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アレルギーを子どもに教える2(「アレルギーなんかじゃ、やだ!」)

毎日毎日、目の前のことを片付けるのに精一杯で、
ネットから印刷した給食献立表を手帳に貼って、買い物リスト作って、弁当作って、仕事して、買い物して、夕飯作って、という毎日が、ずーっと続くと思っていたのに、
なんと、今日は「給食」がなかった!(ネットの献立表は全ての学校に対応するためずっと書いてある)

その上、小3チクリンは修了式だった!(今年度最後の登校日)

がーん。
全然気がつかなかった。(昨日の夜に知った!)
来週の水曜日辺りかな(ピカリンはそう)と思っていた!
チクリン、明日から春休みなのか!
子どもの学校が修了するということを気がつかなかった自分に
あまりに驚いて、弁当を作らなくても良くなった喜びを忘れそうになります。

 

さて

 

ズーっと前に、「書く」って言ってたんですよね。
アレルギーを子供に教える1(まず始めにどうやったのだろうか)
http://taketaketake.tea-nifty.com/cooking/2006/04/post_85ea.html
もう1年前の記事ですね。

しかし、この手の話がこの時期にされがちなのは、
やっぱり入園入学の時期がこの時期なので、親の不安が倍増状態になっているからなんだろうなあ・・・。

 

 

子育てをして1年2年たつと、生まれたころのことをすっかり忘れてしまい、
近所の出産間近のママにアドバイスを請われても、「すっかり忘れたヨ・・・」という方も多いのではないでしょうか。

私もご多分に漏れず、
子どもに「どうして私はアレルギーなのか?!」というような言い方をされたことは何度かあるはずなのですが、きちんと思い出せません。なのにこの御題で書くご無礼をどうかお許しください。

 

 

いつかは聞かれる、
そうしたら、なんて答えようか。
動揺せずにしっかりと話すことができるだろうか。
と思いをめぐらし、
タイミング悪く唐突に、何のイントロも無く、こちらの心身の健康状態もかんがみずに発せられるこの手の質問に、動揺しまくる。
説明したあとも、わかったんだろうか? 言い方は良かったんだろうか? 
と悩む点において、
性教育に似ています・・・かもしれません・・・(ちがう?!)

 

 

うちのたぶんその質問の初めは、上の子(女)ピカリンが5歳くらい・・・もっと前かなあ、の、寝る前の布団の中でのひとときだったと思います。

布団から顔だけ出したぴかりんが
どうして、ピカは、アレルギーなんかなんだろう!!」と吐き出すように言った。

(あー、きたな)
と思って、ドキッとして、でもこちらの動揺を抑えながら、
「そうねえ・・・。やんなっちゃうとき、あるよね。(まず受け止め)
アレルギーはね、偉いお医者さんでもわからないことがいっぱいあるんだよ。(前ぶり)
なんだかね、体が体を守ろうとして、体に悪いものが入ってきたらやっつけようとするんだけど、それがちょっと、やりすぎて、湿疹とか出ちゃったりするらしいよ(一応科学を噛み砕いて話すが、大体聞いていない)
ただね(本題)
これはお母さんの考えなんだけどね、
アレルギーの体の子、って、実は人間の進化した体なんじゃないかなあ。」(ピカリンはポケモン好きだった)
「しんか?」
「うん。人間て、始めはサルだったじゃない? それがだんだん変わって、今みたいな体になってきたわけでしょ? これからだって、変わるんじゃないかな。 アレルギーの子の体てさ、未来の人間のほとんどがそうなる体が、早くに出てきただけなんじゃないかな? ピカは、早めにその体を持って生まれたんじゃないかな。 未来型人間なんだよ。
お母さんは、そう思うよ。
・・・・・・
サルも、始めに体に毛が無い子が生まれたときは、みんなに『ハ~ゲ』『ハ~ゲ』って言われただろうねえ・・・」
「ケケケケッ!」
と、ピカリンはそう小さく笑うと、すぅ~っと眠ってしまった。

 

「未来型人間」なんて、誰も言っていない、嘘といえば嘘です。
「ごまかし」なのかもしれない。
でも、私も半分はそう思っているし、
そう思っていて、何の罪があるだろうか。
ピカリンの体が、今ある現状への警告であることは確かなことで、
今ある現状が正しくて、ピカリンの体が「間違っている」ということではない、という点では、自分にも自信があったと思う。

だから、その点を、嘘かもしれないけど、
そういう形で伝えたくて、
どこかで、「だますことになるのかな・・・」
と不安になりながらも、
そういう風に言ってみた・・・・。

「ハ~ゲ」は、なんだか、口からポロっと出てきたんだけど、思いがけずウケた。
どこかで、未来先取り方人間は、いじめられることが、昔からあったかもね・・・、と伝えたかったんだと思う。そんな気持ちが伝わったかはわからない。
本当は、もっと話すことがあったように思ったんだけど、
笑いながら眠ってしまったピカリンを見て、
すごくほっとして、
なんだか、この時のことは、よく覚えているのです。

 

 

もう少し大きくなってからは、もっと直接思い切り「不満」を言っていました。
みんなはいいなっ!! アレルギーがなくてっ!!

大きくなると、噛み砕かなくても、こちらの思いもストレートに言っても良くなってくるから、ここから先は「人生観」「人生論」の話なのかもしれない。
だから、その家庭によるんだと思う。

私の場合は、いつもこんな感じ。↓

 

「確かにね、やなことはあるよ。
みんなが軽々過ぎていくことにもいちいち立ち止まらなきゃいけないわけだし、手間はかかるし、やれないことも確かにあるし。

でもね、思うんだけど、
人は、誰でも、それぞれ何かしら重たいものや苦しいことを抱えてんだよ。

例えば、ピカは、今、こうして家族そろってご飯を食べている。
でも、アレルギーが無くたって、親がご飯を作る暇も無くて、コンビニ弁当を一人で家の中で食べている、って子だって結構いるんだよ。
その子の方が、コンビニ弁当を食べられるからピカリンより幸せか、って言ったら違うだろう。
食べ物だけじゃないよ。
うちの爺ちゃんは目が見えないだろう。
腕の無い人、耳の聞こえない人だっている。
生まれたときから親の無い人、広く見れば、生まれたときから周りが戦争だ、っていう子だって世界にはいっぱいいるんだ。

人間は誰でも、なにかしら、ひとつは心の中に重いもの苦しいことを抱えて生きているもんなんだよ。どの人でも。
それと一緒に生きているんだ。
ピカは、それがたまたま『アレルギー』だったということであって、、もしかしていやだと思うことはもっとあるかもしれないけれど、
でも、ほかの人が持っていない幸せを持っている、ってことも確かなことだろう。

何かしら、つらいことを持ちながらも生きている、っていう事では、
みんな、同じ
なの。」

 

「そりゃあそうだけどさあっ!」

 

ピカリンの思うこともわかる。
不満や、悔しさはそう思ったって、なくならないもんね。

「だから、お母さんとお父さんは、ピカリンのことを全力で応援するよ。
助けられることはなるべく助けたいと思ってる。
ただ、それで、自分が不幸だと思ったら、それは違うよ」

 

私自身にだって、今まで生きてきた中でのトラウマはある。
すぐに解消できるものではなくて、生きている中で、何年も何年もかかってそれを溶かしながら、それと共存しながら生きている。

回りには、私がその人だったら、耐えられないんじゃないか?と思うような、心の傷や、過去の記憶や、生活上の障害を持った人がいる。
たぶん、みんなも、そういうのを持ちながら生きている、がんばって生きている、
という点では同じなんだよなあ、
と、
いつもしみじみ思っているのです。
 

だから、
それが、子どものアレルギーに対する不満への回答にはならないかもしれないけれど、
私自身は、アレルギーが万が一『不幸』なことであっても、それを受容しながら、自分なりの人生を自分流に生き抜いて欲しいなあ、と思う気持ちが強い。
だから、それを伝えるしかなくて。

 

 

あともうひとつ。

子どもに対する受け答え、というのではないんだけれど、
「自分は幸せだ」という思いを、何度も繰り返し、表現して伝えるようにはしているかもしれない。実際幸せなんだけど。
「うちのご飯は、本当においしいよ。 ピカとチクは知らないかもしれないけど、本当においしいよ。うちのご飯を食べた人は、アレルギーの無い人でも、おいしい、って言うだろ? こんなのが毎日食べられて、お前たちは幸せだねえ」
と、夫はよく言うし、
私も、「静かな景色が見られて幸せだねえ。」「いっぱい本が読めて幸せだねえ」「みんなで笑って過ごせて幸せだねえ」と、繰り返し言っている。
「ぴかりんは、すごいねえ」
「こういうところは、誰にも真似できないね」
「尊敬するよ」
と、本人のこともほめる。本当にそう思っているからだけど、意識して気がついて、意識して言葉にするようにしている。

自己肯定感

というのかな。
私はこれでいい。
私は、これがいい。
と自分自身をそう思える気持ちを、思春期までに十分育てる、
っていうのが、大事だと思っているので、
そこまで、七面倒くさく考えて、言葉を発しているわけじゃないけれど、
そういうのが、底辺にあって、
それで、
前に書いた「アレルギーについての言葉」の意味があるんだと思う。

何か、暗いものを持っていたとしても、幸せも持っているし、私は私でよくて、これからも面白く生きてやる、みたいなこと。  

 

 

そういうのが、少し大きくなってからの、我が家のセリフかなあ、と思います。
年齢やシーンに合わせて、いろんな部分を取り出して、いろんな言い方で伝えてはいますが、全体的には、こんなところ。

 

私自身の考えなので、あくまで、我が家の場合です。
これが「良い」と思うわけではないのですが、どうやっているか?と聞かれれば、こんなところかなあ、と思います。

自分自身がなぜそういう風に思うのか、というと、
若かりし頃精神科に入院した(欝で)経験とか、その他諸々あるので、書きませんが、
そのあたりは、うーん、やっぱり、子どもにこれから先も「生き抜く」力をどう与えるか、という家庭の方針によると思います! 

 

 

むずかしかった・・・。

それに、上記のように思いながらも、やっぱり、子どもが悩んだり苦しんだりしているんじゃないかと思うと、動揺するのは、本当だし・・・・。自分で自分の言った事(思っていること)を忘れて、目の前のことにおろおろしているのは、ブログに書いてきている通りだし・・・。

ということで、繰り返しちゃうけど、あくまで私の考えですので、よろしくお願いします・・・。

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アレっ子育児」カテゴリの記事

コメント

また泣けてきました、タケさんはやっぱり先を行く先輩、色んなことが参考になります。
ワタシも多分、今の時期だからでしょうか?ちょっとナイーブになっていることもあり、
そんな時はムスコのアレルギーのことばかりを考えてしまうのです。

ワタシはムスコの育て方に自信が無いんですよね、それは特にアレルギーと言う枠の中で。残酷かもしれないのですが、ワタシはムスコにアレルギーに関してはいつも現実を話すように心がけていました。
それはムスコがとっても小さな赤ちゃんの時からです。赤ちゃんが言葉を覚えていくように、アレルギーであることが当たり前のように感じて欲しくて、ムスコが理解しているか分からないうちから、なぜ食べられないのか、なぜレストランには入れないのか、なぜ皆と同じものは食べられないのか…
この方法が正しいのかはもちろん分かりません、でもこうすることがワタシはムスコの為になると思っていたんですね。

幸い、ムスコもわが道を行くタイプで、周囲のことにはお構いなく(ワタシの怒りもお構いなく!)、みんなと違うものでも自分のモノがあれば喜べる、かなり打たれ強いらしく、叱られても数秒後には忘れています ←これはどーなのよ!

だからでしょうか、いつも何でも楽天的な態度なんです(苦笑)
でもこれが実はムスコの本当の姿なのか・・・と問いたくなる時があります。
でもある時こんなことを聞いてみました、
『みんなと同じように食べられないの寂しいかな?』、意外にもムスコの返事は食べられないことよりも『お友達と遊べないこと』でした。お友達付き合いにはお菓子がつきもの、コンタミや接触に弱いムスコにとっては喜ばしい環境ではありません、でもムスコには寂しい思いをさせていたのですよね。
その時からワタシはムスコの言葉を信じて、お友達と遊ばせる機会を沢山作り、出来る限りの食べ物のフォローもしてきたつもりです。

でもフト思ったのです、
今は幼稚園だからだよなぁ…
小学校に入って代替食になって、
泊り込みの行事とか出てきて、
食べられない事で皆との距離を感じるように
なるかもしれない…
そんな時に『なんでアレルギーなの?』と問われた時に、
今言えているを説明してもきっと納得してくれないと思うのです。
今は小さなムスコを騙しているのではと感じます。
なんかまとまりつかなくなってきました!
でも昨日&今日のタケさんの記事を読んで、
何か掴めそうです。
本当にありがとう♪

投稿: ナオ | 2007-03-16 13:25

せんぱ~い(号泣)
なんてすばらしい子育てしてるんですか~
その心の余裕はどこから~
私、イライラすると子供怒鳴りつけてその後自己嫌悪です。
私自身が「自己肯定感」持たずに育ってきた気がして
自分の子供たちにはそう育って欲しくないのに
「自己肯定感」持たせれるような子育てできてません、うぅダメだ。
そんで「子育てハッピーア○バイス」読んでリラックス(?)してます。

誰もがなんか重いの抱えてるんですよね。
そう思えば生きていくのもラクになりますね。
ありがとうございます♪

ついでに、私も食アレ(くるみ、バラ科果物)があるので
息子もアレルギーの理解は「当然受け入れてくれるはず」と思って接しています。
だって、もう仕方ないんだもん(笑)
それは大人になって(最近)思うことなのでまだまだ3歳の息子には酷でしょうか。
「大丈夫、きっとうまく付き合っていけるよ、この私がそうしてるんだからね♪」
的なことを書いておきながら、
息子はしっかり(?)とみんなの前で代替おかしを食べるのを嫌がりました(苦笑)
そんな悩みをブログで先輩方に励ましてもらって
なんとなく前向きに、4月からの代替弁当持参の幼稚園生活を楽しみにしております。
お弁当よりも息子はみんなと遊べるのを楽しみにしているようなので。

あ、ちなみに性教育もきっちり教えたいと思います。(何年後?)
自分の体のことはよく知って、自分でちゃんとコントロールして欲しいと思うので。
私いま、皮膚状態悪くて弱ってるので、しっちゃかめっちゃか失礼します!

投稿: まめ | 2007-03-16 20:47

自己肯定感… 大切ですよね。
タケさんの記事を読んで、アレルギーがあって本当に、悲しいこと、つらいこともあるけど、その倍くらい楽しいこと、幸せだと思えるようなことも感じさせてあげたいとつくづく思いました。ピカリン、チクリンは幸せものだよ。
うちの子は、まだはっきりと他の子と違うということを自覚しているとは思えませんが、この前、ふとしたことで「《ママのつくるものだけ安心して食べれるね》っじゃなーい!」と言ってました(きっと保育園でお友達の食べているものを欲しがったときに先生に言われてる言葉でしょうか)。あと、自分と同じものを食べていると必ず満面の笑みで「これ、同じやね~」と言ってきます(笑)。
どう思っているのかわかりませんが、きっとこれからどんどんいろんな場面で子どもが自分のアレルギーのことを考えたりするようになるんですね。まだ先だと思っていても、びっくりするようなタイミングで聞いてきたりするのでしょうか。こうして、タケさんの記事を読んで予習(?)してても、きっとうろたえるんでしょうね…。

いつも子どものアレルギーのことを考えると、暗い気持ちになっていましたが、それを受け入れながらも、他にも楽しいことをいっぱい知ってるし、感じてるっていう生き方をしたいし、させてあげたいです。

予断ながら、私自身は子どものときはとっても偏食家で、お肉・野菜嫌い(とくに生の野菜サラダなどは全然食べられませんでした)だったので、息子が、本当にいろいろな野菜をいっぱい食べてくれるので、我が子ながら感心しています。これもアレルギーがあるからこそだよ。かえって、小さいうちから身体にいいものをいっぱい食べれて本当に幸せだよと思っている母なのでした。

投稿: つくしんぼ | 2007-03-17 04:55

>ナオ氏、こんにちは!


ありがとう、って言って下さってありがとう・・・。
あんまり参考にならないような、わかりにくいことばかり書いて、ゴメンナサイ!

ナオポンのコメント読んでいてい思い出したんだけど、たぶん、「未来型人間」の発言は、ナオポンが心配するように「ほかの子との距離」を自分の子が感じるようになった時、それが「劣等感」ではなく「優越感」にしてしまいたい、という策略じみたものが私の中にあったと思う・・・。
「劣等感」も「優越感」もどっちももたなくていい感情だと思うんだけど、「劣等感」を持ちそうになったとき、心の中で「でも私は未来型人間なんだから!」と、自分の中で切り替えて、乗り越えて欲しいな、と思って言っていたような気がする。
アー、そういうことを言っていたのだね、ワタシ・・・。

子ども、って本当に素直に親の言葉を受け取って、それを持って生きていくんだね。
親がどんな気持ちでそれを言っていようが、ちゃんと受け止めてくれる。
ナオポンのムスコ君も、素直に受け止めて、素直に育っているんだと思います、私。
思春期が来て、「何であんなこと言ったんだ!」と怒る時もあるかもしれないけど、ゴメン、こちらの力足らずで、あれで精一杯だった。申し訳ないんだが、あとは自分で乗り越えてください!スイマセン・・・!・・・って言うしかないなあ・・・すいません・・・(今から謝りたい気持ち)

まだまだやる事やれる事あるけどね、親として。
しんどい時もあるけど、やっぱり、親業は面白いよ! おろおろしてばっかだけど・・・。

投稿: タケ | 2007-03-17 07:16

>ストリートミュージシャン、まめ氏、こんにちは!


まめ氏が、くるみアレルギーだ、って事で、なんとピカリンと一緒じゃん!と、過去の記事まであさってきました、弁当の無い時間のある朝!
くるみは、ゴム科だ、というので、Dr.KがIge値調べても、全然出ないんだよね。だからKはいつも首をひねるんだけど、クルミを3回食べて、3回ともひどい症状を起こして救急送りなんだから、くるみアレルギーに決まってるでしょう! ということもあって、くるみアレルギーという人には親近感いっぱいな私。
この頃、クルミを入れた加工品が増えていると思いませんか? なんでも自分で作ればいいんだけど、ちょっと買いたいときに、ムッとします。

本題からずれております。

男の子の方が、格好を気にする傾向がある。って、どこかのアレルギーの本にもあった。代替弁当がいやで、転校までいってしまうケースは男のが多い、って。
うちも、「味が良ければよい」というピカリンに対し、男の子のチクは「形が同じなのが一番」と思っている。
何でこう違うかねー、と思うけど、
ピカリンの時には話していた記事の様なことを、きちんとチクリンには話していない気がするんだヨねえ。話す機会もなかなか無くて・・・。(2番目育児!)
男の子、って、よくわからん・・・。
スマソちくりん。

まめ氏は、まめ氏がいつもスコーン!と前向きだから(ほめてるんだヨ)大丈夫じゃないか? と、昔のブログを読んでいて思いました。
「ストリートミュージシャンの皆さんへ。私たちはここに住んでいます」という横断幕を見たときに「そうだったのかっ!」と思ったタケ氏より。

投稿: タケ | 2007-03-17 07:30

>つくしんぼさん、こんにちはっ!
暮れと正月の衝撃の傷は、そろそろかさぶたになってきたですか? かさぶたになりきるまでは半年くらいかかるかな・・・。ゆっくりいこう!

「ママの作るものだけ安心して食べられるね、じゃなーい!」
はぁー。ずしっとくるセリフですね。
言われたことに対して、ムッとしたんだね。
子どもも子どもなりに心の中で闘っている、ってわかる一言だ・・・。
人にどう思われているかを感じ、自分を考え、自分で自分を見つめなおし、「でも私はこう思う」ということを繰り返して、人は自分という人間を認識していくんだよね、きっと。
うちの中1生は、たぶんかなりそれができてきた年頃なんだと思う。今まではやっぱりいろいろあった。
人と話し、「親」という鏡に自分を映して、認識する「自分の姿」が、少しでも自信を持って世の中渡っていけるものであるように、
「認識していく過程」の中に、少しでも幸せになるエッセンスをふりかけてあげていきたいものだ!
って、何言っているのか抽象的過ぎてわからーん!!

つくしんぼさんのところの子はえらい。
ピカリンは、いい子だけど、偏食気味だよ・・・。野菜もっと食え。「食ってるよーおっ!」(といつも怒り返すピカ)

投稿: タケ | 2007-03-17 07:48

いつもいつも激しく感動しています。
うちも年齢的に、どうして?という次男と、わかりきってるかのようにあまり聞かない長男と、ひたすらわかろうとしてる3男と。。。それぞれバラバラですが、いつになったらアイスやケーキが食べられるのか?
いつになったらバレンタインに貰ったチョコが食べられるのか?(今回は文房具をいただきました^^)気になるところはそこのようです。
それは私にも、主治医にもわからないわけで、それなのに、旦那や担任にはいつになったら給食食べられますか?とか聞かれて、焦らされ、こっちが聞きたいわ!!みたいな感情になるのですが、タケさんの日記を読むといつもいつもうんうんと自分を落ち着かせることが出来ます。
これから先、今は黙って従ってる長男ですが、給食が食べたい!とばかりに何を言い出すかわかりません。
自己肯定感。とっても大事ですよね。
そしてまずは受け止めが出来ていないかなって思うので、せっかく(この表現でいいのかわからないけど)自分も乳アレなので、彼らの気持ちをまずは受け止めていこうと思います。
いざ、直面するとどんな言葉が出てくるのかわからないけど、ちゃんと向き合っていければな~と思います。
彼らが将来もきちんと付き合っていけるように、導きがうまくいきますように、今後も参考にさせて下さい。
今更ですが、リンクさせていただいて良いでしょうか?

投稿: もあっしゅ | 2007-03-17 17:15

こんにちは!
未来型人間発想。賛成ですぅ。
前にカキコしましたが、甥っ子の卵アレルギーをきっかけに、
色んなアレルギーに興味があります。
私達夫婦には子供がいませんが、自分たち自身の経験も踏まえて、
よくアレルギーの事が話題になります。
甥っ子の親は二人ともアトピーです。夫も喘息、ダニアレルギーもち。
甥っ子の父=弟は喘息&ハウスダスト、ダニ、金属アレルギー等々があります。
私を含め他にも沢山ありますが、今家族の誰もが何かのアレルギーを持っています。
ただ重度ではなかったので、子供の頃は体の弱い子として育てられました。
アレルギーなんて言葉無かった(知らなかった)ので、
ワケの判らない薬草を煎じて飲まされたりしました。
夫も弟も「子供の頃アレルギー検査があったら、
何らかの食物アレルギーだったかもなぁ」と言います。
アレルギーと知らなかったので、何でアレルギーなのかなんて親に聞く事も無く
体の弱い子供に産まれて迷惑かけて悪いなと、親に対して思っていたそうです。
親も同じように、子供に申し訳なく思いながら育て、健康な子供を持つ人との
付き合いとの苦労(無神経さとか)を重ねていたと思います。
大人になってアレルギーと判り、精神的辛さから開放されたそうです。
皆さんのお子さんの質問の「何で」の中には、夫や弟が子供の時に感じていた
「お母さんゴメンね」とか「お母さん有難う」って気持ちも含まれて居ると思います。
迷惑かけないで、自立したいみたいな成長の現われの一つかも。

昔と違って、アレルギー反応を起こすものを食べてはいけないと
言わなくてはならないという、具体的な辛さが有って
現代のお母さん方も大変だと思います。
体の弱い事に対して、しょうがないと思うしかなかった時代と違って、
悪い事をしていないのに、食べてはいけない・食べさせてはいけないという事は
場合によって、脅迫観念みたいなものに変わり得るような…。
子供がプラスに考えられるよう「いけない」という
マイナス発想的な言葉以外に表現が無いのかと、よく夫と話しています。

ココは笑って読んでください。
ある時、未来型人間という究極な?事を思いつきました。
ずっと昔は、体の弱い子は死んでしまう場合もあった。
でも、今のアレルギーのある人は特別敏感なアンテナがあって、
人間にとって危険な物が選別できるニュータイプ(ガンダムみたい)ではないのか?
と。そのおかげで、生き延びることが出来て、
人間の未来に大きく貢献するみたいな…。SFチック過ぎますね。
タケさんの未来型人間発想とはチョイ違うかもしれませんが(笑)。

これだけ、色んなアレルギーがあると判っている現在に、
しかも多くの人がアレルギーなのに
その親も子供も何でそうなのかと言う事に、
苦しんで生活しなければならないというのは、
社会的な事が整備されていない事があるかもしれませんね。
私みたいに子供がいなくて切羽詰まってない人や、
超健康でアレルギーが理解出来ない人に出来ることは、
皆さんのご苦労を可哀想にとマイナスに評価しない事くらいかしら…。

と、又話ズレちゃってたらゴメンなさい。

投稿: umi | 2007-03-17 19:18

前の記事は、車の中で携帯から読んで、思わず涙が出そうになりました。
そして、この記事は、うなずきながら読ませていただきました。

我が家の長男は、幼稚園入園前にはすでに、「ぼくは何でアレルギーなの?」という言葉を発していました。
その頃は、ママもアレルギーだしというような簡単な説明で納得していましたが…。
でも、去年園行事のクッキングのために、
1週間も休まなければいけなくなった時には、本人は不満を発することさえも出来ず、
どうしたら登園できるのかを本人なりに必死に探し、
それでも無理だとわかった時の気持ちの持って行き場のなさをどこにむけたらいいのか、悩んでいる様子は、
受け止める側としても、本当にしんどかったです。
親が不甲斐ないばかりに、辛い思いをさせてしまいましたが、
それでも、本人は本人なりに前向きに少しずつ成長していってくれていると思います。
これから、もっと大変なことがたくさんあるのかもしれませんが、
ありのままの息子たちを、しっかり受け止めていかなければと、強く感じています。
そして、アレルギーだからこそ感じられる幸せを、タケさんのような諸先輩方のように
しっかりと伝えていかなければいけないなあと思っています。

男の子は、形を気にするというのは、実感しています。チクリン君もそうなんですね…。
味も美味しいものにこした事はないけれど、やっぱりコピーを作ってくれと言います。
お友達の女の子は、おいしければ別のものでもいいよというそうですが、
女の子の方がやさしいからだとばかり思っていましたが、
そういうものじゃないのかもしれませんね。

投稿: たんぽぽ | 2007-03-18 00:53

ふんごーーーーーっ!
なんか、どすーーん、と胸に響いてます。
ピカリンの資質もあると思うけど、
やっぱりタケさんの考え方や行動もピカリンにつながってるんだな~~、と。
それがすっごくステキで、
はっとさせられるっちゅうか・・・、うん。
自己肯定感、まめさんと同じく、あまり持たずに育った気がしてます。
んで、ムスメにはなんとか伝えたい、と思ってるんだけど、
イライラしたりして、すっぽり抜けちゃう・・・イカンイカン。
「子育てハッピーア○バイス」、読んで
「頭じゃわかっとるんじゃーー!」と逆ギレ。
あぁ・・・・・・。

未来型人間、我が家もニュータイプと呼んでおりますww。

投稿: こむぎこ | 2007-03-18 01:41

>もあっしゅさん、こんにちは!


(ただ今「にきにき(TV)」中の我が家)

ブログに記事を出すとき、特に自分の考えを出すときは、皆さんもそうだと思うけれど、かなりドキドキして出します。
自分でも至らないところとかがあるのがわかっているし、書く力もないので、どう思われるかな、とちょっとは心配になってしまうので。
でも、もあっしゅさんはじめ、みなさんが「良く」解釈してくださって、ありがたく思っています。ありがとうございます。

で、なにげに、
バレンタインに何かもらったんだねー!
うちのには、無いよ・・・。
夫はホワイトデーに、ワタシに日本酒(紙パック)を買ってくるしね。得意満面で。いいんだけど!!

もあっしゅさんのところは男の子ばかりだけど3人3様で、子ども同士でも何か学び合えそうだよね。そこにもあっしゅさんの乳アレもはいれば、「三人寄れば」以上の力が出そうです! ここ、うらやましいトコロです。

リンクありがとうございます。
本当に大変恐縮ですが、光栄に思っています。
私は管理がどうもできなくて、リンク欄を削ってしまいまして、なんだか、すみません。
これからもどうかよろしくお願いします。(なぜだか、ちんまり)

投稿: タケ | 2007-03-18 07:54

>umiさん、こんにちはー!


>>皆さんのお子さんの質問の「何で」の中には、夫や弟が子供の時に感じていた
「お母さんゴメンね」とか「お母さん有難う」って気持ちも含まれていると思います。
迷惑かけないで、自立したいみたいな成長の現われの一つかも。

この発想は、ハッとしました。
みんな渦中にいると、子どもの持つ不満は「親への不満」がいつも入っているような気がして、キリキリ焦ってしまうと思うんだけど、確かに、一歩離れて考えてみると、「お母さんに苦労かけて、おかあさん、ごめんね」と思うことがあるかもしれない。だからアレルギーなんかヤダ、って思うこともあるかもしれないよネ・・・。

>>子供がプラスに考えられるよう「いけない」という
マイナス発想的な言葉以外に表現が無いのか

そうだよね。「こっちの方が、強くなれる」とか「元気になれる」とか。ただ、アレルゲンは「危険物」であることに変わりないから、「いけない」も使わなくてはいけないけど、それ以外の言葉もたくさん織り交ぜて、いけたらいいよね。
前に、アレっ子母友(友達だと思っている)に、「子どもにスーパーで、お菓子欲しいとか泣かれたとき、アレルギーだからダメ、としか言えなくて悲しくなるけど、タケさんはどうしてた?」と聞かれて、
「うちは、チミのお菓子はもう家に用意してあるから、それ以上は、ダメ! うちのお菓子は、お母さんが計画的にそろえることにしてんの。と言っている。アレルギーの無い家だって、そういう方針の家はあるだろうから、そんな感じに?言ってた。 できるだけ"アレルギーだから"って言葉を使わずに済むところは使わないようにしていたなあ」
と答えて、「なーるほど!」と言われたこともあった。
あんまり、マイナスイメージの言葉を使わない。
アレルギーという言葉をマイナスイメージだけに使わない、
っていうのはあるかもなあ、と思ったー。

うん。
umi氏。いつも広がる視点をありがとうね!

投稿: タケ | 2007-03-18 08:08

いつかは聞かれるんだろうなぁ。そのとき、わたしはなんて答えるんだろう。
ほとんど考えたことなかったので、参考になりました。
そして、また泣きそうになってます(ToT)
感動してます!
「何かしら、つらいことを持ちながらも生きている、っていう事では、
みんな、同じなの。」
そのとおりなんですよね。
忘れてしまいがちなんですけど。
落ち込んで、その感情を吐き出して、また落ち込んで…。それを繰り返してもいいんだなぁ、って素直に思いました。
4月から幼稚園に行く『卵アレルギー』の娘。除去ではないものの、マヨなどNG。
楽しみにしてる娘。ちょっと不安なわたし^^;
きっと幼稚園に行くようになったら、なんでアレルギーなの?って聞かれるんだろうな。
入園のとき『むっちゃんのしょくどうしゃ』持って行って、子供たちに読んでもらおうと思ってます。

投稿: ぼにゃはは | 2007-03-18 09:06

もう学校はお休みに入ったんですね
保育園に通う祐たんの休みは サラリーマン並なので お休みの事 飛んでいました

う~ぅ アカン 感動してしまいました
あまりの感動と 心にポンと入ってきたので
読み返すうちに もう思いがいっぱおいで
コメントでけへんように なってしまいました
祐たんあんまり 「何で食べられへんの?」
聞かないな~って思いながら
タケ様の前回の記事読んで 自分のコメントも読んで 。。。。っあ!!
そう去年の春 入園したんだよね
そのとき 紅白の祝い饅頭一人ひとり受け取って 皆で お家に帰って食べましょう!
あの時食べれなかった祐たんの 「なんで 食べたらアカンの?」
ごめん忘れてた(ひどいよね)
自分を弁護するなら それぐらい 前向いてないと 進めないし今は 何本か見える道を選んで歩いてるので たまにしか 来た道を振り返れないのです
「今は 牛乳と卵は まだ祐たんは 小さいから食べたらアカンネン
大きくなったら 食べられるかも知れへんねん」 最近そう話すようになった祐たん
私 ちゃんと祐たんの心の中 見ようとしてるかな?
ほんま アレっ子の思いって受け皿や自分力って大事ですよね
もうすぐ来る 小学校での生活は きっと
もっと自分のアレルギーへの理解が必要となるだろうし(調理実習 郊外学習)
そのときまでに 何とかなるって思うんじゃなくて やっぱり想定しておかないといけないですよね
そして いずれ来るであろう 僕は何で??
この答えを 私は持っておこうと思います
未来系人間いいですね
そして 皆何かしら 心に重いもの 弱い部分 強い部分を持ち 幸せになるために この世に立ってるんだ!
皆で 助け合いながら生きていけたらすばらしいんだと
規則やマニュアルが多い今の世の中で 型から でないようにしているような
何か大事な 心を忘れてきたんじゃないかと 最近思っています
なんだか 話がずれてきました
今日はこれまでで 失礼します

投稿: 祐たんママ | 2007-03-18 09:52

師匠、こんにちは!
うちの娘、どうやら少しずつ「違う」ことに気付き始めています。
まず、夫と娘が食べている「ご飯」を私が全く食べていないこと、夫だけ納豆やキムチやフライなどを食べていること、私がパンを食べていることなどから、彼女なりに色々考えている模様。
あの手この手で私に「ご飯」を食べさせようとするムスメ。こういう努力を違う方面(絵本を読むとか)でしてくれ~
家族一緒の除去食が、子どもの精神安定のためには良いのだろうけど、私の米アレ発症と娘の色々除去で、完全に同じ食事は無理っぽく、試行錯誤中。なかなか上手くいきませんね~(><。)
もう少し大きくなったら、言葉で言われるんだろうな~「未来型人間」とはいい言葉ですね!ぜひ使わせてもらいます。
自己肯定感を持たせる子育て、難しいです~
最近ムスメに対して否定的な言葉ばかり発してますから~反省!

↑で話題の「子育て○ッピー○○○○○」、私読んだらず~んと落ち込んで、しばらく鬱状態。
だって子どもの頃の実親の態度「ダメな例」の方ばかりでしたから~
ダメダメ育てられの私に、ちゃんと子育てできるわけがないと、読んだ当時授乳中、大量に米摂取で精神不安定な私は思ったわけです。。。

投稿: ゆうこりん | 2007-03-19 17:49

>たんぽぽさんこんにちは! レスが遅れてゴメンナサイ。

弁当、あと2回だね!
うちは、昨日終わった・・・
2種類弁当1年間作りきったよ。
たんぽぽさんも、1年作りきった暁には、祝杯といきたいもんだ。かんぱーい!!

ただただ地道に弁当を作り続けているだけの毎日のように思えるけど、あるとき、パッとその力が別の力へ転化する、って言うか、あ、また抽象的なこと書いちゃったな、でも、そういう時が来ると思う。
滝に打たれるだけの修行でも、あるとき悟りを開けるように!
修行にいそしむ母は「不甲斐なく」ないよ!

うちもピカリン、2ヶ月くらい園を休ませなきゃいけないとき、あったから、そういうときの家の中での様々な思いを思い出したり想像したりすると、ちょっと胸が張り裂けそうな気持ちになる。
でも、どれもこれもこやし!
ちゃっかり、自分を高める土台の中に組み込んじゃえば、結果オーライ、ってことで、だいじょうぶ!だと思っております。

男の子は、形、気にする傾向あるよね~。
プライドが、妙にあるんだよね。
ピカリンに慣れきった身には、「なんだよっ!」と思ってしまうこともあるが、彼の気持ちも尊重せねば、
ってことで、今はちょっと息を抜いて、来年度また、一緒にがんばろうぜい!

投稿: タケ | 2007-03-20 08:38

>こむちゃんこんにちは!


「ニュータイプ」・・・lightで、いいね!
どーもワタシは、ずしっと浪花節でいってしまうのが、いかんなあ、と思っているです。

自己肯定感かぁ・・・。私も無かったからこそ「鬱」になってしまったのかも。いろいろ苦労はあるけれど、「鬱」はやらなくて済むならやらない方が良い! なにしろ「でも、がんばろう」って思えないことほどつらいことはない。というところで、子どもにしつこく「そのまんまでいいんだよ~。いいところいっぱいあるから、それでいいんだよ~」と言い続けているのかもしれません。
おしゃれにゴーイングマイウェイっぽい感じが羨望のコム氏が、子どもが小さい頃いっぱい悩んでいたことをブログで知って、驚いたヨ・・・
やっぱりみんな通る道だよね。

でもさ、
なんか、子育てをがんばっている自分を自分が外から眺めて、自分を肯定して、そんで私の「自己肯定感」て育っていったような気がしてんだ。
みんなも、もっと自分を褒めて認めよう!
この私のようにネ・・・ふふふ・・・

投稿: タケ | 2007-03-20 11:23

久しぶりに覗いたら、またまたタイムリーな話題に、感動です><
うちは、まさにこれから入学に向けていろいろあるであろう・・と想定している物の、今日も、幼稚園の係りのママ&子でランチに行って、考えさせられることばかり。。(もちろん、食事のことです><)
今日ばかりではなく、ブログではまだ触れてないけど、このところ考えさせられた事が多々ありなのです><
なので、この先の給食に対して、ちょっと不安になってる私です。
息子も、年齢を重ねるごとに、アレルギーに対して、反応、考えが変わって来ていて、親の私がシドロモドロしてしまってます><
小さい時の方が聞き分けが良かったかなぁ。。なんて思ったりもしてます。

うちもポケモン好きだから、『進化論』で攻めてみようかな・・。

投稿: アン カフェ | 2007-03-21 02:29

>ぼにゃははさん、こんにちは!
返事が遅くなってしまい、ゴメンナサイ。


「また泣きそう」・・・?
を? と、ぼにゃははさんのブログへぴょん!
わわわわ・・・泣かせてゴメン!
たぶん、「悪い涙」ではないと思うんだけど、あんまりよく知らないで、いろいろ書いて、ゴメンよ~。
アレルギー歴5ヶ月かあ。かなりきつい時期だよね。(ここで、多くの人が頷く)
「アレルギー」ってことで緊張して、その始めの緊張が続かなくなったり、先が見えなくなったりしてくる頃かも。体力ももたなくなってくるし。

「むっちゃんのしょくどうしゃ」を持たせる、っていいアイデアですよね! 子ども、って受け入れるからねえ、本質的には。
ちゃんと伝える、ってすごく大事だと思う。自分の子のためにも、そして、その周りのお友達の将来のためにも。

ぼにゃははさんのブログは、画面にいろんな仕掛けがあって面白いなー!!
愉快なことが好きな人と見た!
このあいだ「がんばれない・・・」って書いていたけど、ときどき手抜き・息抜きしながら、きっと「ぼにゃはは流愉快アレンジアレルギーライフ」が作っていけると思ーよ。
いっぱいけつまづく石も転がっている道だけど、泣くときゃ泣いて、んで、また愉快ライフを作っていこうぜヨ。

投稿: タケ | 2007-03-22 06:40

>祐たんママさん、こんにちは! レス遅れまして、ゴメンナサイ。


Wow! まるっと(←古い)京都弁(?)のコメントじゃー。気持ちいー!(うっとり)
方言のほとんど無い地域(埼玉の東京近郊地)で育ちましたので、方言大好きなのです!

本当。1年前のこと、忘れる、忘れる。次から次にくるし。すごく大変だった気持ちも忘れがちになるけど、やっぱり昔持った気持ちも「大切に」したいものだと思う今日この頃。大体、このブログも、どんどん感覚麻痺していく自分に「今書きとめなければ、一生忘れたまんまだ!」と危機感(何に対して!)をもって始めたんだもんなあ。
1年前のブログ、懐かしいね。
祐たんママさんへのワタシの口調もどこかまだ遠慮がちっ! あはは。

祐たんママのコメント見て思ったんだけど、やっぱり、「違うから悲しい」んじゃなくて「違うものを排斥することが悲しい」んだよな、今の世の中。
型が決まっていることが多すぎるよなあ!と思う。
アレルギー体質の子どもを元気に育てていくための頭や体の苦労はあるけれど、やっぱり、「違う」に対して周りが「はじく」っていう、そういう心の苦労が一番つらいもんね。そんで、さらに「はじく」のが当たり前の世の中、って誰にとっても息苦しい。
そういうのを全くなくすのは不可能でも、もうちょっと薄まらんか、おい、日本!って、感じっす。

投稿: タケ | 2007-03-22 09:52

>ゆうこりん、こにゃちは!


家族の中でもすでに「別にしないとやっていけない」ゆうこりん家。
バイリンガル・トリリンガルの子が、国・民族の壁を一般人よりたやすく乗り越えるように、かれんちゃんは、いろんな人を受け入れる心の土壌のひろーいたくましい子になりそうだよね!

いきなりだけど、
私は結構「母」に叩かれることがあって、よく「暴力は連鎖する」っていうじゃん。あれ、子どもが小さい頃はわかった。ワタシと子どもの感情的なやりとりで、それが自分と母親のパターンと似くると、体で体罰のリズムを覚えていて、再現しそうになるんだよね。「ここで一拍おいて、ぱーん!と平手が飛ぶ」とか。それをぐっと我慢するのは、それなりの精神力が要った。
ただ、そういうことを乗り越え、乗り越え、「これが自分流子育てだ!」と思えるところまで来たことに、ある日気がついた時、自分に対する「自己肯定感」て強くなっていったような気がする。
いっぱいたいへんなことのあるゆうこりんだけど、「乗り越え作業」しんどいと思うけど、応援してるぜ!

投稿: タケ | 2007-03-22 10:06

>アンカフェ様、元気でしたか?


とにかく、卒園おめでとう!
アレルギーライフも、幼児期終わって、学童期に入るところで、新章開始、っていうのは、本当だと思うよ。先生も「親代わり」的な園の先生と違って、やっぱり「教師」っぽくなるわけだし、本分も「遊び」から「勉強」になるし、なにしろ生徒数の「母体」が大きくなるもんね。
でも、その一方、ビジネスライクにことが進んだり、子どもの体もやっぱり丈夫になってくるし、楽になることもある。
アレルギー症状が、一切なくなってしまえばもっとラクなんだろうけど、そうでない場合は、アレルギーがありつつの「世の中の渡り方」も、親の方も考え考え、話していかなきゃいけないところが、今後は難しいところだよなあ!(自分で遠くを見る)

まずは、「そろりそろり」だよね。
と思っても、いきなりいろいろあったりするんだけど!(笑うところ)
親自身、ものの考え方を鍛えていかないと、いけないのかもしれないね(またしても、自分が遠くを見る)

投稿: タケ | 2007-03-22 10:19

タケさん、子育て本書きませんか?
>「自分は幸せだ」という思いを、何度も繰り返し、表現して伝える
これって、アレルギー関係なく、子供を育てる上で大切なことだって感じました。
私自身、他人と比べて羨ましいって思ったり、自分には出来ないって自信なく、一歩踏み出す勇気がなく育った気がするけど、もう少し自信を持てたらいろんなことにチャレンジしていたんじゃないかなーって思いました。

>未来型人間
同じこと考えてました。
『アレルギーってなあに』って絵本で、からだぼうえいぐん(免疫)の中に、おっちょこちょいの暴れん坊がいて、敵と間違えて攻撃するからアレルギー反応が起こる。って説明されてるんですけど、おっちょこちょいって表現が引っかかってました。そうじゃなくて、優秀すぎて、これくらいいいんじゃない?ってことも許せないんだと思います。
農薬に化学飼料、卵や牛乳なんて名前で隠されているけど、敵は密かに潜んでいる。それも見抜く力を持ってるって気がします。
そう思っても、それを聞いて子供がプラスに取れるようにしてあげられるのか、自信ありません・・・。まず、親がプラス思考でいないとダメですよね!
「自己肯定感」、子供に持たせる前に私に必要みたいです。

>こんなのが毎日食べられて、お前たちは幸せだねえ
素敵な旦那さんですね。私にもこんなこと言ってよーってお願いしようと思いましたが、自然に言ってもらえるよう料理を頑張るのが先でした(^^;
タケさんだけじゃなく、旦那さんも重要な役割なんですね。理想の夫婦ナンバー1に輝きました!

投稿: sizuku | 2007-03-23 03:11

>sizuちゃん、ちわっす!

本・・・・!
この度の記事も、皆さんとてもステキに受け止めてくださって、実は、私はコメントを読むたびに、「私、何を書いたんだったか?!」と自分の記事を読み直す始末。
受け止める皆さんの心がきれいだから、何かを受け取ってもらえるのだと思います・・・。
なんだか恥ずかしくて、早く違う記事を立てよう!と思っている小さいタケ氏でございます。すいません。(なんか謝りたい)

>>アレルギーに関係なく
って、そう! そこなんだよね、うまく書けなかったんだけど。
アレルギー症状が消失したら幸せなことだけれど、でも、また再発したら、それは不幸なことなのか? アレルギーのみで幸せになったり不幸になったりと、そういう感じ方をする人生は、この子にとっていいものなのか?
というギモンがあって、「症状があろうとなかろうと、幸福感の変わらない子ども」になって欲しいな、っていうのはあったと思う。症状は不幸のネタ、ではなく、対処の対象でしかない、くらいにして欲しかったんだよね。うん。うん。


そーだよ、「おっちょこちょい」じゃなくて「ゆうしゅう」。私もこの本をどこかの病院の待合室で眺めて、子どもには読み聞かせなかったことを思い出しました。


ダンナはねー、お調子者です。・・・・。うーむ。(唸る)

投稿: タケ | 2007-03-23 07:13

う、すまん。
私はすっかりどんな風に伝えたか忘れた~
しかし、おやつに何をどのくらい食べるかとか、
なんだか毎日がアレルギー漬けだったから
自然と理解したのかな~

「自己肯定感」はまず、ママ達が持たないと
こどもにも感じさせることが出来ないと思う。
私もそうだったから。
皆もっと自信持って良いと思うよ。
こんなにこどものこと考えているってすごいことなんだから。

うちの息子も見た目にこだわるタイプだけど、
息子の友達は給食パンの日はおにぎり持って行っていたよ。
うちは私が焼いて持っていったけど。
こどもの数だけいろいろなやり方があって良いと思う。
感じ方、親の考え方いろいろなんだから。
いろいろだからおもしろい。
そんな風に皆感じられると良いよね。
わが子はそういう人になって欲しい。

投稿: どんぐり | 2007-03-23 08:37

でもさ~、「誰でも、なにかしら、ひとつは心の中に重いもの苦しいことを抱えて生きている」って言ってもさ~、子どもにとっては、今、自分自身がアレルギーだってことが世の中のすべてだし、おそらく生まれてはじめての大きなハードルだから、ほかの人だっていろいろ大変なことあるんだって言われても、あんまり慰めにならないかも~、と、あえて水をさしてみる!
自分自身のことを考えると、これまで生きてきたなかでは、アレルギーっ子を持つよりもえらいこっちゃなことが経験としてあるわけで、それを思うと、このぐらいはまあ、まだたいしたことないな~、あれを思えば越えていけるでしょう、自分。ていう部分が少なからずあるわけで・・・
やっぱ人間は転ばないと強くならないので、アレルギーがあることで、逆に、本当の意味で強い子に育ってくれたらいいよね~、などと思いつつ、転ぶのを見守っています・・・。
魚の骨を取ってあげちゃったり、目の前の石をとりのぞいてあげちゃうのが子育てではなく、転んだ時にも立ち上がれるよう導いてあげるのが子育てなんだよね~、ともっともらしく書いてみるものの、実行はなかなか難しいわ・・・と再び水をさして今夜は失礼いたします~~。

投稿: eri | 2007-03-24 02:29

>どんぐりさん、こんにちは。中・高への入学準備は進んでいますか?


話がどんどん広がって、だんだん何がなんだか・・・状態のタケでございます。

「自己肯定感」
の話は難しいよね。
下のチクリンが生まれた産科で、そういうことを書いた冊子を出産した人みんなに配っていて、そのときすごく内容に感動して、「これを基礎にやる!」と決意した私の書いたことだから、「誰にでもおすすめ!」という話でもないし、「みんなもやった方が」という話でもないし。
でも、書いてみて、多くの人がそこのところに感じる部分がある、っていうのは、やっぱり今の世の中を生きていくうえでのメルクマールなんだろうか。
自己肯定、って、人に認めてもらうのも大事だけど、「自分でやったことに自分で自信を持つ」が基本だと思う。それを親も認めてやる、っていうのが順番かなと。
その点、どんぐりさんが言っているように、ここに書き込んでくれている皆さんは、立ち向かい方の難しいアレっ子育てに、自分なりのいろんな工夫や努力で取り組んでいて、やっぱり、そこのところすごいと思うよね。
で、その工夫や努力方法は、それぞれで良いし、子どももそれぞれで良い、と、私も、思ー。

この歳まで来ると、思い出すのも本当に難しいね。
細かい心のひだの部分とか忘れてしまっていて・・・
それでも現在進行形の部分もいろいろあって、どんぐり君、共にがんばろう!(ふへ~)

投稿: タケ | 2007-03-24 06:34

>eriさま。コメントありがとうー!


そうそうそう。
「心の中に重いもの・・・」云々は、子どもが結構大きくなってきてからだったと思う。

回りにね、お母さんが愛人と逃げちゃった友達(ピカと同じ歳)、とか、アレルギー症状がひどくてプールに入れない友達とか(手当ての仕方は各家それぞれだから)、狭いアパートに10人くらいで暮らしている家とか、だんだんね、いろんな境遇の「友達」が見えてきた頃からの話し方だったと思う。

この答え方は、直接「アレルギー」に対する回答になっていないから、私も言いながらも、ひっかかってはいた。けど、私にはこういう答え方をするしかできなかったなあ・・・。自分を客観視すれば、自分なりの回答も出てくるかも、とか思ってたし。

この話は、一歩間違うと、「でもこの点ではあの子よりマシでしょ」みたいな話にもなるもので、実際、そうなりかけたこともあった。「アレルギーではワタシは大変だけど、あの子よりずっと偉くて、いい環境」みたいな言い方を子どもがすることもあった。
記事にも書いているけど、この点は、各家庭の方針の話だからね。難しいけど、「上」とか「下」とかじゃなくて、みんないろいろあることを認め合って、進もう、と考えられる人になって欲しい、というのは、我が家固有の考え方で、それをアレルギーに引っ掛けているんだよなあ。
「我が家の場合は」というと逃げになっちゃうけど、普段から、こういう話をする家だから、こういう言い方になったのだと思う。
いきなり言われれば、屁理屈だよね、子どもにとっては。

「つらくても我慢しろ」とは言わない。
石もなるべく拾う努力をこっちもするけど、それでも「違い」が目に付いて、「つらく感じる」アレルギー。
親としてやれることは全力でやるけど、そこから先は「ものの考え方」を鍛えるしかないもんなあ・・・。たぶん。

なんか、もう、完全に独り言になっていて、eri氏ごめん!

でもサ、あえて水を差して、砕いてくれて、ありがと。
もうガチガチになってたです、実は。
はあああ~。
難しいでしゅ。

投稿: タケ | 2007-03-24 07:03

水をさす、などとビミョ~な表現をしてすみません~~。
私もタケさんと気持ちはまったく一緒、と思います。
子どもにとってはきっと、これが最初のハードルなので、
これを越えていくことによって、自分以外の人が
がんばっていることにも理解力を発揮できる人に
なってくれたらいいなあ…と思います。
なんでしょう?
こんなことも乗り越えてこられた、というのは
人生において、なにものにもかえがたい宝ですよね。
アレルギーという障害物を、ものともせずに
乗り越えて、もっと高く、高く飛んでいけるように
育ってほしいものです。
いつもながら、素敵な記事をありがとうございました。

投稿: eri | 2007-03-24 09:52

コメント、コメレス読みながら、うんうん頷いて、うなってます。

実はわが家の現状、私が子どもの頃の家庭状況と激似です。大家族育ちは以前に書きましたが、さすが?私の親族だけあり今思い出せば食アレの人間が多く(○○食べられない、○○食べると調子悪いが普通の会話)、同じ食卓についていても同じものを食べない家族でした(食べられないものによっては別に作ったり)。そして、そのこと(別の食事)を批判するのは祖母によって禁止されていました。
なので、今、食べられるものを食べればいいじゃん!となってるのかなぁ。
これって、自己肯定の第一歩?

食べられない物が多い夫父親は、自分のことを棚にあげて「給食が食べられない人間は集団行動を乱すからダメだ」とムスメのことを言うけれど、それは彼が「食べられない物が多い」ことを散々けなされてきたからだと気付きました。(←現在も夫母親には日常的にけなされている)

私ももっと自分を褒めてみようとなんだか思いました。(←最後は小学生の作文の感想みたいですみません。語彙が足りなくて・・・)

投稿: ゆうこりん | 2007-03-24 14:33

「自己肯定感」についてですが。
産科でそんな冊子を配っているところがあるんですね。
本当にすばらしいです。

私は以前、塾講師をしていたことがあったのですが(←タケさんと一緒^^)、
成長期の子供を見ていて、いろいろ思うところがありました。
生徒の保護者は、学校の成績さえ上がればいいと思っていることが多かったです。
でも、子供本人は、成績以外にももっと悩んでいることがいっぱいあって、
でも、それに回答してくれるような大人はまわりにはいないようでした。
その時、成績を上げることより、「生きる力」みたいなものを鍛えていくことこそ、
人生を乗り切っていくために大切なことだと思ったのです。

自己肯定感。
すごく重要なことだけど、そういうのを教えるシステムみたいなものは、
今の社会にはあまりないですね。大人に対しても、子供に対しても…。

投稿: マルガリータ | 2007-03-24 16:47

↑の私のコメント言葉足らずですみません。

私、夫父親の気持ちは分かった気がしますが、この「はじかれたからはじく」考え方には全然共感していません。

このグローバル化の時代に、異質なものをはじく文化を継承していくのは、自分の首を絞めることになると思うので・・・
高齢者の考えを改めさせる活動は、もう無理なので、せめてわが家だけでも「はじかない文化」創造を試みたいです。。。

投稿: ゆうこりん | 2007-03-24 19:02

>なっ、なんか気にしているのか、eri嬢!

 え~、
私は、eriちょんが、話を「砕く」・・・あ、この表現がまずかったか。
なんか、硬くなったクッキー生地をもう一度砕いて油を入れてまとめやすくする、みたいな、そういう「助け舟」をくれたんだと思って、ありがたく思ってたんだyo。

と書きながら、パソコン昇天のeri氏が、この長いコメント欄を携帯で見るのだろうか?と思うと、申し訳ないっす・・・。

明日から月曜日、の1週間。
だんだん春だし、ゆるりと参ろうぞ。

投稿: タケ | 2007-03-25 06:25

>ゆうこりん、おはよう(自分がおはようなだけか)

高齢者は、考えが固まっているから、
「だからそうなのかあ」と理由を理解しても、そうかといって、全面的に肯定はできないもんね。
罪を憎んで人を憎まず、だけど、自分にとっての「毒」をはいちゃう人とは、その人を理解するしないは別問題として、離れているのが一番なんだけど・・・。身内となると、なかなか難しい!

ゆうこりんは、家族の「輪廻」の転換地点にいるのかもね、だから、負荷がかかるのかもしれないと思う・・・。
負荷のかかりすぎでつぶれないように、と、心配しつつも、ゆうこりんなら、大丈夫なんじゃないか!?と、ゆうこりんのブログを見ながら思います。レッツエンジョイ、ユアライフ!(意味不明か)

投稿: タケ | 2007-03-25 06:39

>マルガリータさん、こんにちは。

この本、なんて本だったのか、今調べていたんだけど、手元にない上に思い出せない・・・
石田一宏著「子どもの心の基礎づくり」(大月書店)だったかなあ・・・。全然違うかもしれません・・・。

私たちの世代、・・・を含めた人は、学童期に「だめだだめだ」と学校でも家でも言われ続けていた人が、すごく多いんじゃないかと思う。「悔しかったら、やってみろ!」という意図なんだろうけど、「だめだ」のメッセージが多すぎると、自己肯定感、て育たないよね・・・。
それを自分で獲得していかなきゃいけないというのも、なんとも試練だと思う。

話はさらにずれて、塾!
そうそう。
勉強も教えるけど、時たま、子供同士の「気持ち」を出せる場にもしていきたいと思うんだけど、親の「成績を上げることが第一!しかも安く!」というニーズとのずれが、生徒募集の時のネックで、きびちいです。
こっちも、ゆるゆるやります!

投稿: タケ | 2007-03-25 07:06

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