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2008年9月

やっぱし、まだダメだ・・・

この春の、ピカリンのアレルギー症状悪化をめぐるさまざまなことを書こうと思ったんだけど、一つ一つの出来事を掘り下げて考えていたら、

まだ、とっても、書けない!

と、

分かりました。

怒りとか、不満とか、そういうエネルギーのあるものならいいんですが、
一番大きいのは「悲しみ」なんですよ・・・
それも、私だけでなくて、ピカリンもたけ夫も感じたことなので、なんだか、胸が痛くなってしまって・・・。

大したことではないと思うんですが、

まだ、なんか、うまく書けない・・・・   ・・・・ので、やっぱし、保留~。

 

医療の地域間格差とか、
アレルギー治療の体系の無確立とか、
そういう話だと思うんですが、

それからもういっこ、
自分は、どんな医者ならいっしょにやっていけると思うのか?とか

あー、むずかし。

日々の忙しさの中に逃げています・・・。

 

 

治療がうまくいっていない人、

医者が選びきれていない人、

治療方法にいまいち納得しているわけじゃないけど、なすすべもなく、日々、一生懸命頑張っている人。

 

がんばりましょう。

 

 

 Img_0154

←いい加減cookingの極み。

たけ夫餃子を作るのも面倒くさくて、
マッシュポテトと餃子の具を、ライスペーパーの上に散らして、もう一枚のライスペーパーでぎゅうっと押してのばし(右のもの)、焼いた(左のもの)
もちろん、ライスペーパーは水で戻さない。

切りにくいので、かぶりついてください(合掌)
上から酢としょうゆをかけると、へにゃへにゃになってしまって、いまいちです。はい。

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閑話休題 チクリン大会。それでもまあ、大丈夫。

チクリン君はサッカーをやっています。

クラブチーム(月謝を払ってやっているお稽古事のような形のチーム)が、ほとんど優勢の少年サッカー界の中で、「スポーツ少年団」(コーチは無料ボランティア。父母の運営)としては、頑張っているほうの我がチーム。

 

きのうも、山形のJ2チーム:モンテディオカップわんぱくサッカー大会決勝戦で、勝って優勝しました。(チクリンは、ユニホームはもらえたが、ベンチ組)

2008_04  

勝つと、この日の試合のモンテのエスコートボーイをやれる!ということで、仕事も忙しかったんですが、こんくらいは、親として見に行かねばなんめ。と、でかけました。

優勝し、エスコートボーイをやったあと、整列して記念写真。(モンテのHPより拝借

山形のホームスタジアムは、山に囲まれているのよ~。
チクリンもどこかに映っております。
ちなみに、モンテのユニフォームは「はえぬき」「平田牧場」「でん六豆」のどれかが書いてあります。ワタクシとしては、いつも豚肉でお世話になっている平田牧場かしら。

 

1日仕事なので、昼ご飯。夕ご飯持参。みなさん、コンビニで買ったり、現地調達なのですが、当然うちはそうはいかない。2食分の弁当を作りました。

会場で出ている店を、あらかじめチェックし、
チクリンが食べられるものは玉コンと、危険度数%のモツ煮込みと判断。
危険を顧みず、売り切れそうなモツ煮込みを購入しておき、あとで、スタンドに戻ってくる(そうしてみんなは買い食いをする)チクリンの悩みを軽減!
と思ったけど、そんなに手を回していて、良かったのか?!

・・・・とか、思いながら、
まあ、こんなことも、気張らず、サラサラできるようになったな、自分。

チクリン君も、だんだんに頑張れよ~、

とも思い。

個人的にはJリーグにあんまり興味は無いのですが、
おかげで楽しい思いをさせてもらいました。

地方は、地方局があるので、
チクリンも夕方のニュースにちらりと映り、応援席の私も、ちらりと映ったそうです(ピカリン談)

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言いまつがい?(ピカリンアレルギー悪化で我が家が受けたダメージの話)

ピカリンさん。

まだ、宮城県通いは続いています。

つか

もう、ずっと宮城県通いかも知れず。

ま、

その話は、次回以降ということで。

Img_0058 ←体育祭で、ピカリンたち「看板係」が描いた、白軍の看板。夏休み毎日出かけて描いていました。有機溶剤があるので、ガスマスクみたいなのを着用して・・・。男子には「(マスクが)かっこいー!」と言われたそうです。(記事とは関係ありません)

 

 

 

 

 

 

いつも、「前向き」話の多いこのブログですが、たまに、「いやだったこと」もつづってみようか、って記事です。今日は、軽くジャブ。

 

 

春の、ものすごいひどかった湿疹(というより、腫れ、むくみ、丘疹、その他もろもろがごちゃ混ぜ状態)は、現在はかなり抜け、顔は完璧にきれい。足のあたりに、「あー。この人、湿疹がひどかったんだね」という黒い跡が残る、という程度になっています。

 

最悪だったのは、5月のゴールデンウィーク後。

そのとき、ようやく、宮城のK先生にかかることにしたのですが、
「生徒総会」があるとかで
図書委員長である、ピカリンは、総会に出席して、今期の方針を喋ったり、質問に答えたりしなくてはならないらしい。

「だから、医者に行くのは総会の後にして」

と言うピカリン。

当時、ピカリンは、肌の症状のみならず、体の異常なだるさで、
学校へ行っているとき以外は、喋ることもできず、ご飯もろくに食べられず、横になっているばかりでした。

「総会は休んで、代理は立てられないの?」

と、私は聞きました。

「無理。質問出たら、ちゃんと答えられないもん」

と、ピカリン。

さらに、ピカリンの親友・図書委員会副委員長によると
「ピカリンさん、休み時間のたびに図書の先生のところに出かけて掛け合って、衝突したりしながら頑張って作り上げた方針なので、喋らせてあげたいです」

 

そ・そうだったのか・・・・。ぜんぜん知らなかったけど、
それじゃあ、ピカリン頑張っておいで・・・。

顔の腫れあがりはひどいし、もちろん、湿疹びっしり。髪もバラバラ抜けている。
なにより、だるくてだるくて、頭だってちゃんと動いているのかな?
学校まで歩いていくのも無理な状態なので、学校まで車で送っていきました。

 

翌日、

医者に行くので、学校にお休みの電話をしました。

私   「本人は、湿疹だけでなく、もうフラフラで、昨日も、かなり無理な状態だったんですが、どうしても、生徒総会があるということで、無理を押して出かけたもので・・・」

と、私。

すると担任

担任 「本当ですよね! わたしも、あの顔で、良く、人の前に出るなーっ!と思ったんですよ。体育館の後ろの方から見ても、そう思ったくらいです」

 

 

ha?

 

 

あのや。

体がしんどいのを無理して、総会に出て、責任を果たした、ってところが、評価点だと私は思うわけ!!
あんたは、そこんところどう思ってるわけっ?!
だいたい、「あの顔で」って、どーいうことっ?!

 

と思いつつ、
あまりのことに
「そーですねー」
なんつて、適当に答えた。

だって、
先生、
もしかして、心の中は「頑張っていてえらいね」と言いたいのに、うっかり言葉遣いを間違えただけかもしれないし・・・。
「顔」って言ったけど、症状全体をさして、大変なのに、って言いたかったのかもしれないし・・・。

と思いつつ、
電話を切ってから

 
「でも、あいつ、って、国語の教師じゃん!!!! 言い方、考えろよ!!!」

 

この先生、プッツンで、有名な先生。
何を話しても通じないと思っていた方が良い、と言われている先生。
重々承知していたつもりでした。
が、
おい
ごら
ふざけんなよ、てめぇ。
状態のワタクシ。

うちのピカちゃんが、今、どんな思いで毎日をすごしていると思ってんだっ!!
どんな思いで、学校に出かけたと思ってんだっ!!

 

 

ということで、
1学期末の「三者面談」。
大丈夫なのか?(なにが?)という話になりました。
担任との会話は、全て流してその場を取り繕う!(話しても無駄だから)と、思ってはいたものの、
思わぬところから、思わぬ発言をされると、
反射的に大逆襲してしまいそうな自分が怖く、
完璧に流せるかどうかの自信ナシ・・・。
私は、面談に出るのをやめて、
夫のたけ夫に出てもらうことにしました。
たけ夫 「いいんじゃね? あの先生。男親と女親で、態度違うしね。俺には、あんまり変なコト言わないと思うし」

よろしくおねがいいたします。

 

面談では
ピカリンを称して
「本当にいい子ですっ!!」
と、担任は言っていたそうだが、
そう評価してもらっても、
やはり私は、件の言葉は忘れられないであろう。

 

担任が
悪い人じゃないのは、分かってる。
とても熱心なところも、ありがたく思ってる。
アレルギーのことも、いろいろ心を砕いてもらってる。
それも本当にありがたい。

だから、恨みみたいなのはありません。

 

 

学校で、ピカリン、苦労してんだろーなー!!

 

 

とは、思う。

 

 

とるに足らない話でしたねー。
でも、なんか、心に残っちゃってるんで・・・。
さぁて、次は、病院の話だ・・・。(いつか、つづく)

 

 

体育祭「タイヤバーゲン」という棒取りみたいな競技でやる気マンマンで構えているピカリン↓
(背を低く構えている人。記事とは関係ありません)Img_0072

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「弁当いいなーっ!」と言われたら・・・(アドバイスfromぴかりん)

昨日、チクリンの担任にクラスPTAのことで会った折に

「チクリン君のお弁当に、非常に関心を持つ子がいて・・・」

ああー。時々チクリンが言ってるナァ。

「いいなあ!」「うまそう!」「食わせて!」

と、毎日のように覗き込んではしつこく言う子がいる、って。

「このごろ、チクリン君の表情が冴えない感じがするので、そのことも関係あるのかしらと・・・」

 

 

「って、先生が心配してたよ!」

と家に帰ってから、チクリン君に言いました。

チク  「あー! RとHのことね! あいつら、いつもだから。ハハハ!別になんていうこともないよ。4年の時はSだったんだけどね。」

そこに、先輩ピカリン登場

ピカ  「うわ~。そいつら、ウゼっ!
     でもな~。チク、そういうのの流し方を知らないからな~~」

チク  「えー? 俺、流してるよ。 しらんぷりしてるもん」

ピカ  「流す、っていうのは、そういうんじゃないんだよ~。もう一歩、あるんだよ。

 

へっへっへっ。

いいだろーーー。

でも

おまえには

一生食わせてヤンねーよ!

 

と、こう言う。」

うーん。

含蓄のあるお言葉、ありがとうございます。

 

 

先日から、ピカリンの事を書いていますが、
春頃のピカリンアレルギー症状激悪化についての傷が(私の心の傷)がようやく癒えてきたので、そのことを書こうかな、って思っている、その前ぶりなんですが、
なかなか、書くのが大変そうなので、
うろうろと、こんなことを書き散らかしています。

すんません。

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ピカリン(中3)が前向きな理由

Img_0056 ピカリンの中学校は、全校生徒、750人くらいの、比較的大きい学校です。

先日の体育祭で、ピカリンは、先頭のプラカードもちをやりました。

←こんなに多くの人。

の、先頭で、ピカはこんな感じ→Img_0048

 

向こう側の人です。

生徒会執行部(図書委員長は執行部になる)なので、こういうことになったようです。

 

今回、因縁の(?)クラス全員対抗リレーがありました。(小学校4年のときもあって、ピカリンが走り出すときてんかん発作を起こした
ピカリンにバトンが渡り、ピカリンダッシュ。一人抜かしました!

・・・・・。
もっと自分が感動するかと思いましたが、「ぐげっ。写真がうまくとれなかったー・・・。ちゃんと撮れれば、ピカリン喜ぶのにぃ~」なんて思っていました。
そして、そういう風に思えること、ってとても幸せなことなんだなー、と、あとから、写真も撮れなかった5年前のことを思い出していました。

 

 

さて、親も驚くポジティブシンキングのピカリン。

なぜ、こうも前向きなのか?!

その謎は、一生わからないとは思いますが、
ひとつ
これは、その理由の一つだろう!と思い当たるものがあります。

 

 

ある日、ピカリンの部屋にかかっているカレンダーを見ると、
日付のところに、○印がついています。ほとんど全ての日についているので、
「これ、何のしるし?」
と聞くと、答えてピカリン
「良かった日、のしるし」「夜に一日を振り返って、いい日だったな~、と思ったら○をつけるの」

「へー!! でも、ほとんど毎日、○じゃん? ピカは、大体毎日、いい日だったの?」

「うん。そうだね」

 

私だったら、その日にひとつでもいやなことがあれば「いやな日」になるネガティブシンキングな人だった(あえて過去形)と思うので、
なぜに、こうも毎日をマルで囲めるのか、すごく不思議!だと思いましたが、「へぇ~」と言うだけで、終わりました。

 

そして、最近気がついたこと。

 

ピカリンは、1日の中で、「面白いことはなかったか?」を一生懸命探し出す努力をしている、ってことです。

学校であったことを、私たち親に話すのですが、そのときの口癖が
「うーーーん、何か面白いことなかったかな~。今日は、何か面白いことなかったかな~。おもしろいこと、おもしろいこと・・・」

始めは、ただの「独り言」「前ぶり」みたいな感じで、気にもとめていなかったセリフなのですが、
ふと気がつくと、毎日、これを言っているのですよね。
毎日、親に話すときだけでなくて、一人でボーっとしているようなときでも、「おもしろいことなかったかなー!」と言っている・・・。

これ、って、その日の「いい面」を積極的に探している、っていうことですよね。

そう気がついたとき、「いやなことがあるから、それを覆い隠すために、一生懸命「いいこと」を探しているのかな?」とうがって考えてもみましたが、彼女の雰囲気を見ると、どうも、そうでもないらしい。完全に「習慣化」されているだけのように見えます。
「おもしろいこと」を思い出すことが、習慣になっている!

 

 

むかーし。

ピカもチクも年齢が一桁だった頃、
家族で楽しい旅行をしたときなどに、こんな風に話すのがはやりました。

「今日、面白かったことベスト3を、順番に発表してください!」
「今日、へえ~!と思ったことベスト2を、順番に発表してください!」

テレビも何もないコテージに泊まったとき、夜にすることもなくて、でも、この日一日が楽しくて楽しくて、みんななんだかコーフンして眠れなかったので、布団に入って、こんな風に話をしたんです。
それぞれの「ベスト」を聞いていると、「あー!そんなこともあったねー! あれ、面白かったよねー!」と、みんなで楽しさを反芻して。
自分が大したことだと思っていなかったことでも、子どもや、夫にとっては「おもしろかったこと」だったりして、へぇ、そういう風に楽しんでいたのか、良かったー!なんて、確認できるのも、「楽しさ」を広げて。

みんなで「良かったこと」を反芻しあうので、すごく満たされた気持ちになって、幸せな気持ちでいっぱいになって眠りについたのでした。

そのあとから、そういう会話が我が家の流行になって、みんなで何かを楽しんだとき(映画とかでも)、こんな風に言い合うようになっていました。

 

 

ピカリンのやっていること、ってそれの延長なのかな・・・。

 

 

日々の中でいい事を見つけ出して、自分を満たしていく。
そういうことを毎日繰り返していくことは、
ピカリンのポジティブシンキングの土壌になっていると思うんですよね。

 

私は、若かりし20代の頃、鬱病になって、なにもできなくなって、そこから這い上がっていくとき、
「今日は、これができた」「あれができた」と、一生懸命自分を評価していました。
「今日は、髪が洗えて、偉かった!」とか、
「今日は、どこにも出かけられなかった。けど、先週は1週間どこも行かなかったけど、今週はおとといでかけているから、週単位で見れば、進歩だ! えらい、えらい」
ようやくバイトに出かけられるようになってからも 「こうして、私を待っている、わたし専用のデスクが家以外にもあるということは、なんと言う幸せだ! これを忘れないようにしよう」
という具合に、できたこと、前無くて今はある幸せ、を噛み締めるようにしていました。
そういう考え方をするようになってから、かえって、つらいことは減ったような気がします。

 

それにしても、ピカリンほどの前向きさは持ち合わせていないので、
「すげぇな、ピカリン・・・」
と、たびたび感心させられます。

彼女の前向きさに助けられている私。

どうして、彼女は、あんなふうに前向きに考えられるんだろう・・・。
私も、そうなりたいな。

と、考える中で、
今日書いたようなことに気がついた、というお話でした。

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この頃のテレビから

事故米である「メタミドホス」たっぷりのおコメが、京都の保育園の給食にも使われていたそうですね。

農水相は
「健康に被害がないことは、はっきりしている」
ので
じたばたしていない」
と言ったそうだ。

あ?

はっきりしてんのかい? はっきりっ!! え?

「健康に被害があるという、確固としたものが確立された状態ではない」

だろ、正しくは!

そばにこの農水相がいたら、むなぐらつかんで揺さぶるところだった。危なかったわheart01

はっきりしている、って、未来永劫かよ? 
学会で「未来永劫」って発表してみろ、ってんだ!
まったく、科学的思考をしてほしいわねっ。大臣なのか~、これが日本の~。

 

 

パラリンピック、がんばってますね。

でも、あんまり・・・ぜんぜん見ていない・・・。

先日、ピカリンのクラスで、「弁論大会」の代表を決めるための発表会があったそうだ。
「へー。そんで、誰が代表になったの?」
「○○ちゃん」
「へー。どうだった?よかった?」
「うーん・・・・。みんなは感動っていうか、良かったと思ってたみたいだけどねー・・・。うちはねー・・・。
あのさ、障害者についてなんだよ。『かわいそうだ』『かわいそうなのに』って・・・、

かわいそうじゃねーんだよ、ぼけえっ!!

あ~、それか。それね。

日ごろ言われておりますアレルギーっ子、「かわいそう」の言葉に敏感であります。

なにしろ、うちは、たけ夫が、左膝下義足の障害者だし、隣の義父も盲目の障害者だしね。

今年の24時間テレビは、つけるたびに、障害のある子どもががんばっている場面で、「老人」の場面は少なかったなあ。お風呂カー買うのに。
なかなか、あれもね、テレビに合わせて無理をさせてしまうこともあるようで、その子ども本人に熱があるのに山を上ったりとか、はじめは「できる」「だいじょうぶ」と思って取材を受けても、実際になると無理をしなくてはいけない場面が多く、家族や本人は、かなりつらい思いもするようだ、というのは、知っている義足屋さんの話。

もし、実際、うちのたけ夫が、24時間テレビに出る!マラソン走る!ってなったら、家族として応援するし、やりきったら、涙も流すだろう。

でも、そのたけ夫の姿を見て、テレビの前の人が、「あんな体なのにがんばってる、えらい、すごい」と茶の間で話しているのを想像したら、なんか、やりきれん。
見世物じゃないんだよ! 別に頑張るのは、障害がなくたって、がんばっている人いっぱいいるだろう?
なんで、障害がある、っていうだけで「かわいそうな立場なのに、頑張っていて、感動を与えてくれて、ありがとう」になるんじゃ。

とか、

ひねくれて、思いそう・・・。

チャリティーも、いいことだと思う! すごくいいことだと思う。

パラリンピックだって、スポーツとしてすごいと思うし、かっこいい。

それぞれの趣旨には大賛成なのだ。

しかし、テレビで時々流れる、まるで「感動」を運ぶ「見世物」のような視点が、どうしてもいやなんですよねぇ。

てなわけで、見ない、となるんです。

アレルギーの子どもが頑張っているのも、「見世物」として「感動を呼ぶ」のかね。
なんつて。ちょっと、ひねくれモードで、ダメですね・・・。

 

 

最後!

映画 おくりびと

モントリオール世界映画祭グランプリ受賞!ということで、もっくん、テレビにいっぱい出ていますね。

庄内ロケ! 舞台はお隣酒田市だが、
実は、うちの町内の某古い家(歴史的に古いのではなく、昭和に建てられたような安普請の家)がロケ地として使われているんだ!
それでうちの町内の公民館を、山崎努さんらが休憩所として利用したんだ!だから、公民館には、そのときの写真とサインが飾ってあるんだ!町内会長も嬉しそうだ!
銭湯も、鶴岡市内に唯一残っている銭湯だぜぃ!

庄内の雰囲気が出ている映画と、評判。
私も見に行かねば。

 

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15年間、ありがとう。

Img_0111 ♪はっぴばーすでー、ピーカリーン。notes

毎年、誕生日とクリスマスにアレルギー用ケーキを作り始めて、○年。作ったケーキはなぜか毎回違い、すでに20種類は超えたんだろうか・・・30種類?

料理オンチの私にしては、上出来だが、
もう、ネタ切れだ・・・

タケ氏 「ケーキ何にしたらいいと思う~?」

チクリン「ロールケーキがいいんじゃない? この頃、ロールケーキしてないし・・・」

おお! チクリン、ナイスアドバイス!
今回は、ロールケーキにしよう!!

品切れになったはずの、ごはんdeケーキを、なぜか(?)入手し、ココア・刻んだ栗の甘露煮と混ぜて焼きました。
中に入っているのは、サツマイモとバナナを合わせたクリーム。
そこに残り物の杏の缶詰サイコロ切りと、ココナツミルクの寒天サイコロ切りを混ぜてあります。

おやっ!

丸まらないで・・・
割れた!

チクリン「おおー!いいね~!おかあさん!! 古民家みたいだよー!!いいじゃん!」

チクリン・・・。あんたは、いい子だよ・・・。

チクリン「おねえちゃーん!ほら、見てごらんよ。古民家みたいだよね?いいよねえ!」

ピカリン「おっ! すげー! うまそ! すげー!」

チクリン「おれ、このクリーム(天井に乗っているやつ)のやり方分かる~! 上に乗っけてから、フォークで筋、つけるんでしょ?」

盛り上がってくれる二人。

ありがとう、あんたたちは、いい子だよ・・・。

その日のパーティー。

そして翌日の朝も食べる。

ピカリン「んんんんーーっ!んーーーっっ!! うまっ。一日置くと、また、これが、なんとも・・・。むごむごむごむご・・・」

ありがどの。

15年間、いっぱい、面白い楽しい思いをさせてくれて、ありがとう。

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SUCAと隊 15<最終回>(その後・・・)

S・・・Safe
U・・・Useful
C・・・Clean


A・・・A保育園

という、SUCAっと隊の名前は良かった。(←自分の思い込み)
名前がいいから、それだけで、もうこの活動は成功で、それで終わりでいいのさ

と、

始めに思ったようなことを、また思って、SUCAっと隊は永久休止状態に入り、私は保育園を去りました(卒園&引越し)。

 

その直後、その保育園は建替えの話が具体的に俎上に乗り(前から話はあったのだが、予算の工面が難しかった)、「狭い」「地盤沈下」の問題もクリアできることになりました。

重度系(なんだそりゃ)アレルギーでCS傾向の我が子は、時々、その保育園の近くの病院へ行くことがあり、家族で出かけたときに2・3度、この保育園に顔を出しました。

 

一度目は、建替え中で、仮住まいの園舎にいるときに、
そして、新築の保育園にも行きました。

 

「いや~。新しい保育園を建てる設計のときに、SUCAっと隊でとったアンケートや、あのときの希望なんか、すごく参考になったよー。いろいろとりいれているんだよ?」

と、職員。

え~? そうなの? 

 

仮住まいの園舎を見にいったとき、職員・保育士さんから大歓迎されて、少しこそばゆかった。
タケ 「仮住まい、っていうから、悲惨なのを想像していたけど、結構、いいじゃん?」
すると、SUCAっと隊結成当時、入ったばかりの新人保育士だった人が
「いや! でもタケさん。いろいろ問題があるんですよ~。 
また、SUCAっと隊作ろうよ!作んなきゃ!って、みんなで話しているんですよ~。ほら、あそことか、こことか・・・」

 

SUCAっと隊の名前、まだ、生きてるんだ~。
とっくに終わったことだ、と思っていた私には、ちょっとした衝撃でした。

 

SUCAっと隊永久休止のときに抱いていた個人的気持ちにとらわれていたので、これらのことを言われたときには「エ・・・」と思うばかりで、なんの切り返しもできなかったけど、

なんか・・・

ありがとう!!

と思いました。

自分がまとめ役として未熟者だから、ろくなことができなかった、と思うけど、
そんな中でも、
みんな、SUCAっとから、いいところを見つけて、ちゃんと自分の中に入れておいてくれて、時々活用してくれて、

ありがとう!!

ごめん、私、うまくできなくて・・・。

なのに、みんな、ニコニコしてくれて、ありがとう!!

私は、救われました・・・。

 

 

SUCAっと隊の話は、保育園の「改革」話で、アレルギーと関係あるとは、当時、誰も思っていなかったろうと思うけど、
きっかけは、
チクリンのお昼寝場所

なんですよね・・・。
このホールのほこり、なんとかならないか・・・!

から、自分の発想と動きは始まっていったのだけど、

なんだか、こんな風なところにいくなんて、思ってなかった。
 

今思えば、
うまくいかなかったのは、自分の独り善がりな思い込みが強かったり、どこか、一歩ひいて大きく構えることができずに、その独り善がりな思い込みだけで淡々とやってしまって、みんなが「ゆるい気持ちで」参加することができなかったから、活動が堅くなったり、ちょっと苦しくなっちゃったりしたんだろうな、と思う。
自分が、自分が、というのも大きかったんだろう。
人のため、と思って、自分さえ負担をかぶれば、なんて思うことが、すでに思い上がりだし、
うまくできなかった、と思うこと自体、自分ひとりで牽引していったと考えているという思い上がりだ。
それを、回りのみんなは許してくれていたんだと思う。
自分という人間が小さいし、実はいっぱいいっぱいで、余裕がなかったからne・・・。
今もって、そういうところがあるので、少しずつ、自分を大きくしていきたいものでス・・・。

でも、やって、良かったんだ!と、思う。

 

簡単そうなことでも、「活動隊」を作ることで、それを実行するきっかけになっていたのかな、と、書いてきて思った。
簡単そうなことは、簡単にできる、と思っていたけれど、
簡単そうなことでも、実は、実行は「面倒くさい」とか「忙しい」とか「疲れている」とか「私がやらなくても」とか、そういうメンタルな部分が障害になっていて、
じつは、簡単にできるものではなかった、のかもしれない

それを次々正面突破していけたのは、実は、大事な成果だったのかもな~・・・。

 保育園の中のハード面について、心の中に「影」の部分を作らずに、話し合える雰囲気も作れたし・・・。

 

 

と、反省のまとめは、書けば切りがないのだけれど、
アレルギーが連れてきてくれた「大きな思い出」
ということで、SUCAっと隊の話を書いてみました。

 

 

そこの保育園は、卒園児が小学校6年生のときに、「同窓会」をする、という決まりがある。(もちろん、それまでも勝手にやるのはOK。6年生のときにやるのは、保育園主催)
来年、チクリンは、小学校6年生。(早いな~)
来年、その同窓会があります。
万難を排して、この同窓会に参加するつもりでいるけれど、
そのとき、ちょっと、SUCAっと隊のことも、聞いてみようかな。
まだ、自分の中では申し訳ないような気持ちが大きくて、自分からは切り出せない気がしているけれど、
今回、書いたことで、少し、客観的になれた気がします。

 

長い連載にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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SUCAっと隊 14(SUCAっと隊は、新人保育士さんにとってどうだったんだろう)

SUCAっと隊を始めるとき、職員からは、なるべく「若い新人の保育士さんを入れようよ」と提案したのは私でした。

そのころ、同じ系列の保育園がもう一つできたこともあり、一気に新人保育士が増えていました。

無認可園から始まったその保育園は、年配の人は「親と一緒に保育園をつくる」という経験をいっぱいしてきているのですが、新人さんは、当然経験していない。

いろいろと作り上げてきた伝統も、先輩保育士に「言われたからやる」という形になっていて、なんだかそれじゃ、さびしいナァ、と、別の無認可手作り園を経験してきた私は思ったのです。
「親と一緒に」なんて、多分考えたこともないことだろうけど、「こういうことだよ」「いっしょにやると楽しいよ」って、なんか、やりたかったんです。

でも、

そういうことについて、園長先生や「保育園側」はどう思っていたか分からないし、SUCAっと隊自体についても、言ったことには応えてくれたけれど、すごく積極的、って感じでもなかったし。
そういう中で、新人保育士さんが、SUCAっと隊といっしょに話し合ったりやったりしたことに、どういう風に感じていたのか、
それを、保育園に対峙する形ではどう受け止めていたのか、
さらに、保育園はどう感じたのか、
わたしには、よくわかりません。

もしかして、
SUCAっと隊の中身が未熟だったから、未熟なまんま、保育士さんの中に入ってしまって、「保育園」という体制とうまくいかないようにしてしまったんじゃないか、
とか
たぶん、そんなことを言えば「そんなことないよ!」と否定されただろうけれど、
彼女が熱心だっただけに、
なんとも言えない無力な疲労感が私の中に残ってしまいました。

たぶん、考えすぎなんだろうなあ!
と思うので、
今まで誰にもこういうことは言っていなかったけれど、
自分の力のなさを思い知らされた、って言うか、
まー、もともと自分なんてこんなもんだとは知っていたけど、

「うまくいかなかった!」
って、いう気持ちだけが、なんだか、残っちゃったんですね。

 

そうこうしているうちに(?)、チクリンは卒園を迎え、卒園と同時に、私たち家族は、今住んでいるこの地に引っ越してきたのでした。(なんと、まだ、つづく)

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SUCAっと隊 13(休止という名の終わりのとき)

その他の事項

として、取り組むべきは、「靴」(特に上級生の)の問題でした。

しかし、これは意見のまとまりを見ず、

下級生用には靴箱整備、上級生用には、踏み台を置く、
だけやり、
あとは「職員も親も、子どもに靴の整理を促そう」と呼びかけるにとどまりました。

 

要望の上位事項は実現し、

自分は、ほうきと塵取りを設置し、

一段落。

「SUCAっと隊は、しばらく休憩しマース」

と言いました。

「え~。もっとやろうよ~」

という声もあったにはあったのですが、

牽引力たる自分が、さびしくてむなしくて、疲れちゃってんだから、ちょっと続けられない。

「誰か、リーダーを変わってくれたら続けられるけど、とりあえず、休も」

と、宣言したのでした。

 

日々、忙しく働く保護者と一緒に、保育園と「協力」とは言っても、感情的に難しい側面も持ち合わせていた「活動」でしたので、
なにが、一番疲れたかといって、「やる」「まとめる」ことではなく、声無き声(不満系)を黙って受け止められる破れないネットでいること、に疲れたかなあ!

 

もともと

「ホールのほこりを何とかしたい」

から始めた自分には、さらにSUCAっとを回し続ける気力はなかったです。

実現したことも、

「別にSUCAっと隊を作って、こんな思いまでして実現するようなことなんて、何もなかったんじゃないか? ちょっと個人的に立ち話程度に要望を出せば、済むようなことばかりだったんじゃないか?」
と、
自分の疲労感と見合わない「成果」のように感じて、
そのことが、さらに疲労を高めていたように思う。

チクリンのお迎え時、
ホールの隅にあるほうきを手にとって、一日おきくらいに、ホールの隅に溜まったほこりを掃除しながら、
「でもさ、こうやって、掃除ができるようになったからいいじゃん。それで、いいじゃん。今も掃除のときそれほど居心地がいいわけじゃないけど、とりあえず、前よりは掃除しやすくなったから、それでいいじゃん」
と、自分に言い聞かせていました。

 

それと、これは全然関係ないことなのかもしれないけれど、
SUCAっと隊を、一番鼻息荒くがんばってくれていた若い保育士さんが、「クビ」というわけではないのだろうけれど、なんだか、そんなニュアンスで、保育園を去らなければならなくなったことも、なんとなくどんよりしてしまう理由の一つです。(つづく)

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SUCAっと隊 12(いろいろ書き忘れていたこと)

前々回に書いた保育園内の変化は、まだ、ほかにもあったのを書き忘れました。

ホールの整理

会議の場で、「そんなこと、大したことじゃない。どうだっていいじゃない!」と言って下を向いてしまった(さらに用事があったのか、途中退場)保育士さんが、
「あそこの戸棚、ずーっと置いてあるけど、良く使うものが入っている、ってわけでもなくて、無くてもいいんだよね」
と言って、思い切って、配置換えをした。

掃除しやすく、すっきりした。そうして、これはうろ覚えなのだけど、少し高い「小上がり」を設置して、畳を敷き、具合が悪くなった子どもが保護者が来るのを待つ間、(ほこりをかぶらず)横になるスペースを・・・作ったんじゃなかったかナァ・・・。

ちょっと、記憶があいまいだったので、たけ夫に聞いてみたところ

たけ夫「覚えてねぇなぁ・・・。・・・君が、夏祭りかなんかのとき、サンドイッチマンみたいに体の前後に「SUCAっと隊員募集」と書いた紙をぶら下げて歩いていたのは、覚えているけどね」

タケ 「え~。そんなこと、したー? それはさ、あれでしょ、親子写真をとる、ってんで「まだ、写していない人は、今撮るから声をかけて!」って体の前後に書いて、歩き回っていたやつでしょ」

たけ夫「うーん。でも、SUCAっとでも、やってたんじゃないの」

・・・・・。・・・そんな気がしてきた。
まだ、クラス入りする前か、している最中に、そんなことやっていて、保育士さんからも「私もやるよ?」と言われたような覚えが・・・。

 

それから、もうひとつ。

園長先生から

「タケさん。 ずっとやろうと思って、手付かずだった、山の撤去、しました!」

と言われた。

う・う・う・うそ~~~? あの、山、無くしちゃったのか?!

その保育園の歴史の中で、いろんな事情のあと、保護者のお父さんたちが、コンクリのドラム缶みたいなの(配水管?)でトンネルを造って作った小山だった。古くなっていろいろと危険になってたり、横穴の中に水が溜まって不潔だったりと、問題があったらしい。

でも、わたしは、チクリンと保育園に行くと、良く男の子の友達が上に登っていて、「おーいい!チク~!今来たのかヨ~。こっち、来いよー!」「おー」とかやって、その山の上で「テレビくん」とか読んでたり、なんだか男の子っぽいたむろ場所、って感じで好きだったんですが・・・。
問題があったのなら、仕方ないっすね・・・。

保護者は誰も指摘しなかった「山」なんですが、保育園としては、問題を把握していたんだなぁ・・・。

(そのあと、その跡地に友達と穴を掘りまくり、埋めたチクリン君だったのだが・・・)

 

 

ほかにもSUCAっと隊活動中の変化は、何かあったかもしれない。

はっきり覚えていないのには理由があって、

書いてみると、「変化」はいろいろあるけど、

当時の私は、どれもこれも、大したことじゃないような気がして、なんだか、印象に残っていないのです。

それに、お祭りにしたかったのに、なんだか、活動がまじめになっちゃって(自分の根がまじめだからショーがないんだけど)、かなりさびしいような、むなしいような疲労感に包まれていました。(つづく)

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SUCAっと隊 11(ほうきもちこみ)

ちょうど、その頃、我が家では、

ダニの数値が跳ね上がった

理由はわかりません。

何ヶ月かぶり、へたすりゃ1年ぶりの検査だったので、突然跳ね上がったわけではないかもしれません。

症状としても、顕著に何かが表れたわけではありませんでしたが(時々咳をしていたとは思うが、喘息発作まではいってない)
「これは、保育園の布団も、週に1度の掃除機かけでは、心もとないかも…」

と思い、

もう一回(なぜ毎日にしない?)、水曜日に掃除機をかけよう!
家に持ち帰ってもいいけど、
もし、保育園に掃除機を借りられるなら、それでかけてしまいたい!(お迎え時)
多少、掃除機のヘッドの汚れが気になるが、掃除機をかけた後、布団カバーをかければいいじゃん。
しかし
掃除機をかける「ホール」がほこりだらけでは、布団を広げられない。

「布団に掃除機をかけたいのですが、掃除機を貸してもらえますか?そして、掃除機をかけるとき、

ほうきとちりとりを寄付するので、掃除をしてもいいですか?」

と、ついに、言えた!

ホールの片隅に、よく玄関掃除などに使うのに売っている、背の高い塵取りとほうきがセットになったものを設置させていただき、
晴れて、「ホールの掃除」をやる端緒をつかみました。のも、この時期でした。

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SUCAっと隊 10(やったこと→次に中)

外の遊び道具の散らかりについては、自分は個人的には、けじめのある時間(お昼ご飯前とかおやつ前とか)に、先生が呼びかけていっせいに片付ければいいのに、と思っていた。ほかで経験していた保育園が大概そうだったから。

聞けば、日中はそうしているようだが、帰るときは、手が回らず、散乱している、という感じになるらしい。ちゃんと、呼びかけてる、って、知らなかった。何の注意もしてないと思い込んでいた…。

それにも増して、お片づけスペースのこととか、さらに、地盤沈下のことまでなんて、考えたことも無かったから、

自分の中だけで考えていること、って、正しい側面はあっても、全体を写しているわけではないんだなぁ、とあたりまえのことに、今さらながらに気がついた経験だった。

「見て見ぬふり」

を貫いてきた保育園生活だったけど、足を踏み込んでみれば、なんと、視界がすっきりすることか! 
悪いことは見ないようにしよう、とそうやって自分の中に影みたいな部分を作って、それが、保育園のためにもいいんだ(文句を言わないことが)と、思っていたけれど、「文句を言う」じゃなくて、前向き方向に「いっしょに考えれば」、多少のぶつかり合いはあるけれど、自分の中の影の部分もなくなるし、全体が見えてくるし、すっきりするし、これからどうしたらいいか、もっといろいろ分かってくるし、ちょっと(?)大変だけど、やってよかったなあ!

そんなことも思った。

 

2.保育園の建物の中、の改革

さて、実現可能な、各クラスの要望をまとめると、
確か、次のようなものだったと思う。

1.(小さい子のクラスから) お教室まで行くのに園庭を通らなくてはならないが、雨の後などドロドロのことが多く、仕事用の靴が汚れてしまう。なんとかならないか

2.(中学年のクラスから) 実は、靴箱の数が足りません。

3.(高学年のクラスから) コートかけが、子どもにとって高い位置にある。壊れてしまったところもあり、お友達のところに重ねてかけている。そのため、コートが下に落ちてしまうことが多く、コートが廊下に散乱し、よくない。

 

こんな感じ?
(本当は、きっちり資料がとってある気がするんだけど、物置のどこに片付けたか覚えてない… オメェがSUCAっとしろ、って話ですね)

1などは、私は車の中に長靴常備。園に入るときは履き替える、とかやっていたので、これは「年長さんの知恵」として、教えてあげればいいんでないか、と思ったのだが、
園側が配慮して、

雨が降ったときには、門のところから、上がりかまちのところまですのこのスロープを作ってくれた。(晴れると片付ける)
面倒だろうに、ありがたいなぁ、と思った。

これについては、門のところに、泥落としのマットを敷いて欲しいというのが議論になった。

そうです。そうです。
保育園から、しょっちゅうアレルギー科に移動する我が家にとって、
この子どもの靴の裏についた泥、というのは、切実な問題でして、
一生懸命落としていったつもりでも、まだ汚い。
どれだけ、病院の中を汚したことでしょう…。「すいません!すいません!その泥、うちの子です! ほんとうにすみません!」と、よく謝っていた…。
つか、小児科は子どもの集まりなのに、何であんなにきれいなのか!って、逆切れでしょうあんたそれ。的な経験を多くしていたので、
「おお!泥落としマット!」はすばらしい提案だと私は思った。

しかし、保育園で、以前、このマットに蹴つまづいた子どもに関する「事故」があったらしく、園長先生が断固として「マットはダメ!」と言うので、そこには、園長先生の「トラウマ」もあるやに思え、マットはみんなあきらめたのでした…。

 

年中さんの下駄箱は、簡易なものだけど、即行作った。(保育園が)
加えて
実は、保育士さんの下足入れが無い!事を、知った。
「靴の脱ぎ散らかし」
議論のとき、
「保育士さんも、サンダル等を、縁側の外に脱ぎっぱなしだ。保育士さんがしまわないから、子どもがしまわないんだ」
という指摘があったのだが、
じつは、保育士さんが、庭で使う靴を入れる場所が絶対的に不足していたということを、保育士さんから聞いて初めて知った。

保育士さんだって、雨が降ったときに自分の靴がぬれっぱなしになるのだ。
すぐに中にしまえばいいけれど、突然の雨が保育中だったら、自分の靴をしまいになんていけない(そんなぬるい保育はしていないので)。

ということで、保育士さんの外履き入れも作った
出来上がった下足箱を見ると、保育士さんの名前が貼られていて、ちゃんと、みんなの分が入るようになったんだな、ということが分かった。

「よかったよ~。タケさん、ありがとー」

と言われた。

上級生のコートかけも、まずは、壁に作り付けのものを使いやすいように直し、それから、移動可能なコートかけを購入した。(保育園が)

 

 

それから。

SUCAっととして要望したわけではないけれど、議論を聞いていた保育園が、さっさと手直ししていったこともいろいろあった。

まず、物置の整理

これは、保育士さんからの強い要望でもあったようだ。

とにかく行事の多い保育園だから、行事に使う道具がいっぱいあって、それの整理が不十分で、使いにくいらしかった。

物置はいくつかあるのだけど、その物置の場所がまちまちだから、その物置の設置場所にあったものを、その物置にしまう、ということを、休みの日に徹底して片づけをしたらしい。

「ずーっとやらなきゃ、と思ってたんだけど、できたよ!」

と、職員の人が嬉しそうに報告していました。

保護者の中にはきっと「そんな報告しなくても、やってあたりまえだろ」くらい思っていた人もいたかもしれないけれど(え、私じゃないよ?) SUCAっと隊の議論が、重い腰をあげるきっかけになったのかもしれず、がんばったことは、いちいち「やったね!」と、喜び合いたいものだ、と思った。
それで互いに元気が出るなら、それでいいじゃないか!

もうひとつ、

一番靴が脱ぎ散らかされていた場所=縁側がすごく高くなっていて、上がりにくいところ
に、枕木かなんかを利用して、大きい踏み台が置かれた

ほんとうにねえ。考えてみれば簡単なことなんだよ。
でも、毎日のくり返しの中で、そういう簡単なことを思いつく感覚が麻痺している、というか、何とか回っていっていれば、取り立てて改良しようとも思わなくなる、というか、
そういうこと、って、保育園じゃなくてもきっといっぱいある。

ちょっとした視点を変えてみることで、
そして、ちょっとした刺激や元気をもらえることで、
動いて、ものごとが、いいほうに回っていく。

SUCAっと隊のやったこと、って、
一つ一つの成果じゃなくて、
そういう「元気付け」「視点の転換」の作用があったのかな。
と、
今、
気がつきました・…。 (つづく)

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SUCAっと隊 9(やったこと→実行編;まずは外)

アンケートの中で、一番物議をかもしたのは
「靴」
のことだった。

この保育園では、子どもが靴を脱ぎ散らかしていることが多く、それをものすごく「不満」に思っている保護者と、それに対して「別にいいじゃん」と思う人がいて、お互いがそれぞれに「意識の違い」に気がついた!っていうのが、なんだか、一歩!って感じでした。
靴について「不満」に思っている人の「不満」の強度、って、すごく強くて、
それが、一人や二人じゃなかったので、あんまり深く考えていなかったタケは「へぇ~~」と思っていた。
それでもって、それに対して、「何神経質なこと言ってんの?」という感じで「反論する」人がいるのも、またまたタケには「へぇ~~~」だった。

「脱ぎ散らかすな」「楽しいことがあるから、行ってしまう。子どもはそういうもの」

「保育園はきちんと指導して欲しい」「それは家でやるべきことで、親が子どもにしつけること」

「保育士さんは片付けろ」「気がついた親が率先して片付けてやればいいじゃない」

こんな感じの議論だったな~。(これは、親同士の議論でした!)

 

アンケートの答えや、議論内容は、長くこの保育園で働いている保育士さんにとっては、きつい内容のこともあったと思う。

良い内容の保育をしんどい思いもしながら、懸命にやっている保育士さんからすれば、「別にいいじゃない!そんなこと!!」的なことも多かったようで、SUCAっと会議でそう吐き捨てて、後は下を向いて黙ってしまっていたこともあった。

 

3.保育園へ要望出し、と、自分たちで実行(何をやったか)

こんな感じでなんとかかんとか、「要望」をまとめ上げ、
重点項目の「時期」に従って、ひとつずつ、片付けていった。

保護者もいっしょにやれることは、実行日時を設定して、いっせいにやる。

保育園にしかできないことは、保育園に頼んでみる。できる限りの善処をしてもらう

というふうにしていった。

具体的には

 

1.外遊びのおもちゃの整理

これは職員と保護者でいっしょにやった
はじめは、外遊び道具が散乱している。外遊び道具をすべてしまえるスペースが小さくて、だから、散らかってしまうんだ。広いスペースを確保して欲しい。というのが、要望だった。
その前に、無駄なおもちゃが無いか、みんなで整理してみよう、ってことで、土曜日だったかに集まれるメンバーが集まった。
外遊びのおもちゃ、って初めてまともにちゃんと見た。
危険なもの(壊れているものとか)を処分したら、半分くらいになってしまった。これで、スペースは広げなくてもよくなった。そのスペースに入れなくてもいいものもあって、それは別の物置にもっていって、きちんと整理できた。
 
そういう整理をしている中で、それぞれのおもちゃが、どういう風に子どもの発達に役に立っていくかという話も、保育士さんから聞けて、保育の中身や保育園の取り組みも分かる、というメリットもあった。
だから、「あぶないもの」を廃棄するだけじゃなくて、その後、親たちに呼びかけて「保育園のねらいとする子どもの成長を助ける」おもちゃの提供をお願いした
たとえば、「割れない本物の調理器具(もう家では使わないやつ)」とかね。「本物」が大事なんだということだ。

ついでに、園の建物の外部のチェックもした。

建てたときから○十年たっていたので、実は「地盤沈下」が切実な問題なんだ、ってことを初めて知った

地盤沈下による「危険個所」が何箇所かあった。

「靴の脱ぎ散らかし」は、その要因の一つに、「靴を脱いで上がっていく縁側の高さが高いこと」というのがあったんだけど、
その「縁側の高さ」というのは、地盤沈下によって、もたらされたもので、
「昔はもっと入りやすかったんだ」と、職員が言っていた。

なるほど~・・・。

そんなこともあったのかぁ。

(つづく)

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