« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月

(つなぎ)祭りの踊り

お祭りは終わりまして、先日の日曜日は、地区対抗運動会でして(学校主体ではなく、地域保護者が主体で行われる)、そのたびに反省会という名の飲み会もありまして、
落ち着かずに、新規投稿もできずにおりますので、場つなぎ的に、踊りの写真を一枚。

_025 これが、うちのチームの写真。

ちなみに、タケは、見えないくらい小さくどこかに写っています。

去年は、このパレードにピカリンがついていけるのか心配のあまり、自分も踊り(→結果ついていけないのは自分だけとわかった)

今年は、大先生の代理で踊ったので、プレッシャー。

ということで、来年こそは、落ち着いて踊りたいものだ。

パレード全体は、1箇所で見ると2時間は続く長いものなのです。見るよりは、踊ったり仮装したりして参加した方が、面白いかもしれません!
出店には、お化け屋敷もある!

どーでもいい話題ですいません。

| | コメント (19) | トラックバック (0)

調べたこと(あのときのこと4)

ブログで、町内会農薬散布について書くからには、と、しまいこんでいた当時の資料を引っ張り出してみました。
すると、
前に書いたピカリンの「喘息用発作」は、
そういえば、
肺炎と右中葉の無気肺併発
と、ちゃんと診断名がついていました。
(入院時の診断名 喘息用発作は、これの心配がなくなっても続いたわけですが)
そうだった。
「無気肺」は放っておくと、肺が機能する範囲が狭くなったままに固定されてしまうのだ、と説明されて、思いっきり顔に縦線が入った事を思い出しました。
まず、この点を訂正いたします。

それから、どうして町内は「消毒薬」を撒くようになったのかについて、
私なりに調べた結果もまとめてありました。

町内消毒薬、は、
もとは全国的に撒かれていたものと考えられます。
平成11年3月に廃止になった『伝染病予防法』(明治30年~)というのがあり、
この中で、「伝染病を伝播する衛生害虫は市町村が駆除すること」という条文があります。この衛生害虫は蚊やハエのことです。
まだまだ、日本全体が不衛生で、
他人のタオルを使うとトラホームがうつる、とか
蚊で日本脳炎、なんて話が沢山あった頃の話で、その当時は、それなりに有効な衛生法だったのだと思います。

ただ、その方法が、市町村が町内会へと仕事を委任する形で行われ、
それが慣例化し、意味が形骸化していった過程があるのだと思います。

平成11年3月に法が廃止された後はどうなったかというと、
代わりに『感染症予防および感染症の感染者に対する医療に関する法律』というのができます。
これには、先ほど書いた条文に当たる内容はありませんが、もしあるとすれば
「都道府県において、感染症予防思索の実施に関する予防計画を定めること」
という条文の中にそれが含まれるのだと思います。

ピカリンが入院したのは平成12年ですから、もう、法律は施行されていません
市町村に、衛生害虫駆除の義務はなかったのに、漫然と、例年通りの形で、消毒薬散布が行われていたということが、散布の慣例化・形骸化を物語っていると思います。

さて、
自分が残した資料によると、私が市に対して質問したのは以下のようなものでした。
「薬剤の名前」
「効き目」
「散布に当たっての注意事項はどのように伝えているか」

これに対して、市の担当の方からのお答えは、以下のようなものでした。

薬剤名は、リサイルKC油剤で、成分は、ジクロルボス0.3%と、イソボルキオシアノアセテート1.0%である。
(効き目については答えがなかったように思うが、調べると、同様の薬剤の中で中より少し上の程度。広く撒くものとしては一般的薬剤)。乳剤もあるが、費用の関係で油剤にしている。
注意事項としては、町内に薬を渡す際に、「もし喘息の症状などが出るなどがあり、たとえ、その症状と薬の因果関係がはっきりしていなくても、そういう懸念を持っている市民の方には、その気持ちを十分に尊重するように」と伝えている。
洗濯物は取り込むよう言っている。
しかし、町内会自治会によっては、きちんと伝えているところと伝えていないところがある。
市内において、屋内に撒いているところはないと思う。

というようなことでした。

そして、「どうしてこのような質問をなさるのですか?」
と聞くので、
ピカリンのことを話し、医師から薬剤名を聞くように言われたので、と、答えました。

この有効成分ジクロルボスは、有機リン酸系の殺虫剤で、虫の神経機能を麻痺させることによって、殺虫する薬です。
一般家庭用にスーパーなどで売っている殺虫剤と根本的に違い、毒性が強いです。
市町村責任で撒いていた害虫駆除薬の中には、「取り扱い注意」マークのあるものもあればないものもあるようですが、ジクロルボスは、取り扱い注意マークつきです。よって、一般スーパーなどには出回りません。

この薬品名を、担当のK医師に伝えると、やっぱりね、
という感じで、
ピカリンの血中コリンエステラーゼ値および赤血球中赤血球コリンエステラーゼ値を示しました。

ピカリンは、幸か不幸か(?!)血液検査を結構していたので、このコリンエステラーゼ値なるものが、時系列でどのように変化しているのかを分析するのが可能でした。
そして、殺虫剤の曝露を受けてからの値の変化がひどく、これが、有機リン系殺虫剤の影響を受けている証左となるようでした。

K医師は、この経験(ピカリンの経験)をまとめて、厚生労働省に報告し、自宅周囲にこのような薬剤を撒くべきではないと進言したようです。

さて、
ここまで調べたら、次は、どのように町内会を説得するかです。

全部きちんと説明すれば、1時間はかかるだろうなあ、と思いました。
また、どういう形の提案をするべきだろうか?とも考えました。
上記、市からの説明を対応させると、
わが町内自治会は、「屋内散布希望者」のみに、注意事項を書いた紙を渡し、屋外に撒く点については、自治会会員に特別には注意事項を知らせていない。
また、わが町内が、屋内に撒いていることを、市は把握していない、などの、市とのすれ違いも見られました。
(つづく)

| | コメント (10) | トラックバック (0)

行動し始めの緊張(あのときのこと3)

次に始める話は、翌年春の町内会総会までのことなのですが、
何が、どういう順番で起こったのか、日記もつけていないので、よく思い出せないのです。
3つの柱があって、
1つは、自分自身が、今回の「消毒薬」散布の「正体」を知る過程、
2つ目は、地域の人たちとどうかかわるかを悩んだり考えたりした過程、
そして3つ目が、ピカリンの症状
これら3つは、相互に関係していて、影響しあって、私自身の考え方を作っていったのだけど、
何が、どう、いつ関係しあったのかを、よく覚えていない。
だけど、そこが無いと、話に現実味がなくなってしまいますよね。
「何が理由でどう考えたか」
そのあたりがうまく書けない事が、とてももどかしいのだけれど、
その点は、申し訳ないけれど割り引いて読んでもらうことをお願いして、
綴ってみようと思います。

ピカリン(当時小1)の喘息(の様な症状)は、おさまったけれど、
だから、じゃあもうおしまいかというと、
散布は来年もある予定なわけだし、もっと気をつけてもらいたいということは、町内の人に言っていかなければならない。
もう一度、町内会役員に強くお願いする、というのもあるけれど、
本当は、こんな散布はやめてほしいのだから、
その危険性を町内の人みんなが知らなければならない。
もし、役員の人が「中止」を決定しても、どうしてか、その理由がわからないなら、
危険性を知ってもらうことにはならない。
みんなに知ってもらうことが、大事だ

ここまで考えただけで、結構、もう、どきどきした。
自分は、それまで保育園と家を往復するだけのような生活で、
それほど地域の人とかかわっていなかったし、
出たことのある町内会総会では、
子供会会長と、町内会長が、あわやつかみ合いか、みたいな状態になったのも目撃しており、決して、穏やかで物分りの良い町内関係が築かれているとも思えなかったし。

でも、何か始めなきゃ

「何の薬か調べておいて」
と、K医師が言っていたことを思い出して、
自分が知らなきゃ、他人も説得できない。
まず、ここからやらなきゃ、と動き始めることにしました。

私は、町内会がこの薬を
「消毒薬」と表現することが気になっていました
「消毒薬」というと、アルコールとかエタノールとか想像します。
ばい菌を殺すみたいな感じがしますよね。
だから、家の中に撒く、という発想になるんじゃないかな?
危険ではない、と思うんじゃないかな?
どんな「消毒薬」なのか。
まずは、そこからだ。

誰に聞けばいい?
町内会の役員だよね?
でも、町内会役員の名前も住所も連絡先も、よくわかんないよ。

勇気を出して、数件隣の、Aさんのお宅へ出かけました
なぜ、Aさんにしたのか忘れたけれど、引っ越してきたときに、ゴミ出しの方法を丁寧に教えてくれたのがAさんだったから、かもしれない。
でも、それ以来数年、会話をしたことは、ほとんどゼロだったから、訪問するというだけで、私は緊張してました。
Aさんに、町内会役員名簿を持っているか聞いて、
「消毒薬散布の担当は誰でしょう? 実は、散布薬の名前を知りたいのだけど、どの方に聞けば、知っていると思いますか?」
と、言いつつ、ピカリンの身に起こった事情について、説明した。
丸っきりの他人に説明するのは初めてだったから、拒絶されないように話そうと思って、緊張のあまり頭がくらくらしていた。
ところが(?)、それまで知らなかったのだけど、このAさんは看護士だった。
そういう事情は、町内みんなに知ってもらっておいたほうが、絶対いいよ。だって、それがみんなのためになるんだもの。悪くなんて思われないと思うよ。」と言ってくれた。
ほっとした。

ここで、どうして私がこれ程まで、町内の人との関係を気にするか
緊張するのか、
自分でも良く思い出せないのだけれど、考えてみます。

まず、自分が、人との関係の悪化を極度に嫌う性格だ、というのがひとつ。
これは、育ちや性格に関係することで、ここでどうこう書いても仕方が無い事です。

それでも、正しいことは貫こうと思う性格だけれど、
こと、問題は、ピカリンのこと。
自分だけが納得してればすむことではありません。
その頃(小1)子ども会にも参加し始めたばかりで、
とにかく、おやつだの、室内レクレーションだの(座布団とりゲームとかね!)のたびに、ハラハラしたり、人に頭を下げたりしていたので、「町内」というのには、ちょっと過敏になっていたと思います。
ピカリンのことは、できるだけ、身近な地域の人に温かく見守ってほしいと思ったし。

それから、この話はいつの時点で聞いたのか忘れたのだけれど、
隣の市で、やっぱり同じように、町内会散布薬で、ひどく健康を害した女性がいた、という話を聞いていました。
その方は、ずいぶん町内会と掛け合ったらしいのですが、理解してもらえず、「少し頭がおかしいんじゃ」みたいなことまで言われて、腹が立って訴訟準備までしていたそうです。が、結局事情で引越しをすることになり、それっきりになった、ということでした。その女性が、これらのことから受けた心身のダメージは、相当なものだったらしいです。
この話は、仲良くしていた行きつけの薬剤師さんから聞きました。薬をもらうたびに、今回のことを説明する私に、同感しながらも、そちらの女性ともよく話していたので、私のことも心配になったようで、ちょっと不安そうな表情で教えてくれたのでした。
やっぱりねー、ショック。
そういうことが、すぐそばであったということが。
具体的に、その被害にあった女性と、町内会でどういう会話がされたのかはわからないけれど、決裂したら決裂したで、手はあるけれど、できれば決裂せずに、理解してほしいと思った。だから、理解してもらうやり方について、とても慎重になってしまってました。
でも、結局どんなやり方がいいのか、皆目わからず、
だから、何もかもが気になって、緊張していたのだと思います。

それは、この後の行動にも、現れてきます。
それが、子を守る母として、ベターな態度だったのか、と問われると、
よくわかりません。
あまりに慎重で、あまりに遠慮しすぎていたかもしれない。
今もよくわからないけど、
当時の自分の中では、精一杯だったと思います。
とにかく、「知ってもらう」
これだけは、最低限のラインとして譲れない。
もちろん、もっと要求したいことはあるし、要求していくつもりだけれど、
自分で掲げた要求と、地域の人の意識のギャップに絶望して、何も得られず終わるよりは、
とにかく、理解だけはしてもらう!

その次の目標はその次。一挙に全部を獲得しようとしない。
大きな要求を考えると、萎えそうになるので、この目標だけは最低限のものとしてしっかり握り締めて、絶対くじけず、やってみようと思っていました。

そこで、まず、
町内会役員の某さんに電話し、そこではわからないので、と、別の役員某さんに電話し、
「消毒薬散布はシルバーに頼むように、という毎年恒例になっている仕事なので、具体的なことはわからないのです」という答えをもらって、
次にシルバーへ
シルバーからも、「市から渡される薬をそのまま撒いているので、薬の名前などはわからないんです」と言われ、
市の担当部局の名前を聞いて、市へ連絡を取りました。
市の担当部局も、即答はできず、改めて担当者から連絡します、ということで、市の答えを待っていました。
(今なら、こういうことを、さらっとやれると思うけど、当時はいちいち緊張してたなー)

| | コメント (8) | トラックバック (0)

なんで、こーなるの?!(コント55号風でお願いします)

いきなりですが、

今度の木曜日、
地元ではお祭りがあります。
http://www.tsuruokakanko.com/season/event02.html
驚くことに(?)、この日、まつりのために街中の小学校は休みです。
中学校も午前のみです。
休みの会社もあるし、午前のみの会社もあります。
「祭りだから」と、仕事を休んでも、文句を言われないという職場も多くあります。

パレードがあるのですが、
今年、タケは、「わけあって」、わが小学校の踊りパレード(小4から6年の有志と保護者によって構成)の先導車の上で踊ることになっています。
(近隣の方、よろしく)

思えば、去年、
ピカリンが、この有志踊りグループに参加したいと言い出し、
ピカリンの体力がとても心配だったタケは、説明会やら練習会に顔を出し、状況を観察し・・・

・・・昨年、ピカリンの体力はついに私より上をいったと自覚するにいたり・・・

・・・・それで、なぜか今年は、先導車の上で踊ることになってしまっているわけです。
なぜだ?! なんで、こーなるのっ?!(しつこいですが、コント55号です)

 

先日書いた、GWの東北の旅も、実は、主目的はピカリンの夏の合宿場所の下見なのです。
そう思って行くと、「親の負担が増した」と感じてしまうので、
せっかくだから、旅行にしよう!
ってんで、
いろいろイベントを楽しんだり、
米の製品を手に入れたりしたのですね。

 

春のアメリカ旅行も結局、アレルギーがらみで、決断したわけで。

 

アレルギーだから、生活上のいろんなことが大変、
なんだけど、
なんか、アレルギーとかそういうことで、新しい経験をいっぱいさせてもらって、
それが、私が「生きる」ってことになっちゃっているような今日この頃。

アレルギーっ子を育てることで呼び込む、目くるめく世界に翻弄されて、
楽しんでいる(大変なんだけど!!!←ここ、強調)タケでした。

 

なんだか不思議な感じがするので、書いてしまいました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

米粉利用食品(東北版)

東北地方的アレルギーライフサイト、タケアレいい加減COOKINGです。

ここのところ、ちょっと重い話題が続いたので、息抜き。

東北は日本の米の供給の4分の1を占めているそうです。
(先日の旅行で立ち寄った 秋田 道の駅 こめこめプラザhttp://www.thr.mlit.go.jp/yuzawa/miti/eki/nakasen.htm米の資料より)
しかし、年々、米の需要が減っており、
東北各県は、米の粉の利用で、その需要拡大を図ろうとしています。
(東北米粉利用推進連絡協議会http://www.tohoku.maff.go.jp/sr_miyagi/shokaku/komeko/miyagi1.htm

しゅばらしいね!
しかし、これは、あくまで、農業としての米の需要拡大が主目的なので、
その試行錯誤は、卵・牛乳入りの米粉のお菓子の販売とか、決してアレルギー向けというわけではありません。
が、しかし、
かなりのいきおいで?いろんな試作品が作られているのか、
今回の東北の旅では、
いろんなものに出くわしました。
いろんなものが多ければ多いほど、アレルギー対応となるものも、含まれてくるわけです。(ただし、コンタミが不安)

写真はないけど、古代米の皮でくるんだイチゴ大福
これはおいしかった。
皮があっさりしているのにコクがあり、地元のイチゴとの甘酸っぱいハーモニーが良かった!

Dscf1934 ←これはうどん風。(山形)こめきり
見えにくいかもしれないけど、茹で時間「5秒」というのが、すごい、こわいっ。
まだ試していないのですが、米粉100%なので、たぶん、団子みたいな味だろう。
味噌煮込み風に利用するのがいいかと、今考えているところ。

 

Dscf1935_1

こっちは、 まじうどん(秋田)→
農友こまち麺              
これは、すごいです。
コーンスターチが入っているせいか、
つるつるしこしこ、のど越し滑らか。
はっきり言って、アレルギー食嫌いな人でも
「ん?(悔しいけど、うまい!)」
と言わせちゃうこと、間違いなし!
ただし、コンタミ・農薬などについては、未確認。
入手方法は
http://www.hapima.com/prd/02000352/02000352NKM0010/
のみ、らしいです。
じつは、これ、親戚が少し販売に関係していて、頂いたのです。
「え?!おいしい。 ちょっと、米の粉でこういううどんを作ろうと思っても難しいかも・・・」
「そりゃそうだよ! すごく手がかかってるもん。10行程くらい? 家ではできないよ!」
とのこと。
冷麺でつけ麺にして食べるのが、一番美味。やっぱりお湯の中ではぶつぶつ切れてきます。
うちは冷麺にすると、1人1把食べてしまうので、お高いのが、難、です・・・。

Dscf1933_1 ←お次は、なんちゃってスナック
えー!お米で、こんなスナックがー!?

すばらしいよ!酒田米菓!
車で来た甲斐があったぜ!もうけたぜ!
(コンビニで売っているかもしれない「オランダせんべい」の会社。ちなみに、オランダせんべいは、「自分のだ」の方言で「オランダ」+洋風(サラダ油)なので「オランダ」、であり、本当のオランダとは何の関係もありません。これは本当の話です)

勢い込んで買い、子どもも狂喜するものの、
食べてみると、
せんべいだよ!普通に、せんべい!
いや、ちょっと、玄米っぽいとか、調味料に一工夫、とかありますけど、おいしいですけど、包装袋から連想されるようなものではありません。さすが、酒田米菓! mr.K、って何だ?! おせーて!

 

さー、
今までのは、前ぶりだ。
本当に見せたかったのは、これ!→Dscf1931
じゃーん!
なんだこれはー!
これは、一般人誰もが、持ち込んだ米で米粉を作れる機械です。1kg200円で、製粉してくれます。今年の4月から稼動中。
ちなみに、お米は10合で、1.5kgです。
これが高いか安いか、微妙だが、
おもしろい!
さっそくやってみました。

Dscf1930 機械の上から米を入れています。

10kgで、30分もかかるんだそうだ。

ちなみに、この人は、JAの係りの方で、タケではありません。

Dscf1932 出来上がったところ。

ちょっとわかりにくいけど、

手前のスペースに粗い米粉が落ちてきて、
奥に広いスペースに、細かい米粉が落ちるのだそうです。
粗い米粉は、揚げ物に使えそうだNE!

この機械で、小麦も製粉していたらやばいと思ったが、小麦はおろか、もち米も使用不可だそうです。よしゃ!
普段は鍵がかかっていて、申し出た人にだけ、係りの人が製粉をしてくれるというやり方。
とりあえず、コンタミくりあ?
帳簿を見たら、平均して1日1人の利用だった。

「この米粉は、上新粉より細かいんですよね?」
と、念のために聞いたら、
「??? 同じじゃないですか?」
同じだったら、お菓子用の米粉を作る意味がないんだよー。
たぶん、細かいんだよー。
でも、JAの人も、良くはわかってないのかな、と思った。
見た感じ、かなり細かかった。
「モスバーガーのフライドチキンは、米粉ですもんね」と、タケ。
「え?そうなんですか?」
「だから、カラッとしてますよね」
それは知りませんでした

知っててねー!

さーて、
地消地産で、庄内の米を買って、庄内で製粉して、米パン作るぞー!
ってことで、
すでに、全国区のリファーヌ使用米パンと違うものになる可能性、大。

どーなるでしょーかっ!

独自、東北的アレルギーライフのタケ家からの報告ですた。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

アレルギーで悪口を言われた時

(前回の記事、こはくさんのコメントから。あくまで、タケの経験談)

たとえばさー、「デブ!」っていう悪口があるけど、毎日おやつがぶがぶ食べて太っている自分の子に向かってデブ!と言われるのを聞くのと、持病を治すために飲んでいる薬の副作用で太っている我が子に「デブ!」って言っているのを聞くのとじゃあ、腹の立ち方が違うと思う。
怒っている後者の母親を、誰も責められませんよね。
だってそのことについて、毎日自分も子供も頑張ってるんだもん!!
だから、アレルギーのことについて、憎まれ口をたたいた相手が子供でも、頭に来るのは当然だと思います。
悪意のある行為が、心の糧になることは、ほとんど無い。

 

うちの子も、アレルギーで悪口を言われてたことがある。
「やーい、アレルギー!」とか
「小麦食べられないくせに!」
とか。
小学校1、2年がほとんどだったかな・・・。
我が子について+アレルギーについて、言われることで、鼻血が出そうなほど頭がドカン!!ってする(その上、胸もつぶれそう!)んだけど、「落ち着けタケ!」とまず思って、
「もし、その子が、車椅子(または“チビ”)の人に向かって、同じことを言ったら、自分はどう諭すか?」って、一歩ひいて考えるようにしたのが、私の爆発回避方法でした。(あくまで私の場合ですが) 
そうでないと、カッカしちゃって、何がなんだかわからなくなるから。
 

体の特徴や、障害など、本人の努力だけではどうにもならないことについて、高みからもの(悪口)を言うのは卑怯だと思うんヨ。
そういう卑怯なことは、おばちゃんは許さないよっ! って、相手がその理屈をわかろうがわかるまいが、真剣に怒りました。
おばちゃんもこの子も、食べられないということを、何とかしようと思って毎日一生懸命努力してるのを、そういう風に言われるのは、すごく悲しいんだよ! とか。
相手が5歳児位では、この言い方は、ちょっときついかもしれないけれど、上記のように考えれば、その年齢の子に合った言い方、って見つかると思って。

 

目の前で言われたとき限定で、そう言うことにして、学校とか、もうそういう目の前以外のことでは、でしゃばりすぎもなんだかなー、と思って、目をつぶった。
子供の世界は、結構残酷だし。
それに、この「アレルギー悪口事件」も、よーく観察すると、
気の強い(この場合→)ピカリンが、喧嘩をして相手を追い詰めまくって、
その子が、もう逃げ切れなくなったときに出す、最後の雄たけびが、
この悪口だとわかったりして、
全体を見ないとわからないことも多い、と思って、
とにかく、目の前で起こったこと以外には口を出さないことにした。

 

ただ、そういう悪口やものの言い方を、許さない大人もいる、って、
「その子のためにも」
知ってほしかったしねっ!!!
ほかの大人は許しても、このおばちゃんは、許さない!

 

困るのは、「かわいそう」って言葉を子供じゃなくて、大人も頻繁に使うことだよね。
車椅子の人に「まあ、歩けないの?かわいそう!」なんて言う人は、ほとんどいませんが、食物アレルギーになると「まあ、食べられないの?かわいそう!」って言う人、掃いて捨てるほどいます。

親が家でそう言っていると、子供も言うから、学級懇談会でも、先生との面談でも「かわいそう、という言葉は、子供が最も嫌がる言葉なので、言わないでください。家でも使わないでください。みじめなきもちにしかならないんです」って、これだけは繰り返し言ってる。
それでも、言われるけどね!
「まー、かわいそう。なんて、かわいそう・・・(以下続く)」
と連呼されたりすると、1回だけその人に釘を刺し(刺しても「だって、かわいそうじゃないですか!」と逆ギレのパターンもあり)、あとで、子供たちと「うるせーんだよ!」「かわいそうじゃねー!」「かわいそうなのは、オメーだ!」と、叫びまくってマス。

防御したり、攻撃し返したりしつつ、
これもひとつの試練かも、がんばりや! お母さんは応援してるから!
って、受容する力もつけなきゃかもなー、
と、
いう風に過ごしているところです。
(今も真っ最中)

 

しかし(?)、後日談ですが、
その「悪口を言う子」は、ほかの子にも「メガネザル!」とか言っていたようで、
そういう時
「ピカリンのお母さんに言いつけるよ!」
というと、
「あ、ごめんなさい!」「もうしません!」
と言っていたそうです。

いやはや・・・・

| | コメント (12) | トラックバック (0)

食べられないものの載った本(避ける?)

(ここのところ、体調がすぐれないので、今日は、あまり考えないで書ける記事で・・・)

コメントによく来てくださるeriさん
(YOU CAN RUN http://blog.livedoor.jp/youcanrun/archives/50785209.html
が、手ごね米パンを追求した記事があって、これに即座に反応したのは、これがピカリン(中1)の「夢」だったからです。

米粉でも手作りパンができそうだとわかったとき、
彼女の脳裏に浮かだのは『ぼくのぱん わたしのぱん』(かがくのとも傑作集 神沢利子ぶん 林明子え)だと知ったのは、最近のこと。
彼女は、この本にあこがれていたのです。
本の内容は、3人の兄弟が朝から、酵母の発酵からパン焼きまでやって、3時のおやつに食べるというもの

この本がはじめに我が家にやってきて、読み聞かせをする時はためらいました。
何しろ楽しそう、おいしそう。で、小麦と卵ですから!
この本に限らず、世の中には、アイスクリームの本だのケーキの本だの、いっぱいありますよね。
こどもチャレンジにもてんこ盛りだし!
ぐりとぐら系の本にも、最後のしめはお菓子、って、よくあります。

そういうのを見ると、読んであげる親としては、一瞬ひるみます。
「別の本にしない?」なんて言ってみることもあったかもしれない。
この子が、今、絶対食べられないものが、これでもか!ほーらおいしそう! "いろんなことがあったけど、最後にはお菓子を食べられて良かったね”、なんてしめくくってね。そんなことが載っている本を読み聞かせるのは、なんだか残酷な気がしてました。

でも、そういう本は、いっぱいある上、
「さあ、読みたい本はどれ?」と聞くと、子どもが持ってきたりする。
避けきれるものでもないし、片っ端から否定できるものでもない。
「この子は、どんな気持ちで聞いているのかなあ・・・」
なんて、ちょっとドキドキしながら、読み聞かせてました。

わたしは、育ちが貧乏で、あまりお菓子を食べさせてもらえなかったけど、だからこそ?『お菓子の家』とか、とにかくお菓子が出てくる本は大好きで、よだれをたらしながらくいいるように読んでいたけど、それと、うちがあまりお菓子を食べさせてくれない、ということは、大して結びつかなかったような気がするなあ、それと同じかなあ、などと思ったり。

   

余談だけど、食べないので、知らない、
ってこと、今まで結構ありました。
3歳児半検診のとき、「これは何?」って、知能の発達を見るのか? いろいろな絵が描いてあって、それを保健婦さんが指差ししながら聞いていくんだけど、「どーなつ」だったか「ケーキ」だったか、わからなかったですから! 見たことないからね!
チャレンジに出てくる「ちくわ」もわからなかったし。
化学物質過敏検査で、「缶ジュースのプルタブは開けられますか?」って、うちの子、缶ジュース飲んだこと、ありませんからーっ!
旦那はちょっと心配して、スーパーでの買い物のときは、私が絶対立ち寄らない魚コーナーにチクリンを連れて行って、「これは秋刀魚」「これはあじ」とか、教えてました。
(今は、我が家が食べられるドーナツもケーキもちくわも魚もあります)

   

そんな風に心配しつつ、過ごしていた私に、
そういう発想を叩きのめすような発言が、またピカリン(当時小4)によってなされたのでした。
「あたし、5年生の部活、調理部に入ろうかと思うんだ」
「ひえ?! ちょ、調理部(?!できっこねえだろ?!)は、何を作るのかなあ~?」
「カップケーキとかね、お菓子ばっかり」
「で(な、なんちゅう!)・・・・で、ピカリンはどうするの? みんなと違うもの作るの?」
「うーん。みんなが食べる時用には、自分用のを持って行きたいけど、作るのは、みんなと一緒に作りたいな。あのさ、卵とか、どうやって使って、どういう風に作るのか、見たことないでしょ? 知りたいし、見てれば、自分がこれからいろんな料理を開発するときの参考にもなるでしょ? どう使われているかわからないと、考えようもないからさ

がーーーん!
自分の未熟さを思い知りました。
私にとっては、あまりの発想の転換でした。
しゅばらしい! しゅばらしい発想だよ、ぴかりん!
母は感涙(心の中で)。
(でも、生卵を触ったら、じんましんかもなあ・・・。小麦の吸引、いやだなあ・・・。
それに、ピカリンが思う以上に、つらいかもよ?
先生が不安がるかもよ?)
と、一抹の不安を抱えつつ、
もし、入部することになったら、ピカリンの気持ちを生かせる方向で、できるだけ協力しなくちゃなあ、
と思ったのでした。
(結局ピカリンは、小5になるとき、引越しをしたので、調理部には入りませんでしたが。)

そうして、サンヨーベーカリーを、サンタからもらって、専用米粉(グルテンなし。乳化剤グアガムなど入り)を入手すると、俄然、張り切るピカリン。
「あたし、ぼくのぱんわたしのぱん、一回やってみたかったんだ!」
・・・・・・・・そうだったのかあ・・・。
あれを読みながら、「やってみたい」という思いをためていってたのか。
その思いは、チャンスがあれば、自分なりの方法で試してみたい、って気持ちに転化するんだなあ。
と思った。
もしあの本を読んでいなかったら、米粉パンが作れると知っても、自分の中から作りたい、っていう気持ちは湧かなかったかもしれない。
ためらいながらも読み聞かせていたあの本が、ピカリンの中で、エネルギーに変わる力になっていたのか。
前に言っていた、「調理部に入りたい」っていう気持ちも、根っ子はそういうところなのかな・・・。

避けたほうがいいのかな、と親が勝手に思っていた本が、
実は、子供にエネルギーの種をまいていたとは。

今も、こういう本や、いろんなメディアの
お菓子その他、食べられないものオンパレードの情報が
この子達にどう受け止められているのか、親の私にはわからない。
でも、情報は、情報としてそこにあるわけだし、
こちらがそれをどう受け渡すかを、細かく操作しなくても、
知らないところで、子供の糧になっていることもある
んだなあ、
と思わされた、出来事の数々でした。

結局、サンヨーの米粉は、成型に向いていなかったので、
eriさんのところのパンを試そうと思っているところでっす!
ピカリンと、
そしてチクリンと。
『ぼくのぱん わたしのぱん』みたいにね。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

最初は喘息・肺炎&町内会との関わり始め(あのときのこと2)

ピカリンが小学校1年生の夏、というと、その場所に暮らして5年目ということで、町内でまかれる農薬が1年に1回とすると、もう4回経験していることになるはずです。

この話は、町内会とか市が絡んでくるので、名誉の問題もあるし、なるべく正確に書こうと思うから、あいまいなことは書かずにおこうと思うのだけれど、この4回について、はっきり覚えていない。
日中に行われるので、不在中に撒かれていたこともあったかもしれない。
一度、家にいるときに散布に来たことがあって、外が真っ白になって、ものすごく驚いた。
このときは、農薬のことも、化学物質過敏の事も何も知らないし、
それがわが子にどういう影響を与えるかも、まったくわかっていなかった。

が、
「これはひどい」という気持ちだけは持った。

それで、町内会の回覧板でのそれらのお知らせも、それまでは熟読していなかったのだけれど、その翌年(ピカリン入学の前の年)は熟読した。
すると、それは「町内一斉消毒」と呼ばれているもので、「家の中も消毒してほしい世帯は、回覧板の所定欄に丸をしてください」と、記入欄があった。
そして、「家の中に散布する予定の方は、乳児や老人がいる場合は、気をつけて、それから金魚鉢などは金魚に害が及ぶかもしれないから、ふたをするなどの措置をとるように」という注意書きもあったと思う。
これが、うちの子に良いわけがない。
そこで、普通は○をするところに、思い切り×をつけ、余白に「我が家の敷地内については外も消毒しないでほしい」と、書いた気がする。
しかし、そんな希望を町内会はとっていないので、希望通りされるかどうかわからない。「消毒薬」散布の日は、どういう理由か忘れたが、私と子供は外に出かけていて、夫が、家にいて、「俺が阻止する」なんて言ってた気がする。
当時、私もまだ今ほどは心臓に毛が生えていないし、町内会のお歴々は、「恐れ多い人たち」みたいな感覚があって、夫の言っていることは、冗談だと思って笑っていた。
 しかし、夫は実行した。
 その日の午前中、来たな、と気がついたら、すぐさま敷地の入り口に腕組みをして立ち、「うちは小さい子供もいて、アレルギーもあって、心配なので、撒かないでください」と言ったのだそうだ。しかし、散布の人(当時、シルバー人材センターに依頼していたらしい)が、夫を押しのけて入ろうとするので、「ちょっと待ってください」と、体で制したが、「あんたんところが撒かないと、ここだけ虫が発生して、他の家が迷惑するんだよ」と、強い調子で言って、問答無用とばかりに、散布しまくったらしい。
 その日私たちは夕方家に帰ったが、あたりには、白い煙はもうないものの、まだ農薬の匂いが残っていた
 

 
その翌年、まだ、ここにいたっても、この「消毒薬」が何かはわかっていなかったが、絶対うちには撒かないでください、と、町内会の役員の人に頼んでおいた
たしか、町内会総会に出席して、総会後に役員席に行って頼んだのだと思う。本当は、総会の場で発言したかったのだけど、勇気がなかった。役員の人に頼むときも、けんもほろろだったらどうしよう、とかなり緊張していた
役員の人は、「家の中のゴキブリにも対応するから、家の中まで撒いてほしいという人もいて、いろいろなんですよ」と言いつつ、「個人の希望は尊重しなければならない」と言って、快く承諾してくれた。
が、撒くのは、人材センターの人なので、連絡がうまくいかなければ、やっぱり撒いてしまうだろう、と思った。
そこで、散布は8時半から開始、ということだったので、早めに子供を無認可保育園に預け、8時半前には家に戻り、私が今度は散布を阻止することにした。

 

ところが、8時15分頃家に戻ると、なんと、散布はもう終わっていたのだ。
「うちもやったのかな?!」
焦って、玄関の戸を開けると、中はもうもうと「消毒薬」のにおいがたちこめていて、思わずむせた。息ができないほどだった
「消毒薬」は、縁の下にも噴射するので、安普請の我が家は、床下から容易に部屋の中に薬が入る。開放的な外よりも、家の中のほうが、ものすごい匂いだった。
すぐさま家中の窓を開けて、扇風機を回した。

 

そして、その日から、ピカリンの咳が始まった
病院で、医師から「農薬の散布とか、なかった?」と聞かれ、
「ありました!ありました! 農薬かどうかはわからないけど、町内会が消毒薬を撒きました!」
「うん。あの散布があった後は、その地域の子供の喘息が増えるの。できれば、何の薬か、調べておいて
お向かいのお宅の赤ちゃんも、「消毒薬」散布の日からほぼ毎日、病院に通って点滴を受けていたから、「これは絶対、あの薬が原因だよね」と、そこの奥さんと話していた。
ピカリンは何度か小児科に通い、2週間後くらいには肺に影が出て、夏休みの後半は、約2週間の入院となった。お盆前から、2学期が始まる直前まで入院だった。チクリンは当時3歳だったけど、無認可保育園に預けていたので、助かった。夫が家庭のことは一切切り盛りしてくれた。
一方、初めて、「農薬」という意識を持って、町内会散布について調べ始めた

退院後も、夜のピカリンの咳は止まらなかった
「このままだと、ご自宅で吸入器を用意してもらわないといけません。準備しておいてください」
と、医者に言われ、暗い気持ちになった。
農薬は、散布後も、1ヶ月くらいは床下に残るものなんですよ

1ヶ月くらい床下に残る。
調べた資料にもそうあった。本当に、そんなことあるのかな?
初めて聞いたときは、半信半疑だった
また、K先生、大げさだよ。とか。
しかし、ピカリンの症状に振り回されて、考えてもみなかったのだが、よーく考えると、ふと、気がつくことがある。
去年までは、散布があっても咳が出なかった。
去年までと、今年の違い、って何だ?
寝床を2階から1階に変えた!
夫が前年に足の怪我をしたことから、2階に上がるのも大儀だろうから、と、
半年くらい前から、家族全員で1階に寝ていたのだ。
もう農薬散布から1ヶ月以上たっている。
でも、寝床を2階に変えるくらい、簡単なことなんだから、試してみて悪いことなんか全然ないじゃない。
まだ、床下の農薬が残っているなんて、とても信じられなかったけど、
ピカリンに家庭用吸入器を買う前に、ちょっとやってみよう。

そして、
2階に移った日から、ぴたりとピカリンの咳は出なくなったのです。

本当だったんだ!

吸入器の手配もしていたけれど、それも断り、農薬の怖さに驚くと同時に、
ほっと胸をなでおろしました。

ええい、どうしてくれよう、町内会!
怒り、炸裂!
損害賠償請求してくれるー!
と思ったけど、町内会の人だって、きっと知らなかったよね・・・(弱気になる)。
2度と、うちのピカリンのようなことにならないように、働きかけくらいはしなくちゃなあ、お向かいの赤ちゃんだって、被害を受けたんだしね!と、
気持ちは「事後処理」に向かっていったのですが・・・。

しかし、ピカリンの症状は、ここで終わらなかった
ここから、ピカリンへの対応と、町内会への働きかけの2本立てで、話は進むのです。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

天ぷら写真(大和芋と米粉の衣)

Dscf1848 親戚宅に一泊しつつ、
山形から、秋田・岩手など、東北を行脚してきました。

秋田はまだ、桜が満開。
山道を走ると、まだまだ雪が残っていました。
川には、雪解け水が、こんこんと。

途中の道の駅で、山菜を購入。

ということで、細竹(右写真。衣に絡めているところ)Dscf1876_2
・たらの芽を天ぷらに、
山うるいを、シソの実のたまり漬けと鰹節でおひたしにしました。

 

天プラは以下のとおりでした。
(大和芋+米粉+水 の、参考写真)

Dscf1879

でも、
大和芋は、やっぱり、アレルギー(そうでなくても)なら、要注意です、と思います。

 

ところで、たぶん、このたらの芽は栽培したものだと思うのだけど(この量で250円くらい)、たらの芽、って、調べてみると、自生のもののほか、栽培用の種類とか、いろいろあるんだなあ。

先日、初めて、自生のたらの芽を食べて(子供が自然教室で採ってきた)、あまりのうまさに腰が本気で抜けそうになった。
おいしいもの、って腰にくるんだなー!っと思ったくらいだ。

で、日本酒を、きゅ!  じぬ~~~!うますぎ~~!

今まで、この季節に、山に山菜取りに(必死で)出かける爺さんばあさんの気持ちが、いまいちわからなかったけど、今なら、わかる気がします!

私も、山菜採りのできるババアを目指したいと思った、今年の春でした。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

はじまった時(あのときのこと1)

 人というのは、大概慣れ親しんだ生活習慣を変えたいとは思わないものだ。
それを変えようと思うのは、その人にとって、それだけの影響を与える出来事が起こったからだと思う。

 
 ある人にとっては小さいことでも、その人にとっては大きいことであったり、逆もある。その人の育ってきた環境も、感じ方の背景にはあるだろう。
 皮膚にちょっと湿疹ができたくらいじゃ、普通、薬局で痒み止めでも買って終わりにする。でも、それに対して「ぎょ」っとしたり、生活習慣を変えても阻止したくなるのは、その人にとってあまりに大きい出来事があったからだと思う。
 もちろん、アレルギーのメカニズムを理解して、小さい湿疹も見逃さない、という理性で判断する部分もあるけれど、やっぱり、人を大きく変えるのは、その人にとって大きな出来事があったからというのが、基本だと思う。

 

 一晩中ほとんど眠らずに、痒くてぐずる子どもの背中をさすり続けた、とか、
夜中に子供の咳が止まらなくなって、今、夜間診察か?今、救急車か?と、ドギマギしながら声をかけ続けたり、
毎日のように、早朝から、病院で順番札とりに並んだり、
診察して、子供をなだめながらレントゲンとって、即刻入院だったり、
それで、家の家事はどうするのか、とか、
ハウスダストアレルギーなのに、家の中はどんどんぐちゃぐちゃとか、
アトピーをこじらせて、顔中湿疹というよりケロイドみたいにドロドロになっているのに、いつもとまったく変わらない無邪気で天真爛漫な顔で、母親に笑いかけてくれる子供に、夜中に泣いてしまったり、
親戚・知人に、あの療法試せ、この療法試せ、まだやってないのか、子供がかわいくないのか、と非難される一方で、
何だ神経質な、そんなことだから、子供がこうなるんだ、とか
それなのに、医者からは「お母さん、なにやってるんですか!」って、怒られまくったり。
それで、そういう出来事の間中、「うちの子、どうなっていくんだろう」「大丈夫なのかな?」「ちゃんと育っているのかな」「ちゃんと楽しんでいるのかな」って、ドキドキしっぱなし・・・。
まーいろいろありますわな、アレルギーやってると、ほんとに。

 

 で、
 ピカリンに関する大きなこと、というのは、ピカリンの小学1年生の夏から小学4年生の夏までの連続する出来事で、長いのです。(今も続いている、っちゃー、続いているんですが、思い出して一番疲れるのが、この3年間なのです)

 だから、分割掲載になると思います。時々、違う記事も入れていきますので、気長にお付き合いくださいませ。

  

 ピカリンが小学校に入学する前の年というのは、もう何が主要な原因かはわからないけど、とにかく皮膚の状態は最悪で、過敏になっているから、日光に当たっても悪化する、という感じで、年長さんの冬には、3ヶ月くらい家に軟禁とか、あーーー、書けば本当に悲しくなるようなことがいろいろあったんだけど、(書いているとキリがないからやめて)、とにかく、食事については腹をくくって、多品目除去、給食弁当持参、絶対に! と、迷いなく決められた状態でした。(それまでも紆余曲折たくさんあったんだけどさ)
 だから、自分としては、角田和彦『アレルギーっ子の生活百科』をなぞるような生活をして、もうこれ以上のことはやることはないだろう、これが、たぶん「最大限」だから、私はもう、アレルギーっ子の親MAXなのよ!ふんぬー! ってところは、あったと思う。本当に「なぞるような生活」ができていたかといえば、そんなこと全然なかったと思うけど、かなりやって、最大MAX。あとは、下げるだけ、と思ってました。
 実際、「なぞるような生活」をすると、状態が改善していくことが多かったし(繰り返すけど、それまでも、本当にいろいろやってたんすよ。除去もやってたし)、よっしゃ、やったる、って感じだった。
 初めての給食代替弁当作りは、前も書いたけれど、結構大変で、毎日くたくただったけど、ピカリンのことを思うと、手を抜くことはまったく考えられず、一生懸命取り組んでいたと思う。
 ピカリンは、重い重い弁当を担いで、坂ばかりの通学路を毎日元気いっぱいに学校に通ってました。坂道を友達が駆け抜けるので、細っこくて、その上荷物の重いピカリンは、よく転んではすりむいていたけれど、そんなことは何のその、ちょっとシャイだけど、明朗快活、学校生活を楽しんでいました。

  

  

 始まりは、夏休みの直前に行われた、町内会の「アメシロ駆除」のための、町内一斉農薬散布(有機リン酸系農薬ジクロルボス)でした。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »