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2008年4月

負荷検査・減感作に入らない(入れない)理由 1

 

 

あくまでわたしの経験のお話です。
こういう話を読むと動揺して落ち込みそうだ!と思われる方、大した話じゃないんで、読まないように!!・・・と思います。

 

 

 

 

負荷検査とか、減感作とか、医学的プログラムの上でアレルゲンを投入していく方法を知ったのは、今14歳のピカリンが小学校入学前でしたか。

当時はピカリンのあまりにも多いアレルゲンに、身も心も開き直っていた時期でした。

花粉の時期、梅雨の時期台風の時期、秋の雑草の時期、冬に向かうダニ浮遊の時期をさけ、
風邪気味のときや体調不良のときも避け、
化学物質も避け、
そのうえで、卵・小麦・乳・大豆。山のような魚介類。もちろんそばナッツ。の前に牛肉・鶏肉。
それら一つ一つを、様子を見ながら、負荷していくなどというのは、うちの場合は、あまりにも「場合の数」が多すぎ・宇宙的数字という気がして、

死ぬ

と思っていたので、まあ、うちにはありえないな、と。

 

ありえないと思いながら、一応、くだんのK医師に聞いてみた。

K医師は、当時、前記事にある総合病院に勤めておりました。

 

「この病院では負荷試験とか、入院してやったりとか、しないんですか?」
質問したのは、今から8年くらい前だと思います。

K医師 
「10年位前まではね、やっていたんですよ。でもね、負荷することでアナフィラキシーを起こす子もいてね。アナフィラキシーを一度起こすと、起こす前の状態に戻っていくまでに数ヶ月かかる。入院するということで、親にも負担がかかる。あまりにもあちらこちらに負担がかかる。一番、いろんなことを感じたり経験したりして、一日一日伸びていく幼年期に、負荷のための入院は、どうなんだろう。アレルゲンを除去することで、生き生きした生活を送れるのなら、実はその方が、その子の成長のためにはいいんじゃないか、そういう結論に、小児科医師団の中でなったんですよ。で、負荷入院などは10年前に止めました。

10年前はね、除去なんてとんでもない、ましてや負荷入院なんてありえない、と学会では言われていた時期です。今、学会は、除去もするし負荷入院もしている。

学会は、私の10年後を歩いているんです。」

 

ほえーーーー!!

 

最後の一言も十分「ネタ」なのですが、
その前の「説明」も、「そーかー・・・・うーん・・・」みたいな。
なんといっても、それがK先生だけでなく、「小児科医師団」で話し合われたということが、私の中ではズシリときました。(T先生も入ってる)

また、ピカリン・チクリンは当時、アレルギー対応の個性尊重自然児保育園に通っており、家でも毎日いろーんな事をして情操をはぐくんでいたので(?!)、「1日1日成長」というのは、本当に感じていたので、

「そだな。うちに、負荷入院とかは、ありえねーな。なおさら」

と思って、ふんふん頷いて終わったのでした。

 

今思えば、「除去」自体異端という雰囲気の中で「負荷入院」なるものは異端中の異端。キチ○イ沙汰だ、という雰囲気もあっただろう中で、「そんなことしなくても、1日1日を大切に」という話が支持される基盤があったんではないか、という感じもしますが。

 

 

個人的にアレルゲンが多すぎて、医学的「負荷」を考えにくい、という
「逃げ」の状況がたっぷりとあった中で、タケがこれらのことについて感じること・疑問なことも書けたらなと思っています。

 

 

お返事する時間が少ないので、でも、コメントがあるとうれしくて書きたくなっちゃうので、
自制して、「コメント欄なし」にしています。失礼してごめんなさい!!

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たけ夫製作の昼ご飯。
思いっきり細いビーフンのたんたん麺。

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アレルギーを治療してくれたお医者さん

「休むんじゃなかったのかよー」という話は、置いておいて・・・(ずびばぜん)

 

 

 

我が家のアレルギー対策は、ほぼ、角田和彦(K医師)流です。

しかし、最も感謝しているお医者さんは、

知っている人は知っている、名前書いちゃうけど、玉橋征子先生(女医さん)です。

 

K医師が、まだ総合病院に勤めていたころ、初めて彼の診察を受けて、バトル寸前で看護師さんに止められて以来、ずーっと角田医師は避けていました。
そこの病院は、小児科医がK医師を含め3~4人いたのですが、そのうちの一人が玉橋先生です。

問診時、看護師さんから「希望するお医者さんはいますか?」と聞かれて
堂々と「Kせんせい、以外」
と答えていたたけ夫。
私は控えめに「T先生か、T2先生」と答えていましたが。

で、わが夫婦は玉橋先生の大大大ファン。
(以下、タマちゃんと呼ぶ)

タマちゃんの講演会があると聞けば、とるものもとりあえず、ニコニコして二人で出かける。
タマちゃんにも「もうあなた方夫婦は、大丈夫だから、いまさら何か聞くこともないわよ」
と言われながらも、いつもタマちゃんの言うことには、納得至極!溜飲が下がり!さらに勉強にもなる!と、恍惚としていました。

タマちゃんは、私たちより一回り上の「先輩お母さん」

タマちゃんの名言のひとつ。
「今の男の人は、大人になる前に結婚してしまっている。だから、今の若いお母さんは、自分の子育てと、夫の育てと両方あって大変。さらに、おばあちゃんにまだ体力も気力もあって、できるならもう一度子育てしたい、と思っていて、それを孫でやろうとするから、さらに大変。今のお母さんは、本当に大変だ」

どーですか!
こんなふうに、講演会で、お話されてみてください!涙ものでしょう・・・!

タマちゃんに、いつも(?)ほめられて、有頂天の若い母タケ氏。
「お宅の子は、本当に丈夫ね! お母さんががんばって、体にいい食事をさせているからだね!」
「わー!こりゃかわいい! たまんないねー!(チクリンが赤ちゃんのとき)」
「よくがんばっているね!」
「あなたの書いてくれたこの表は、本当にわかりやすい。すばらしいね! この力がいつか何かに生かせるといいね!」

 

K医師の分厚いマニュアル本を一生懸命実践しながら、それについての報告や相談はタマちゃんにしていました。
タマちゃんがいたから、私はこれらのアレルギー対策をやれた、と言えます!

K先生と直接やりあっていたら、その心の葛藤だけで、疲れ果てていたかもしれません。

それでも、事情があり、K医師担当へと(泣く泣く?)シフトしたのですが、
我が家のアレルギーを改善してくれたのは、
タマちゃんだ!
と、私は絶対にそう思っています。

 

治療法が正しいとか、
見立てがうまい、腕がいい、
医者の評価はいろいろあります。

でも、家庭での「治療」が重要な疾患においては、
どれだけ、家庭の人間の気持ちの面をフォローできるか、
そういう「医学」以外の部分が
ものすごーく大事なんではないか!
それが、実は「治療」であるのではないか。
と、
タマちゃんに感謝すると同時に、思うのであります。

 

 

 (コメントつけられなくてごめんなさい)

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アレルギーのお仲間登場

trrrrrr・・・・・・

 

「はい、タケです。」

「あ。タケさん。ピカリンの担任をしていたTです~。お久しぶりです~。
実はですね、今度私のクラスに転校生が来まして、その子がアレルギーがあって、なんか化学物質過敏もあって、お母さんもいろいろ不安そうなので、タケさんのこと、紹介してもいいかな、と思って・・・。
具体的には、小麦と乳と、それからこの頃米・・・? 給食は、食べられないものを省いて食べる、って感じなんですけど・・・。
なんか、K医師の話を出したら、すごく懐かしいとかおっしゃって、タケさんと話すといいかなー、って」

「ほー! 電話番号でもメルアドでもなんでも教えてくださいっ!!」

 

 

という話を、家族にすると、

チクリン(5年生になったです!)
 「ふーむ・・・。  ま、献立表は給食センターからもらった方がいいんじゃない? で、食べられなさそうなものをチェックして、それは弁当として、持参すると・・・」

 

何者や!おめ。

 

ということで、その方に会って話をしてきましたー!

二人とも話しが噴出する噴出する。

話す事はいいいいいいーーーーーっぱいあるのに、なぜ出口がひとつしかないのか!
口が5個ぐらいあって、同時に喋れればいいのに!
と、彼女も思っていたに違いない。
ふと気がつくと、目の前が一瞬暗くなる。

あ、息を吸うのを忘れてた。
喋りっぱなしでいると、息を吸うのを忘れるものなのか。

 

 

「中学(お兄ちゃんもアレルギー)に行っても、小学校に行っても、アレルギーもCSも話が通じるのでビックリしたんですけど、タケさんがいたからなんですねー! すごく嬉しかったです!!」

わたしも、細々つけてきた道をまた踏み固めながら歩いてくれる人がいて、すごく嬉しい!!

 

この方は、彼女自身が、新築の団地でCSを発症し、その後子どもが産まれ・・・という順で、この世界(どんな世界だ!)に入ってきたそうです。

 

アレルギー的日常生活の展開は、引き続き続いているのでした。

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