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2012年4月

ピカリンの気持ち

(ピカリンの生活の場が決まって、気が抜けたら、そのままダラダラ記事書けませんでしたー(-_-;))

 

「皆と同じように食べられない」
ということが、いつもに増して「ネック」と感じたであろうピカリン。
「食べていけるようにしていく治療」が「主流」の昨今。
イマドキは、そうなっているよ、ということはピカリンに前から言っていましたので、
「自分も、そうすれば良かった!」
と、
思ったかなー、
と、
母としては思っていました。

ここで、言い訳をすれば、
ピカの場合、食べられないものがどんどん増えていき、アレルゲン数のマックスが小学校2年。(小麦牛乳卵大豆魚介類蕎麦ゴマナッツ類など。この漢字の羅列をつかえず読めたあなたは立派なアレルギーペアレント!この頃は仮性アレルゲンのトマト・なす・ごぼうなども避けてたな)
1年生の終わりにアナフィラキシーを起こすし、
2年になって化学物質過敏とも言われ、もう、この「マルチ」ぶりは「負荷入院しよう」などというレベルを超えておりました。
通っていた病院が「負荷入院」をしてなかったし(してたけどやめてた)。
その病院の方針「負荷入院で、時間と生活を拘束し、さらに失敗した場合のアレルギー反応による負担を考えると、除去しながら、生活を楽しんだ方が良い」という方針に、うちも「そうだなー」と思った&思春期のアナフィラキシーショック死を避ける意味から、もう10歳になろうという時期に、あえて危険を冒したくなかった。

うちが、病院で負荷を(というと、今はいろいろ語弊があるけど、まあ、そういうことを)しなかった理由です。

でも、体調が安定してきてからは、遠くの病院まで出かけて、食べられるようにする治療を選ぶ!というのも、選択肢としてゼロではなかったので、そこが親の怠慢となるかなあ、などと(あんまり思ってないけど)思っていたのです。

ヘルシーハットさんで、「今は食べられるようにするのが主流で、負荷を自分ではなく病院で」という話を聞いたあと、ヘルシーハットさんを出てからピカが私に言ったこと。

「でもさー。自分で負荷した方が判ることもいろいろあるよね。たとえばどんな体調の時にどういうことをするとどうなるか、とか。皮膚に出なくてもサー、これを食べると頭の回転が鈍くなる、とか、自分が一番よくわかるもん。つか、自分しかわからないじゃん? 自分で負荷すること、ってそんなに悪いことかな?」

食べられるようにしていく治療としての負荷と、「限界点」を知るための負荷、いろいろとアレルゲンを試していく方法はあります。
ピカの場合は、勝手に隠れ食いをしていたので「限界点」はある程度わかっていたと思います。限界点は体調によることも。
そして、毎日少しずつ食べて「食べられるようにしていく」のは、わたしたちダラシナ一家には出来ないことかもしれません。また、それをやっていれば、体調がだるいと感じても続けるべきなのかどうかにも悩んだかもしれません。
麦茶が飲めるぞ!とわかったとき、ピカは「こんなにおいしいものがあったなんて!」と喜びましたが、今は「体が重くなるから飲まない。あの時はさー、物珍しさが加わって、おいしく感じたんだよね。何回か飲んでると、やっぱおいしくないし」

食べてないから精神的に拒絶する
のもあるかもしれないし(納豆が食べられない地方の人もいるよね)
食べてないから無用にあこがれているものもあるかもしれません。

ピカは
「自分で自分の判断ができるようになったら、自然な形で、自分の体調をみながら調整するのが良い」
と、
考えているのかな、と思いました。
私自身も、自分が自分の体調が良いのか悪いのか我慢すべきかどうなのかわからない時期が非常に長かったため、「とても体調の良い状態」というのを子どもたちに知って欲しかったし、それには、除去をしている状態というのがベストだったんですよね(それは、完全除去を始めたら太って体躯ががっしりしたピカリンを見て思ったことです)。

そういう親の気持ちを何気に汲んで、ピカがそう思うようになってしまった(!)のかもしれないし、
そこは、わかりません。
また
本当にこの事は、
その人の住んでいる地域や、アレルギーの程度や、医者や親戚、育ってきた環境など全てが絡んでくることなので、「これが正しい答え・やり方」というのも無いと思います。

ただ、
親としては、
ピカリンは「食べられさえすれば」ということを、思わないわけはないのですが、
その事は、さんざん自分の中で斟酌して消化してきたことで、
そのことを「乗り越えて」(?)、自分の頭で自分の体との付き合いを考え、
愚痴をこぼさず前向きに物事に当たってくれていることに、
ほっとした

そんな風に感じたピカリンの言葉でした。

18歳に家を出る前までにしてやりたい事。
親の愛情を感じること
キラキラ輝くような思い出をいっぱい作ること。
丈夫な体を作ること。
自分で自分の判断が出来るようにすること。
自己管理が出来るようにすること

つまり、生きていく力をつけさせること。
できたかなー・・・
もっと、こうすればよかった! ここが足りなかった!と思う事はてんこ盛りなのだけど、
まあまあ、できたのかもしれない・・・。

今のところピカリンは元気で頑張っているようです。
つまづくことはいっぱいあるだろうな、と思う。
それは、誰でもそうだからね。
経験が人を作る。
親の私がしてやれたことは、十分だったかどうかはわからない。
後のことはキミに任せるよ、というのは親の怠慢で無責任かもしれない。
でも、
まー、なんとか、母は母なりにがんばりました。
もう少し、母としてやれることがあったら頑張りたいと思います。

ちなみに
ピカリンは、今のところ、農学部の食べ物関係を進路として考えております。
どこへ行くのやら。

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今回の教訓とピカの顛末

●浪人するなら、特殊なケースを除いて、地元を出なければならない「地方」。
●浪人というのは限定1年。だから、「生活を確立する」のに時間をかけられない。よって生活確立(医者探し店探しなど)に時間のかかるアレっ子はなるべくその負担が少ない方が良い。
●下宿するなら食事つきは難しい。
●セキュリティも安全で、アレっ子が快適に下宿できるマンションはお高い。お高い以前に、時期によってはあまり無い。(探す時期も気をつけたい)

こんなところが、今回のまとめです。
そういう特殊事情の方は少ないだろうから、あまり参考にならないかもしれません。
また、「よーし解除進めるぞー!」と、決意を新たにされた方もいるかもしません。
絶対浪人するなよ!と、これらの事例を引いてお子さんを説得するのもアリかと思います。
なにかしら、これらの経験が、「この先の」イメージ作りに役立てるといいなー、と思います。

 

さて、
不安てんこ盛りだけれど、下宿で頑張るしかない決意を母子で固め、某週末の「引渡し」(引越し)の日に向けて、私とピカは、その日、外で買い物しまくっていました。
そこへ、自宅にいたたけ夫から携帯電話ワン!ワン!ワン!(←タケ氏の着信音は犬の鳴き声になっております)

たけ夫「あのさー、アネキから電話があったんだけどー」
タケ氏「あ~、メールしといたからその返事だねー」

実は、仙台にはたけ夫の姉一家が住んでいます。
心配かけても、と、今回の件はあまり連絡していなかったのですが、下宿が決まったところで「買い物」のアドバイスをが欲しくて、メールをしておいたのでした。

たけ夫「それがさー。向こうも青天の霹靂みたいなんだけど、○○ちゃんがー(その家の子ども。ピカのいとこ)急に家を出ることになってねー、アネキが一人暮らしになっちゃうし(ダンナ単身赴任中)、ってンで、空いてる部屋にピカが住んだらどうだ?って話なの。ちょっと、話し合いたいから、帰ってきて」

 

ということで、詳しい話はすっ飛ばして、
さらなる超ドタバタ劇の末、ピカは晴れて、親戚宅の居候(イメージはシェアハウス)となりました。
ヘルシーハットさんへは自転車で5分!駅前のセキュリティ安心のマンションです。
親戚宅という気遣いはあるけれど、私はセキュリティ面が一番心配だったので、思いっきり背中の緊張が消えました・・・。
台所共有の自炊ですが、ピカらならその点は大丈夫でしょう。
まだまだ余震も続きます。
人と一緒の方が絶対良いです。
ピカの浪人が決まってから、私は夜中に何度も目を覚ましていて、「年齢のせいかしら・・・?」と思っていたのですが、その日から、本当にぐっすり眠れるようになったので、やっぱり心配だったんだネ・・・。

ヘルシーハットさんにも数年ぶりに挨拶をし、ピカは店内で品物チェック。
予備校に行く途中に朝7時からやっているおにぎり屋さんも見つけ、「お弁当作れないときでも、とりあえず安心だね」と確認し、
新生活がスタートしました。

 

はてさて、どうなるでしょう。
そんなこんなの18歳のピカ。そんな彼女の気持ちに、次回、少しだけ迫ってみようと思います。

(つづく)
<コメント欄閉じてます>

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地方アレっ子の浪人時代の選択肢

さて、
アレルギー児お断り、の記述は、
今まで似たような目に遭っても、
「ざけんな!」
と、切り捨ててこれたはずのピカリンに、微妙な影を落としたようでした。
それはたぶん、前述したような「状況」のなせる業だったと思います。
それは、今までいつも前向きで、物事のポジティブな面しか見ないようなピカリンが、
まったく逆の、ネガティブな面ばかり見るようになったことにも現れていると思います。

「大学に行くなら寮に」と以前私が主張した折
「風呂と台所は、一人で使えるのでなきゃ嫌だ!下宿にする!」
と主張していたピカなのに、
「いいな、みんなは、寮に入れて・・・」
を何度も口にするようになりました。
「でも、下宿なら、台所も風呂も一人だよ?」と私が言うと、
「追い込まれているときの下宿と、そうでない下宿は違うんだよ!」
と、のたまいました。

私は私で、下宿するならアレルギーかかりつけ医(Kセンセ)の近くの仙台。
しかも、緊急時利用のため、「ヘルシーハットさん」の近く!
東京その他の都市部で、新たにこれらの病院や店を開拓する負担は排除!
(1年だけの生活だし)と、考えました。
が、前に書いたように、一人暮らし自体が心配なピカ。
一人暮らしの夢を膨らませるピカに、現実を見せなければと、現地で不動産屋を訪ねました。
このときの物件必要条件は
一位;台所のコンロは二口以上置けるところ。冷蔵庫と洗濯機が置けるところ。(←アレルギー的にはずせない)・・・こんなところも、食物アレルギーのない人とは違うところだと思います。
さて、時期的に物件は少なく、
とにかく生活の利便性を(あと費用を次に)考えて、何軒か下宿を下見。
そこで、ピカは「現実」というものの厳しさを初めて知ったのでした。

なにしろ、我が家は、
薪ストーブが燃え、ピカの部屋はホットマンでクリーン暖房。
ムダに20畳以上ある空間が2つもあり、一番小さい部屋で7畳半。好きなときに好きなだけ風呂に入り、洗面所にも日の光が入ってそこの鏡は畳1畳分(?)。玄関に鍵をかけなくても(本当はダメだけど)まず、大丈夫。大声で騒ごうが部屋の中で縄跳びしようが近所に迷惑かけない、学校へは自転車で5分!近所の人は皆良心的でやさしくていつもニコニコピカリンの味方。図書館には徒歩5分。鳥が鳴き、竹林がカサカサと風にそよぎ、空には青い空が広く広く続く、という桃源郷のような所なのです。
加えて、バスも電車もほとんど乗ったことがない。
スーパーは遠いので、買い物は車。
したがって、「一人で食材をお使いしてくる」経験も、高校生は気軽に出来ないので、あまりやったことがない。
このあたり、都会に住んでいる人とはかなり違います。

それらが全て180度ひっくり返る下宿生活に、ピカはまたしても「プチショック」を受けました。

そこで、生活が楽な地元で浪人することを考え出します。
地元に利用できる予備校はないのか?探し出し始めましたが、
・・・・ない。
本当にないです。
いくつか、予備校のサテラインをやっている私塾もあるので、ピカは何度か足を運び話を聞いたりしていたのですが、・・・これは、とても、浪人生が勉強する環境ではない、と本人は考えたようです。
もし、地元に残って浪人するとしたら、本当に完全なる「宅浪」で、模擬試験は高校に頼んで、高校生がやるときに一緒に受けるのです。
それでも、勉強以外の負担はまったくない「自宅浪人」
自宅浪人すれば、どーんな高い学習教材も買ってあげるよー、あれもしてあげるよー、これもしてあげるよー、と、心配なあまり、オプションをつけまくる親でしたが、(・・・今年このような形での地元浪人をして東大に入った人もいましたしね)
ピカは、
「・・・・。・・・仙台で下宿する!」と、悲壮な決意をしました。
「ウチ、とにかく回りに勉強する人がいないと、勉強できないの」

(そんな程度の勉強なら、大学行くなよ!、とキツイことを言うのはやめておいて・・・)

ここで、チクリンが
俺なら迷わず宅浪だけどな。そんなにしてまで食事の苦労したくないよ」と言ってたことを付け加えます。

このころ、ピカリンは、脈絡なくすぐ目を真っ赤にして涙声になる、若干神経衰弱の状態になっていました・・・。

 

さて、遅れに遅れている4月からの居場所探し。

手付金も払わないで来てしまった「下宿」があいていることを電話で確認、予約し、
もう、そこで生活することのプラスイメージを重ねながら、準備に入りました。

ヘルシーハットさんへは、自転車で15分くらい。
予備校へも自転車で15分くらい。
ドラッグストアとスーパーがすぐ近くで、
アパート乱立の地域だけど、道路でおじいさんが散歩してたり、子どもたちが走って遊んでいる、
畳6畳。風呂トイレ一緒。でも、台所は一人前。冷蔵庫洗濯機の置き場所アリ!という下宿でした。

(つづく)(コメント欄閉じています<(_ _)>)
(ここで、チクリンお泊まり準備が入ったため、連載(?)は小休止です)

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大学浪人決定のピカの性格

事の次第を理解したのが遅かったピカリンの母もまた、
事の次第を理解したのが、遅かった・・・!

「自炊」はね、
できると思ったんですよ。
小さい頃からのピカリンをご存知の方は知っておられると思いますが、鍛えましたから・・・!
しかーし
防犯とか? 片付けとか?
そういう「だらしない」とか「きちんとしている」という分野、誰もが備えている分野の方面において、非常に非常にマイナス面のありますお気楽田舎暮らしのノホホン娘
こやつが、それなりの「都会」で一人暮らしをしていけるか?という点で、
しかも「浪人生」という立場で、という点において、
事の次第を理解していなかった、不肖、タケ氏であります。

はじめは、
「予備校いくんだったら、東京の予備校の方が、講師の質も生徒の質も高くていいんじゃない?」などと、のたまっていましたが(私)、
具体的に具体的に考えると、
アレルギー体質の自分を生活の面で全て管理しながら、&医者や食材の店なども全て自分で開拓しながら、&慣れないバスや電車の利用もしながら(ほとんど乗ったことなし)、&都会の防犯も意識しながら(ヤツは自分の部屋の鍵をかけたことがない)、一生懸命ストイックに勉強に没頭して成績を上げる(イマイチ勉強向きではないピカリン)、
以上を1年でやりきる。
っちゅーのは、今の彼女にとって無理難題ではないか?
と、思い至ったのであります。

そうして、これまた全然、出遅れどころか何も考えていなかったと思われる父たけ夫。
彼も具体的に具体的に考え始めると、
顔が青ざめ、
「この地方で、宅浪しろ!」派になりました。

しかーし、
田舎のノホホン娘のピカリンには、もうひとつ、変え難い性格があった。

それは、
好奇心旺盛で、
人の幸せは自分も手に入れなきゃ気がすまない
という性格
です。

大体、この性格だったからこそ、今までの数々のアレルギー的困難も正面突破でこなしてきたのでした。(「みんなが楽しんでいる沖縄旅行を自分は出来ないなんて考えられない!全行程塩むすびだったとしても、私は行く!」と言ったときは、ちょっと驚きました)

さて、ところで、
新たな経験
「行き先が決まらない居場所のない状態」
「学力的に、結構初めて?否定された状態」
「友達もどんどんどこかに行ってしまう(ここはほぼ全員地元を出る)孤独状態」
「気弱な時に、活字でアレルギー児お断りというのを見たプチショック状態」
が彼女のうえに積み重なり(と思われます)、
初めて「土壇場」を経験しているという状態が、
彼女を追い込んでいきました。
この「状態」は、「今までの性格」云々を凌駕するシチュエーションでありました。
これがね、
大学合格後の
「行く先が決まっていて」
「学力的にも、合格という評価を受け」
「新しいキャンパスライフへの希望に胸を膨らませている」状態であったなら、
多少の「アレルギー児、おことわり」を言われても、「ケッ!」だったと思うのです。
そのあたりが、
「浪人生」となったアレっ子を、コト取り立ててブログに書く意味があるんじゃないかと思って長々書いてマース。

 

教訓;地方出身者が、浪人の一年をどう過ごすかは、アレっ子の最初の試練としては、ちょい特殊環境である。

(つづく)

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(地方の)アレルギーっ子が大学浪人をすると・・・

というわけで、
「ピカリン、どうしたんだろう?」という結論が、タイトルに書かれてしまいましたが、
お話は、
そこからはじまる
かもしれない。
ようやくゆっくり寝られるようになったタケ氏です。

受験が終わって、結果が出るまで、例によって(?)ドタバタと友人との関わり最優先に、「ちょっとは将来を考えたらどうかね?」「落ちた時のために予備校のパンフレットを取り寄せよ」と突っ込みたくても突っ込む暇がないほどのすっとびぶりのピカリン(夕飯をほとんど家で食べてないし)。
全ての結果が出揃ってから、初めて「コトの次第」を理解したようでした。

当然、出遅れ。

ご同類のお仲間はみんな予備校の寮に行く、ということで
本人もそれを検討するも、当然ながら(勉強を最優先する立場から)「食事つき」。
一部、自炊設備のついた寮もありましたが、
そのパンフレットの下のほうに小さく
「身体障害、食物アレルギーのある方は、入寮をお断りすることがあります」
と書かれていたことに(ピカ談)、プチショックを受けた模様のピカリン。
「もし、万が一、キャンセル待ちでこの寮には入れたとしても、こういうことを書くところに、理解があるとは思えないんだよねー」
と本人。寮はあきらめる方向に。

ここから、彼女の人生第一の(?)試練が始まったのでした。

(長くなるので続く)(∴コメント欄、閉じてマース。ごめんなさい)

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