はすごいことになっているのれす。(地方にもよるのか?)
とにかく、文部科学省は、基本的に公的部活廃止、私的クラブへ移行、の思惑がありまして(たぶん)、今は、その過渡期です。
スポ少と呼ばれる各スポーツ少年団に、運動が得意な子が、小学校から参加するのは当たり前。
しかし、その指導者は別に仕事を持っていることがほとんどで、
下手をすれば、練習は、平日の夜7時から9時とか、平気であるのです。
そして、
中学校では「部活」と、スポ少と根を同じくする私的「クラブ」が併設され、その部活によっては、その境目が非常に薄く、ほとんど一体だったりするのです。
「クラブ」は私人指導者のカラーによって染まり、
また、私設ですから、その運営は保護者が主体。
送り迎え、遠征のマイクロバスの手配、もちろん遠征費、
かかりきりになるのです。
いや、この点は横においておいても、
夕方の6時に終わる運動部、なんて、ほぼ皆無です。
土日だって、遠征、遠征。
その上、平日放課後の部活が学校で行われると思ったら大間違い!
自転車で、離れた競技場まで毎日通うとか、
そーいう、生活なんですよ!
実は、私自身が、中学のハードバスケ部で体を壊した経験もあり、心配はつのる…。

運動誘発性アナフィラキシーショック!!

して、わがピカリンの希望する、女子バスケット部の実情やいかに?!

しかーも、
入学2日目に、いきなり、はっきり、わかりやすく、
ピカリン、反抗期に突入!
「は? なぜに、そこでつっかかるか?!」
というようなところまで、いちいち反抗的。
当然、「部活・・・」と言おうものなら
「私は、バスケ部にするから、絶対」
と、喧嘩腰になり、とりつくしまもなし。
いや、様子聞きたいだけだから! 知らないと、こっちも怖くて・・・
って、言う暇なく、どっかに行っちゃう。(あ、勉強か。えらい・・・)

どうなってんの?部活!
だいじょうぶなわけ?
今は、そんで、どうなわけ?!
何やってるの? 走り込み? しごき? 休憩時間あり?!
ぎゃー!

と、たぶん、白髪が増えました・・・。

で、今は、
何とか「自力で」(私が、ね)部活関係者と連絡を取れるにいたり、
(先生だけじゃないから、相手は。保護者会とか、コーチとか・・・)
なんとか、とりあえず、バスケット部ということで、応援できるかな、と
ほんの少しほっと落ち着いたところです。

やりたい本人の意思を尊重してこそ、の成長だから、
できる限りのフォローはしたいけど、
こちらとて、限界はあるし、
この年齢になって、全ての面倒を親が見切ることが、いいことだとは思わない。
一生、弁当作りながら、後ろを付いて回れるわけじゃあないからね。
やれることは協力しますし、応援しますが、
ピカリン、および、親の限界点を超えることは、やりませんし、やれません。よね。

「ピカリンの部屋にある運動会応援のぼんぼりの下が、こっそり食べるお菓子の隠し場所だ、っていうのは、みんな知ってることなんだけどさ」(全員笑)
というセリフ入りの、親子会議も終え、
ピカリンの気持ちもわかったし(少しは)、約束事も決めた。
アレルギーを抱えつつの、ハード運動部(実は全国を目指すレベルで、中学からの入部はピカリン一人・・・)親子一丸生活は、スタートされたのでした。
その様子は、時々、記していくことになると思います。

ただ、どうしてここまで、私たちが心配するにいたったのか、
また、時折心配している「化学物質」へのこだわりは、どうして生まれたのか

そのあたりのことを抜きには、
いろんな体験もリアルに感じられないだろう、ということで、
こんどから、
ピカリンにかかわるそのあたりのことを書いてみようと思っています。

そして、それは、
私自身が、先日書いた「頭の中につっかえているもの」の中で一番大きく、
このブログをつけ始めた頃だったら、到底書けるようなものではない、
という難物なのです(あくまで、私にとって、だけどね)。

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なぜ、書くか?

Dscf1826 長い体験記は、花見の季節までには終わらせたかった・・・

←これはおとといの写真。「花見へレッツゴー!」
自転車で5分のところに、城跡が公園になったところがあって、そこは、全国桜100景にも選ばれているのだそうです。

ということで、何とかギリギリ、終わった・・・。

何で、こんなにヒーコラ書いてるのかなー、と、自分でもよく考える。

今回の体験記に限って言えば、
前に、依頼されて、修学旅行体験記を書いたときに、あまりに多くのことを忘れていることに驚き、今度、似たような体験があったら、なるべく早く書きまとめておこう、と思った、ということです。

きのうも、上の子が「飛行機の中で、チクリン、タイヘンだったよねー」と言って、
「は?なんだっけ?」状態の母。
じつは、旦那も子供の頃そういうことがあったらしいのですが、半覚醒状態のときに、なんだかとんでもない恐怖心に包まれて、がくがく震えたり泣いたりする、というのを、やるんです、チクリン。これが飛行機の中で行われ、すごく焦った。もしかしたら病気かもしれないので、今度、病院に行こうと思いますが、そんなことすら、忘れる始末。
備忘録をかねた記事でした。Dscf1828

(屋台もいっぱい出ます。5,60件? 子供たちはこれが目当て。 クレープやら、お好み焼き、バナナアイスもダメだけど、綿あめ、とうもろこし、玉こん、ラムネ、豚の串焼き、じゃがバターのバター抜き、あてもの、おもちゃ、型抜き・・・・。楽しめるもの満載ですからー!)

それにしても、
前にも書いたことがあるけれど、
自分でも、自分のアップの多さに驚きます。

生活時間も奪われるのでは?
抑えた方がいいのでは?

と、チラッと思うけど、
とにかく、しばらくは、放出し続けると思います。

 

去年、6月頃、
自分が、乳癌か?という疑いがかかり、
そのとき、本当にいろんなことを考えた。
結局、なんでもなかったのだけど、
自分の、残り時間、というのを初めて考えた。

やりたいこと、やれてないこと
いろいろあるのだけど、
今、客観的に見て、
「あなたは、何で、できているの?」
と、考えると、
私の頭の中、最近の経験は、
本当にアレルギー・アレルギー・アレルギー・・・
とらわれすぎていた面もあるだろうけれど、
とにかく、寝てもさめても、これについて考えてばかり。

それなのに、それを他人に話して放出したり、
思いを共有したりという経験が無いので、
本当に、頭の中を、同じことばかりがぐるぐるリフレインして、
たとえば、アレルギー以外のことに取り組もうにも、
なんだか、
そんなことはありえないんだろうけど
たくさんのたまった思いが、「詰まって」後ろにつかえているいろんなことが表に出てきにくくなっているというか、
そんな感じがしていた。

これはひとつのきっかけに過ぎないんだけど、
なぜか、小林カツ代さんについて、ふと思ったことを引火として、ブログを始めて
アレルギーに対する思い放出作業に入ったのです。

Dscf1806
(夕方の写真。向こうの山も幽玄ですね。)

 

書き続けていると、自分がなぜ書いているのかわからなくなってきちゃうこともあるのですが、
ひとつは、「自分は、整理したくて書いているんだゾ」ということ
それから
もしかしたら、記録したことが、自分の子供のためになるかもしれないな
と、子供宛の気持ちを持って、
これを忘れず、書きたいな、と思っています。

ブログは、
不特定多数の人に向かって、外に向かって書かれているものなので、
失礼があってはいけないとか、いろんなことも思うのですが、
上に書いたことが動機で、
そして書き続ける原動力なので、
なんだか、時々、とても読みずらいなー、と感じるものを書いてしまったりします。

ホントに、ごめんなさい

と思っております。
 

ということで、
まだまだ、ブログは続きますが、
よろしくお願いいたします。

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アレっ子連れの外国旅行を、どうやるか?

Dscf1845 ←絵葉書を接写したため、ぶれてしまってごめんなさい。(いや、田舎の写真ばかりなので、一応、それなりの都会だったんだよー、ということで・・・。向こうの方は緑が広がっていますよね、住宅はそっちの方にあるのです・・・)

 

ずっと前に、アレルギーっ子をつれて海外旅行に行った体験談、というとある表題を見て、読んでみたら、飛行機の機内食での対応の様子だけ書いてあって、うちよりも除去もゆるかったし、「全然参考にならないじゃん」と思ったことがありました。

「できるのか、できないのか!」「うちの場合はどうなんだよ!」
なんて、ちょっと不満だったのです。

でも、
今になって考えてみると、
「あなたのアレルギーの程度だと、外国旅行ができます」「できません」と、一言で、「言ってもらえる」ようなものではなかったなあ、と思います。

我が家は、今回、
自炊+知り合いのうちで食事
という方法を取れたため、旅行をすることができました。
自炊も、知り合い(弟夫婦)の協力があったから、
車であちこちのスーパーも連れて行ってもらえたし、
そのスーパーもいろいろ下調べしてくれてあったし、
観光だって、ホテルの予約だって、してくれたんですよ。

でも、それなら、知り合いがいないとダメなのか、
といったら、
語学がそこそこできれば、予約もできるだろうし、旅行代理店にも頼める。
車も国際ライセンス(書類のみでOKらしいです)があれば、レンタカーで自分で乗れる(ただし、ある程度運転に自信のある人、になるけど)。
街中の自炊つきホテルにすれば、車無しで、歩いて買い物にいけるかもしれない。
卵抜き程度だったら、対応可能なホテルもあるかもしれない。
知り合いが、親戚でなくて、友人でも、少ないアドバイスと協力で、こなせる環境があるかもしれない。
私は初海外だったけど、何回か行ったことがある人なら、私ほどの不安は無いかもしれない。

アレルギーの程度や、
その人の能力や、
その人が手に入れられる環境、
訪れる地域

そういうことを一つ一つ組み合わせることで、
実行可能な、海外旅行を作れる
可能性がある。

だから、
アレルギーっ子をつれて、海外旅行ができるのか?
という質問に答えるとしたら、

浮遊物に反応するほどの重度アレルギーではなく(これも、すいている飛行機にすればクリアできる可能性もあるが、何が起こるかわからないので、リスクはやはり高いといわざるを得ないと思う)、
そして、
自分たちが、クリアすべき課題は何か?を
具体的に考える力があれば、
旅行は、可能なのでは。

ということになると思う。

今回、長い体験記で、
自分たちは事前準備として何をしたか、も少し書いたけれど、
これは、何回か国内旅行をした経験、それからアレルギー関係の本などを参考に、考え付いたことだった。

その上で、
足りない語学力は、一夜漬け的だけど、それでも私なりに努力して、ブライアンに来てもらうことで、なんとか少しは「やれるかな」という気分になったし、
遠く地域のK医師にお願いして、英文の診断書を書いてもらったり、
外国旅行ならではの穴埋めもした。

不安は、どうしてもあって、
でも、その不安の払拭の仕方は人それぞれだと思う。

私は不安が大きかったから、
弟が、少しは医学に明るく、少しは英語が喋れる、
ってことが、すごく不安払拭につながり、
海外旅行をしよう、という決断につながった。

そんな風に、
具体的にどうするか?
自分の不安は、どうすれば払拭できるか?
そのための手立てはどうすればいいか?

そういうことを考える力があって、
そして、それをクリアする条件を自分なり、または環境に応じて講じれば、
アレルギーっ子連れの、海外旅行も可能なのではないか

というのが、

今回、旅行を経験してみて、最後に感じたことでした。

まとめると、
海外旅行をしたいとき、具体的に何が不安か。
その不安は、旅行先の条件や、こちらの準備で、クリアできることか。
具体的にクリアしても残る不安な気持ちを安定させるには、どんな手立てで自分を安心させたらよいか。
それを、考え、実践することができれば、
きっと、その人なりの海外旅行ができる

と思う。

今は、ツアー旅行などもあって、
申し込んで、旅行代理店に言われたものを準備して、
ってことで、とりあえず海外に行けちゃう。
アレルギーっ子連れでは、そういうお手軽旅行はできない。

けど、
自分のそれまでの経験や、学んだことを総結集すれば
自分なりに、アレっ子連れの海外旅行を、クリエイトできるんじゃないかなあ、
と、
思いました。

ピカリンは、「大人になったら、世界中を旅行する!」と
鼻息を荒くしているし、
(旅先で、1人でレジカウンターでお土産を買うピカリン→)Dscf1626
チクリンも、二言目には、「またアメリカ行きてえ~」
と言っています。
そういう子供の言葉を聞くと、
なんか、自己満足かもしれないけれど、
子供の可能性の扉をひとつ増やせたような気がして、
嬉しかったりしています。

まー
なにより、
自分が、すごく面白かった!
めちゃくちゃ、面白い体験だった!
いろーーんなこと、すべてひっくるめて。

子供づれだと、陽気な国民性を持つ方たちは、とっても気軽に話しかけてくれる。
こっちも、子連れの外国の人に話しかけてみたくてうずうずしてくる。
これは、若い頃の、友人たちとの旅行では、たぶん、決して味わえない思いだと思う。

臆せず、チャレンジする価値は、十分あると思う。

だから、
もちろん、先立つものも必要なのだけど、
もし、アレルギーだということで、「ダメに決まっている」と思う方がいたら、
まずは、その思いは、横に置き、
国内旅行からでも、始めてみる。
国内旅行がこなせれば、
たぶん、海外旅行も、かなり難しい応用問題ではあるけれど、
こなせる可能性は、十分あると、
私は思います。Dscf1649

←NASAの職員。
カメラのレンズが汚れていて、すみません。

ということで!長い長い、体験記を、一応終わってみます。

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旅行中の雑感

私は、知らない土地を歩くときは、まず、そこの博物館に行くことにしています。
そこの土地の歴史の大体を知ったり、できれば古地図と現代の地図を見比べて、
昔の地理の大体を頭に入れてから歩くと、そこの土地が、すごく厚みをもって感じられるのです(変わっていると言われます)。

それで、サンアントニオでも博物館に行きましたが、
皆さんご存知のとおり、アメリカの歴史は、そう古いものではありません(ネイティブアメリカン=いわゆるインディアンと呼ばれた人々を除いて)。
だから、その土地の歴史をどう描いているのだろう、と、若干の不安を持ちながら訪れたわけです。
まず、入り口に、おびただしい、他国の旗。 Dscf1619_2
インターナショナルな雰囲気に、国際交流会館、というイメージはあっても、博物館、というイメージはわかず、入ってみると…。

展示は、国別。
つまり、この土地の歴史は、世界のいたるところからやってきた人々が、ここに来たばかりの頃はどんな生活をして、どういう風に変わってきたか、という歴史の展示なのです。
日本の人も、みのを着て、田植えをしている写真がありました。木製脱穀機の展示もありました。

いろんな国の生活が、そのまま、この土地にやってきて、融合して、今があるのです。
同じ場所で、全然違う各国の生活を展開して、その上で、接点を作って、影響しあって、現代の状態があるのです。
つまり、
この土地の人にとって、隣人の生活が理解できない異質なもの、というのは当たり前で、それを受け入れて、協力していかなければ、自分の生活もやっていけない。
それが、アメリカの歴史を作ってきたんだなあ、と。
とりわけ、サンアントニオはその色が濃いかもしれません。
州により、たとえば、過去農業が中心で、奴隷として働かされていた黒人が多い土地もあるだろうし、移民といっても、ほとんどがイギリス系の人、という場所もあるでしょう。ただ、「違っていて当たり前」「それを受け入れなければ、社会は機能していかない」というのは、アメリカの根底にあるのだなあ、と思いました。

こういうことは、どこかに良く書いてあることかもしれないけど、それを博物館で、本当に実感した。

Dscn1786 アラモ砦という、歴史名所があって、
ここは、当時テキサスを占領していたメキシコ軍から、テキサスをアメリカの一部として独立する契機になった戦闘が繰り広げられたところです。アラモ砦の戦闘に限っては、メキシコ軍の圧勝に終わり、沢山の人が、メキシコ軍に殺されました。
が、その、遺跡の案内人はメキシコ軍服。
日本だったら、敵の服、って感じになるんじゃないかな?
でも、歴史は歴史。別にメキシコは敵じゃない。
歴史の中に共存する、隣人でしかない。
この感覚にはびっくりしました。

異質なものを受け容れる力が、アメリカにはあるんだなあ、
と思ったとき、
じゃあ、日本は?
とやっぱり思って、
・・・・・・・だから、アレルギーっ子も、つらくなる場面が多いのかも・・・。


旅行中の足元の石畳を踏みしめながら、思った。

食べるものが無い、とか
生活改善がタイヘン、とか
医療が確立されていない、
とか、そういうのももちろん大変だけど、

「異質なものを受け容れない」
という拒否的雰囲気を、目の前で感じるとき、
やっぱり、精神的にダメージを受ける。
これが、日本は、きっと、強いよなあ・・・

って。

じゃあ、アメリカは楽か?
といわれれば、それはよくわからないけど、
ムラ社会からはじかれるような、そういう怖さは感じにくいかもしれない、とは思った。

この国にいれば、
「うち、アレルギーなんですよ」
って、全くの躊躇無く言えそうな気がした。
(今までも言っていたけど、やっぱり相手を観察して、言葉を選んでいたと思う)

 

そういう心持をふと持てた時、
「ああ、日本でも、自分は、この心持でやっていこう」
って、
なんか、思えた。

アメリカの、自分とは違うものと共存する国民性みたいなものを、自分自身で感じたとき、
自分も、
そういう心持でいたいな、
と、
何か、すっと心が軽い方へ転換するような、
そんな感じを

 

味わうことができました。

 

かなり歳がいってからの初海外旅行だったわけだけれど、
なんだか、
別の文化を感じて、自分のものにできる
というような経験ができて、
すごくよかったなー、
と、

思ったのでした。

(プライバシー保護のため、一部画像を処理してあります)

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サンアントニオで見た食事事情3(アレっ子の海外旅行)

食べ物アラカルト

<成分表示>
これが徹底されている、とは聞いていたけれど、
日本の表記と違って、油の種類も書いてあるし、
さいごにまとめて(小麦を含む)みたいな書き方はしない
ので、
本当に助かりました。
単語の意味さえわかれば、不安にならないですみます。
電子辞書、必携(かも)。
      オーガニック店で買ったブイヨンの表示→Dscf1804

<ホテルの朝食バイキング>
ワッフル機みたいなのが置いてあったんです。
二つ・三つ並べて。
どうするんだろうと思ったら、朝食時、紙コップにパンケーキの種を入れたものがそばに置かれて、それを自分で、ワッフル機みたいなものの中に流しいれて、焼くのです。
すぐできる。
10歳くらいの女の子も自分でさっさとやっていました。
おもしろい!
つなまよホットケーキを焼きたかったけど、
コンタミおよび、大失敗したときの事後処理に自信がないため、やりませんでした。
どこにでもあるものかはわからないけど、小麦が大丈夫な人は、
自分で種を作って焼いても面白いのかも!

<つなまよホットケーキ>
Dscf1571_2 お世話になりました。
前にも書いたとおり、朝はこればかり食べてました。
(さすがに、5日でグロッキーしましたが)
アールグレイの紅茶を入れて食べるのが、一番おいしかった。
アールグレイホットケーキ、おすすめです。(柔らかな味の紅茶だと、あまり味に違いが出ないです)
←つなまよホットケーキ材料 in U.S.A. 
(三つのビンは、ジャム)

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サンアントニオで見た食事事情2(アレっ子の海外旅行)

しつこく、海外旅行ネタ続きます。
自分の備忘録もかねているので、どうかご勘弁ください。
あと、もうちょっとです。

<野菜>
こっそりとった、オーガニック店の野菜売り場。Dscf1565
あらかじめ、弟夫婦に「野菜がない!」と、聞いていたけど、
なんだー、あるじゃん?
と思って、具体的に料理を考えると、
ほんっと、サラダ以外の野菜が少ない!
きのこは、大きさまちまちのマッシュルームがあるだけで、
しいたけ・えのき・しめじ・なめこ・まいたけ…なーんて、ないしね。
水分の多い、白菜とか大根・カブ、小松菜や山東菜・京菜、なんにもないよー!
やわらかくて小さいほうれん草くらい。あと、サラダにしかならないモヤシ。
ジャガイモはさすがにあるけど、
かぼちゃやサツマイモは、似たのはあっても、同じでない。
これは、丘ひじきに似ている! 茹でて鰹節と炒める!」と、弟妻の制止も聞かず購入した野菜(?)もあったが、やってみると、硬くて、芝生か、芝生に生えている雑草の味がした(子どもの頃、お腹がすいたときに食べたことがあるので知っています)。弟妻の予想では、「青汁の原料では」とのこと。とほー。
弟夫婦が、強く「乾物を送ってくれ」と言っていた理由がわかりました。野菜の煮物は、乾物でしか採れないのです。
むー! (トマトとかは、もちろんあります。)
自炊で旅行をするなら、乾物持参がいいかもしれないです

<肉類>
ビーフ、チキンorターキーが中心
ベーコンなどの加工品も、全て、これが中心。
うちはどっちもダメなので、とにかく1・2種類しかない豚を買うしか無し。ベーコンは、種類が多く、日本では必須原料としか思えない「卵白」を使っているものなどはひとつも無し。したがって、オーガニックのローファットのポーク厚切りベーコンを買いました。えへへ、おいしーん!でも、脂は多いので、子どもにはあまり食べさせず、ほとんどを私が食べました。ごめんなさい。
肉はブロックで売っていて、スライスしたものや、ミンチしたものなどはありませんでした。だから、自分でスライスしました。
ウィンナーもいっぱい!
日本のように小さいのはなく、全てフランクフルトサイズ。
うれしいのは成分表示が大きい字で書かれたカードが、ウィンドーに全て置いてあること。
片っ端から読んで、香辛料少なめの、ポークウィンナーを一つだけ見つけて、食べました。多分、すごい形相で、成分表示を指で指しながら見て、電子辞書を叩いていたと思う。お店の人に(対面式)全然話しかけられなかったです。
こちらでは、いろんなところにバーベキューコーナーがある。たとえば、車の休憩所とか、アパートの中庭とか。しょっちゅうやっているのかね? 肉がOKな人は、こっちの分野を開拓するといいかも!(バーベキューソースとかは、あまり検討しなかったです)
ただ、お腹は、疲れるよねーーー。

<魚類>
ない
びっくり!
アメリカの州や地方にもよるとは思うけど、サーモンくらいしかなかった。
海老とかはあったと思う。(タケのうちは関係ないので、あまりチェックしてこなかった)
以上。

<料理の本>
研究しようと思って、本屋で何冊か目を通したのだけれど、
その範囲では「これが料理?」と思うようなものばかり。
すごーく単純
ちょっと、がっかりしました。
弟によると、日本の「料理の鉄人」のパクリ番組があるのだそうだけど、「もう、全然。レベルが違うよ、日本と」(日本のほうが上、ということね)だ、そうです。
こっちの人は、料理、しないから」とは、弟妻の弁。
結局、売っている食材も、そういうことを反映したものになるわけです。

<アジアン店>
と呼びますが、行った所は、どちらも日本人がやっていました。
思うのですが、中堅以上の都市部には、絶対日本食材店があると思うので(アメリカは移民の国。日本人もいっぱい生活しています)、
どうにかして、そこを探して連絡を取って、そこに出かけるのが一番いいかも!と思う。いろんな情報もゲットできるし。
日本の人がよく来て、身の上相談をしたり、いろいろしているから、
日本人が暮らすための情報が、沢山集まっていると、見た。
3日ほどであっても、アメリカのスーパーを見慣れた目で、小さいながらもアジアン店を見ると、なつかしー。
ぎゃー、ごはんですよー! わー、たくあんー! にゃー、せんべいばかうけー!
私の行った所は、個人が細々やっているところで、本当に小さかったけど、どこもそうなのかはわかりません。
店のひとつは、もうここで暮らして35年になる、というおばちゃんがやっていて、
だんなさん(日本人)とは離婚し、子どももアメリカ人と結婚して、細やかな感情を伝えるほどの日本語は理解してもらえないということでした。
この人は、こうして、このアメリカの地方都市で、自宅と、この小さい店舗を往復する毎日を送っているんだなー、と思うと、なんだか、いろいろと感じるものがありました。

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アレルギーを子供に教える1(まず始めにどうやったのだろうか)

このテーマで書こうと思ったけど、難しかったです。
長い上に、読みにくくてすみません。

 

5・6年前、アレルギーっ子の親の集まりで、質問していたお母さんがいました。
「うちの子は今3歳で、いままで、食べられないものについては”辛いからダメだよ”という風に言ってきたのだけど、どうも、違うと気がつき始めたようだ。小さい子にはどうやって教えたらいいのだろう」
当時、私のこどもは、2歳と6歳くらいだったかなあ。
しかし、その時すでに、いったい自分は、子供にどう伝えたかを思い出せない状態。
だから、それからまた6・7年たった今、「どう伝えたか」を思い出すのは、至難の業なのでした。

たぶん、カミングアウトするように「さあ教えます」っていうのはやってないような気がする。

話をする前提として、
私と子どもの置かれていたアレルギーの食事状況をまず書いておくと、

1.なかなか、方針が定まらず、医者も変えたし、療法もいろいろ採って、試行錯誤していた。(自分自身がよくわからなかった)

2.上の子は2歳の終わりから、下の子は生後2ヶ月から、結構食物アレルギーの子のいる無認可保育園に行っていて、「自分だけが違う」という状態ではなく、「アレルギーの子はほかにもいて、程度もいろいろある」と、認識できる状況だった。

3.家族全員同じ食事にしていた(夫も)。だから、家族みんなで立ち向かう、っていう共同意識があった。家族においても「自分だけが違う」という状況ではなかった。

今回、この「ネタ」を書こうかな、と思って、うんうん唸って頭を整理しているとき、
上に書いたファクターは、結構大きな要素であるんではないか、と思った。
アレルギーっ子の置かれた状況は、いろいろであると思うけど、私の場合は、上の3つがあったので、それが前提となった「伝え方」になったと思う。

結論から言うと、
たぶん、いつも、夫に相談し、子どもがそれを聞いて育ったということ。
たぶん、いつも、子どもにも相談し、子どもも一緒に考えて、一緒に決めて、一緒に実行した
、ということ
かなあ。

上の子の場合は、まさしく試行錯誤で、7歳くらいまで、まず小児科か皮膚科か、から始まって、どの病院にするか。ひいては、どんな療法を採るか。引越ししたけど、どうするか(2歳のときに埼玉から宮城に引っ越す)、どの医者にするか。小児科は何人か組み合わせるのか。保育園はどうするか。西洋医学以外も組み合わせるのか。等々。
何か症状が出るたびに「どうしてだろう?!」を連発し、「やっぱりこうしたらどうだろう」とか、夫と毎日のように話していた。
当然、子どもも毎日それを聞いていた。
下の子などは、2歳くらいのとき、ひとりごとで「やっぱ、トウフだな・・・」と、歩きながら頷いて言っていた。
わかってるのかわからないけど、私の言っていることが移ってんだなー、と、笑いながら驚いた。子ども、て小さくても結構聞いてるし、理解している!?

子どもも少し大きくなると、「お母さんはこうだと思って、やってきたけど、お医者さんにこう言われた。それについてお母さんは、こう思うので、こうしてやってみようと思う。前と少し変わるし、いろいろ大変だけど、一緒にやってみよう」みたいに話していたと思う。子どもが理解しようが、しまいが、我が家の方針、という形で話していたと思う。うちでは、アレルギーに限らず、何でも、こんな話し方をしていたかもしれない。私の友人で、子どもの頃「虫歯予防のために、甘いものは一切食べさせない」という家庭で育った子がいて、それはかなり特殊だけど、やっぱり、お行儀でも行事でも、それぞれの家庭の方針(やり方)、ってありますよね。それについては、他の家と違おうが、「うちはうち」ってつっぱねたりできる。アレルギー対応食も、そういう感じでやっていました。

スーパーでの食べ物は、「よい」「わるい」ではなく、成分表示を見て、「卵が入ってるね、ダメ」「着色料かー。今、調子悪いしね。やめておこう」みたいに、具体的なアレルゲンの話として、伝えていたと思う。
だから、上の子は、学校で習うより早く「卵」「乳」「小麦」の漢字は覚えた。
自分で、お菓子の成分表をチェックして、何か食べられそうなものを見つけ出してから、私に購入の交渉に来る、というのは、結構早かったなあ。今も、成分表示の判断、早いっすよー、すごく。

相談するところを見せたり、子ども自身に相談する、という方法は、
子どもに判断の責任の一部を課すようで、良くないのかな。
ただ、もう、そういう風に伝えるしか、自分では思いつかなかったし、
それが一番誠実な方法じゃなかろうか、と思って、必死でやってたと思う。

自分がみんなと違う、というのは、まず、家庭の中ではなかった。
親には、自分たちほどアレルギーがない、というのは、かなり遅くなってから知ったと思う。ただ、一時期「ガサいれ」と私たちが称する行為、”ゴミ箱をあさって、自分の食べられないものを親が食べていないか、チェックする”というのは、やっていたことがあった。殊に夫が隠れて食べていたので(私は証拠隠滅確実な、完全犯罪です)。 これはねー、家族皆で取り組んでいる家では、よくあるみたいです。時々アレっ子母が言ってました。「ゴミ箱あさらない?」って。
この頃は、子どもが「黙認」している。
夫に「黙認してくれているんだよ!」と言っても、夫は「えー、気づいてないだろー?」とか言ってましたね。子どもの方が、上。(でも、だから子どもも「隠れ食い」するんじゃないかと私は思う)

保育園で、他にアレルギー児がいる、というのは、強かった。
○ちゃんは、○○がダメでー、△ちゃんは、△△が、ダメなんだよねー
と、子供同士で普通に話す環境だったし、
それで、それがどうしたのさ? って感じだった。
子供同士のおままごとでも
「いらっしゃい、いらっしゃーい! おいしいケーキだよー! アレルギー用もありマース!」って、3歳児くらいでも、みんなが普通に言ってたし。(感動したよ)
だから、とりわけ、アレルギーがある、あなただけが違う、という話をしなくても、良い環境にあったのだと思う。
もし、そういう環境になかったら、アレルギーっ子の親の会、みたいなのに出かけるほうがいいと思う。こういうのは親の助けにもなるけど、子連れで参加すると、子ども自身が「あー、他にもいるんだー」とわかる機会になる。
「私だけじゃなかった」と知ると、救われた気持ちになって、困難に立ち向かう勇気に変わる、というのは、アレルギーに限らず、生き難い状況になった人誰もが思うことだよね。
それで、経験不足を補うように、他のアレルギー児の様子は、意識して話すようにはしていた。
私が読んだ体験談でも何でも、具体的な話で、こういう子がいて、こういう風にしていたんだって。とか、どこどこ学校では、こうなんだってよ。とか。
希望をなくすような話ではなくて、自分たちはどうやっていったら良いかを模索するヒントになるような話だけをしていたかな、と思う。当然、一家心中した話とかは、子どもの前では今もしない。

子どもに伝える、
って
「アレルギー」を理解させる
ということと
「みんなと違う」ということを受け入れさせる
ということに
大きく分けられるんだろう、と思う。
で、
親の心配というのは、主に後者なんだろうなあ。
そこに、「アレルギーってなに?」とか「治るの?」とか「治療法が変化する」
とか、そういう「理解」が入ってくるんだろうと思う。
で、わたしは、最初に書いた2と3をベースに、「違うから悲しい」という点をクリア(?)し、
1を小出しにすることで、「どうして違うのか」「なぜ違うことが必要か」を理解させていったのかもしれない。
後者の「みんなと違うことを受け入れさせる」力を、どう与えるか、ってところが、
一番のポイントなのだろうなあ。

うちは、家族もみんなで立ち向かうよ、味方だよ、ということと
違う人は他にもいる、と知らせることで
その力を与えていったのかもしれない。(与えられたかどうかの結果は、不明だけど)
うーん、書きながら、まとまってきた・・・。

さらに、
別な話として、
アレルギー食は、他の食事と、どこが「違う」のかというのは、
前から、書きたいと思っていたテーマなので、いつか書きます。
これについては、自分自身の認識が変わった経験があったのですが、長くなるので、また別の機会に。
それから
もっと具体的に、「どうして私はアレルギーなんかなんだろう!(悲)」
と、聞かれたこともあったけど、それでどうしたかも、また別に書きます。

・・・・やっぱし、うまく書けなかった・・・。
はー・・・読みにくくてすみません。

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サンアントニオで見た食事事情 1(アレっ子の海外旅行)

さて、食べ物、です。
うまく系統立てて書けないので、ランダムに書いていきます。

 

飛行機内の弁当持込>
海外旅行をしたことのない私は、かなり無用な心配をしていたようです。
アメリカの入国検査は、前より厳しくなったそうですが、それは「武器」等に関してであって、金属以外の所持物については、ほとんどスルー。
持ち込んだ「ビーフン焼きそば弁当」は、それなりの「異臭」を放っていたのですが、ぜんぜんチェックを受けませんでした。
入国審査を始め、空港でのいろんなチェックは、とにかくすごい大量の人に対する流れ作業なのですねー。
はじめ、いろいろ聞かれたら、どう英語で答えようか、などと構えていたのですが、
英語のできない日本人なんて、居て当たり前に扱ってくれるし、パソコン(ラップトップ、と呼ぶ)出せ、着てる上着も脱げ、と言われることはあっても、「この袋の中身は何だ?」なんて、まったく聞かれず。間抜けな表情の日本人親子3人組だったからですかね。ちなみに弟妻は、しばしば脇に呼ばれて、ボティーチェックまで受けるそうです。「顔なのかね?」と言っていました。果物を持っていっても、大丈夫だったね、あれなら。

帰国の飛行機でも、いっぱい弁当を持ち込んでいたけれど、まったく問題なし。

 

<機内食>
事前の打ち合わせで「フルーツプレートのみで結構」ということにしていたのですが(要望を出せば、食べられる機内食もあるかもしれないので、ちゃんと聞いてみよう!)、肉料理がフルーツプレートに代わった「特別食」が出てきました。だから、パンとかヨーグルトかも乗っていた。はじめは「アレルギーだから、果物のお皿以外はいらないんです」と説明してみたけど、別にそんなことをしなくても、機内食を残す人はたくさんいるし、超忙しそうなアテンデントさをに、わけのわからない私の英語につき合わせる理由もないので、そのまま受け取って、食べられそうなものだけ食べていました。
こどもも、フルーツ盛りなんて、家ではほとんど食べたことないし、ジュースも我が家にしては結構飲ませたので、「夢見心地」。
「特別食」ということで、名前のかかれた札の乗った食事で、まず一番に運ばれてきました。「札」は記念にとっておきました。
フルーツは、農薬が心配だったので、「舌がピリッとしたら、すぐにやめろ」と子供に言ったのですが、「うまーい!」「うまーい!」を連発し、自覚したか、不明。
確かにトロピカルフルーツは、日本のより甘くてその甘みもやわらかく、おいしかったです。しかし、さすがに、帰りはみんな飽きて、残してました・・・。

 

さて、タケは、
サンアントニオにおいて、食品店では、アメリカ一般スーパー3種類くらい、オーガニック店2種類、アジアン店2種類に行きました。
まず、その報告をしてみますね。
本当は写真があれば一番なんですが、
やっぱり、店で、写真を撮る勇気がなかったです。
弟もやめておいたほうがいいかもね、と言っていたし。
英語力があれば、「ブログでお宅の店を宣伝します!」とでも言えたのかも知れないけど、断念。

スーパーは、大手スーパーを含めて3種類くらい行ったので、以下の記述は、まんざら特殊ではないと思っています。(特殊だったらごめん)

 

アメリカのスーパー;日本食>

日本食が人気、とは聞いていたけど、
たとえばそれは数少ない寿司専門店に、行く人が増えた、程度だと思っていたのです。
が、とんでもない。
日本で、ピザやスパゲッティが当たり前にあるがごとく、スーパーの、結構良い位置にそれなりの広さの寿司コーナーが当たり前にあります。イタリア人が、日本に行ったら、スパゲッティはもう食べられないと思っていたのに、あれ?と言うのに近いかもしれません。味が、いまいち・・・と思うかもしれない点も。
スーパーのでっかい看板の下に、寿司コーナーあり、みたいに、大きく書かれているほどの扱いでした。

米も「寿司ライス」という名で、日本のお米が売られていました。
うちは魚や油揚げがだめだから、手をつけられないけど、
このアタリがクリアできる人は、「買い食い」もあり。と思いました。
(ただし、米の味は、保障できません)
寿司は、いなり寿司やマグロのにぎりほかに、いわゆるカリフォルニア巻き。海苔が内側なのね。あれに、アボガド、とか、サンアントニオはメキシコに近いので、チリソースの「なんか」(不明)とか、すごいのもいろいろあったよ。てか、そっちが普通。
あと、
豆腐も、普通にありました。
寿司コーナーの近辺には、お酢とか醤油もズラズラあった。

 

アメリカのスーパー;日本食?>

弟夫婦から「ライスミルク」というものを見た、と聞いたときは、
オーガニックなどの特別な店に少量あるのを発見したのだろう、と思っていました。
が、
普通のスーパーのワゴンに山積み。セールです。(む?山積みはやっぱりオーガニック店だったかな?自信がなくなってきた。でも、普通のスーパーでも売ってましたyo)
何でも、ライスミルクは、玄米を煮まくって、出てきた汁を飲料にしたものだそうです。(タケ英語読解力による)
これを、たとえば玄米シリアルなどにかけて、朝食にいただくのが、ヘルシー!
ということです。
タケ家は、もち米にもアレルギー反応する家なので、やりませんでしたが、このあたりもクリアできる家は、オッケーよ? 牛乳とかは原料ではありませんでした。
ちなみに、ネット検索すると、日本でも買えるようだ。(原料はいろいろなので、要吟味のこと)
http://www.kenko.com/product/seibun/sei_821068.html
タケ家も、弟妻に果物と一緒に寒天で固めてもらって、杏仁豆腐風にして、少量だけいただきました。
まいうー!さっぱりしていて、おいしーん!
弟夫婦も「へー!こりゃいいや。今度パーティーのときに持って行こう」と言っていました。
ドライフルーツも、いろんな種類がすごくいっぱい売っているしね、ナッツも。
レーズンは、なぜかあまりないけど、それ以外なら、ノンオイルもあったし。
食べられるシリアルに混ぜて食べれば、気分は、アメリカン、かも!

 

ただ、アメリカのもの、って、なんでも農薬が心配になる。
そのあたりは、よくわかっていません。

さあ、ここまででだいぶ、「うちも、もしかしたら海外旅行ができるんじゃないか?」と思い始めた方もいることでしょう。食事編はまだ続きます。Dscf1656

←スーパーのレジのワンシーン。

このスーパーでは、自分でレジをするコーナーがあった。バーコードを読み取らせているのが私の弟で、
むこうがピカリン、荷物を詰めています。
こっちがチクリン、荷物を渡しています。

弟が持っているのは、調理などに使う水。
1ガロン、日本円で50円から70円くらいです。

こちらのレジの支払いは、ほとんどがクレジットカードがデビットカード。
クレジットカードのときは、その場でサインだし、デビットカードのときは、自分で暗証番号を打ち込んだり、とちょっと手間がかかるのだけど、みんなイライラせずに普通にのんびり待っています。

アレっ子自炊海外旅行は、食べ物の中身より、こうしたレジ形式などに慣れる方が、ドキドキする難物なのかも?! レジの人もしょっちゅう気さくに話しかけてきます。
ハローとか、最後に、ハブアナイスデイと言うのは、当たり前。こっちも、ハイとかユートゥーとかくらいは言おう。(つか、それくらいしか言えなかったタケ)

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海外旅行で感じた化学物質(アレっ子の海外旅行)

化学物質関係で考えていた点は以下のとおり

飛行機 → 消毒など?  対策;キーメイト(活性炭入り)マスク持参
ホテル → ハウスシック関係   対策;事前に、新築ではないこと、リフォームしたりしていないとの情報を得ておいた。  
現地 → 水道水の塩素など  対策;風呂はバスタブに湯をはって、ビタミンCを入れて対処する。飲み水は、向こうの人も全て買っているので、もちろん買う。

結果

 
何しろ書かなくてはらないのは、
向こうの、「香料」の強さです。

 
予想していた「消毒剤」やホルムアルデヒドなどより、とにかく、香料、がすごい。
飛行機の中で、外国人の男性のつけている整髪料。
食器洗剤、洗濯洗剤。そういうものがスーパーの中にも充満しているし、とにかくどこから何が出ているのかわからないけど、香料だらけ、という感じがしました。
化粧品のクリームでも何でも、香料がたっぷり入っていて、
まともに「くらう」と、こどもたちは、「ぎゃーー!!くせーー!げほー!」とかやっていました。
ホテルでも、部屋に入ったとたん、何が原因かはわからないけど、何かが「香る」。
日中は窓を開けるようにし、夜はバスルームの扉を開けて換気扇を回して対処したつもりです。Dscf1660

扉を開けて対処の様子…→

それでも、家に戻ってシーツを洗濯すると、まだシーツににおいがあって(向こうで洗濯などしていない)、夫が「くせー! お前たちよくこんな中で生活してたな? 俺なんか、このシーツの匂いだけでクラクラするぞ?」と言っていました。

それから、水道の塩素
弟夫婦も、暮らし始めのころは、手はボロボロ、髪もボロボロになったと言っていました。ぴかりんも、あまり水を使わなかったけど、手が荒れました。
それから、洗濯洗剤として、こちらからバジャンを持っていったんだけど(あちらの洗剤はきつくて使えるものはないよ、と弟からのアドバイス)、色物が白く色抜けしてしまうんです。こっちではパジャンを使ってもそんなことないし、向こうの水道と洗剤を組み合わせてもそういうことはないので、「バジャンと強い塩素の相性が悪いのかねえ…」と、弟妻と悲しんでいました。今度行くときは、バジャンのようなタイプではなく、石鹸タイプのものにしよう、と思いました。

あとは、部屋に家具が結構あったこと(今までの写真参照)。
事前チェックのときは、建物自体のこともそうだけど、家具も新調したものでないか、化学物質に過敏な人は聞いた方がいいのかもなあ、と思いました。

私たちの行った場所は、畑がほとんどなくて(飛行機が現地の飛行場に降りる時に窓から景色をチェックチェックチェック!←かなりキテますね)、農薬散布が見られないのが、ほっとした事です。

田舎のせいか、広々していて、
化学物質感じられることが、少ない環境なのかもな、とは思いました。

Dscf1670 ←ホテル外観

 

牛はのんびり放牧されていて、狂牛病とはどこの国の話か?と思うほど、ゆったりしているように見えるし、
車だらけ、高速道だらけだけど、それを上回る広大さなので、
世界のCO2排出量のうち4分の1はアメリカである、温暖化の根源である、なんて、絶対自覚できない。
ゴミもねえ、分別なんて無し。
紙も、プラスチックも、缶もビンも、みんな一緒!
日本みたいに、汚くなった所、狭くてうっとおしいほどの所が見えないから、
環境破壊、
なんてことを、個々の生活レベルでは自覚できないんじゃないかなあ、なんて思ったのでした。Dscf1669

 

似たような、キッチンつき滞在型ホテルが4・5種類、同じ場所に集中して建っていました。 →

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無題(焼きりんご)

Dscf1793 見た瞬間ね、やっぱ、食指が動かないでしょう。コレ。
なぜか大量に作られ、結構「マシな方」の「焼きりんご」です。他のは、もっとどす黒い茶色ね。

夫作

私もあんまり、食べたくなかったんす。

でもサー、やっぱり、作ってくれたんだし、付き合い程度には・・・ね・・・と、
みんなよりかなり遅れて、一応一口・・・・。

んんんまいっ! うそっ! マジで? 

オオーソーレ、ミーーーイオーー!(いきなり脳内が晴れ渡る)

何コレ、なにコレ、どうやって作ったの?

って、思ったのに、翌日もまた出されると(何しろ大量なので)、やっぱり食指が動かない。

「はー」と心の中でため息をついて、一口食べると、おおおおおおー!ソーレ、ミイイイイオー!

やっぱしうまいよ、というので、写真に撮られました。

ひさびさ<一読レシピ>焼きりんご
紅玉の芯をくりぬき、煮てつぶしたサツマイモ+レーズン+砂糖+シナモン、をここに詰め込み、アルミホイルでくるんで焼く。

なぜだか、シナモンが多すぎるほど大量に入れられていました。

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海外旅行の空中浮遊物(アレっ子の海外旅行)

空中浮遊物について、旅行前に考えていたことは以下のようなことでした。

東京都通過 → 花粉  対策;マスク、目薬、点鼻薬持参
飛行機 → ブランケットのほこり  対策;手入れをした薄めの寝袋(封筒タイプ)を持参
ホテル → じゅうたん・ソファ・ベッドのダニ・ほこり。タオル類のカビ。  対策;掃除機持込。高密度シーツで覆う。一応一人1枚以上タオル持参。
弟宅 → ホテルと同じ
現地 → 花粉(ブライアンが1年中何かの花粉が飛んでいるヨ、どこもかしこも森林だらけだからね。と言っていた)

それから、いつもは飲んでいない「抗アレルギー剤」も処方してもらって毎日服用しました。

さて、結果です。

 
まず
<飛行機>
ブランケットは薄く、毛羽がないもので、ほこりについては問題なかったです。
ただ、ブランケットではなく、人が多いため、人によるほこりがあったかなあ、と思います。少し鼻がグスグスしました。
寝袋はかさばるし、座席(エコノミー)は狭くて、とても広げたりするような余地はなく、帰りの飛行機では持ち込みませんでした。Dscf1759

写真はアメリカ国内線の中。国際線より広くて快適でした。

<ホテル>
絨毯の毛足がほとんどないタイプで、それにホテルに滞在する時間も短かったし、絨毯によるハウスダストは、ほとんど感じませんでした。一応掃除機はチクリン(小2)がかけましたが。
ベッドの一番上にあるベッドカバーはほこりっぽく、すぐに戸棚にしまい、ベッドと、薄手の毛布に高密度カバーをかけました。気候の暖かなところなので、これで十分。ベッドは二人分なので、一人は、持参した寝袋を広げて(四角くなる)これを毛布代わりに使いました。Dscf1573
カーテンがちょっとほこりっぽい感じがしましたが、あまり触らないようにして、クリア。ソファは布張りの大きいタイプでしたが、高密度シーツのカバーでOK。
ちなみに、K先生の本でカバーについて紹介のあったカービックジャパンの袋タイプと、カービックジャパンには敷布タイプはないので、ハートの綿高密度フラットシーツを持っていきました。後者は、性能の点で大丈夫かな?と思いましたが、我が家では、very good! 肌触りもよく、生成りの色もよかったです。カービックジャパンのカバーも、薄いグレーの方眼柄が入っていて、センスよく、心地よかったです。こちらは性能の高さもあるので、心配ナッシング。カバーの中で毛布が偏りがちなのが、ちょっとした難点かもしれません(大したことないですが)。Dscf1664
ホテルのタオルは、すぐさま匂いをかぎましたが、かび臭さや洗剤臭さがなく、さっぱりした洗いざらしの感じ(柔軟剤ぽさも感じなかった)でしたので、これをそのまま使いました。

向こう側が、カバーしたソファー →

<弟宅>
絨毯の毛足が長く、また、日本式に絨毯の上に座るので、ちょっと、ほこりを感じました。弟妻が、何日もかけて掃除機をかけまくってくれたようですが、それでもやっぱり感じました。ただ、咳が出たりするほどではなく、「絨毯の上でけんかするなー!」と叫んで、アレルギー症状抑止(になったのか?)。
ソファにも、そのたびにホテルから高密度シーツを移動させて、上からかけていました。

<現地の花粉>
ブライアンの証言を、軽視していました。
アレルギー体質の私の弟は、毎日鼻をグシュングシュンいわせていましたが、とりあえず、うちの子も私も症状は出ませんでした。アレルゲンになっていない種類なのか?それとも・・・

<東京の花粉>
雪の降っていた東北に比べて、絶対厳しいはず、と思って、マスクはすぐにしていましたが、
やはりアレルギー体質の妹が、涙を流し、鼻をかみまくって苦しむほどには、感じず・・・。
もしかして、私たち、花粉に強くなっているの? 
食事に気をつけて、アレルギーコップの容量を低く保っている効果なの?
と、不思議な感じがしました。まあ、マスクは手放せませんでしたが、してない時間も多々ありました。

こうしてみると、空中浮遊物では、あまり困難を感じなかったなあ。
高密度シーツ類は、初めて購入して使ってみたけれど、すごく、アタリ!と思いました。今後も、自宅の布団の手入れはしていかなければなりませんが、
だからといって、高密度シーツを拒否する理由もなく、(手入れをサボりがちになる?)
使用していこうと思います。

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年度替り

年度替りで、何かと忙しいです。

チクリン(小3)は、クラス替えがあり、担任が変わり、
ピカリン(中1)は、中学進学です。

小学校と中学校に出かけて、いろいろ説明したり、
わかりやすいようにと資料をそろえたり、と、
どたばたしています。

私   「クラスが変わって、アレルギーのことをわからない人もいるし、しばらくはお弁当を覗きに来られるかもしれない、ってことで、みんな、よろしくー」
チクリン「あー、はいはい。わかってる。わかってる。もう慣れているから、大丈夫。1年生のときも、最初いっぱい来たけど、だんだん来なくなったし」
私   「最初に何度も見れば、みんな慣れてくるしね。見てもらっちゃったほうが、かえってわかってもらえたりするしね。」

チクリン「でも、最後までわからないやつ、っているんだよなー」
ピカリン「あー、チクリンのゼリーいいなー(ヨーグルトの代替品など)とか、ずるーい、とか、言うんでしょ」
チクリン「そう、そう。そういう時、って黙っているしかないよね。言い返すことも思いつかないしー。お姉ちゃんは、何か言ってる?」
ピカリン「あははー、って笑ってるヨ。心の中では、

 
はったおしたろかコイツ!

 
って、思ってるけどねー」

ということで!

普通に暮らしていると、どんどんネタができてしまうので、
集中して、海外旅行記をまとめる覚悟です!

このブログをつけ始めた頃は、
日常生活には、ネタはもうないだろうから、
今までのことをまとめるつもりで、書こう、って思っていたのですが。
尽きることがありまへんな。

最もニューでビッグな話題は、
「小学校と中学校で、給食メニューが違っていたので、メニューに合わせて代替弁当を作ると、2種類作らなきゃならなくなった」

です。

がっっっっっっちょおおおおお~~~~~~ん!!

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ピカリン3題(思春期にさしかかったアレっ子)

閑話休題

今日は、この春中学生になるピカリン(女の子)の話です。

Dscf1776 これは、昨晩のピカリンの「新作」。
写真では良くわかりませんが、
洋風でサツマイモ入りのおじやに、うす切りした餅が乗せてあります(真ん中のは型抜きしたサツマイモ)

味は、何のイメージに一番近いかというと、
チーズを乗せた洋風リゾットです。

オニオンスープのもとで味付けしたおじやにいろいろ具が入っているのですが、そこにサツマイモのさいころ切りの甘さが程よくアクセントされています。
聞くと、、餅を乗せてから、「ラップをかけて」、「オーブンで」焼いたとの事。
「おい!待てや! オーブン?レンジでなくて?ラップかけて?ラップ溶けなかった?」
「うん・・・?」
「ややややめてくれよー・・・。オーブンは火にかけているのと同じなんだから、ラップはダメ!」
とやりつつ、
乗っている餅が表面がちょっとかりっとして、中は柔らかく、
全体のハーモニーが「絶妙!」(←親バカかも)

ピカリンは私のように、適当に味付けした上味見もしない人間と違って、丁寧に味見をしながら料理を進めるので、本当においしかったです。

ピカリンも、ようやく「実験料理」の域に・・・。
毎週やってもらっていた夕飯作りですが、
中学になると、ちょっと難しくなるかもなー、と、予想しているところです。

 

ところで

ピカリンは、明日一日入学というのがあって、
土曜日が入学式です。

そこで、聞いてみた。

「小学校の頃はさ、いの一番にお母さんが担任の先生に相談して、
ピカリンのアレルギーの話をクラスのみんなにしてもらっていたけど、
中学ではどうする?
やっぱり先生からしてもらう?」

(即答して)
「いや! 自分でやる。
自己紹介とかあるでしょ、きっと。そのときに」
「なんで?」
「だって、先生が良く理解しないまま、適当な話でみんなに伝えると、後で面倒だから。
自分で納得できる話を自分でする」
「アー、それあるね、先生の理解がいまいちだと、かえってね。
でも、ピカリン。
あんまり威張って紹介しないで、少し下手に出て紹介した方がいいかもよ。
例えば、自分は、あまり聞かれたくないな、と思っても、わからないことは聞いてください、とかさ」
「なんで?」
「だって、みんなアレルギーのこと、全く知らない人だっていると思うよ。
そういうひとは、不思議だったり、不安だったり、時には面倒くさい、って思うかもしれないじゃない? 例えば、ピカリンのクラスに身体に障害を持った人がいて、ピカリンが理解したくて何か話したくても、拒絶的な態度だったら、うまく関係が作れないじゃない? 自己紹介のときは、自分の気持ちももちろん大事にした話をすればいいと思うけど、少しはみんなの気持ち、も考えて、話をするといいんじゃないかな、と思う。」

思春期に入り、何かと周りに対して攻撃的になってきているピカリン。
アレルギーのことをわからないやつは、バカ、とか
いやなやつ、
とか、思っているかもしれない・・・(特に大人に対して)。
私のことはほおって置いて!と思いつつ、
アレルギーについて考慮がなされないと、怒りの感情がわく。
って具合で、
なにかと、アレルギーがらみで、人関係の構築を探求し始めているところみたいです。

私の言ったことが正しいかはわからない。
もっと、ピカリンの気持ちだけを尊重して、後押ししてあげればいいのかもしれない。
でも、
どこかで
うまくやって欲しいな、
と思っちゃうんだろうな・・・
あまり強く言わず、
控えめに言ったつもりなんだけど・・・。

これからいろいろあるんだろうな、がんばれピカリン。
とりあえず、担任へ私が手紙を書く、ということでは、ピカリンとは一致した。

卒業のとき「親への手紙」というのを、クラスで書かされて、私にも来た。
そこには、ピカリンが
「これからも、いろんな人と会うと思うけど、一緒に考えて、乗り越えていきましょう」
と書いた部分があった。
ここでの「いろんな人」というのは、面白くない人、ってことなんだろうなあ。
でも、
そのとき、「一緒に考えて」乗り越えたい、って思っているのか、そうかー。

なんて、思ったのでした。

 

ピカリンは、アメリカ旅行の初日で、
全身発疹が出た。(チクリンは出ない)
何が原因かはわからない。
疲れたのかもしれない。
新しい湿疹はそのときだけで、
あとは、枯れたり、引っかいて悪化したり、とやっている。

去年の秋あたりから、
ピカリンの肌の調子は良いとはいえない。
良くなりかけることもあるが、
すぐトラブル。

ここ何年かは、かなり落ち着いていたので、
ちょっと心配だ。

K医師が、
思春期に体に変化が起こるときはひとつの節目
と言っていたが(アナフィラキシーショックの死亡例も思春期に多い)、
ひとつの勝負どころなんだろうな。

しかし、こう悪くては、一生ものなのかな・・・

と思いつつ、
まあ、それはそれとして、

がんばっていきまっしょい、!

て、思うしかないっす。

 

はー・・・
ドキドキすんなー。

とりあえず、
昨日のピカリンの食事がおいしかった!ということで!!

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