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2007年1月

ぼんやりと思っているだけだけど(アレっ子と恋愛)

2月になりますね。

街ではバレンタインデー商戦が始まっております。

たぶん、「モテ男」クンに成長するであろう(親バカか)チクリン。

「小学校3年だと、そろそろチクリンに何かあげたい女の子が出てくるかもね。
悩んでいるとかわいそうだから、今のうちに、クラスで大声で、
『俺は、チョコレートより、きつねめんが好きだなあ!』
と、叫んでおけ。」
(きつねめん。庄内の駄菓子(参考)→http://www.president.co.jp/dan/20030600/001.html

とアドバイスしてあげたら、
なぜか「恋愛話」の大嫌いなチクリンは、猛然と怒っていました。が、

なんとなく漠然と、この子達はどういう恋愛をして、どういう結婚をするのかなあ、と思うことがあります。
そういう話は、別にアレルギーがあろうが、別の障害があろうが、本人同士の出会いと結びつきのお話で、親がどうこう心配する筋合いのものではないと思うので、
なんとなく「ぼんやり思っているだけ」なんですが。

 

食欲大魔神のピカリンには、「俺が毎日、飛び切りの除去食を考案するよ。一緒においしく楽しく食べよう」とプロポーズすれば、イチコロであろう、とか。

待て、なぜ、自分の子が「申し込まれる」方ばかり考える?
自分の子が、好きな人ができた時、どんな風に悩むかなあ!とか。

でも、我が家は、我が家で、除去をしているなりに楽しく暮らしているから、そういう風にすればいい、と子どもたちが思っていれば、あまり悩まずにすむかなあ、とか。

本人同士はいいよ、
でも、向こうの親御さんが「遺伝がどーの」とか「うちの子が苦労する」とか言ってきたら、ちょっと(?)むかつくだろうなあ、とか。

 

自分自身がそうであったように、
若い頃、って取るに足らないようなことでも、
恋愛を前にすると、
自分の欠点やその他諸々、自意識過剰丸出しで、無駄に悩んだりするもの。
や、「無駄」ではないか・・・。

 

ピカリン13歳の乙女(でも、弁当箱でかすぎ、と先日男の子に指摘される)。
チクリンまだまだ9歳の少年(テレビのラブシーンでは耳をふさいで目をつむる)。

アレルギー体質であることを今とは比較にならないくらいうらんだり悶々としたりする日もくるんだろうか。

 

と漠然と思っている母である。

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父は頑張った・・・カ?(パートナーとの付き合い)

さて、あまり登場しないうちのだんな。

みなさま、自分の夫にはいろいろ言いたいこともございましょう。

わたしも、いろいろございますが、

基本的に我が家の夫は「いい夫」です。

「全国いいお父さんコンテスト」があったら、全国大会はムリでも、

東北大会準々決勝くらい(・・・ビミョ~・・・)には残るんじゃないかと思います。
(すごい、ね!)

そーういえば、アレルギーっ子もち友達で、今年の年賀状に
「夫が、子ども3人分の給食代替弁当は作れない、と言い出し、医者に聞くと、そろそろ給食も大丈夫なんじゃないか、と言われたので、給食にしようかと・・・」
みたいなことを書いている人がおりました。

ヤツの家では、「あのお父さん」(チョー優しそう)が、代替弁当を作っていたのか!
(知らなかった)

これには負けるけど、 何しろうちの夫は子ども好きだから(よそ子にもすぐちょっかいを出す)、紆余曲折はあれど、いろいろ変わってきて、ここまで来たよなぁ~、と思う。

 

先日コメント欄で書いた
『マリモちゃんのアトピーライフ』(竹中恭子)に、チラッと書いてあることで、
医者との付き合いや、アレルギーについては、夫婦でまめに連絡をとること、
でないと、「どんどん知識量に差が出てきて、溝ができちゃって」「わかんなーい、きみにまかせるよ」になる、とあります。

「知識量!」

アレルギーに関する知識や認識、って、かなーり膨大だと思いませんか?
それも、本を数冊読めばわかる、ってものではなくて、いろんなことを経験したり考えたりしなければ、「我が子」にあった対処方法がわからない!ときたもんです。

これを、いっぺんにパートナーにわかってもらうのは無理で、
こまめに、
聞いていようがいまいが、
とにかく伝える努力をしないと、
溝はすごく深くなると、
私も思う。

「いいお父さん大賞ノミネート」の我が夫も
子どものアレルギー反応がひどくなった段階で、いろいろな家事からさーっと手を引き、
「オレ、わかんないから」
とやっている時期はそれなりに長かったです。
こっちが必死にやっていることも
「考えすぎ、神経質すぎ。バカじゃないの。」「自分がそういうことが好きで勝手にやってんだから、俺を巻き込まないでくれる?」「やる必要もないのにやってんだから、一人で勝手にやってよね」というオーラ出しまくりで(口にすれば私に半殺しにされるので、言わなかったのだと思う)、全然ノータッチ。
何を言っても「馬耳東風」。
というふうに、
こちらから見れば、そう見えた、
という時期がありましたでがんす。

一番変わったのは、
自分(夫)が、足の怪我で自宅療養をしていた時期と、ピカリンが外にも出せない自宅軟禁状態が重なって、朝から晩まで子どもとくっついていた時期です。

毎日子どもを目の当たりにしていると、
「これはやばい?」と思ったのか、
少しずつ、アレルギー対策に協力してくれるようになりました。
前から少しはやってはいたのですが、
布団の掃除機がけとか、料理は、全然手を出していなかったのが、
少しずつやるようになってきた。

それからは、たまにアレルギーの親の会総会に一緒に行ってくれたり、
そういうところで、医者の話を聞くと、彼なりに考えるようになってくれたり、
(こういうところで、理化学的な面に興味がわいたよう。男はこっち方面から入るほうがいいのかね?)
そんなこんなで、今日かな・・・。

 

先日、初めて代替弁当を、3日間作ってくれた夫。

前にも書いたように、簡単な下ごしらえを私が前日にして、当日の仕上げは夫ということにしていましたが、4日めの前日P1010027
ワタシ「あ!下ごしらえしてなかった! 今から、やろ」
ダンナ「・・・もう大丈夫なんじゃないかな」
ワタシ「(それは・・・それは・・・もしかして・・・・・・・・・・下ごしらえの段階から夫がやれる!・・・ということじゃなくて・・・たぶん、まちがいなく→)私が全部やれるくらい元気になっていて、明日の朝は全部私がやることが、「大丈夫」、って事ね?」

ダンナ「うん・・・・・そう・・・・」P1010014

(←下ごしらえも、名札が必要・・・) 

 

彼にはもう限界だったのだ・・・。

作り方のメモを見ている段階では
「あ、こんなの、簡単じゃーん」
という表情がアリアリだったが
「いやね、簡単なんだけど、結構大変なんだよ? 数があるし。 なぜか、時間がかかるんだよ?」
という私のアドバイスが、身にしみてわかった様子でした。
出来上がったものが弁当にどう入るのか?というイメージ作りができない、とか
台所の調理器具が大混乱、とか、
「いざ!」となっても
心構えができていても、
一朝一夕にはできないこともいろいろある、とわかっただけでも収穫か。
やっぱり、何かしら予行練習はいるものだなあ、というのは私の教訓でありました。

彼はどう思ったのでしょうか。

 

P1010018

(米とぎ、炊飯をチクリンに教える夫。
男同士の家事指南(これが今回一番の収穫か?)→)

P1010022

P1010028 さて、こげな夫が、シックハウス診断士1級に合格しておりました。

 

この資格は何かの役に立つのか?!
 

よくわかりませんが、化学物質名に詳しくなったので、
薬品系で何かわからないときに夫に聞くと、
「ああ、これは、○○が入っているから、△△的危険があるね」
とか
「一応、危ないとされている物質は入ってないね」
とか答えてくれるので
(といっても、この診断士のテキスト自体、内容的にかなり浅いというか、一面的側面があるので、夫の持っている知識も完璧なものではないけど)

 

ベンリ

 

カ?

って、くらいですが、
いつか、役に立つといいね、ダンナはん。

 

というわけで、
「全国いいお父さん大賞ノミネート」夫との
アレルギー分野コミュニケーションは、
山あり谷あり、晴れアリ嵐アリ、と
今日も続くのであった。

まとまりませんが、夫に関する小ネタがたまっていたので、書いてみました。

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そして、回復まで(あのときのこと12・・・最終回)

もう終わったと思われていたであろう「あのときのこと」(有機リン系農薬曝露の話)。
最終章が残っていました。(「最終回」はブログのことではなくて、このシリーズのことです)

癲癇が発見されたところまで一気に書いたらぐったりして、ちょっとその後のことを書く元気がなかったのです。
「あのときのこと」は尋ねられないかぎり、人に話す機会もなく、
かなり自分の中では大きいことなのに、ずっと中にためているものだから、
うっかり、声に出して話し始めると、
すっかり嗚咽交じりになってしまう、そういう話でした。
でも、書ききったことで、かなりすっきりしてしまったことも本当です。

 

癲癇症状がある、
とわかってからも、
ピカリンに合う治療薬(癲癇はその人にぴったり合う治療薬というのを探す作業がある)が見つかるまで4ヶ月くらいかかっており、その間も症状は出ていたので、本当に複雑な思いでいました。

 

まず、プール
癲癇発作が水泳中に起こると危険なので、癲癇の人にとって水泳はあまり勧められるスポーツではありません。症状の程度によっては「禁止スポーツ」です。
しかしながら、ピカリンはすでにスイミングに通って3年くらいたっていました。
「ピカリンさ? 今までプールの中で、ボーっとして頭の中が真っ白になること(発作のこと)なかったの?」
「あったよ。」
「そ、そのとき、どうだったの? 水とか飲んでた?」
「うううん。全然意識がなくなるわけじゃないから、今まで泳いでいた続きで手と足を動かしているうちに、またはっきりしてくるんだよ
お!おそろしーっ!
すぐにでもやめさせなきゃいけないんじゃないか?
しかし、本人は「大丈夫」といって、楽しみにしているスイミングをやめる気はさらさらないし、医師に相談すると「・・・・大丈夫でしょう」
ほんとですかーっ!?
私は、怖くて怖くて、やめさせたくて仕方ない。
でも、本人も医師も大丈夫と言っているのに、母親の不安だけでやめさせてよいものか?!
今までずっとなんでもなく通っていて、始めた頃よりずっと泳力もついているんだから、大丈夫だよ!と、自分で自分に言い聞かせるものの、
「いってきまーす!」と、いつもどおり元気にスイミング教室へと飛び出していくピカリンの声と姿を見るたびに、「ああ、今日が、今が、この子の見納めなのかもしれない!!」
と、胸が押しつぶされそうで、本当に気が気ではありませんでした。

 

学校の先生にも話しました
おもに、そういう症状があるので、ボーっとしていることがあっても、怒らないでください、ということを話したと思います。
とにかく、4年生(ピカリンの癲癇がわかったのは3年生の3学期)になったときの担任は、ものすごい熟練先生(女性)で、頼もしくて、素敵な方でした。
「ああ、てんかんですね。一度、受け持ったことがあります。その子は、意識が薄れてくると、ノートとかもぐもぐ食べちゃうような発作でね。確かに、ピカリンちゃんも、授業中に指されたとき、立ったままぽーっとしていることがあって、あれ?と思ったことがあります。了解しました。気をつけていきますね」
この担任は、驚くなかれ(?)、あのK医師のお子さんで一番アナフィラキシーを起こしたことのある子の担任をしたことのある、百選練磨の先生だったのだ!(あとで知った)もう、これ以上の大船はありません。
今でも、その方向に向かって手を合わせて拝みたいくらいです。

 

4年生の春の運動会のとき
クラス全員リレーという種目がありました。
クラスの子全員がバトンをつないでいく、あれですね。
ピカリンは、前述したように、運動が得意ではなかったので、私はそのことでもちょっとハラハラしていましたが、「さあ、うちの子の番だ」とカメラを構えたそのときに、ことは起こりました。発作です。
ピカリンは、過呼吸になると発作を起こす子だったので、緊張のあまり息が荒くなり、まさに自分がバトンが渡されたそのときに、発作がおき、ボーっと突っ立ってしまい、走らなかった!!
クラス中のみんなが、「ぴかりん!」「ぴかりん!」「どうしたの?ぴかりん!!」と集まって大声を出して、その中にぽつんとボーっと立っているピカリン。
私は遠くから見て、「あ、発作だ」
とわかったのですが、
ちょっとドキッとしながらも、「あーあ、しょーがねーなあ」と、ちょっと苦笑する余裕がありました。そんな肝の据わった自分を自覚したときでもありました。
一瞬、あとでクラスのみんなが怒るのではないか、と思ったけれど、
「あの先生がいるから大丈夫」と、妙に安心していました。
程なくピカリンは走り始め
短い発作ですんだことに、ほっとしながら
「ピカリンがんばれー!」
と、大声で声援を送りました。

 

あれ、ちょっと泣けてきたぞ、自分。
やっぱ、まだだめか。嗚咽交じり。

 

いくらピカリンが病気でも、悪いこともしますから、
こちらも叱ったりします
それに対して、ピカリンも反抗して、殺されるのか?と思うような形相で、こちらに向かってくることがあったのですが、
そういうときも息が荒くなっているので、こちらに向かってくる途中で、
ふ、と意識が飛んでしまうのです。
何をしているのかわからなくなったような表情で、立ち尽くすピカリン。
私も怒りやら何やらでいっぱいだったのに、
「わかったよ、わかったよ。ぴかりん」
と思わず抱きしめてしまうようなこともありました。

 

そうこうしているうち、4年生の夏休みが始まる前くらいに変えた治療薬が、どうもピカリンに合う治療薬だったようでした

その薬を飲み始めてからのピカリンの変貌振りは、ものすごいものがありました

 

まず変わったのは、性格です。
怒りっぽくて、すぐキーキーと短気を起こしていたのに、
とても穏やかになり、我慢強くなり、表情がやさしくなりました。
ものすごい形相でこちらに向かってくることもなくなって、我が家の中まで落ち着いた感じになってきました。
それから、特筆すべきは、アレルギー症状が軽快してきました。
特に顔。
発作が起こっているときはよく顔をいじっていたので、それが関係しているのかもしれないし、
ストレス緩和が良かったのかもしれません。
ものすごいオンチだったのが、治ってきました。
運動がだんだんできるようになってきました。
そして、成績もぐんぐん上がり始めました。

 

4年生終了と同時に、今住んでいる地方に引っ越してきたのですが、
お別れするに当たり、4年生時の担任と話しました。
「実は、ピカリンちゃんが入学してくることは、全職員の中で共通の課題にしていました。
一人の担任の対処だけでどうにかなるものではない、
ということで、ピカリンちゃんに変化があったときは、担任は必ず職員会議で報告して、問題を全体のものにする、と、決めてあり、そうしてきていたんですよ
入学してくるピカリンちゃんのアレルギー状態や紫外線過敏など、いろんな話を聞いて、『この子、ちゃんと卒業まで通いとおせるんだろうか』と、私は思っていたんですよ
ここまで元気になって、本当に良かったですね」
(全体の問題にすることは、この先生の提案ではなかっただろうか。このとき初めて知らされた事実で、本当にびっくりしました。そう言われると、思い当たることが数かず・・・。それにしてもK医師の子どもを担任したことのある人にまで、こう思われるほどの状態だったんだなあ、ピカリン・・・・)

 

いま、ピカリンに出会う人は、
ピカリンが以前、マラソンでは周回遅れのビリで、
成績は平均点にも届かず、
怒りっぽかった、などとは、誰も信じません。
ただ、小学校3年生の頃の記憶は、生活記憶も学習記憶もほとんどまったくなく、
その穴埋めはかなり大変
なようです。
中1の1学期の体育の成績が「4」だったので、本当にびっくりしました。
びっくりしていると、担任が「だって、バスケットでバリバリでしょ?」と言うので、もう、なんと説明して良いかわからなかったです。
成績は、4年生冬ごろから平均を超え始め、
今、トップグループに突入し始め、
自分でも、それが爽快らしく、勉強の手を抜きません。(←母、体が心配で休ませたい)

 

これが、この子だったのか。
この穏やかで、集中力のある、快活ながんばり屋さんが、この子だったのか

 

そう思う気持ちといっしょに
目の前で発作が起こっているのを、勝手に「化学物質過敏症の一症状」と決め付け、
手当てをせずにほおって置いてしまった2・3年間のことを思い出し、
「本当に、ごめんね」
と思った頭の中には、
そんなほったらかしの母親とも知らず、ニコニコと満面の笑みを私に投げかけてくれていた小さいピカリンの顔も、同時に思い浮かび、
申し訳ない気持ちでいっぱいになって、
泣けてきてしまうのです。

 

 

薬を飲み始めて3年以上がたちました。
この秋から、薬の量を減らしています
たぶん、飲まなくてよくなる日ももう間近だと思います。

 

ピカリンの成績が良くなったことや、体育ができるようになってきたことと、
癲癇発作が抑えられていることの関連性は、よくわかりません。
とくに発作を抑えるとこうなる、という顕著な例、というわけではないそうです。

 

また、ずっと書き綴ってきたように、
癲癇自体が、化学物質(うちの場合は農薬)によって引き起こされるなどとは、まだ誰も言っていないと思います。
私はかなり関係があるような気がしているのだけれど。

そんなふうに、何もかも科学的に解明されていない整理されていない混沌とした中で、
ピカリンは成長し、私もそれに対応してきている、という感じで、ここまで来ました

(ちょっとだけ著名な)角田医師は「ADHDの子の中には、アレルギーが原因ではないかと思われる子がいる」と言っているし、私もそう思う。
アレルギー、性格、化学物質、神経伝達系の病気、学力や体力・・・・
ぐるぐるとゆるやかに関連しているような感じがする。
その関連に気づかぬまま、
関連をほおって置くと、
関連の輪は強固になり、その輪でがんじがらめになって、いつか人間が自分たちの手でそれを解決できないようになってしまうんではないか
地球温暖化で、気象変化があって、海水面が上昇して、オゾンが・・・
という心配と同時に、
こっちの「関連性の輪」を、どうにかこうにかほぐしていかないと、
悲しいことになっていってしまうのではないか。

そういう大きい目で見ると、
私たち家族とピカリンの経験してきたことは、
考察資料にも値しない、小さい個人的なことかもしれないけれど、
でも、私自身は、
この経験を通して、その不安を持つにいたっている。

そうして、たぶん、
これらの輪の根っこには
「化学物質」があると思う。
そういうことを解明していく何かを、自分も自分なりの方法で、何かしていきたいな、と思う今日この頃なのであります。
なんだか、とってつけたようなまとめ方になってしまったけれど、今、自分探しと一緒に、このことを強く考えているのです。

 

ほんとうのおしまい。

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思わぬ副産物(アレっ子母が倒れた時)

まずはお知らせです。

本日16日の午後3時から24時間、ココログメンテナンスのため
コメント等の入力が出来なくなります。
24時間できれいに終わったためしのないココログなので、
17日の夜になっても入力できない可能性もあります。

どうか、よろしくお願いいたします。

 

さて、
先日コメント欄でわにゃわにゃ書きましたが、
わたくし、タケ氏は、昨日部分麻酔による右乳房種瘤摘出手術を受けてまいりました。
良性の腫瘍であることは秋の始め頃の検査ではわかっていたのですが、
大きい腫瘍であったので、結局とることにして、昨日とったのでした。
始めの医者の見立てでは、大きいといってもすぐにするっと取れるだろう、ということで、
翌日の仕事復帰もらーくらく、
という話だったのですが、
切ってみたら思いのほかでかく、根もはっており、
乳腺の一部も切除しなくてはならず、
「摘出」というより「切除」に近い手術となったのでした。
原因は、繊維による良性腫瘍の典型だろう(しかし今検査中)ということでした。
(おっぱいの飲み残しが原因とばかり思ってたでした)
して、
痛みや傷も、予想より大きくなったので、
あまり、いろいろなことができない不自由な身になっております。
(アー、キーボードをたたくくらいなら、今日は大丈夫だなー)
 

で、困ったのは、やはり、

弁当

なのです。

 

今日の分の弁当は、急場なので、
まず、子ども2種類はムリなので、
1種類にし(子どもには同意をもらって)、
フライとかは夫にはムリなので、
しょうが焼きとかにして、
極力簡単だけど、
まあ、給食代替っぽい仕上げをしていただきました。(指導;タケ氏)

 

ほで、
明日から、どうすっか?
ということで、
今、考え中です。
前に、「アレっ子母の入院」というテーマで書いたときの「切り抜け方」予行練習
ということで、
作り方をタケ氏が細分化し、
できるところはあらかじめ、時間のあるタケ氏がゆっくり作り、(「入院」となったらヘルパーさんに頼む部分)
朝は、夫にスピードを出して仕上げを作ってもらう、と(←この修羅場のような作業が、傷のある身だとできない・・・)
ちょっとやってみよう、ということになっております。

 

けけけけ。
「弁当を手伝え」と言っても決してやらないだろう夫に、
ちょっぴり困って助けを求めるいじらしい表情で、
「オネガイ・・・」
と言って
やらせるやっていただく
チャーーンス!

夫に見せる表情とは裏腹に
心の中は、
「しめしめ・・・これで弁当作りを経験させることができるぜ。ウケケケ」状態。
すでに、今朝の弁当作りにおいて、作り終わるとどんなにぐったりするかを、彼は経験したようです。
そうです、そうです、そうでしょうとも!!!

 

災い転じて福となす!
転んでもただでは起きない!

 

別に座右の銘にしているわけではないけれど、
絶対実行する銘ではあります。

 

うまくいったかどうか、
今週を乗り切ったら、ご報告します!

ら~りほ~!

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栄養士さん

新年におきましては、みなさん、コメントにたくさんご挨拶を寄せてくださってありがとうございました。

一人一人にお返事をつけながら、どの方も大体の家族構成や今どんな状況かわかって、そういうネット上の友達がこれだけの数(もっと)いるのかと改めて気づき、感謝の念を非常に深くいたしました。

にもかかわらず、皆さんのブログにはなかなか書き込みも挨拶もできず、申し訳ありません。自分の場合、コメントをさっと書ける場合というは非常に少なく、「あーでもこーでも」と考えてしまうもので、あえなく時間切れとなり、「読み逃げ」になっております。

皆さんのブログ内容で考えさせられたことも、自分の記事の中でテーマを持ってまとめられたらいいなあ、と思っています。そのような話題のヒントを与えてくださることを感謝すると同時に、今後とも、どうかヨロシクお願いいたします。

 

と、いうことで!

 

今、特にeri氏のところの記事にhttp://blog.livedoor.jp/youcanrun/archives/51278280.html
感想てんこ盛りなのですが(まさに今自分も悩んでいる)、うまく頭がまとまらないので、今日は別の話。

 

アレルギーがあるがゆえに、ネット上の皆さんとも多く知り合いになれたわけですが、
アレルギーがあるがゆえに知り合いになれた人というのは、あって、
特筆すべきは

栄養士さん、調理師さん、

です。

 

給食の栄養士さんとか調理師さんとか、こういう方々とは、
その給食を食べさせている保護者の中では、顔も知らないという方がほとんどだろうし、ましてや、話をしたり、気持ちを通わせたりしたことがある方、というのは、かなり少ないんじゃないんだろうか。

しかし、今の私には、今までお世話になった栄養士さんの顔は、全て思い浮かぶし、担任よりも養護の先生よりも(もちろん?校長先生よりも)、アレルギー食について一番深いところで励ましていただいたのが、栄養士さん・調理師さんです。

思い出に残る方はたくさんいるので、今日は調理師さんは除いて、栄養士さんに限った思い出話。

 

じゃ、いきなり、マイナスの印象の人から!

たった一人だけいます。
逆に言えば、それ以外の人は、どの人もこの人も、すばらしい方ばかりでした。

このマイナス君(←男性。こう呼んでおきます)は、前の小学校の給食担当栄養士だったのですが、ピカリンが小2のときに前の栄養士さんと代わってやってきた人だったんです。
当時、もちろん、うちは弁当。
代替弁当を作るために、細かい献立表をもらう日常だったんですが、
献立表の非常に細かい部分まで読み込み、それを再現(に近く)するので、
その栄養士さんの献立の立て方の癖、とか、
へたすりゃ、
「今月、何か、あったかな?」
と、心の変化までわかってしまうようなところがあります。
自分の子がどんな給食を食べているのか、無関心な保護者も多いと思うのですが、その給食を食べない我が家が、そこまでわかってしまう、というのは皮肉なことです。

 

このマイナス君の給食は、ですねー、
とにかく、食事として変!でした。
クロワッサン(←必ず「クロワっさん」と書いてある。なぜ?)に、ごはん、焼きそば、とか一緒に出てきたり。
やたら菓子パンが多くて、
そのうち、ご飯の時は、必ずといっていいほどフリカケがついてきていた。
うちの近所の子も、家庭で「おかあさ~ん。この頃、前に比べて給食がおいしくないの。パンばかりだし(←おかずとしてパンが出るので)。あんまり給食好きじゃなくなった・・・」とこぼしていたらしいので、たぶん、一般児童にも不評で、「残飯」が多かったんじゃなかろうか。で、「菓子パン戦術」「デザート戦術」「フリカケ戦術」に入ったと、私は見た。いや、栄養士さんの仕事の実際を詳しく知るわけではないので、そういうことが可能かどうか、あくまで推測の域なのですが、あからさまに、そういう方向にどんどん走って行ってたね。(それまでは市立病院の栄養士をしていたので、学校給食とは少し違っていたのだろう)

代替を作っていても
「なんだこりゃ!」の連続。
私は献立表をもらうだけだったから、直接話したことはほとんど無かったけど、
「除去」(前の栄養士さんの熱意で実現していたので、この栄養士さんになっても行われていた)対応のお母さんは、「毎月電話で話すんだけど、なんだか全然コミュニケーションがとれない人でさー! もう、ヤ!」と、こぼしていた。

それに比べて・・・
と言っちゃあ、なんですが、
その前にいた栄養士さんの給食は、本当にすばらしかったです。

とにかく野菜がこれでもか!と入っている。
入れられるところに可能な限り緑黄色野菜を突っ込んである。
化学調味料系は使わず、
市販の出来合い品も、ほとんど無かったと思う。
季節を大切にして、いろんな種類のメニューがあった。
たぶん、
これを作らされる調理の人は、大変だったんじゃないかと思う。
わたしも、大変だった。
けど、
「すごいなー」「やるなー」「私も頑張るぞ!」と思わせる内容で、
『料理を作る』ということに、エネルギーを与えてくれる給食メニューだった
「こういう給食だったら、うちの子も、早くいろいろ食べられるようになって、この給食を食べてもらいたい!」そう思う内容でした。
煮物やおひたしも多かったのだけれど、子どもたちの評価も上々で、「おいしい給食」ということで、卒業生の子までも、外に自慢していました。
この栄養士さんは、それまでプラスチックだった食器をセラミックに変えたり、とにかく「食育」に対して貪欲でした。
アレルギー対応食を作ると言い出したのもこの人のようで、
「一人でも多くの子に、みんなと一緒の給食を!」「思い出に残る給食を!」というのがモットーのようでした。
 

上のピカリンの入学健診の時も、何とかピカリンにも対応できないかと一生懸命考えてくださったけど、「やっぱりこれほどではムリ」ということで、その学校始まって以来の「弁当持参」児童になったのでした。
それでも、時々私に励ましの手紙を下さったり、私も私で、給食内容に感動していたものだからそういうことを返事したり、すると栄養士さんも喜んでくれて、結局この方が別の部署に異動になっても交流が続きました。

 

始めは、自分の子の代替弁当でいっぱいだった私も
「こういう給食内容なら、うちの子にも食べさせたい」
「きっとこの給食は、子どもの体と心にステキに響いている」
「ということは、きっと、この給食を食べたこの地域の子は、幸せを心と体の中に積み重ねている」
というふうに発想が広がっていって、
「大変なこともいっぱいあると思うけれど、ぜひ、この地域の子どもたちのために、栄養士さんも頑張ってください!」
という気持ちになっていった。

 

そういう意味でも、
この栄養士さんに小学校入学で出会えたことは、
本当に幸せなことでした。

 

あんなに頑張っているのに、
栄養士さんて、光が当たりにくい、というか、
こんなにも、いろんなエネルギーを人に与える仕事なのに、
評価されにくいというか、
それなら、献立内容を一番知っている私くらいは、
何か、お礼を言いたい!
という気持ちになっていきました。

  

下のチクリンは、まだ保育園に通っていて、そこはアレルギー対応食を出しているところだったんだけど、
その園に入ったばかりの新人の栄養士さんに、「面白い保護者勉強会をやろう!」ともちかけて、
彼女が一番伝えたいのは「朝ごはんを食べて」ということだったので、
それを盛り込んで、
さらに私の一番の希望は「4人家族が3日くらいの間に食べるべき野菜を、スーパーの買い物かごに入れるとどれくらいになるか?」だったので、
それも盛り込んで、
その他いろいろ、栄養価の高い食べ物!とか、
いろんなクイズ形式にして(もちろん保護者が参加)、やったりした。
おもしろかった!

 

いろんな人に、頑張っている栄養士さんのことを、知って欲しいなー、
と思うんだよね。

 

こちらに引っ越してきて、給食は自校式ではなくて給食センターになったので、学校に行けば栄養士さんに会える、という状態ではなくなってしまい、
もうそういう交流は望めないかな、
と思っていました。
が、
「給食発祥の地」鶴岡。
地消地産を基本にした米飯を中心に、
「給食センター形式で、良くぞここまで!」と思う内容のメニューで、
それを支える栄養士さんは、やっぱりとても食に対して熱心な方でした。
以前いた地域の近辺で、センター方式にしているところは、
ほとんど毎日菓子パンと揚げ物、みたいなメニューだとか聞いていたので、
ここのセンターの
季節感や、給食の歴史にまで配慮した、豊富なメニューにいつも感心しています。
結局うちの子は、ここの給食も食べられないわけだけれども、
遠く離れているのに、いつも献立表に丁寧な説明を書き込んでくれたり、
時に励ましてくれたり、
ほんとうに、新しい地に来て、心細いところを、支えてもらいました。
「タケさんの代替弁当の写真を頂いてもいいですか?」
「こんなお母さんもいるんだと、感動しました」
「弁当の写真を机において、時々見て、私も頑張ろう、って思っているんですよ」
こちらの心がフルフルしてしまうようなありがたい言葉も、いっぱいもらいました。
「受け入れてもらえるのだろうか?」と、いつもいろんな局面で不安だったり緊張したりする中で、変わらないこのような励ましは、どれだけ私を支えてくれているか、言葉には尽くせません。
いつもいつも、御礼をしたいと思っているのに、
やっぱり、
「学校経由しないと、栄養士さんの顔が立たないのかな・・・」とか
でも、学校が、栄養士さんの頑張りをきちんと評価しているようにも思えず、だから私の言葉も学校を通すと薄められてしまうような気がして、
機会を逸してしまうことが多く、なんとなく、うまく気持ちを伝えられないでいます。
この場を借りて、
大きな大きな声で、お礼を言いたい。

いつも、大変助けられています!
ありがとうございます!!

 

食に対する思い、とか、
エネルギーとか
たぶん、食アレの子の親と通じるものを、栄養士さんは持っているんだろうなあと思う。
だから、
その給食食べられない、という一件拒絶的形になってはしまうのだけれど、
一緒に考えたり、
思いを支えあったりできる、
すごく身近な人にもなりうるのだと、今までの経験を通して思います。

 

 

栄養士さんの話、って改めて場所を与えられないと、人に伝えられないものなんで、
思いがたまっていてすごく長くなっちゃったけど、
私は、たまたま運が良くて、ステキな栄養士さんたちと出会えたのかもしれないけれど、
そういうこともある、
ってことを、とても伝えたかったのでした。

 

読んでくださってありがとうございました。
そして、身近な栄養士さんが、もしかしたらとても味方になってくれるかもしれないし、
そして、食アレっ子の親の私たち自身も、食に対する思いを、栄養士さんと共有できたら、と、思うのです。

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おせち 2007(語り編)

昨年の暮れも押し迫った頃、

「暮れと正月の過ごし方は、どうしようかな~」と、独り言をつぶやくと、
すかさず中1のピカリン
「天井から果物をぶら下げるヤツ!!  やろう!やろう!」
「毎回それ言うよねー。
あれはさー、除去が強くなって、でも、その頃のお母さんは、暮れは蕎麦とかスキヤキとかしか思いつかなくってさー、まだアレルギー料理がうまく作れなくて。それでも、何か、特別なことをやって、年末年始を楽しみたい!という中の苦肉の策だったわけ!! まだ、ピカリンもチクリンも小学校はいる前だったから、喜ぶかなあ、と思って考えたんだよ。
あんたさー、小学校も終えて、もう13歳じゃん!! 天井から果物ぶら下げて、おもしろいか? すぐに取れるしさー?」
「手を使わない、っているルールを作って、パンくい競争みたいにやる!」
「・・・・・・どーしても、やりたいんだな?」

本当、
除去食が一番厳しくなった歳の暮れは、いったい、食べ物抜きでどうやって過ごせばいいのか、もう泣きたい気持ちだったんですよね。

一般の人もそうだろうけど、「食べ物」を抜きにして、行事とかイベントとか考えられないようになっているじゃないですか。
私もそうで、いったいどうしたらいいのか、考えられなかった。
アレルギー対応料理をどう作るかも、まだ始まったばかりで、手持ちの札もすごく少なかったし・・・。
暮れと正月の過ごし方は、困り果てていました。

それで、部屋の端から端までビニールテープを渡して、
その途中に、食べられる果物やお菓子をぶら下げて、時々、頃合を見て取って食べる、
って、
ほんとーに、なんでもない企画なのですが、
おいしそうなものが始終「ぶら下がっている」という状況が楽しかったのか、ピカリンは、毎年それをやろう!と言います。
親の心子知らず、と言うか、親のネライ当たりすぎ、というか、
その頃の私はその情景がどこか物悲しかったのだけど、子どもには驚喜大爆発企画だったんだねー。

そのときの御節も、
まだお重も無く、お重を買ったところで、詰められる料理なんて考え付かなかったから、
食べられるきんとんぐらいは作って、ちょっと特別な感じの料理を小分けにして、広いお皿にちょっとづつ盛り付けたんだよな。
今思うと、さびしい料理だったけど、
その頃は禁止していたコタツ(布団のダニにやられる)を丁寧に手入れして出してみたり、とにかく「特別」を演出して、何とか楽しもう!って、「必死」だったような気がする。
楽しいは楽しいんだけど、
自分の中では、どこか悲しかった頃。

 

そんな頃から大体8年くらいたち、
できる料理も少しずつ増え、
自分の中にも「悲しさ」の微塵もない、満足至極の正月を過ごすにいたっています。

紹介した御節は、
毎回、ほぼ「完食」
すごいよね、食欲が。
「あと、御節どれくらい残ってる?」
「あと、1回か、2回分くらいかなあ・・・」
「じゃ、大切に食べよう」
「しまったー! 完食しないようにしようと思ってたのに、食べちゃったよー!」
「おいしいものは、なるべく長く食べたいじゃん」
「ああ、今日も、伊達巻はおいしいなあ!」
いろいろと嬉しいことを言ってくれる子どもたち。
「ほんとに、うまいよな」
と、毎回言ってくれる夫。
わたしも、おいしいですし、酒もうまい。
食べるものがたくさんあって、本当に幸せです。

こんな正月が過ごせるとは、
8年前はおろか
市販の御節を何でも食べられた頃も思ってもみなかった事。

それも、これも
アレルギー料理精進のおかげです。

今年は、ブログで知り合った方からの料理からヒントもたくさん頂きました。

お料理、本当にできなかったんですよ。
私の過去を知っている人は、今画面の前でうなづいていると思います。

前回、一気にいろんな御節を見せましたが、
(大したこと無いけど!、)でも、やっぱり、少しづついろんな技を身につけて、作れるにいたったんだよなあ。

昆布巻きひとつとっても、
肉をカツオだしで煮る技は、煮すぎちゃった肉でシーチキン風、を作り出したとき(このブログの初期で紹介)に思いついた技だし、
巻いているかんぴょうも、何の苦もなく戻せるのは、食材不足から転じて「乾物」にはまっていた時に、身についた技。

伊達巻だって、どういう風にカステラ風にするかは、パンケーキや蒸しパンやその他諸々で日々探求している中であみ出しているのだし。

「おいしい」だけじゃなくて、
そういう自分の中の歴史が映し出された御節でもあるわけで、
感慨ひとしおです。

もっとすごいのを作っている方もいっぱいいらっしゃるのだと思うけど、
今の私は、これですごく幸せです。

 

だから何?
って、うまく言えないけれど、
ここまで来れて、嬉しいなあ、と、御節の写真を撮りながら、思ったことであったことよ。

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おせち 2007 (中身編)

ちっとも更新しないと思えば、連日のアップ。

コメントしづらいブログで、大変申し訳ありません。

もう、やれるときに、バシ!バシ!ってことで、どうかお許しください。

 

いろいろ前置きしたいこともあるけれど、とりあえず、画像、いってみます。

P1010037 えと、これは、
1日の夜、に出した御節です。

毎回、出すものを微妙に変えるようにして、目先を変えています。

例えば、今回の1の重の左下隅の黄色いのは、クリを細かくして混ぜ込んで丸めた芋きんとんです。それに黒ゴマのはかまをはかせました。
きんとんは、ほかに普通の栗きんとんと、フルーツきんとんの3種を作りました。どれもきんとんを作るときにちょっと分けて形だけ変えればいいだけなので、あまり手間はかかりませんが、毎回出すものを変えるということで、いちいち気分が変わって、食欲が出ます。

一の重右端の黄色に茶色が混ざっている物体は、伊達巻の代わりです。

昔、伊達巻を作りたくて、でもできないので、かぼちゃパウダーをまぜた「カステラ巻き」(初期はデュラム小麦で、最近はもっぱら米の粉)で何とかごまかす感じだったのですが、今年は「ごまかす」んじゃなくて、堂々と、「おいしいカステラ!」と攻めの姿勢で行くことにしました。
こむぎこさん経由ぬざぽんさんの餡入り米粉ケーキ。やっぱ米粉はあんこよね、そうよね、とひどく納得し、黄色い米粉カステラに、マーブル状に粒餡を入れました。

当然ながら、どぅあい好評!

 

二の重の黄色っぽいのは、ペッパー生ハムにメロン・・が無かったのでパイナップルの薄切りをはさんでいます。

白い器の、紅白の物体は、紅白ゼリーの失敗作
紅白ゼリーは、紅白かまぼこの代わりに入れるのですが、
去年に引き続き、今年も固める作業に失敗。
どろどろ状になっているので、小さいお皿に入れて、ちょっとしためでたいデザートに。
ちなみに、赤は、クランベリーと葡萄酢のジュース。
白は、白桃ネクターで
作りました。

 P1010001_1

 

翌2日の夜の御節。
御節を食べるのは、これで今年4回目の膳。

これくらいになると、栗きんとんにも飽きてくるので、フルーツきんとんを投入。
フルーツは汁が出るので、芋きんとんをあらかじめより分けておき、食べる直前にフルーツとあえるようにしています。

右側の市松模様っぽいのは何かというと、かまぼこです。

紅白かまぼこにしたかったのですが、ただの紫芋かまぼこになっております。
酢や、クエン酸(粉末)でピンクを作りたかったのですが(サトポンわざ)、いとよりだいのすり身が分離してかさかさしてきちゃうし、味も全然ダメだし(いろいろやってみた!)、で、く
じけ。 でした。
このかまぼこ、子どもたちには大好評。チクリンは外側のシコシコ感が好きで、ピカリンは内側のふわっと感が好きだそうです。

二の重、昨日と変わってますね。

スペアリブとか、アイスバインとか入ってます。
あと、鯛の酢締め(市販品)
手作りは、昆布巻き! これ、うまくいった!今年は!
いつも作り方がよくわからなくて、昆布を煮すぎてしまっていたのですが、
今年は、中身をよーく煮たあと、昆布で巻いてさらに煮含めたので、昆布の硬さもちょうど良くいきました。
中身は、平牧三元豚ひれ肉3割引! たっぷりのかつおだしとしょう油で煮込んで、三元豚のうまさがマグロ風に転化され、しゅばらしかったと思います!

今年うまくいったのは、黒豆。味も硬さもちょうど良し。飽きが来ないようにうまく作れました。

田作りは、ゴマをふってみた。パリっと仕上がって、特にピカリンから好評。

 

ほかにもいろいろあるけど、省略します。

 

種本は

「小林カツ代のやさしいおせち」
(’95 講談社  もう絶版?)
この本は、御節の基本もさることながら、料理のインスピレーションを刺激するので、すごく重宝しています。

 

御節つれづれは、次回に。

 

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ケーキ?

ということで!

デジカメが壊れたを連呼している私ですが、
何とか撮れていた(撮れているかどうか確認できなかった)画像を取り出すことができたので、アップ。

これは、「いい加減COOKING」のブログ名に沿い、いい加減ぶりがにじみ出た料理をアップせんとしたものです。しかも、クリスマス料理!(おせえ!)

P1010021 ←なんだこれは。

あー、そうそう。
「アイスバイン」なる豚のすね肉の塩漬けというものを入手し、ポトフ風に煮込んだものだ。最終的にブロッコリーやプチトマトも投入するので、クリスマスっぽくなります。右端のチクリン。小指を立ててジュースを飲んでます。

あと、ケチャップご飯(夫の呼び方。チキンライスみたいなの)と、ハムステーキ(人から頂いた)ですね。発熱したピカリンには、ちょうど良いご馳走でした。

P1010030 これは・・・?

おー!
びっくり!
マシュマロ(豚ゼラチン)がふちに貼り付けてあります!
いい加減ですねー! 見苦しいですねー!

果物の上をゼリーで薄く覆いたかったのですが、できなかった。・・・ということで、ゼリー液が中にしみちゃった!

・・・・・・・・・・食べるのが怖かったが、味はおいしかったでした。
売っているフルーツケーキの上にかかっているゼリーはどやったのだろう。
コツを知っている方がいたら、どうか教えてください。激しい願望(すでに何度も失敗中)

中はこんなP1010031

まー、まー、ッチューとこですかね。

もっとふっくらさせたかったが、
頭を働かせず作ったので(いい加減です!)
こんなもんでしょう。

体調の悪いピカリンでしたので、
豆乳クリームは使わずにおきたかったのですが、
真ん中にだけ薄くはさんで(クランベリーをレモン汁に漬けたものと合わせて)、デコレーションはマシュマロにお願いした、というわけですが、
甘さを抑えたスポンジに、マシュマロの甘さとフルーツのジューシーさが合わさって、おいしかったです。
子どもたちは、スポンジとマシュマロとそしてどのフルーツの組み合わせが一番おいしいかを熱心に探求していました。
やっぱ、ケーキは、ハーモニーだと、再認識した作品でした。(「作品」というほどでもないな!)

次回は、御節の予定です。

 

ピカリンが、もうスポ少バスケの練習に行っているので、時間のできているタケ氏でしたー。

 

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あけおめ、です

あけましておめでとうございます。

皆様、各ブログで挨拶なさっているので、私も見習ってご挨拶いたします。

 

クリスマス、正月、いろいろな料理があるのに、
デジカメ2台とも壊れてるぅー!

ショッピングセンターのお楽しみ福引の応募券は、全て「デジカメ希望」の箱にぶっこんできました。当たりますよーに・・・。

 

朝は爺婆の家へ行き、お雑煮。

今年は、米油で揚げた油揚げを使用いたしました!

「あっ油揚げが入っているぞ!大丈夫なのか?」

と、爺も本当にアレルギーのことがわかるようになりました。

 

初詣や、町の散策をして、
31アイスクリームでストロベリーソルベを食ってきました。

 

すいません・・・

暮れから酔いぱなしで(そんなに呑んでないんですけど!)

頭が廻りません・・・

 

こんな私ですが、どうか今年もよろしくお願いいたします・・・

タケ氏

 

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