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「治療」と「生活改善」、と・・・

(コメントがつけられないようになっています。ごめんなさい。理由→http://taketaketake.tea-nifty.com/cooking/2007/04/post_e0dd.html

混沌としているところはどこか 整理されているところはどこか

 

などと、お題を設定しておきながら、
「一番混沌としているのは、おのれの頭じゃー!」と突っ込みたい気持ち満載のタケ氏です。
皆さん、ご迷惑おかけしてすみませんが、
引き続き、混乱記事をあげていきます。

  

 

今日は、ちょっと、有名な(いつも書く枕詞)K医師に、かかわり始めたころの自分の気持ちの「一部」を書いてみたいと思います。

K医師は、はじめに、患者がどんなアレルギー症状であろうと、一律に「一定の生活改善」を求めてきます。
それを言うときの態度は「これができなきゃ、話になんない。来なくてヨシ」みたいな態度ね。

 

で、

わたしには、これが、大不満。

 

「私は、この子の症状を治療したくて来ているのであって、その生活改善と、この子の症状の因果関係がはっきりしていないのに、そこまで求められるのはどうよ?」

「先生が、アレルギー改善の生活がこうあるべき、というのはわかります。でも、それは、先生の個人の『考え方』の問題であって、今私がここに来ている理由の『治療』と直接の関係はないでしょう。
『理想の生活の説明』と『治療』にかかわる話は、分けて話してくれないかなあ。
『治療』としての対策なら守るけど、先生のいう『理想の生活』については、こちらが取捨選択させていただきたい」

そして、K医師がそこまで「生活改善」にこだわる理由は
「アレルギー体質の子は、いつどのようにアナフィラキシーショックを出すかわからないから、それを避けるため」とわかれば、

「アナフィラキシーショックを恐れて、そこまで生活改善を求めるというのなら、
破傷風を恐れて、外遊びさせるな、というのと50歩100歩なのではないの?
最悪の事態を想定して、全てそれに照準を合わせて生活してたら、生活なんて成り立たないでしょう

 

と、思いつつ、
自分の子が、それでアレルギー症状が出ないのなら、ふんぞり返って、えらそうに言えるところが、さっぱり症状が落ち着かないので、
「私はどこか間違っているのか?」
と思って、上記のように思いながらも、自分の考えに向かってイライラして、精神衛生上、大変よくない状態でございました。

 

結局、自分の子の「治療」と「理想の生活像」が一致してしまう、という、幸福だか不幸だかわかんない事態と相成り、悩まなくても良くなったわけなんですが。

これは、今でも良くわかんないですね。

 

おそらく、
K医師が、ほかの医者にも嫌われる(かわかんないけど)理由は、このあたりにもあるんじゃないですかね。(ほかにもあると思うけど)

でもね、
うちのようにアレルギーが進むと、
生活の仕方、とか、
環境問題、とか、
そういういうこと、ってアレルギー改善にとって、とても重要なことだというのはわかる。

そして
「治療」
という場合、
それは、今ある現状の生活を送れるようになる、
ということであって、
「今ある現状の生活」
は、いいことなのか?
と言われれば、
そうではないと思う。
「添加物だらけの食べ物をいっぱい食べられて、農薬吸い込んでも何ともないの! 私って、幸せ!」っていうふうにはならないよなあ、いまさら。
でも「治療」と言って、「目指している生活」は、「添加物、化学物質だらけの世界」を標準・基準としてそれを「普通」と称する生活であったりするわけだ。

それって、
なんか変。

たしかに、何でも食べられたほうがいい。
どこにでも出かけられたほうがいい。
だから、「理想の生活」は自分で追求しつつも、
「理想でない環境」の中でも生きられればいいじゃん?
それを目指せばいいじゃん

というのが、結論なのかもしれない。

 

うーん。でもねえ・・・。
「治療」を言うとき
「普通になりたい」
というじゃない?
「普通」って何なの?
と思うと、
なんだか、混乱するんだよね。

ここの溝の中には、何が混沌としている?

 

それもよくわかんないのですが、
今一度、このあたりの整理は放棄して、
問題点洗い出しということで、次に、いってみます。

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