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2006年11月

私はアレルギーをどう捉えるか、という根本的な話

Dscf2597 ←写真は記事とは関係ありません。

先日の「親子まつり」なるもので、バルーン担当になった我が家。決められたものを作ればいいのだけど、ちょっと創作してみました。簡単な作りだけど、創作しているという点で自己満足!

リンク こむぎこさん
http://acoblog.mono-organ.org/?eid=573634

 

 

「除去しなくてもよいものまで除去している」
と、思われてるんじゃないかなー、周りの人(医者も含めて)に。
とかねー

今年のアレルギーの会全国交流会は、「思春期のアレルギーっ子との付き合い方」がテーマのひとつだったようだけど、これについて私はねー
とか。

いろいろ考えていることがあるのですが、
そういう話は、前提として
アレルギーをどう捉えているか、
の違いがまず出発点としてあるよなー、と思うわけなのです。

これについては、医者の中でもしっかりと確立した定説が無いようだし、
私も、ほんっとわからないので、
「こんなことじゃないかなあ」と私が考えていることを書いてみます。
ということで、
そういう考えもあるのかもね、
ということで、流してください、という内容です、今日は。
あんまりそういうの考えたくないなあ!という方は(私は心が弱っているときは、こういう「議論」みたいなのは読めなかった)、スルーしていただくよう、お願いします!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

で、
アレルギーは「治るのか」
とか「病気」なのか「体質」なのか
とか
「除去はどの程度したらいいのか」
とか
ギロンはいろいろありますが、
とどのつまり、「アレルギーコップ」で全部解釈している私です。

アレルギーコップの話は、アレルギーを知っている人の中では、あまりにも有名です。アレルゲンとなるものがそのコップからあふれたときに、体に症状が出る、という話です。
けっして、そういう「器官」が体の中にあるのではなくて、例えとして使われます。(←知らない人にはこう言わないと、勘違いします! 注イ)
症状を出さないようにするためには、このコップ以内に「アレルゲン」を抑えておけばいい、とか、アレルギーコップが大きくなれば、以前症状が出ていた量をとっても症状は出なくなる、という風に使われますよね。

アレルギーコップ、って、誰でも持っているものなんだろうかね。
私はほぼ全員が持っているんじゃないかと思う。
それで、そのコップの大きさが違うのだと思っています。

アレルギーコップを持っている人と持っていない人がいて、
たまたま「持っている人」がいる、という風に考えると、
「アレルギーコップが体内にある」という「特別な」状態になってしまった。
つまり「特別」=病気ということになるんだと思う。
この場合、アレルギーが治るというのは、体のコップがなくなるということになるのかな。

私は、ほとんどの人は、アレルゲンが問題とならないくらい大きなアレルギーコップを持っているのだと思う。
だから、「病気」か「体質」か、と問われれば、「体質だ」と答えると思う。
髪の毛が生まれつき濃い人と薄い人がいるように、アレルギーコップが人より小さく生まれてきた人が、アレルギー体質と呼ばれるのだと思う。
昔から、コップの大きさやその大きさを持っている人の比率というのは変わらないのだけれど、環境悪化で人間にとってアレルゲン物質となるものが増えてきたので、以前問題にならない程度のコップの大きさでも、アレルゲンがはみ出して、アレルギー症状が出るようになってきたんだと思う。

そして、
このコップの大きさは、成長とともに変わる。
短期間で大きくなる人もいれば、長期間かかかって大きくなる人もいる。
中には、あまり大きくならない人もいる。
この、「コップが大きくなるか」「ならないか」の違いは、
それぞれのもって生まれた遺伝によるところもあるだろうし、
また、成長過程で、コップを大きくするための「エネルギー」を、十分持てたかどうかとか、そのあたりも影響するんじゃないかと思う。

表現として
「アレルギーは治る!」
とか
「こうすればアトピーになりません!」
とか言う人がいるけれど、
私の頭の中では、それは
「アレルギーコップは必ず大きくなる!」
「アレルゲンがはみ出さないうちに、コップを大きくするのです!」
と置き換えられていく。

思うんだけど、
大体、思春期を越して、体が出来上がった頃に、その人のアレルギーコップの大きさも大体決まるんじゃないだろうかなあ
で、だけど、
このコップは、痛んでくることもあって、
強度のストレスがかかったり、年をとってくると、もろくなって、アレルゲンが漏れ出したりすることがあるんじゃないだろうか。
以前、どこかで、
「年寄りにアレルギーはない」と医者が言っていたというのを読んだことがありますが、私は、70代の爺さんがそばアレルギーでアナフィラ起こしてぶっ倒れたその人自身の手記を読んだことがあります。
周りのママ友も、だんだん「高齢化」してきておりまして、
中1のピカリンの友人の母などになると、お子さんがもう社会に出ていたりする。
アレルギーの話になると、「中高で、喘息も出なくなって、すっかり良くなったと思っていたのに、社会人になったとたん、いろいろ症状が出てきて大変だ」というような話を良く聞くようになりました。(喘息はアレルギー症状であるという解釈が前提です)
こういう話を聞くと、
「治った」と思っても、決して、それはアレルギーコップすらもなくなってしまって、もう何をしても平気、になってしまったのではなく、
今の社会のアレルゲンくらいでは、自分のアレルギーコップがあふれない=症状が出ない程度に、コップが大きくなっているのであって、
もしかしたら、その大きさは、その人以外の一般人平均コップよりはまだ小さいのかもしれないし、比較的もろい強度なのかもしれない

そういう風に思うわけなのです。

付け加えて、
このアレルギーコップの大きさか、強度か、もしくはアレルゲンかどれかわからないけど、コップにマイナス作用するものとして、化学物質が絡んでいるのは間違いないだろうなあ、とも思う。

と、ここまで前提の話を書いて、
次回「除去と思春期」というテーマで、私の「言い訳」を書いてみようかなあ、と思うのでしたー。
 

 

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コメント返信に代えて(いろいろな家庭のいろいろな困難)

皆さん、コメントありがとうございました。

 

今日、これを書き終わったら、H君のお見送りをしに行って、それから、うちの婆ちゃん(義母)が1週間前に転んで骨を折ったので、今日も病院へ行ってきます(今は家で安静中の身分)。幸か不幸か(?!)「整形外科」「手術(するかどうか今日決まる)」「入院(するかどうか今日決まる)」というものには、大変慣れている私でありまして、精神的動揺はほとんど無いというところが、不幸中の幸いです。自分も整形外科への入院・手術はあるし、夫も7年位前に大きいのをやったし、いろいろ知っている、ということは、「余裕」も生むものですね・・・。

 

前回の記事は、思ってもみなかったところでお褒めに預かり、恐縮しております。

 

コメントに返事を書く時間が取れなかったのですが、返事する内容をつれづれ考えているうちに、「どうして私がああいう返事の仕方をしたか」って、ひとつのアレっ子育ての中での「経験値」だなあ、と思って、書いてみることにしました。

 

前回記事の電話の対応は、誰に対しても、どういう場合でもそうできる、というわけではなくて、H君は、日本語も難しいところから、いろいろ努力して生活をしていることを知っていたので、うちみたいなアレルギー生活に慣れきった(?)家に気を使うよりも、H君の家庭が、もっとこの地域での生活に慣れる事(それに役立つイベント)の方が、「大事!」みたいに思って、ああいう言葉が出てきたのです。

 

あんまり、私がアレルギーに対してこなれきっているわけではないので、ほめていただくと、なんだか、恥ずかしい気がしてきます・・・。
H君の家のほうが、よっぽど頑張ってるよなあ、と思っているもので・・・。
「H君」の名が出なければ、「ほかの企画にしてくんないかな~」と思うことは、間違いありません!(?!?!?!)←威張るなよ

 

子育て中、「大変だよなあ」という家庭というのは、何件か見てきていて、
それは、どうして「見る」事にいたったかというと、
やっぱり、アレルギーがらみで、職員との接触が多くなったり、さまざまな役員を引き受けたりしてきた結果だなあ、と思います。

自分の子供の頃だって、若い頃だって、周りにはいろんな人がいたけれど、良くはわかってなかった。
自分が子どもを産んで育てる中で、「子育てって、こんなに大変なのか!」と思う余裕も無くただ無我夢中で、自分の子に降りかかる火の粉を払いのけるのに、そして自分に降りかかる火の粉を払いのけるのに精一杯で、それがうまくいかないと、「どうして!」「なんで!」と、すぐ目の前にいる人が敵に見えたり・・・。

 

保育園とか、小学校とか、団体に入ると、余計、その運営者が目の前にいるもんで「敵」に見えがちなんですよね。
でも・・・と思って、何度も職員の人と話したり、積極的に役員などを引き受けるうちに、自分以外の家庭の様子も見えてくることがあって・・・。

 

前にいた保育園は、良心的な無認可保育園だったので、困っている母親の駆け込み寺のようになっているところがあって、夫の暴力から子どもを二人連れて逃げてきて、これから仕事を探すというお母さんとか(でもどこの保育園でもいいとは思えない、子どもにとってよい保育園であって欲しいとも思っている)。アレルギーの我が子のために、車で1時間以上かけて保育園にやってきて、それから働きに行くお母さん。その家は農家だから、休みの日も農作業とかね。

そういうのを見ていると、「うちはうちで何とかしますから、あっちの家庭を先に見てやってください!」という気になる。「何で、うちの子をちゃんと見てくれないのかしら!!」という怒り(があったりした)が、しゅうしゅうとしぼんでいくんだ・・・。無くなるわけではないけれど、自分のことや自分のこのことだけでいっぱいいっぱいだった頭に少し余裕ができるんだよね。

 

紫外線過敏だったピカリンが小学校に入学して、水泳の授業の時、担任の先生から「プールサイドに付き添ってもらえないか」と言われた。
そのときはそれほどひどい過敏症状は起こさなかったし、1時間弱のプール授業では、たぶん症状はほとんど出ないし、出ても大したこと無いから、放っておいてもらってかまいません。と言ったのですが、先生が不安そうなので、先生を助けるつもりで重い腰を上げて、毎時間プールに付き添っていました。

が、

「これはたいへんだ・・・」

と思いました、先生の仕事・・・。

とにかく、1年生だから、みんなしっちゃかめっちゃか。
先生も頑張っているんだけど、どうしても限界もあり、
そうした中で「ピカリンちゃん大丈夫かしら?」と気になることが、どれだけ先生に負担になるか、わかる気がしました。
と、いいますか、
もう途中からは私も悟り、「先生補助」。
水着の紐が結べない男の子の紐を結んでやったり、先生が安全に関わる大事な話をしているのに小突きあっている男の子のそばに行って「話し聞けよ」とおどしたり。どこかにぶつけて膝から血が出ているのに手で押さえて我慢している女の子のところに言って声をかけたり。
プール見学をしている子の中には、「病欠」ではなくて、親の手が回りきらずに水着が用意できない子とかもいたりした。
付き添いをしながらそういう子達と喋っていると、「今朝、お父さんとお母さんが喧嘩していて、朝ごはんが食べられなかったから、おなかがすいた。時々そういうことがあるの」「いつもは菓子パン一個くらいは食べるんだけど、3時間目くらいからおなかすいちゃう」とかね、いろいろ話すわけです、6歳くらいの子どもが。

 

子ども会役員をやれば、地域の子どもの様子の噂話とかが耳に入ってきて、「○○さんちの奥さんがいなくなって」「赤ちゃん小さいのに突然だから預け先が無くて、小学生の男の子が面倒みているんだけど、乳母車に乗せたまま、友達と遊んでいると、赤ちゃんを忘れて夢中になっちゃって、赤ちゃんが冷え切ってしまってた」とか。

 

ほかにも心身の障害を抱えた子どもを育てている方とか。

 

いろいろ。

あー、大変だなあ、と思って、
もー、
そういう話を聞くと、ほんと、うちはうちで何とかしますから、そっちを先にーッ!
と思ってしまう。 

そういうことの積み重ねから、
前回の記事の会話のようなせりふが出たんだなあ、と思う。
で、そういうことの積み重ねは、子どもにアレルギーがあって、職員との交流や役員にならざるを得なかった結果から生じたんだよねー。

因果だ・・・。

 

一方で、すごくラクに暮らしている人もいるかもしれないんだけどさ。

 

H君はたくましいから、引っ越しても大丈夫だと思うけど、不安そうなお母さんの顔が忘れられないから、ちょっと顔出してくるわ。

 

婆ちゃんの方も、整形外科「経験値」があるので、あんまり大変だとは思わないけど、そういうことで入院とかになると、家に盲目の爺ちゃん(義父)がいるので、ちょい忙しいかも。

 

実は11月から、新しいパートを始めて、それが法律関係の事務なもんで、毎日クレサラ問題にかかわることになり、またも「大変だなあ」という家庭を目の当たりにすることになり、経験値上昇中・・・。

 

何で、塾やろうとしたり(ただいま中断中)、パート出たりするか、っていう我が家庭の事情もありつつも、

アレルギーで鍛えられた経験値から、けっこうこなせそうと思いつつ、

ブログの更新は減ると思うのです・・・。(ここにしわ寄せが)

 

でも、自分にとって、アレルギーのことをまとめていくこのブログはとても大事な存在なので、細々とでも書いていくので、お返事など遅れると思いますが、どうか、よろしくお願いいたします!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

婆ちゃんの手術・入院は、無し! になりました。

ご心配おかけしました。

骨折が右腕なので、まだちょっと働かねばなりませんが、

早く治りそうだし、ヘルパーさんも入ることになったので、ちょっとほっとしているところです。

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