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最初は喘息・肺炎&町内会との関わり始め(あのときのこと2)

ピカリンが小学校1年生の夏、というと、その場所に暮らして5年目ということで、町内でまかれる農薬が1年に1回とすると、もう4回経験していることになるはずです。

この話は、町内会とか市が絡んでくるので、名誉の問題もあるし、なるべく正確に書こうと思うから、あいまいなことは書かずにおこうと思うのだけれど、この4回について、はっきり覚えていない。
日中に行われるので、不在中に撒かれていたこともあったかもしれない。
一度、家にいるときに散布に来たことがあって、外が真っ白になって、ものすごく驚いた。
このときは、農薬のことも、化学物質過敏の事も何も知らないし、
それがわが子にどういう影響を与えるかも、まったくわかっていなかった。

が、
「これはひどい」という気持ちだけは持った。

それで、町内会の回覧板でのそれらのお知らせも、それまでは熟読していなかったのだけれど、その翌年(ピカリン入学の前の年)は熟読した。
すると、それは「町内一斉消毒」と呼ばれているもので、「家の中も消毒してほしい世帯は、回覧板の所定欄に丸をしてください」と、記入欄があった。
そして、「家の中に散布する予定の方は、乳児や老人がいる場合は、気をつけて、それから金魚鉢などは金魚に害が及ぶかもしれないから、ふたをするなどの措置をとるように」という注意書きもあったと思う。
これが、うちの子に良いわけがない。
そこで、普通は○をするところに、思い切り×をつけ、余白に「我が家の敷地内については外も消毒しないでほしい」と、書いた気がする。
しかし、そんな希望を町内会はとっていないので、希望通りされるかどうかわからない。「消毒薬」散布の日は、どういう理由か忘れたが、私と子供は外に出かけていて、夫が、家にいて、「俺が阻止する」なんて言ってた気がする。
当時、私もまだ今ほどは心臓に毛が生えていないし、町内会のお歴々は、「恐れ多い人たち」みたいな感覚があって、夫の言っていることは、冗談だと思って笑っていた。
 しかし、夫は実行した。
 その日の午前中、来たな、と気がついたら、すぐさま敷地の入り口に腕組みをして立ち、「うちは小さい子供もいて、アレルギーもあって、心配なので、撒かないでください」と言ったのだそうだ。しかし、散布の人(当時、シルバー人材センターに依頼していたらしい)が、夫を押しのけて入ろうとするので、「ちょっと待ってください」と、体で制したが、「あんたんところが撒かないと、ここだけ虫が発生して、他の家が迷惑するんだよ」と、強い調子で言って、問答無用とばかりに、散布しまくったらしい。
 その日私たちは夕方家に帰ったが、あたりには、白い煙はもうないものの、まだ農薬の匂いが残っていた
 

 
その翌年、まだ、ここにいたっても、この「消毒薬」が何かはわかっていなかったが、絶対うちには撒かないでください、と、町内会の役員の人に頼んでおいた
たしか、町内会総会に出席して、総会後に役員席に行って頼んだのだと思う。本当は、総会の場で発言したかったのだけど、勇気がなかった。役員の人に頼むときも、けんもほろろだったらどうしよう、とかなり緊張していた
役員の人は、「家の中のゴキブリにも対応するから、家の中まで撒いてほしいという人もいて、いろいろなんですよ」と言いつつ、「個人の希望は尊重しなければならない」と言って、快く承諾してくれた。
が、撒くのは、人材センターの人なので、連絡がうまくいかなければ、やっぱり撒いてしまうだろう、と思った。
そこで、散布は8時半から開始、ということだったので、早めに子供を無認可保育園に預け、8時半前には家に戻り、私が今度は散布を阻止することにした。

 

ところが、8時15分頃家に戻ると、なんと、散布はもう終わっていたのだ。
「うちもやったのかな?!」
焦って、玄関の戸を開けると、中はもうもうと「消毒薬」のにおいがたちこめていて、思わずむせた。息ができないほどだった
「消毒薬」は、縁の下にも噴射するので、安普請の我が家は、床下から容易に部屋の中に薬が入る。開放的な外よりも、家の中のほうが、ものすごい匂いだった。
すぐさま家中の窓を開けて、扇風機を回した。

 

そして、その日から、ピカリンの咳が始まった
病院で、医師から「農薬の散布とか、なかった?」と聞かれ、
「ありました!ありました! 農薬かどうかはわからないけど、町内会が消毒薬を撒きました!」
「うん。あの散布があった後は、その地域の子供の喘息が増えるの。できれば、何の薬か、調べておいて
お向かいのお宅の赤ちゃんも、「消毒薬」散布の日からほぼ毎日、病院に通って点滴を受けていたから、「これは絶対、あの薬が原因だよね」と、そこの奥さんと話していた。
ピカリンは何度か小児科に通い、2週間後くらいには肺に影が出て、夏休みの後半は、約2週間の入院となった。お盆前から、2学期が始まる直前まで入院だった。チクリンは当時3歳だったけど、無認可保育園に預けていたので、助かった。夫が家庭のことは一切切り盛りしてくれた。
一方、初めて、「農薬」という意識を持って、町内会散布について調べ始めた

退院後も、夜のピカリンの咳は止まらなかった
「このままだと、ご自宅で吸入器を用意してもらわないといけません。準備しておいてください」
と、医者に言われ、暗い気持ちになった。
農薬は、散布後も、1ヶ月くらいは床下に残るものなんですよ

1ヶ月くらい床下に残る。
調べた資料にもそうあった。本当に、そんなことあるのかな?
初めて聞いたときは、半信半疑だった
また、K先生、大げさだよ。とか。
しかし、ピカリンの症状に振り回されて、考えてもみなかったのだが、よーく考えると、ふと、気がつくことがある。
去年までは、散布があっても咳が出なかった。
去年までと、今年の違い、って何だ?
寝床を2階から1階に変えた!
夫が前年に足の怪我をしたことから、2階に上がるのも大儀だろうから、と、
半年くらい前から、家族全員で1階に寝ていたのだ。
もう農薬散布から1ヶ月以上たっている。
でも、寝床を2階に変えるくらい、簡単なことなんだから、試してみて悪いことなんか全然ないじゃない。
まだ、床下の農薬が残っているなんて、とても信じられなかったけど、
ピカリンに家庭用吸入器を買う前に、ちょっとやってみよう。

そして、
2階に移った日から、ぴたりとピカリンの咳は出なくなったのです。

本当だったんだ!

吸入器の手配もしていたけれど、それも断り、農薬の怖さに驚くと同時に、
ほっと胸をなでおろしました。

ええい、どうしてくれよう、町内会!
怒り、炸裂!
損害賠償請求してくれるー!
と思ったけど、町内会の人だって、きっと知らなかったよね・・・(弱気になる)。
2度と、うちのピカリンのようなことにならないように、働きかけくらいはしなくちゃなあ、お向かいの赤ちゃんだって、被害を受けたんだしね!と、
気持ちは「事後処理」に向かっていったのですが・・・。

しかし、ピカリンの症状は、ここで終わらなかった
ここから、ピカリンへの対応と、町内会への働きかけの2本立てで、話は進むのです。

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農薬暴露を受けた話」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
何度か訪問させてもらって、勝手にファンになっています!

あのときのこと1もしみじみ読ませてもらいました。
私も今、アレルギーの親MAXかもしれません。
怠け者の私はこれ以上といわれてもなかなかできそうにないのです。でも、息子は今調子がよくないんですよね。


町内で農薬がまかれることなんてあるんですね。
とてもびっくりしました。
数年前から、世の中では環境ホルモンだとかいろいろ言われていますが、ごく最近の話ですよね。
うちの息子は食アレと喘息の二本立てなので、本当に人事ではありません。

続きも、期待していますね♪

投稿: たんぽぽ | 2006-05-10 02:27

ぬぅぅぅぅぅぅ~~~
許せん!超許せん。超超許せん。激許せん!
みんなに言いまくちゃったよ、あまりに頭にきて。
訴えたいよ、こんな理不尽な事。みんな声を揃えて訴えられるよ!って言ってた。。。それくらい許せんよ。。。
この日記を町内会の人や散布した人に読んでもらいたい。。。
だいたい虫だのなんだのを除去するって、人間の勝手な都合なんだよね。ましてやそれを強要するのは世の中おかしい!
K先生のところには相当数の患者さんが来ているんだろうね。
ほんと、いつになったらこのままの環境じゃいけないって事を世間の多くの人が気付くときが来るんだろう。。。
続き、また読ませてもらいますです!

投稿: つなまよ | 2006-05-10 16:16

>たんぽぽさん、はじめまして! よろしくおねがいします。

MAXと思っているときに、子供の調子が悪くなると、呆然としたことを思い出します。こっ、これ以上、どうやれと・・?って。
でも、よーく考えると、季節のことが原因だったり、些細なことが原因だったりして、自分を責めなくても良かったんだなー、なんて思うこともたびたび。すぐにうっかり、自分を責めちゃうから・・・。
アレルギーとの付き合い、って、がー!っとなおせない、って言うか、ゆるゆると付き合って、ちょっとサボったり、ちょっとがんばったり、たまに外から眺めたり、自分の気持ちもうまくごまかしつつやらないと、「もたない」ところ、って、あるよなあ。

町内農薬はねえ、今、どれくらいの地域で行われているかはわからないけれど、むかーしの名残なんだよね。
都市部では、もうありえないと思う。
そのあたりも
だんだん書いていきたいと思います。

投稿: タケ | 2006-05-10 19:54

>ちゅなまよ、ありがと、怒ってくれて!

ホント、当時、つなまよ同志と、つきあっていたら、もうちょっと強気になれてたと思う。
やっぱし、知識がないのが、弱気を促進するよね!
そのうえ、相談する相手もあまりいなくて、話してみても、一緒に怒るとかいう人はいなくて、「へエー、大変だね」くらいだし。
なんか、ひとりで、ああするか、こうするか、悶々、ドキドキ、きゅー!、クラクラ、ぐったり、とか、バカみたいにやってたよ。強くなりたい、強くなりたい、って思った。
そんで、少しは強くなれたかもしれないけど、まだまだかもねー。

・・・全然関係ないんだけどさ、もうすぐ町のお祭りで、なんだか、踊りの指導をやってんのよ、小学校で(もちろん複数人でね)。体育館をはだしで走り回ってよお。
で、疲れて、今、くらくらしてんの。
心も体もガラス細工のようなのよ・・・。(マジで?)
すまんのう。
何を謝ってんだかわかんないけど、謝っておきたいと思います!
なんか、ちょっと・・・わかんなくなってて・・・

投稿: タケ | 2006-05-10 20:09

久々に来てびっくりしました。
タケさん!私なら訴えます。
敷地内に入ろうとしたら、警察呼びます。なぐりかかります。

きっと、殴ってると思います。
不法侵入ということで、警察呼びますよ。

ぜったーーーいい、許せない!
そんなことが今の日本で行われるんですね。

まずは、内容証明を送りましょう。
シルバー人材センターに。子供の病気の発生と、小児科医のお話をあわせて。

さらに、少額訴訟ですよ。
そのくらいやらないと、勝手なシルバーさんたちは、またやってきます。

もちろん、目くじらたてて戦う姿を子供にみせるよは?と躊躇するところもあるけれど、でも、子供を守る為には私も立ち向かいますよ!!

人権無視もいいところですよ。
絶対許せない!!!

ふう~~~
怒り過ぎてごめんなさい・・・でも、子供の身に起こることは親として許せませんです。ハイ。。

投稿: ふゆママ | 2006-05-11 12:28

>ふゆママさん
コメントありがとうございます!

ほんとですわ。
私も書いてて、客観的に、これは訴えられるよな、と思った。
でも、やっぱし、
治療だなんだでいっぱいいっぱいなあの頃には、それだけの気力はなかったかな・・・
訴える前に、まず、もっと町内会に呼びかけて、それでも態度が許せんかったら、訴えることも考えるかな・・・と、考えていた。そのあたりを次回書こうかと思うんだけど、難しいねー!書くの。
ほんとねぇ。
あの時は、まだ、食物アレルギーとか、ハウスダストとか、そのあたりのことだけでまだ手一杯で、自分の生活の範囲では化学物質に気をつけてはいたけど、外からやってくるこういうことには、虚を突かれた感じで、呆然と混乱の中にいた。
このあとも、母親としてうまく行動できなかった気がするんだけど、
そういう私の弱いところも含めて、農薬のこととか、もし、これを読んでいる人に参考になることがあれば、いいな、と思っています。

ちなみに!
今は、そこの地域に私は住んでいないけど、
先に結果を言っちゃうと、今は、農薬を撒いていません。
どうしてか、
早く書かなきゃいかんぞなもし。(アップ遅れててごめんなさい)

投稿: タケ | 2006-05-11 13:00

う~ん、さすがK先生。ご本人が自慢(?)されているのをどこかで読んだ気がするのですが、本当にピタリ!と原因を当ててしまうのですね。それにしても「散布があった後はその地域の子供の喘息が増える」とまでわかっているのに散布されてしまうとは・・・。続きが気になります。
「北の国から」にも、「一軒に虫がつけば隣にも迷惑がかかる」、農薬を撒く岩城こう一を(←こう変換できません)必死で止めようとする田中邦衛、「一度汚れた土は10年は元に戻らない」みたいなシーンがあったのを思い出しました。
食物アレルギーにしても、鶏や牛や麦に化学の力を加えすぎたことが原因なのかもしれませんよね・・・などとふと思ってみたりして。

投稿: eri | 2006-05-11 17:06

>えりぴょん。こんにちは!

K先生、愛想がよければもうちょっと、ましなんだけどね・・モニョモニョ

「北の国から」そう言ってましたかー。岩城コウ一の横目と、田中邦衛の泡ふきおちょぼ口が浮かんだデス。
私もこの経験があるまでは、「直接吸い込まなければ、大丈夫なんだろう」「残ると言っても2・3日空中にあるのだろう。でも薄いから大丈夫なんだろう」ってくらいの認識でした。
だから、いつまでも続く咳と、農薬とが確実なものとして結びつかなくて、「布団掃除機のかけ方が悪いのかもな?」とか、ほかのことも疑ってたと思う。
ほんと、2階に移って寝た日には、びっくりおったまげーしょんだったよお。

食物アレルギーと化学物質(化学飼料や促進のための薬など)、は私も絶対関係あると思う。
そう思っている人は、実は多いけど、まだ実証されてなかったり、実証しても、すぐに大きな力で消されたりしちゃうんじゃなかろうかね。
そうならば、うちの子らたちは、炭鉱のカナリヤだよね。
カナリヤが鳴いているのだから、みんな、気づこうよ!、って言いたいっす。わしゃ。(事あるごとに、言ってるけども)

投稿: タケ | 2006-05-12 13:48

農薬散布の後って、本当に凄い臭いが立ちこめますね(-_-;)
家の周りがぐるっと田んぼだったので、よく風邪に吹かれて
舞い込んでいました。家に直に撒かれるのはさぞすごい
臭いだったと思います。

町内会に意見を言うのはなかなか大変ですよね…
古い地域に住んでいると、若者?の意見はなかなか
聞き入れてもらえなかったりして。
ご近所付き合いもあるのであまり強く言えなかったり。
阻止したタケ夫婦、すごいと思います!

投稿: サトワカ | 2006-05-12 23:59

>サトワカシェフ。こんにちは!

うちは、安普請の家でね(当時)。
床下から空気がビュービュー吹き上がってくるような立て付けだったんですよ。
外の壁に床下の空気を逃す通気口みたいなのがあるでしょ? あそこから、直径10センチくらいのホースみたいなもので、煙状の薬をぶわー!と床下に向かってやりますのじゃ。それが、床板と畳の隙間から部屋の中にうわー!、っと入ったんです。

あれを、直接家の中にまく家、って、見たことないけど、希望者がいる、というから、びっくりです。

田舎といっても、中くらいの田舎(?)なんだけど、やっぱり、町内の目、というのは気にしたです。たしかに、私でも、町内会総会に出ると「誰だ?あの若い人は」って感じですから。
自分自身のことだけならいいけど、子供について今後も理解を得る、という立場だから、どう伝えたらいいのか、って、緊張しました。
こうして、鍛えられていったのね~。
今となれば、静かに振り返られるけど、当時は、本当に、どきどきしまくってました。
サトワカ殿。ありがとう!

投稿: タケ | 2006-05-13 09:27

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