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2006年12月

通じない人(アレルギー治療の話の前の前の段階もない人)

アレルギーについて 「話の通じない人」という存在をはじめて意識したのは、今中1のピカリンが小学校2年生の頃のことだったと思います。
 
ここで、「通じない人」という言葉の意味ですがー、
「わかってくれない」という意味の中で、
「あまりにも話し合える基盤がない人」という意味なんです。
たとえば「あんたのアレルギー対策はやりすぎだ、神経質だ」と攻撃するばかりで理解してくれない人、というのは、ここで言う「通じない人」には入りません。
「いえ、でもね」とこちらが切り返せる余地がわずかでもあるからです。
その余地すらない人。
(昔はやった『バカの壁』にそんなことが書いてあったなー)
 
ズバリ書いちゃえば、
当時通っていた小学校の校長先生が、「通じない人」を意識した始めです。
 
ピカリンが小学校に入学して1年半がたちました。
そこの小学校は、アレルギー対応給食を考慮する学校で、卵のアレルギーとか、乳のアレルギー、海鮮物のアレルギーなどくらいでしたら、調理の段階で(自校式でした)取り除いたものを作ってくれるのです。
ピカリンはあまりにも多種目のアレルギーでしたので、どうしても学校でも対応しきれず、弁当持参でした。が、
クラスの中に、牛乳だけは飲まない、というような子まで含めれば3・4人くらいは、アレルギー対応してもらっていたのです。
そういう対応をするかどうかの話をするのは、その子が入学する前の秋、「1年生の入学健診」のときです。
一通りの健診が終わったら、希望者は残って、養護の先生や栄養士の方と個別面談などするようになっていたわけです。
 
ただ、「個別対応」なので、いったいどれくらいの子どもにアレルギーがあって、それがどの子か、などという情報は、親同士ではわからない感じになっていました。
 
そこで、すでに仲良くなっていた養護の先生に「アレルギーの心配をしている親同士が集まる機会として、この1年生健診のあと、「懇談」をもてないだろうか。
そこで、学校の方針や対応を説明してもらって、さらに、すでに小学校に入学しているアレルギーっ子の親が「うちはこうしています」という話をすると、親の気持ちもラクになるのでは。
小学校に入学することで、アレルギー対応や治療方針についても迷っている親も多いと思うし、そういう人の参考にもなるし、学校内に同じような人がいるとわかることは心強いことになるのでは。
と提案したのです。
養護の先生は、それはすごくいい考えだ!と、手放しで喜んで(未就学の子のお母さんでした)、うちの校長は、そういう話に理解のある校長だから、一緒にその企画実現のお願いに行こう!
と、ウキウキした感じで言ってくださって、二人で校長先生に会うことになったのです。
 
が・・・
私が一通り説明すると
「そうですね、食については、私どももいろいろと考えているんですよ。それで、ちょっと待ってくれませんか?」
・・・・(食については・・・?えーと・・・)「親もきっといろいろ不安だと思うので、少しでも話をすることで不安がなくなれば・・・」と私。「うん。いろいろと、私どもの方も、日本の農業はこれからどうなるのかなあ、とか考えているんですよ。だから、そういうのは、ちょっと待ってくれませんか?」
・・・・?????
いろいろと言葉を尽くしたつもりだったのですが、かみ合わない答えの数々に狐につままれたよう。
一緒にいた養護の先生も、どんどん不安そうな顔になって、
結局、かたくなに拒否する態度だけは明らかな校長の前に退散することになったのでした。
 
「集まる」ということ自体が嫌なのかな?
もしかしたら、そういうことで「わざと」はぐらかすような答え方をしたのかもしれません。
でも
あまりの話のかみ合わなさに、「あ・・・」と思ったのです。
 
それまでの私は、
アレルギーの話を「子育てをしたことのある」親としかしたことがありませんでした。
もしくは自分が「子育てをする予定だ」「子育てをしなくちゃ、と思っている」人。
もしかして、この校長先生は、家庭で子育てにノータッチ?の上、日々の食事作りを自分がやるとは思っていもいない人なのでは?
と思い当たった時、
「あー! もしそうなら、このアレルギーの話は全然理解できないよなー!」
と思ったのです。
アレルギーの子を持っていない人でも 「毎日の食事作りは大変だ」とわかっている人なら、それに除去が加わったらどうなるか、と想像することができるのです。
子どもを持っていない人でも「自分に生まれてくる子がアレルギーだったらどうしよう」と、想像することができるわけです。
日々の食事を作るということ、
子どもの健康を日々気にするということ
そういうことを、やってもいないし、この先自分がやることはありえない、と思っている人には、
この親の「不安感」はわからないし、
そうであれば、不安感をやわらげよう、などという提案がどういうものかも判るはずが無い。
 
そうだ!
そういう人はいるよ・・・

それからは、
どうもそういう種類の人間だぞ(主に男性)とわかる人には、
アレルギーの説明をするときに、そこのところを配慮して行うようにしています。
そもそも、そういう人にわかってもらうのは、半分諦めているけどね!
 
本当に、この校長先生のように、何もわからない人。
だから、わかる人が、「毎日子どもに弁当を作る続けているタケさんが喋っている」と思うとき、「大変だろうなあ」とか「やりすぎなんじゃない?」と思うところが
わからない人は 「このお母さんは、遊ぶことばかり考えて、毎日テレビを見てごろごろして文句ばっかりたれている人なんだろうなあ」なんて想像することもありえるわけです。
毎日いろんなことを考えて、時間をかけて食事を作るということが、想像すらできないのだから。

要注意なんですよ、こういう人。
そうして、「こういう人」には、小学校に入学してから会うようになりました。

ということで、
最近、アレルギー以外であまりにも話の通じない人に会って、再び狐につままれた経験をしたので、
思い出して書いてしまいました。

「新入学」の「企画」。けっこういいと思うんですよ、今でも。
で、合わせて、「通じない人」の存在を、もし知らない人がいたら参考にしてみてください、ということで書いてみました!!

クリスマスイブじゃん!
もっとめでたい感じのことを書きたかったなー!!

 
 
 ・・・・むむむ。ピカリン、発熱?  クリスマスのご馳走は、おじゃん?(←死語!!)

 

 

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大黒様のお歳夜(目指すは伝統食)

「だいこくさまのおとしや」
と、読みます。
七福神の一人、大黒様(お金の神様)が、ひとつ歳をおとりになる、つまり誕生日を祝う、こちらの伝統行事です。

 

昨日、大黒様のお歳夜でした。

 

伝統行事食があります。
黒豆ご飯に、黒豆のなます(大根おろしで)。あとはたはた(魚)。これは味噌田楽にするのが普通のようです。

我が家は、大豆と魚にアレルギーがあって、なかなかこれを食べられなかったのですが、昨年は黒豆を少し。
この1年は、少しずつ解除も進んでいたので、
今年は、黒豆とハタハタで、かなり「本式」に近い食事をしてみました。こちら・・・(ハタハタは塩焼き)

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質素な感じですね。

でも、嬉しかったですよー! なんか。

 

思うのですが、アレルギーで、ケーキやクッキーが食べられないのは、仕方ないと諦めるにしても、日本に昔から伝わる食べ方をやれないのは、不条理に近い悲しさを感じるのです。

 

田舎の旅館で「地元のものを使った郷土料理!」と銘打って、マヨネーズも何も使わない料理を出してくれるのにもかかわらず、大豆と魚がダメだと、和食もかなり厳しくなります。

 

せめてそのあたりはクリアしたい!

目指すは、日本の伝統食ならバクバク食べられること!!

 

こちらでは1月に「寒鱈まつり」(かんだらまつり)といって、冬の脂の乗り切った鱈を、オスメス丸ごと頭の先から尻尾の先まで料理にして食べる、という行事があります。

今は、弱ってしまって作らなくなってしまった姑が、まだ元気な頃やってくれて、すごーく感動したことを覚えています。

子どもたちにも味わわせたいけど、魚の中でも鱈は難物・・・・!(←我が家にとって)

いつか、寒鱈祭りができますように!
できれば、爺婆が生きているうちに一緒に・・・。

というのが、私のはかない夢なのであります。

 

(伝統食と言っても、養殖や、汚染された海で取れた、ということを考えると、鱈までの完全解除は難しいのかもなぁ・・・、とチラリと思う・・・)

 

 

おまけ

我が家(隣にある夫の実家)では、大黒様のお歳夜には、昔から貯めたお金と、大黒様の置物や小さい掛け軸を飾ります。

この「昔」が、江戸時代からあるんですよ~(夫が10代目なので・・・ただし貧乏侍。まさに山田洋次の時代劇の世界・・・)

江戸時代の銭から、明治12年の1厘銭とか、5銭「札」とかね。
「最近のもの」では、東京オリンピックの記念メダルとか。
なぜか、古い1ペニー硬貨(今のものより大きい)もある。

これが、コレクターが集めたもの、では無くて、
我が家の代々の人が生活で使ったものの中から、100年以上の営みの中で少しずつ袋に入れて毎年大黒様を祝っていたのかと思うと、
もー
恍惚・・・(大学で日本史専攻)

下の写真は、安政4年に買ったと墨書してあるハカリをいじるピカリンとチクリン。古い布に入っているので、一応マスク。

その次の写真が飾ってあるところ。(けっこうテキトー!)
左上のビニール袋は、今年、テキサスサンアントニオに行った時の残りのアメリカ硬貨各種を本年投入。歴史は刻まれ続けるのだー!

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あともうちょっと・・・

恐ろしいほどに更新できてません。

記事は少しずつ書いてはいるのですが、アップするほどには書ききれておらず・・・。

とにかくスケジュールがぎっしりなので、

パソコンにもほとんど向かえず、

ほぼ毎日巡回していた皆さんのページにもいけない日があったり、

コメントに書き込みしていても、ちょっとでも考え込み始めると「アー!時間がない!」と削除してしまったりして、足跡も残さず、大変失礼しております。

明日までが、特別に忙しいので、

来週からは何とか顔を出せるかなー、と思って、

ここで言い訳しておりますが、どうなるでしょう。

  

時間的には本当に少しずつなのですが、たった今は仕事を3種類抱えてしまったので(塾にも希望者がいたので、小さいながら先日から始めました)、てんぱっていて(←死語?)余裕が無いようです。

そうしている間にも、正月のピカリン合宿に向けて、もめて、結局、「合宿とりやめ」になって、いろいろ考え込んだり、アレルギーをめぐっても、相も変わらずドタバタしてます。

そういえば、ダンナもシックハウス1級の試験が今日あります。

 

寒くなりました。

こちらでは雪が降り始めました。(まだ積もってないけどね)

山はスキー場開きです。

 

みなさま、どうか、忙しい年末、御身お大切にお過ごしください。

 

 

タケ氏より

 

 

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