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2007年5月

フル回転しつつ気をつける(アレっ子一家の日常)

(新聞記事追加)

 

みなさま、

前々回の記事では、イモウトに、お祝いのコメントを寄せてくださって、

前回の記事では、ピカリンおよび私を励ましてくださって、ありがとうございます!!

 

おかげさまで、イモウトは着々と準備をすすめ、

そして、ピカリンも、ほぼ元の状態に戻りつつあります。
回復が結構早くてよかった!
とにかく、ピカリンの「家での気をつけ方」は、この先が安心になるようなきちんとした「気をつけ方でした。

ピカリンは、一人暮らしをするようになったら「暴飲暴食」をするに違いない!(食欲大魔人だから)と思っていたのですが、「こういう状態は、もうこりごりだよ!」と言いながら、かなり節制した生活を自ら行ってました。(でも学校ではそれができない。それだけ、学校って、いろんなプレッシャーのあるところなんだなぁ・・・)

 

昨日は、去年も書いたお祭り(天神祭り。別名ばけもの祭り)で
ピカリンも当初の予定通り、友達と化けもんになって、町をお酌して歩いていました。
(まつり詳細のHPhttp://www.tsuruokakanko.com/season/tenjin/index.html

元気なピカリンです↓。

 

 

 

正統派、ばけもん。P1010042

ばけもの(住民には「お化けさん」と言われる)の衣装は、市役所でただで貸してくれます。(自前を持っている人もいます)
貸してくれるのは、日本手ぬぐい2本と編み笠と、女物の襦袢と帯です(男でも)。さらに当日は、道行く人々に振舞えるよう、酒かジュースもくれます。
この衣装を借りに行った部屋で、衣装のダニか、もしくは防虫剤の暴露か、ちょっと(かなり?)症状が悪化したらしいんですよねー(ピカリン談)。「次に行くときは、マスクも持っていく」と、本人は言っていました。

衣装は、普段使わない部屋を風通しを良くしてぶら下げ、
化学物質っぽさを飛ばします。

さらに、日本手ぬぐいをそのまま顔につけるのは、不安なので、家で洗って、アイロンをかけました。

 

こういうことをさらっとやれるようになるには、年月が必要でしたが、
今では、あまり苦を感じず、歯磨きをするようにあたりまえにやれるようになりました。

 

このような、祭りを目指す(他に運動会や、クラス懇談会や、婦人部企画や、仕事や、その他もろもろも目指す)フル回転の毎日の中にも、さりげなく(?)アレルギー対策、化学物質対策を盛り込んで、サクサクやる、のが、日常の我が家です。
このあたりは、アレルギーでない人には、よくわからないことかもなあ、と思って、ちょっと書いてみています。

 

夫の場合(↓タケの夫です)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P1010039 人でなくてすいません。

バルタン星人の足、って、実は太い横ストライプ模様なんですよね。

「何でもいいから、安くそういうズボンを買ってきてくれ」

と、おまつり旦那に頼まれたのですが、

「でも、あるとしても、それはスパッツじゃないかなあ。それでもいいの?」

「それは、まずい」

ということで、ぼろいズボンにガムテープを巻いて、ストライプを作ってみたのですが、

「だめだこりゃ! においがきつすぎる!! 我が家では不可!!」

となり、却下。

結局妥協して、下にはいているのは、フツーのレインパンツです。

内股なのは、なぜかわかりません。いつもはガニマタです。

本番では、装飾した子ども用自転車に乗って、「飛んでいるように」登場。

(「本番」=祭りの仮装パレード)

前日、家の前の道路で、「飛び方」の練習を一人でしている夫はかなり「イタ」かった。

衣装も間に合わず、前の日の夜中、当日の早朝4時半に起きて作ってました。

ごくろうさん。

 

チクリンの場合(↓チクリンです)

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P1010038 塗料は、ポスターカラーです。

ダンボールなのですが、まずこれを貼り合わせるガムテープのにおい、それからポスターカラーもかなり危険なかほりがするので、
この「カネゴン」は、早めに仕上げ、
別の小屋に風通しよく放置して、かぶって歩いても大丈夫なように時間を置きました。

 

ズボンは、かなり探しました。黄色のズボン。

結局リサイクルショップにあった婦人用の七分丈パンツを500円で買いました。もちろん、すぐにははけず、ダニ等を落とすために、洗濯してからはきます。

タケは?P1010040_1
というと、今年も踊りまして、「変身」はしたのですが、どちらかと言うときれいな方に変身したので、恥ずかしいので載せませーん。

 

P1010041 チクリンは、参加した団体の仮装が3位だったので(3団体しか出なかった)、この格好のまま、表彰台に上がり、口の中にマイクを突っ込まれてインタビューを受けていました。

ごくろうさん。

 

 

ということで、このお祭りはおもしろそうだ、と思われた皆さん。

毎年、何曜日だろうが5月25日にやっています。

ただしがき↓

ここまで入れ込んでいる一家は、市内でもあまりいないと思います。

うちも、家族全員何かしらやって参加する、というのは今年だけじゃないかと思います。
だから、ものすごい期待すると、「違う」かもしれません。

 

 

ただでさえ、アレルギー対策を伴う特別な生活なのですが、
さらに、個性的な特別生活を付け加え、
何が特別だかなんだかわからなくなるので、かえって、アレルギー対策も自然に盛り込めるのかもしれませんね(←違うだろ)。

まわりのみなさんは、仮装を見て「すごいね、たいへんだったでしょう?」などと言うのですが、
たぶん、いろいろアレ対策CS対策をしていることは、知らないだろうなあ。

なーんてね、

 

アレ対策CS対策(ちょっとだけどね)もさりげなくある、タケ家の今年のお祭りでした。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2007_1 

山形新聞 5月29日(火)

隣にいるウルトラマンは、私ではありませーん。

上の緑のはっぴの子の踊りはこの私が指導(補助・・・・)したのだー!

 

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思春期のハードル

思春期、って、ホルモンバランスが崩れるから、
アレルギー症状が、小学生の頃より出やすくなる、という話は話で、あるのですが、

 

今日書きたい思春期のハードル、は、そちらではなく、「精神面」 のこと。

 

 

今、ぴかりん(中2)、顔がとんでもないことになっています。

ここ数年来、見たことが無いほどで、
たぶん、自分でも仰天してるんじゃないかな(小さい頃の記憶は薄いだろうから)。

 

直接的なきっかけは「日光」だと思う。

中2になり、クラス替えのあとの席は、窓際。

少し顔が腫れてきたときに、「先生に席を替えてもらうように言いなさい」

と言ったんだけど、

言わない、ピカリン。

 

クラスの雰囲気がつかめず、
もしくは、クラスの雰囲気があまり良くない(ピカリンにとって)ので、
そういう目立った行動が取りたくない様子。

 

小学生の頃は、ちゃんと帽子もかぶっていったのに、
今は拒絶

 

悪化の原因は、複合的なものだと思うけれど、
思春期ゆえに、親に隠れてやっていることも多そうで、
こちらは予測を立てるしかないし、
その対応や注意も遠慮がちになる。

 

 

ひとつは、
いつも書く「隠れ食い」。

大体ピカリンのアレルギー体質というのは、
「即時型」「とか「遅延型」という一般の括り以外に、
「症状は出ないが、数ヶ月にわたってたまりにたまったものが、ある日突然暴発」型、とでもいいましょうか。これで、私もだいぶ苦労したのですが、症状が出ないからとアレルゲンをギリギリに抑えたような生活をしていると、ある日、突然、ちょっとのアレルゲンで症状ドバー!のアレルギーレベル急上昇!一気に食えないものが増えるー!みたいな傾向があるみたいなんです。

たぶん、際立った症状が出ないからと、お菓子を隠れ食いしていた。
これが、今回の大悪化の基盤にあると思います。

 

あと、もういっこ疑っているのが、
「副腎皮質ホルモン」を使っていたリバウンド的反応。
たまーに、ピカリンのほっぺたの赤みが、指の形に「白抜け」していることがあって、
これ、って、副腎皮質ホルモンを使ったときの症状だよね。
「ちょっと、何塗ったの?」
と言っても、「あー、膝の裏に塗った指で、ほっぺたこすったかも」という返事であった。
しかし、
見てくれを気にするようになったピカリン。
隠れ食いにより出た症状を、勝手に、強い薬で抑えていたかもしれない・・・。

わかんないけどね!!

 

と、

疑いたくないが、疑ってみたり、
でも、
だからと言って、問い詰めても、意味なし思春期。

 

 

始めは、本人も「自業自得」と思っていたようで、
静かに、症状を抑えるための工夫をしていたし、
食べ物も私に「なるべく体のやさしいものにして!解除していたものも制限して!」
と言っていたのですが、
今朝あたりは、
かなーり、憂鬱になってきた様子。

 

見かねて、
「部活動今週は禁止令」
「絶対、先生に席を替えてもらいなさい令」(先週末に私からも先生に言ってあるが)
を出しました。
このまま紫外線を浴びると、
今の、真っ赤に盛り上がった顔の症状はさらに進み、
水ぶくれのようなものができて、
顔面がドロドロになること必至です、
と、ちょっとピカリンを脅かした。(本当のことだけれども)

 

本当はねえ。

ピカリンが、その顔をみんなの前に出すストレスも良くわかる。

ストレス回避のために、何で、人と違う行動をしなきゃなんないのか、
とか、

もう、何もかにもイヤ!
みたいな気持ちになるのも、わかる。

 

「日光を浴びないよう、帽子もかぶらなくていいように、お母さんが車で送り迎えしようか?」とか
職員室に電話かけて、もう一度席替えを頼むとか、
学校休ませて、宮城の医者まで行くか?
とか
親として取れる手段もいろいろあるんだけど、

 

帽子をかぶる
とか
休み時間に顔を洗う
とか
もちろん、先生に自分から席を替えてもらうように言う、
とか
いくつか、ピカリンの取れる手段もあるわけで、

「学校に行きたくない」
とは言わずに健気にテスト勉強も頑張っているピカリンに、
ここのハードルは乗り越えてもらうしかないかなあ、

と、
ウロウロ見守っています。
セーフティーネットだけは、手に持って。

 

なーんて、

もう、心配で、全然落ち着かないので、
その気持ちを落ち着かせるために、今日は書いたけど、

全然落ちつかねーや。

仕方ないっか。

 

どうフォローすればいいかなあ!!

 

取れる手立てを全力でとれる「幼年期」と違って、心配なのに手を出し切れないもどかしさ、を感じる「思春期アレっ子」の親でありんした。

あー。

 

(コメントへの返事遅れますと思います。ごめんなさい)

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力のある核となるもの(あると全体が引っ張られる)

さっぱり意味のわかんないタイトルだが・・・

 

みんな、

聞いてクレーーーっ!!    ・・・ください!!

 

ついに、私のポッポコピーの妹でも、我慢して一緒に暮らしても良い、
という奇特な人が現れ、

妹様、ご結婚!!

 

おめれとー!!
太鼓を鳴らせ! 花火を打ち上げろ!!
気が変わる前に、ドカン!ドカン!

と、スリムドカンのよーなことを言っている場合ではなく、

妹は、言った。

 

松本で暮らすことになると思う・・・

 

ま・つ・も・と・・・・?

 

長野の松本・・・れすか?

 

 

あいやでって、ちょっと待て!

松本といえば、アレルギー対応200種類の給食を作るとかいううわさのある給食センターのある、あの、松本でっか?

「うん。私の子も、間違いなくアレルギーだと思うから、良かった~」

こっ、これは、だいぶ先の話だが、松本給食センター報告ができるぞー!
と、へらっ、と微笑んだ姉タケ氏。

 

 

「そんで、結婚式なんだけどぉ・・・」

わかった!

待て!チミが頭を悩ます前に、アレっ子お泊りおよび食事交渉エキスパート(うそです)のこの姉が動いてみよう!!

東京で式を挙げるのか、
家婚か、
長野で式を挙げるのか、
まだ全然決まってないときに、ケース分けして、何とかうちの子も参加できるような方法を考えまくる(うそです。チラッと考えただけ)

 

「でもさー、もしかしたら、松本は、アレルギー対応の給食センターがあるくらいだから、宿泊などに関しても、アレルギー児を受け入れるキャパが大きいかもよ・・・?」

 

妹にそう言ったのだが、

果たして、

そのとおりであった!!

 

「おねえ!すごいよ!すごいよ!やっぱすごいよ、松本!!
何軒か、ホテルを回ってみたんだけど、
『食物アレルギーの子がいて・・・』と言ったって、
どのホテルもみんな 『何の問題もありません』『全て対応します』って態度だよ。
しかも、『担当の者を呼んできます』とか無いの!
話し掛けた人が、誰でもみんなニッコリ自信を持って、対応してんだよ!

お子様ランチみたいのは避けたいんですけど・・・と言ったら
『他の人と遜色の無いメニューですね。了解しました』だってよー!」

 

ちょっと、みんな、聞いたか!
これから式を挙げる人は、松本で!!

あ、もうみんな結婚しちゃってるか。

再婚の際にはご利用を!! あ、だめ?

こうなったら、金婚式も葬式も、全部松本!にするかなあ。

 

とか、訳のわかんないことは、横に置いておいて、

 

やっぱさー
「これって、こうだよね!」と力のある発言をする「核」があるところは
その「核」に引っ張られて、地域全体が「そういう雰囲気になる」こと、ってあると思う。

 

それを初めて感じたのは、
埼玉から宮城のDr.Kのお膝元に引っ越したときのこと。

当時、Kなんて、ぜーんぜん、知らなかったけど(まだ本も出していないしテレビにも出ていなかった)、地元では、すでにかなり有名。って状態だったようでした。

で、
「除去食」とか「回転食」とかに対する認識が、今まで暮らしていた埼玉県某市と全然違うんだよね、一般人レベルで!!

誰と話しても、ツーカー。
保育園レベルでも、そうした話もすっきり通じた上で
「うちができるのはここまでです」
「こういうレベルまででしたらできます」
ちゃんと、「対応のレベル」を認識している上で、話が進められる。
除去食についても、
一般ママが「なにそれ・・・?」などということはなく、
「うちは、こう考える」
と、考えをそれなりにみんな持っている。

賛成・反対、十分知っているかどうかは、全て別にして、
一定レベルの認識をみんなが持っていて、それを基盤にして話ができるんだよね。

 

埼玉にいる頃は
「除去? とんでもありません!」的な医者が多かったため、
この宮城県某地域の全体の反応には驚いた。
「とんでもない!」って反応は、ほぼゼロだったし。

 

やっぱり、好き嫌いはあれど(ごめんねK先生)、Dr.Kの与えている影響力は計り知れなく、強力なKのエネルギーが、薄められた形で、地域全体に浸透しているかのような印象をもちました。

 

仙台では、アレっ子育て+アレ大人グループのあっぶるんるんクラブが、行政に働きかけたりして頑張っているよね。
市が主体となって、宿泊産業の人を集めて、アレルギー講習会を開いたり。
だから、こっち方面に泊まるときは、それなりに話がしやすいんだよね。話がとおりやすい。

 

某医者が嫌いだとか、全国にあるアレルギーグループの中でそりの合わないグループがあったりとか、アレルギー対応給食センターってどうよ?とか、人によって、好みや相性はいろいろありましょう。
賛成・反対もあると思います。

エネルギーを発散している核の回りには、薄まりながらも、確実に、その「考え」が浸透して、全体を引っ張っていっているんだよなあ!!

むしろ「薄まって」ちょうど良くなっているかも知らん。

 

これは、真実だ!!
と、
今回の妹の結婚騒動(あ、別に「騒動」じゃなかった)を機に、確信を深めたのでした。

 

 

ほんで、続きね。

自分は、エネルギーある核となって地域を引っ張っているのでしょうか?

 

ノーーーーーーーーーオッ!オーマイガッ!

 

ま、
いっか。
とにかく、この地域の人がぜーんぜん知らない、食物除去をやっていかないとやってけない、殺虫剤散布時は逃げる、日光あたりすぎて顔が腫れるから席替えしてくれ! っていう「陽気な一家」がいる、ってことを認識しもらうだけでも、まずは第一歩だから!

と、

自己正当化して、
今日は終わりたい。

 

注;→妹は、本当は、ポッポコピーではなく、美人ないい子さんです。(本当です)

  あど、これを読んでいる方で、「タケの妹を知っている!」方がいましたら、仕事の関係上、今のところ内密に願います(って、じゃあ、書くなよ!・・・いないんじゃないかと思って・・・)。6月下旬になったら喋ってください。どうか、よろしくお願いします!!

 

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量→質転化(アレルギー生活体験が「自分を」ポジティブにしてくれた瞬間)

題名。アレルギーに対してポジティブになる、というのではなくて、自分の生き方に対してポジティブになれた、というお話です。

 

皆さん、ゴールデンウィークお疲れ様でしたー。

どの人もこの人も、奮闘されました! ほんっとお疲れ様でした!!

私も、無理がたたり、後半二日は、時々昼寝をしなければやっていけないほどでした。

 

さて、この「後半二日」に、夫方の親戚が来ておりました。
といっても、お向かいに住む爺ちゃん婆ちゃんちにいるので、嫁の私への負担は、限りなくゼロなんですが・・・。

 

連休に入る前に、ジジ(大正生まれ)より呼び出しがありました。
「親戚が集まるといつも『会食』をしていたものだが、今年はどうする?」

毎回されるこの会話。
「いいね。私が作るよ」
と、言うのですが、「それじゃ、タケさん、大変だろ」「子どもがたも、同じものが食べられないんじゃかわいそうだ」。うんぬんカンヌンと繰り返す。
で、最後は、やさしい嫁の私が久しぶりにキレて、爺ちゃんに向かって「かわいそうじゃないっ!」と声を荒げてしまった話は、横に置いておいて・・・

 

あれは2年程前の夏休み。・・・

 

私はかねてからの希望であった「夫の兄弟がみんな集まる」企画を決行しました。
このとき、ジジババのそばに引っ越してきて1年ちょっと。夫の兄弟が集まる企画というのは、私たちが結婚してすぐの13年前に一度行っただけで、それからは全くなかったのです。

せっかく私たちがこうして引っ越してきたのだから、
この企画は絶対執り行う!
という強い(私個人の)決意のもと
その前年の秋から義姉たちと連絡を取り合い、何度もぽしゃった挙句にようやく行われる企画でした。

 

その企画途上、

「会食すんのか?」

「だめさ。おめがたの子ども、食べられねもの」

カレーぐらいだろ。カレーでいいよ。」

と、ぼそぼそ喋るジジババの前で、

「いいえっ! 私が、用意しますっ!!」

 

「カレーぐらいでそろえるしかない」などと、あきらめたような姿勢で言われちゃ困る!!

アレルギー食だってねえっ、

立派にご馳走作れんだよっ!

チミたち、びっくりしちゃうよ、もう!

 

「カレーぐらい」と言われたことで、かえって闘争心に火のついた単細胞タケ氏。

サー、サー。腕まくりしてメニューを考えたよっ!

 

と、ここで紹介しようにも、メモったファイルが、ない。

今となっては

たった一人で、12人分、20種類の料理を作りました

と書いた当時のメールしか残っていないのであった。

 

内容は、子どもたちの好きな、サトイモを甘く煮て、揚げて砂糖をまぶしてレモンをかけた中国のお惣菜とか、から揚げとかの他に、たこのカルパッチョ風とか、子どもたちの食べられないものも、少し取り混ぜて、でも、一人で20種類も食べないから、ごまかせる!って感じで作ったと思う。

食器も足りないので、
メニューを考えてから、皿のイメージを考え、100円ショップで、だーっとそろえてやりました。

 

親戚からも大好評!(たぶん・・・)

量もちょうど良く、ほとんど残さずに食べてもらえました・・・。

 

このときね、

やったー!

と思った。

そんなわけはないのに、

今まで、朝、短い時間に多種類の弁当を作りつづけたのは、この日のための修行だったのだ!」

とまで思った。

やりきった充実感でいっぱいだった。

そして、

今まで「人並みに」「人並みに」と思って続けてきたアレルギー食が、

一般レベルを超えた!」(んなわけないが)

とまで、勘違いした。

 

子どもの食生活を、一般人並みにするために、精一杯の努力を人知れず続けていたつもりだったが、
いつのまにか、自分は、一般のレベルをも超える料理を作れるようになっていたんだよ!!
たくさんの量のアレルギー料理を、短時間に何度も作りつづける奮闘が、
ついに、質的レベルを押し上げる結果になっていたのよっ!!

と、「んなわけない」勘違い思考を、勘違いとわかっていながらも、頭の中で積み上げまくり、

私はやったのよー!!

と、夏の青空に向かって絶叫する心象風景。

 

 

・・・・・この日から、

私の中では、何かが変わったんだよね。

 

どこか人に遠慮するような、頭を下げ、耐え忍ぶような

どこかそんな生活態度だったのが、

一気前進の態度に転じたというか。

 

自分の人生、誇らしいです!

みたいな。

 

大いなる勘違いだと、思ってはいるけど、
でも、
この日から、どこか、自分の人生にポジティブになれるようになってきた

 

だから、その秋から、このブログも始めたし、

海外旅行まで思いつくようになった。

アレルギーに対してだけじゃない。

自分の生き方そのものについても、以前よりずっと積極的になれた。

ポジティブになれた。

いろんなことに挑戦したくなってきた。

 

今年も
「会食どうする?」
というジジのセリフを聞きながら、
私が、「変わった」あの日のことを思い出していました。

今年の会食は、取りやめて、
「柏餅」おやつ会食として、料理は作らず行ったのですが、

 

ジーちゃん、私は、あの日から変わったんだよ。
会食を作るのは、屁でもないんだよ!

はっきりと覚えている、私の転化の時。

アレルギー対策を行っていれば訪れるものだとか、そういう無責任なことを書くつもりはないけれど、
続けていれば、何かを自分にもたらしてくれる。
それは、言える、
と思っています。

 

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部活、スポ少。アレ的に大変なところ

明日とあさっては、下のチクリン(小4)のスポーツ少年団サッカーの結構大きな試合が、地元である。

お昼時間には、お母さん方が、みそ汁とか豚汁とかを出す、らしく、
昨日の夕方、練習の終わったチクリンを迎えに行ったら、役員のお母さんたちがそのうちあわせをしていた。

「あ、チクリン君のお母さん!(=タケ) チクリン、豚汁大丈夫だったよね。」
「えーと、油揚げ入ってる?」と私。
以下、役員の母たちの会話。タケは入っていない。
「みそ汁には入ってない。」「あっ! 庄内麩が入るんだった?!」「いや入れない入れない。ワカメがたくさんあるから、ってワカメにした」「豚汁にもないよね」「ある!ある!いれるよ」「油揚げを入れても、チクリン君の分だけ、油揚げを後からすくいとる、っていうのじゃダメなの?」「だめだよ、油がダメなのに、油は入るじゃん」「でも、油揚げ、最後に入れるよ。その前にチクリン君に取り分ければいいじゃん!」「そうする?そうする?」

ここで初めてタケ氏、「ええっと、たとえば、その取り分ける時間に、たまたま私が席をはずしたりすると、どうする?どうする?って面倒なことになったりするから、いいよ! 私、持参する」
「いいの?」
「いいの、いいの。なーんでもね(←庄内弁「大したことはない」)」

 

嬉しい!
ここ、嬉しがるところです。
みんな、わかってくれてるよぉ・・・。

除去食などというものに、ほとんどなじみのない土地柄、
そんな中、1年で、ここまで、わかってくれて、
もう、衝撃に近い喜び!!
みんなの会話の流れを、くすぐられるような、ふわっふわっと盛り上がっていくような心持で聞いていました。

私は、こんな風に返事したけど、
このお母さんたちなら、私がいなくても、別鍋にチクリンの分を取り分けてチクリンにさっと渡すなんて、お茶の子さいさいだと思う(似たようなことが前回の集まりでもあった)。

 

スポ少・部活の保護者会。
ほんっとに何もわからず、そういう世界に入っちゃった1年前。
わからない!わからない!で、とにかくすごして、
何がわからないかもわからなくて、
つぶれそうだと思ったこともあったけど、
「とにかく1年! 文句を言わずにやってみる!」と決め、
(参考記事2006年6月17日http://taketaketake.tea-nifty.com/cooking/2006/06/post_8436.html
今日までやってきました!

 

「わからない」事が整理されてきて、
このスポ少部活とのかかわりの中で、一番大変なのは、
保護者会とのかかわり。とくに、先輩層の保護者とのかかわり
である、
と悟った次第です。

同じ学年の子との親は、すでに、クラスが同じとか、
何かしら、うちの子のことを知る機会があるから、
なんとかなる。
しかし、上の学年の子達には、ほとんど知られていない。
かつ、
上の学年の子の親が、保護者会の役員になるのが、ほぼ常例で、
役員になるとき
「いやだなあ。面倒で」
と思いながら、引き受けているケースが多。
そのうえ、この仕事は、完全な無償奉仕。

そこに!

わけわからん後輩連中の中に、アレルギーの子がいて、
「食べられないんです!」を連呼しまくり。
「宿泊大変なんです!」と、引きつった顔。
「え~~~。うそ~~~。めんどうくさい~~~~。
大変なのはわかるし、何とかしてあげたいけど、
何で、私がこんな苦労を?!」

って、思っちゃうの、とーぜんです!!
今から思えば。

はじめの頃は、そんな役員さんの気持ちを思いやることもできなかったけど。

 

学校や幼稚園の先生なら、それが「仕事」です。
でも、
こういう集団の保護者会の人は、
家庭も切り盛りして、場合によっては仕事もしていて、
その上に、多人数の子ども+親集団をまとめ、
さらに!監督・コーチに気を使いまくる。
勝手な家庭も多いし、役員として失敗すれば文句をつける人もいる。
それでも、がんばってやっているんですよね、役員を。

面倒くさいことと思います!
アレルギーっ子がいると!

が!

しかし・・・

だからといって、うちの子をハブにされても困るし、
私も努力をしますが、
やっぱり、これからの社会のため、そしてほかの部員・団員の子どもたちのためにも、
アレルギーのことをよく理解してほしい

 

そうして、
地道に、
相手に「ため息をつかれる」ことがあっても
じっと我慢し、
今ごろ言われても・・・
と言われても、平謝りし、御礼をし、
親として、責任もってもらえるんですね?!」
と言われても、ぐっと耐え、
チャンスがあれば、少しずつ、ほかの親にも説明をする。

・・・・くー!
書いていたら、泣けてきた。
(この頃泣いてばかりやな)
けっこー!つらかった、この1年!!

がんばれたのは、
自分の子のスポーツに対する健気な頑張りのおかげでしょう。
 

 

そうして、
1年経って、
ようやく、このごろ、

スポ少や部活の親の中で、自分の息がしやすくなってきた・・・
と感じられるようになってきました。

 

まだまだ、すれ違いや、不理解はあるけれど、
1年前に比べれば、段違いです!!

 

よく「種まき」
と書くけど、
「種まき」さえすれば、その後手入れをサボることがあっても、
いくつかの芽は伸び、育つ。
手入れをするチャンスがあれば、手入れをすればするほど、
芽は多く出て、育つものも多い。

でも、
「種まき」をサボると
絶対、どんなことをしても、芽は出てこない。

 

「冬」
と思われる時(時代)にも
地道に「種まき」をしつづけることが、
大事なことなんだ、

と、

この頃、保護者会・役員グループと話すたびに思う、
タケ氏でありました。

はー(なぜかため息)。

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