カテゴリー「農薬暴露を受けた話」の12件の記事

そして、回復まで(あのときのこと12・・・最終回)

もう終わったと思われていたであろう「あのときのこと」(有機リン系農薬曝露の話)。
最終章が残っていました。(「最終回」はブログのことではなくて、このシリーズのことです)

癲癇が発見されたところまで一気に書いたらぐったりして、ちょっとその後のことを書く元気がなかったのです。
「あのときのこと」は尋ねられないかぎり、人に話す機会もなく、
かなり自分の中では大きいことなのに、ずっと中にためているものだから、
うっかり、声に出して話し始めると、
すっかり嗚咽交じりになってしまう、そういう話でした。
でも、書ききったことで、かなりすっきりしてしまったことも本当です。

 

癲癇症状がある、
とわかってからも、
ピカリンに合う治療薬(癲癇はその人にぴったり合う治療薬というのを探す作業がある)が見つかるまで4ヶ月くらいかかっており、その間も症状は出ていたので、本当に複雑な思いでいました。

 

まず、プール
癲癇発作が水泳中に起こると危険なので、癲癇の人にとって水泳はあまり勧められるスポーツではありません。症状の程度によっては「禁止スポーツ」です。
しかしながら、ピカリンはすでにスイミングに通って3年くらいたっていました。
「ピカリンさ? 今までプールの中で、ボーっとして頭の中が真っ白になること(発作のこと)なかったの?」
「あったよ。」
「そ、そのとき、どうだったの? 水とか飲んでた?」
「うううん。全然意識がなくなるわけじゃないから、今まで泳いでいた続きで手と足を動かしているうちに、またはっきりしてくるんだよ
お!おそろしーっ!
すぐにでもやめさせなきゃいけないんじゃないか?
しかし、本人は「大丈夫」といって、楽しみにしているスイミングをやめる気はさらさらないし、医師に相談すると「・・・・大丈夫でしょう」
ほんとですかーっ!?
私は、怖くて怖くて、やめさせたくて仕方ない。
でも、本人も医師も大丈夫と言っているのに、母親の不安だけでやめさせてよいものか?!
今までずっとなんでもなく通っていて、始めた頃よりずっと泳力もついているんだから、大丈夫だよ!と、自分で自分に言い聞かせるものの、
「いってきまーす!」と、いつもどおり元気にスイミング教室へと飛び出していくピカリンの声と姿を見るたびに、「ああ、今日が、今が、この子の見納めなのかもしれない!!」
と、胸が押しつぶされそうで、本当に気が気ではありませんでした。

 

学校の先生にも話しました
おもに、そういう症状があるので、ボーっとしていることがあっても、怒らないでください、ということを話したと思います。
とにかく、4年生(ピカリンの癲癇がわかったのは3年生の3学期)になったときの担任は、ものすごい熟練先生(女性)で、頼もしくて、素敵な方でした。
「ああ、てんかんですね。一度、受け持ったことがあります。その子は、意識が薄れてくると、ノートとかもぐもぐ食べちゃうような発作でね。確かに、ピカリンちゃんも、授業中に指されたとき、立ったままぽーっとしていることがあって、あれ?と思ったことがあります。了解しました。気をつけていきますね」
この担任は、驚くなかれ(?)、あのK医師のお子さんで一番アナフィラキシーを起こしたことのある子の担任をしたことのある、百選練磨の先生だったのだ!(あとで知った)もう、これ以上の大船はありません。
今でも、その方向に向かって手を合わせて拝みたいくらいです。

 

4年生の春の運動会のとき
クラス全員リレーという種目がありました。
クラスの子全員がバトンをつないでいく、あれですね。
ピカリンは、前述したように、運動が得意ではなかったので、私はそのことでもちょっとハラハラしていましたが、「さあ、うちの子の番だ」とカメラを構えたそのときに、ことは起こりました。発作です。
ピカリンは、過呼吸になると発作を起こす子だったので、緊張のあまり息が荒くなり、まさに自分がバトンが渡されたそのときに、発作がおき、ボーっと突っ立ってしまい、走らなかった!!
クラス中のみんなが、「ぴかりん!」「ぴかりん!」「どうしたの?ぴかりん!!」と集まって大声を出して、その中にぽつんとボーっと立っているピカリン。
私は遠くから見て、「あ、発作だ」
とわかったのですが、
ちょっとドキッとしながらも、「あーあ、しょーがねーなあ」と、ちょっと苦笑する余裕がありました。そんな肝の据わった自分を自覚したときでもありました。
一瞬、あとでクラスのみんなが怒るのではないか、と思ったけれど、
「あの先生がいるから大丈夫」と、妙に安心していました。
程なくピカリンは走り始め
短い発作ですんだことに、ほっとしながら
「ピカリンがんばれー!」
と、大声で声援を送りました。

 

あれ、ちょっと泣けてきたぞ、自分。
やっぱ、まだだめか。嗚咽交じり。

 

いくらピカリンが病気でも、悪いこともしますから、
こちらも叱ったりします
それに対して、ピカリンも反抗して、殺されるのか?と思うような形相で、こちらに向かってくることがあったのですが、
そういうときも息が荒くなっているので、こちらに向かってくる途中で、
ふ、と意識が飛んでしまうのです。
何をしているのかわからなくなったような表情で、立ち尽くすピカリン。
私も怒りやら何やらでいっぱいだったのに、
「わかったよ、わかったよ。ぴかりん」
と思わず抱きしめてしまうようなこともありました。

 

そうこうしているうち、4年生の夏休みが始まる前くらいに変えた治療薬が、どうもピカリンに合う治療薬だったようでした

その薬を飲み始めてからのピカリンの変貌振りは、ものすごいものがありました

 

まず変わったのは、性格です。
怒りっぽくて、すぐキーキーと短気を起こしていたのに、
とても穏やかになり、我慢強くなり、表情がやさしくなりました。
ものすごい形相でこちらに向かってくることもなくなって、我が家の中まで落ち着いた感じになってきました。
それから、特筆すべきは、アレルギー症状が軽快してきました。
特に顔。
発作が起こっているときはよく顔をいじっていたので、それが関係しているのかもしれないし、
ストレス緩和が良かったのかもしれません。
ものすごいオンチだったのが、治ってきました。
運動がだんだんできるようになってきました。
そして、成績もぐんぐん上がり始めました。

 

4年生終了と同時に、今住んでいる地方に引っ越してきたのですが、
お別れするに当たり、4年生時の担任と話しました。
「実は、ピカリンちゃんが入学してくることは、全職員の中で共通の課題にしていました。
一人の担任の対処だけでどうにかなるものではない、
ということで、ピカリンちゃんに変化があったときは、担任は必ず職員会議で報告して、問題を全体のものにする、と、決めてあり、そうしてきていたんですよ
入学してくるピカリンちゃんのアレルギー状態や紫外線過敏など、いろんな話を聞いて、『この子、ちゃんと卒業まで通いとおせるんだろうか』と、私は思っていたんですよ
ここまで元気になって、本当に良かったですね」
(全体の問題にすることは、この先生の提案ではなかっただろうか。このとき初めて知らされた事実で、本当にびっくりしました。そう言われると、思い当たることが数かず・・・。それにしてもK医師の子どもを担任したことのある人にまで、こう思われるほどの状態だったんだなあ、ピカリン・・・・)

 

いま、ピカリンに出会う人は、
ピカリンが以前、マラソンでは周回遅れのビリで、
成績は平均点にも届かず、
怒りっぽかった、などとは、誰も信じません。
ただ、小学校3年生の頃の記憶は、生活記憶も学習記憶もほとんどまったくなく、
その穴埋めはかなり大変
なようです。
中1の1学期の体育の成績が「4」だったので、本当にびっくりしました。
びっくりしていると、担任が「だって、バスケットでバリバリでしょ?」と言うので、もう、なんと説明して良いかわからなかったです。
成績は、4年生冬ごろから平均を超え始め、
今、トップグループに突入し始め、
自分でも、それが爽快らしく、勉強の手を抜きません。(←母、体が心配で休ませたい)

 

これが、この子だったのか。
この穏やかで、集中力のある、快活ながんばり屋さんが、この子だったのか

 

そう思う気持ちといっしょに
目の前で発作が起こっているのを、勝手に「化学物質過敏症の一症状」と決め付け、
手当てをせずにほおって置いてしまった2・3年間のことを思い出し、
「本当に、ごめんね」
と思った頭の中には、
そんなほったらかしの母親とも知らず、ニコニコと満面の笑みを私に投げかけてくれていた小さいピカリンの顔も、同時に思い浮かび、
申し訳ない気持ちでいっぱいになって、
泣けてきてしまうのです。

 

 

薬を飲み始めて3年以上がたちました。
この秋から、薬の量を減らしています
たぶん、飲まなくてよくなる日ももう間近だと思います。

 

ピカリンの成績が良くなったことや、体育ができるようになってきたことと、
癲癇発作が抑えられていることの関連性は、よくわかりません。
とくに発作を抑えるとこうなる、という顕著な例、というわけではないそうです。

 

また、ずっと書き綴ってきたように、
癲癇自体が、化学物質(うちの場合は農薬)によって引き起こされるなどとは、まだ誰も言っていないと思います。
私はかなり関係があるような気がしているのだけれど。

そんなふうに、何もかも科学的に解明されていない整理されていない混沌とした中で、
ピカリンは成長し、私もそれに対応してきている、という感じで、ここまで来ました

(ちょっとだけ著名な)角田医師は「ADHDの子の中には、アレルギーが原因ではないかと思われる子がいる」と言っているし、私もそう思う。
アレルギー、性格、化学物質、神経伝達系の病気、学力や体力・・・・
ぐるぐるとゆるやかに関連しているような感じがする。
その関連に気づかぬまま、
関連をほおって置くと、
関連の輪は強固になり、その輪でがんじがらめになって、いつか人間が自分たちの手でそれを解決できないようになってしまうんではないか
地球温暖化で、気象変化があって、海水面が上昇して、オゾンが・・・
という心配と同時に、
こっちの「関連性の輪」を、どうにかこうにかほぐしていかないと、
悲しいことになっていってしまうのではないか。

そういう大きい目で見ると、
私たち家族とピカリンの経験してきたことは、
考察資料にも値しない、小さい個人的なことかもしれないけれど、
でも、私自身は、
この経験を通して、その不安を持つにいたっている。

そうして、たぶん、
これらの輪の根っこには
「化学物質」があると思う。
そういうことを解明していく何かを、自分も自分なりの方法で、何かしていきたいな、と思う今日この頃なのであります。
なんだか、とってつけたようなまとめ方になってしまったけれど、今、自分探しと一緒に、このことを強く考えているのです。

 

ほんとうのおしまい。

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アレルギー体質と関係あるの?(あのときのこと その11)

アレルギーブログのはずが、
別の病気が出てきてしまいました。
けれど、私個人としては、
あくまで、私個人としてはですが
まったく別のこと、という気がしていません。

 

はじめは、ピカリンに、アレルギー・化学物質過敏ときて、また、あらたな病気が見つかった、と私も思いました。
でも、いろいろと引っかかることがあるのです。

 

私は、それまでてんかんの人に遭ったのは、若い頃入院していたときだけで、あとは、よく知らずにいました。だから、同じ病院内でも、どれくらいてんかんの子供がいるか、とか、考えたこともありませんでした。
総合病院でしたので、今までのアレルギー外来に加えて、小児神経外来が加わりました。小児神経の医師いわく、「てんかんと、アレルギー、両方持っている子ども、って結構いるんですよね
「え、本当ですか?」
「うん。だから、アレルギー外来と、こっちの神経外来と両方来ている人、って結構いて、決して珍しいことではないんですよ」
医師は、私の動揺を見て、落ち着かせるために言ったことなのかもしれないのですが、
はっとする事実でした。

「うちの子もてんかんだよ」
と、ピカリンの友達のお母さんが言いました。
その友達の兄弟が、てんかん症状があるのだそうです。
で、その友達自身は、やっぱりアレルギーがありました。

 

それにしても、いつから・・・?
私自身が、ピカリンがぼうっとしているのを、はっきり自覚したのは、
遅くとも、ピカリンが小2の夏でした。小2の6月に「化学物質による影響を受けている」と言われ、「そういえば、よくボーっとするのも、そのせいじゃない?」と、夫に話したのを覚えているのです。
医師にも、あとから「時々ぼうっとしているんですけど、それも化学物質過敏の症状ですよね?」なんて、勝手に決め付けて念押しをしたことも覚えています。
医師は、「そうかもしれないね」という感じの返事をしたと思います。
お互いあまり深いやり取りもしないで、でも、私は、そうなんだ、とずっと決め付けていたのです。

保育園の頃は、そういうことあったかな・・・?
ピカリンを3年間も担任してくれて、とても仲良くしていた保育士さんがいて、
彼女に「どうだったっけ?」と聞いてみました。
「特にそうだと気がついたことは無かったけど・・・」
わたしも、ぴかりんのぼーっに気がついたのは、早くて小学校に上がってからじゃないかと思うのです。
有機リンの殺虫剤の曝露は、小1の夏・・・。

どうしても、そこに結び付けて考えてしまいます。
もともと、有機リン農薬の作用は、伝達神経に働くものだし、
てんかん自体も、「脳細胞のネットワークに起きる異常な発火(以下、 てんかん放電)のためてんかん発作を来す疾患あるいは症状」「脳の中の神経細胞に一過程の興奮 の嵐(過度の放電)が起きて、そのために発作が起こる病気」 です。

しかしながら、
「癲癇」という病気は、
何が原因で起こるのか、医学的に解明されていないそうなのです。
それなのに、農薬との因果関係など、証明できるわけがありません。

 

アレルギーと、化学物質過敏と、癲癇。
そして有機リン系農薬。

 

このあたりの関係の解明は、20年、30年先にはなされるのではないだろうか。
私は専門家でもないし、こちら方面の勉強に関しても怠け者で、
まったく科学的根拠があるものではないのですが、
なんとなく関係がありそうな・・・。

ただ、今は、わからないのだから、
こういう事実があった、ということは心に留めて、医学や科学や環境問題のこれからの動向を見ていこう、
とにかく、そういう風に、自分の中で割り切りました。

 

(お願い これは、あくまで、ピカリンの身の上に起こった出来事であり、それにさらに私の勝手な推測が働いているものです。農薬の曝露を受けると癲癇になるわけでは、決してありません! 自分の中で、そういう疑いがあり、その疑いを払拭するために、いろいろ理屈をつけていっただけです。ですので、いたずらに、それらを結びつけて恐れたりする必要は無いと思いますので、どうか、そのように、強くお願いいたします)

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それでもなんか変だ・・・から、新しい診断まで(あのときのこと その10)

(前からの続き)→今回は、誤解を招くといけないので、3回に分けて一気に長く書いており、読むのが大変で、とてもごめんなさい。

 

この九九と小学校の漢字については、落とすわけにはいかない、ということで、
母タケは、長期休みのたびに、ピカリンの勉強に付き合うことになってしまってました。
川島先生の100マス計算ドリルって、ありますよね?
九九を100マスを使って訓練していくものです。
2分でできるようになったら合格。
早い人は1分くらいでできます。
「はじめは10分も20分もかかる子もいます。が、繰り返しているうちに早くなります」
ということで、小3のピカリンにも挑戦してもらったわけです。
・・・20分近くかかります。
そして・・・
どんなに何度も何日も、何週間も練習しても、
8分くらいかかるのです。
3回もやれば、集中し続けて30分、ということになり、とても疲れてしまって、見た目にもかわいそうで、あまり沢山やらせられません。
川島隆太先生の本には、「○週間(10日だったか?)やっても、2分切れない場合は、隠れた病気があることがあります」
というようなことが書いてありました。

神経伝達障害・・・?

そういうことなのかなあ、なんか変だなあ・・・
この頃から、「なんか変だ」と思い始めました。

というのは、
ときどき、例の、「棒の先を見る」という「診断」を家で勝手にやっていたのですが、
ピカリンはだんだんスムーズに見られるようになってきていたのです。
農薬曝露も、前に書いたように、町内会でも曝露を受けず、
1年生の夏に曝露されて、3年生の夏で、もう2年です。
そうして、科学的にも、「コリンエステラーゼ値」が正常値になってきていたのです。

ピカリンの変な症状は他にもありました。
時々、ポーっとするような感じで、話しかけても生返事で、ちっとも反応しないのです。ぽーっとしたかと思うと時々立ち上がって、ふらふらと歩いて戻ってきたり、
それで、そのことを覚えていないのです。
(わかる人は、ここでわかったと思います・・・)

神経伝達障害?

おかしいなあ。

医者に行くたびに、たずねることが繰り返されました。
「ぽーっとしているんです」
「考え事をしてるんじゃない?」
「何を話しかけても聞こえていないようで」
「集中しているからだと思います。アレルギーの子は、そういうことが良くあります」
「でも、なんか、変なんですよ」
時には、ピカリンに絵を描かせて
「こういう絵を描ける子は、心配要りません」と言われたり。
明らかに、「お母さんの心配しすぎ」といった感じの扱いでした。

そうなのかなあ・・・

ある日のこと、
夫が、熱い鍋を、鍋つかみ無しで持ってきてしまい、
「熱い!熱い! ピカリン、急いで鍋敷き持ってきて!」と必死で叫んでいるのに、
ピカリンは、例のポーっとした状態で、反応しません。
「ピカリン!急いで!」
と夫が叫んでいるのに、何も聞こえていないように、ただ空を見つめて立っています。
夫は、猛然と怒っていましたが、
私は「これは、絶対まずい」と、はっきり思いました。
近くの人が危機的状況(?)でも反応できないということは、
自分に危機的状況が発生しても、反応できず、危機を回避できないことがありうる!
危機を回避できない状態というのは、絶対治さないといけない。
生活が困難になることを「病気」というのなら、これは、明らかに「病的症状」だ!

 

何度も医者に言っていたのですが、
診察時、またしても
「先生、やっぱり変です!」
と、強い調子で言うと、
小3のピカリンさえも
「おかあさん、もう、やめなよ」
と、制しました。それくらいしつこく訴えていたのですね。
先生も、あきらめた様子で
「じゃ、おかあさん。脳波の検査でもしてみますか?」
「してみますか・・・、って・・・。それで、なにかわかるのなら、なんでもやりますけど・・・」
「癲癇が隠れていることがあるんですよ」

てんかん?

先生の態度は、これまた明らかに「んなこた、無いと思うけどね。気の済むようにしたら」というものでしたが、まったく意に介せず。なにかわかるものがあるのなら、とにかく進みたい!という気持ちでした。

家に戻って、さっそく『はじめてであう小児科の本』(山田真)のページをめくると
てんかんの種類のところの精神運動発作の項に 
この発作は意識が低下してなんとなくぼうっとしたまま、口をぴちゃぴちゃいわせたり、物を飲み込んでいるようなしぐさをするというのが最もよく見られる形です。」
これだーっ。
ピカリンはいつもこれをやっていて、「何を食べることを想像してたの?」とよく笑われていたんです。
他には服を脱いだり顔をかいたりするとか
これもやる! アレルギーで痒いんだと思っていた・・・。服を脱ぐこともありました!
急に走り出したりするなんていうのもあります
これもだ! 急に立ち上がって歩き出して、途中で止まって、何しているのかわからなくなっているのです。

これに間違いない!
精神運動発作を伴う、てんかんだ!
こうして書かれれば、「そのとおり」と思えるけれど、
知識の無い自分には、
医者に対して「ぼーっとしてる」としか言えなくて、
それが、先生の判断を遅らせてしまったのかもしれません。

さあ、早く検査しろ!
早く分かれ!

ちなみに、よく知られる倒れてしまうタイプのてんかん発作は、大発作。
ボーっとするだけのは、小発作というそうです。
また、精神運動発作は、複雑部分性発作ともいわれます。

脳波の検査中、
検査の途中なのに、検査技師があわてて医師に連絡を取っているのが分かりました。
(だろ? てんかんだよ。早く分かれよ!)
てんかんを扱える医師(ある程度専門性がいるそうです)に担当を代わり、
さらにMRIもとって、
私の予想通り、複雑部分性発作のてんかんと診断されたのでした。

化学物質過敏による神経伝達障害、と言われたのが小2の夏。
てんかんの診断は、小3の冬のことでした。

 

(化学物質との因果関係ははっきりしていません。これについては、次回に書きますので、お待ちくださいませ)

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具体的にどういう風に見えたか(あのときのこと その9)

学校でやるピアニカ(メロディオン、鍵盤ハーモニカ)が、ピカリンは苦手でした。
見ていると、何がなんだか意味がわからない、といった風です。
音符を見る、それが何の音を表しているか、その音の長さはどれくらいかを知る、
その音をどの鍵盤であらわすかを知る、そして、音階に割り当てられた決まった指で鍵盤を押す。
これらをいっぺんに頭の中で処理するのですよね。
ピカリンの「???」は、ここら辺が処理できないからおこるように見えました。
それは、私自身がそう感じたというだけで、本当のところはわからないのです。
でも、
『神経伝達障害』が原因なのかな、と思っていました。
このいくつもの情報をもっと単純化すれば、わかるかな?
家で、いろいろ工夫してみたり、
「いいよ、いいよ、できなくても仕方ない! 気にスンナ!」と言ってみたりしていました。

小学校2年生の冬から掛け算九九が始まります。
ピカリンは、いきなり二の段で躓きました。
普通、二の段と五の段は、スッといきますよね。
家で練習する子も少ないと思います。
でも、どうも学校でもできてないようだと気がつき、
二の段の表をカレンダーの裏に書いて、ふすまに貼り、
「ピカリン、挑戦してみようか」
と言ったとたん、ピカリンはその場に泣き崩れました。
おうおうと泣くピカリンの丸い背中を見て、どうしようか?と思いました。
ピカリンにとって、二の段は、手も足も出ないものすごく高い壁に思えているようでした。
友達が、「ピカちゃん、二の段は頭の中で足し算しながらやるといいんだよ」と言ってくれたそうだけど、ピカリンは、口で九九を唱えながら、頭の中では足し算をするなんて、できない、と泣きながら言っていました。

同時処理ができない、ってこと・・・?

それなら、もうとにかく、丸暗記しかない。
とにかく、がんばろう!
大変だけど、九九で躓いて、苦手意識を引きずるのは絶対良くない。
心は、ちょっと、鬼、状態でした。

本当は食べ物で釣る、なんて良くないと思ったけれど、
食欲魔人のピカリンに、二の段五の段をマスターしたら金平糖1個、
三の段は2個、最後の七の段は5個ね。という風に提案したら、ものすごくやる気の乗り気になり、俄然張り切りだしました。
(金平糖なんて、あまりにもせこいご褒美だけど、その頃は金平糖なんて食べさせてなかったので・・・)

それからは、それはもう、血のにじむような努力をして、
掛け算九九をマスターしました。
先生は、ピカリンが家でどれだけ苦労して、半べそかきながら、何度も暗証していたかを、知らないんだろうな、と思う。
本当に毎日、泣くのをぐっとこらえながら、長時間九九を暗証するピカリンを見守り続けるのも、結構つらかったです。

ピカリンは、勉強があまりできませんでした。
ピカリンが、小3のときのこと、
ある日、用事があって夕方不在にしてもどってきたら、出先から直帰して早めに家に帰っていた旦那とピカリンが、大騒ぎしながら家で習字をしていました。
部屋の中には書き散らした半紙がいっぱい。
「な、なにしてるの?」
「いやー、ピカリンが、明日漢字のテストだ、って言うからサー。それで、なかなか覚えられない、って言うもんだから、こうして筆ででっかく書く、っていう練習をすると、印象に残って覚えられるかと思ってー・・・」
・・・この夫の発想の方が問題、っていうか、逆にすごくほめたものか、微妙なところで、微妙な心持のまま、楽しくやってるから、いいか、と見守ることにしたのですが、
夫が、
「めざせ!60点!」と書くと、
ぴかりんが
「ええ~~~・・・!」
と言っている。
(そうだよね、小3で60点が目標にはならんでしょう。80点くらい?)
と思うと、
ピカリンとしては「50点」にしてほしいのだそうだ。
え?!
そんなにできないの?!
と聞くと、プレテストでは30点くらいだったとのこと。
小3で、漢字30点!
それは、まずいでしょう。
と、タケ、乗り出す。
しかし、やってもやっても、覚えられない。
覚える方法はいろいろあって(塾講師タケ)、いろいろ試すも、全然ダメ。
ピカリンは、翌朝早起きして、さらに挑戦していましたが、
「とにかく、これだけはー!」
と、選定した漢字だけでも、まだ危うい・・・。
これだけの勉強を、猛烈にやって、
51点とって、ピカリンは大喜びして威張っていました・・・。

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家でどう対応するか(あの時のこと その8)

すっかり間が空いてしまい、
何の話かわからなくなってしまっている、ピカリンの。有機リン殺虫剤曝露の話です。
前回、「神経伝達障害と」いわれたところまで書きました。
http://taketaketake.tea-nifty.com/cooking/2006/07/post_216b.html

家に帰って、眼球の動きのテストを自分たちでやってみました。
「ピカリン(当時小2)、この棒の先の○○を見ててね」
ゆっくり横に動かします。
北里の石川先生は
「横はまあまあ」
と言っていました。
ピカリンの眼球は、ゆっくり棒の先を追っていきますが、
時々止まり、はっと気がついたように、さっと棒の先に視点が戻り、またゆっくり動く、といった風でした。
決して、棒の動きについてきません。
これで、「まあまあ」か。
次に、横よりも難しいと言っていた縦の動きです。
「顔は動かさないでね」
と、上のほうから、ピカリンの目の前をゆっくり下に向かって棒を動かしていきます。
(下に向かって・・・視線、ついてきてるジャン?)
と思ったとたん、黒目がぎょろっと左斜め上に走る。
ん?
と思う間もなく、右横端ギリギリまでぎょろっ。
ぎっ、と棒の先に視線が戻ったかと思うと、
また、全然あらぬ方向にぎょろっ、ぎょろっ

言葉が出てきませんでした。

誰がどう見ても「異常」です。
専門家にしかわからない、微々たる「異常」な動きなのかと思っていましたが、
素人にもはっきりとわかる「異常」でした。

しかし、それでも、それが具体的生活の中では、どう作用しているのか、
本人はどう感じるのか、よくはわかりません

まだ7歳のピカリン自身も、自分のどんな感覚が人と比べて「異常」なのか、表現できないでしょう。
親としては、
「これがそうかな」
「こうなっているのは、神経伝達障害が理由かな」
と、時々予想を立てるくらいしかできません。

ピカリンにちょっと苦手なことがあると、その理由はこの「障害」にあるのかもしれない、
と考え、いたずらに叱咤激励しないようにし、
疲れているようだったら、「連絡帳で先生に伝えておくから、宿題しないで、寝なさい」という対応くらいしかとれませんでした。
それでも、その「苦手」や「疲労」が、有機リン殺虫剤による神経伝達障害が理由なのか、実はそうではなくて、本当はもっと叱咤激励しなくてはならない場面なんじゃないか、甘やかしになっているんじゃないか、そういう疑問もわきました。
しかし、わからないものは仕方ない。
ひたすらピカリンの様子を観察し、「伝達障害によるものかもしれない」ということを頭の隅に置きながら、対応してきたつもりです

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「化学物質過敏症」(あのときのこと その7)

のどもと過ぎれば・・・で、
町内会総会で、大恥ともいえる醜態をさらしたのに、
「やったー、やったー、ルッタランタ」とも表現できるような、さっぱりぶりで、その後を過ごしていました。

この年と、その後さらに2年の合計3回、この土地で「町内会消毒薬散布」の季節を過ごしたわけですが、
なぜか(?)、その総会後、私は「消毒薬」を見た覚えがありません

「回覧回ってきたっけ?」
「消毒薬散布、って中止になったの?」
「知らない間に、小規模に、やった?」
?????
いったいどうなっているのか、自分が見落としただけなのかわからないけれど、
見た覚えが無いのです。
何かあれば、行動を起こそうと思って構えていたので、
何も無いことについては、問い合わせをする、というほどの気力までは起こらず
(だって、子育てして、家庭を回していれば、そういうこと以外にも大変なことはいっぱいありますから!)
時々近所の人に、上記のような質問を発し
近所の人も
「さあ????」
みたいな感じで、過ごしてしまいました。
わざわざ電話をしないまでも、町内会役員の方にばったり会うことがあれば、聞いてみよう! くらいは思っていたのです。
で、町内会長に、スーパーかどこかで会ったときに、何気に聞いてみたこともあった気がします。
が、
たしか、町内会長は、ちょっとボケが入っているのに、まつり上げられて会長になったのかな?とでも思いたくなるような、ふわっとした方で、会話の要領を得ず、終わったように記憶しています。(一番わかっているのは総務の人だったんだよなー)

もしかしたら、市の方からも何かあったのかもしれません。
私が薬剤名などを市に問い合わせたことで、なにか、町内とやり取りがあったのかな。
まさかと思うけど、K医師が動いた「厚生労働省」への進言も、何らかの形で出てきたかな?
具体的なことは、わかりません。
たった今住んでいる地域でも、理由ははっきりわからないけれど、「町内会消毒薬」散布は減少・廃止の方向だし、
私自身の勉強・情報収集努力不足で良くはわからないけれど、全国的に、そっちの方向にあるのかもしれない。

もしも、「町内会消毒薬」=有機リン系殺虫剤の散布が続けられて、それが学校登校日などだったら、学校を休んででも、たとえば私の実家に避難する必要がある、とか、もちろん、市や町内に掛け合わなければならない、とか、いろんな覚悟があったのですが、
その覚悟は実行しないですみ、そのまま時が流れました。

町内会総会が行われたのが4月終わり。
のどもと過ぎて、ルッタランタの頃の6月だったかに、かかりつけのK医師の定期外来で、氏より
「今度、ハウスシックの調査があるんだけど、その中で、化学物質過敏症の検診や、室内空気環境の調査をやるんです。もし良かったら、協力してもらえませんか? ピカリンちゃんは、ハウスシックではないけれど、やってみた方がいいと思います」

化学物質過敏~~?
聞いたことはあるけど、考えたことが無かった分野でした。
北里研究所の石川医師が検診してくださるということで、
北里が、そちら方面の「権威」だということも知らなかったけど、
北里といえば、北里柴三郎!(しらねーよ、そっちのほうが、普通)
K先生には、厚生労働省の件でもお世話になったしなー、
モニター候補者が少ないのかな?
でも、うちのデータじゃ、ハウスシックの基礎データにできない気がするけど、よしゃ、K先生へ、ちょっとばかりの恩返し!
半日かかるみたいだけど、どんなのか興味もあるし、協力しようじゃ、あーりませんか。(他に、東北大学建築学科も調査グループ)

と、どちらかというと、物見遊山プラス高飛車な態度で、7月下旬に行われた検査に参加したのでした。

ちょうど、1年前に、有機リン系殺虫剤の曝露を受けたことになります。
症状としては、前に書いたように、「喘息発作」「肺炎」「無気肺」での入院、で、とっくに症状消失
元気に過ごしているピカリン(このとき小2)でしたので、
夏の暑い中で、ちょっぴり涼しい病院で、子供と一緒に暇つぶし、みたいな、お気楽ムードで、鼻歌交じりに出かけたのでした。

長い長い問診。
その他親が書き込むことも多くて、その間に子供は、心電図やら、嗅覚やら脳内血流状態測定やらいろんなことをやり、最後が、石川医師による検診。

だんなもチクリン(このとき3歳)もいっしょで、みんなでごちゃごちゃと診察室に入りました。
石川医師の後ろで、「この子はハウスシックではないんですけど、有機リン系農薬のうんたらかんたら・・・」と、K医師が説明。
(はいはい。そう、そう、そう。だから、あんまり関係ないと思うんですけどねー)と、心の中で私。
やさしそうな石川医師が、赤い玉のついた棒かなんかを持って、玉を注視するようにピカリンに言って、玉をゆっくり上下や左右に動かしていました。
「ほらほら、K君(←注;K医師のこと)、ちょっとこっちに来てよく見てごらん。典型的な症状だよ
はいいいー?
「左右は、乱れはあるけど、まあ何とか。でも、上下が全然ダメでしょ」
「はい」(by 集中するK医師)
なに、なに、なにー?!
何が起こってるの?
私にも見せてーっ!
「こっちの坊やは弟かな? この子もちょっとやってみようか。 ああこの子はきれいだ。きれいに動いている。お姉ちゃん、だけだね」
ええと・・・
今、K医師に良く見せた、ということは、前の検診の人たち(他のモニター)には、そういう人はいなかったわけ? 
なわけでもない?
つーか、何なの、何なの、何なんなのー?!
「どういうことなんでしょうか?」
「うん。化学物質過敏症の典型的な症状でね。ものの動きに眼球がついていけないの。物の動きを追えないんだね。 おかあさんね、外からは良くわからないけれども、この子は、本当はすごく大変な思いをしているよ。 生活していても、つらく感じていることが多いはず。疲れていると思います。 だから、多少のことでは怒らないであげてね。この子はね、すごく努力してますよ

ぽかーん・・・
とすると同時に、胸が加速度的に鼓動を速める。バクバクバク!!

とっさに質問返しができなかったが、
すぐに後、K医師と面談したときに
「どういうことに気をつければいいんですか? 治るんですか?」
と聞いた。
「神経の伝達機能が、正常じゃないんです。伝達の信号が沢山出て、それがごちゃごちゃして、正しく伝わらない。
具体的には、いくつもの情報を一度に処理できない、ということがあります。」
「生活上で気をつけることは?」
「まず、小さいボールでキャッチボールするとかね、そういう時は気をつけて。あと、普通の人なら、目の端に映ることが、うまく機能しないから、交通事故とかね、気をつけて。
症状は、これ以上の曝露を受けなければ、2年くらいで消えるものだと思います」
キャッチボールね。運痴のピカリンには関係ないから良し。
交通事故も、慎重派のピカリンは、大概大丈夫なはず。
情報を一度に処理できない、怒ることを控えめに。
そんでもって、2年くらい様子見るんだねっ!
よし、
わかりましたーーーーっっ!!

この検査の4ヶ月前頃、ピカリンはアナフィラキシーで緊急入院してたし、
いろんなことがあったから、これくらいなら、どーん!と来いだ!の心境。
2年くらい、と、一定の期限がつくのなら、一生のこととはならないかもしれないし、希望もある! それなら、大丈夫!

・・・でも、ピカリン、知らないところで、苦労していたんだ。
ごめんよ、気がつかなかった。
人より疲れすぎるとは思っていたけど、そういう理由もあったんだ・・・。
でも、お母さんは、了解したからね。
きっと、うまくやれると思うよ。

 

こうして、我が家は化学物質過敏症と出会い、付き合い始めることになりました。

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いよいよ総会・・・!(あのときのこと その6)

総会の行われる公民館に入り、受付で役員の人に、今日は発言します、ということの断りを入れたとは思うのですが、覚えていません。提案文書は手渡したのだろうか。
なぜ、このあたり記憶の自信が無いかというと、
総会会議が始まると同時に、血の気の引くような事実に気づき、そのことが記憶をあいまいにしているからです。

 

 

発言原稿と、質問された場合に参照する資料、丸々忘れた!!

 

がーん!がーん!がーん!
よりによって何?!
あんなに一生懸命やったのにー!
信じらんない! 馬鹿か?→自分!!

どうする?
取りに帰る?
でも、結構遠い。
いつどこで、どんな議論が出るかわからない。
議論も聞かずに提案するなんて、受け入れてもらえない率80%↑だよ!
取りには帰れない。
公民館の壁際に座って、目の前の沢山の人たちを見ながら、考えました。

大丈夫、何度も考えたんだから、原稿無くたって、資料無くたって、喋れるはず。
喋れるはず、はず、はず、はず・・・緊張と動揺で頭、まっちろちろー!!

 

落ち着けタケ。
一番大事なことは何だ?
事実を知ってもらうことだ!
理屈は後でいい。
この、最低年齢者=タケのような総会(爺さんが多い)で、若い女が小理屈こねて、説き伏せることほど、忌み嫌われる場所は無い。
理屈より、事実だ!
偉そうな女ではなく、同情をかう方向だ!
気持ちに訴えるのが一番だ!

発言原稿は、農薬や法律についての理屈と、
自分のつらかったことを、バランスよく順序良く考えて作ったつもりでしたが、
それは、かなり難しい作業で、
ようやくできたものなのです。
あれと同じように上手にしゃべることはムリ!と判断し、
もう、とにかく
事実と「困っています」訴え路線しかない!
これが、基本。
この基本に寄りかかるしか、今動揺している自分を切り抜ける方法は無い!
でも、提案の3項目は覚えているから、それは言うけど。

 

貧血くらくら・心臓動脈バクバク状態で、たぶん、役員の年間計画の説明後、「『消毒薬』散布」が入っていることについて、意見を言う、という形で手を挙げたと思います。

今となっては、何をどういう順番で言ったか覚えていません。
「同情路線」などと、策略的なことを考えた、いけ好かない女は、
わが術中に自分が陥り
すごく自分がかわいそう、さらに子供(ピカリン)がかわいそうになってきて、
なんと、嗚咽交じりの発言に!!
何、泣いているんだよー! 自分ー!!
と、どこかで、「おいおい!」的に呼びかけている自分がいるんだけど、
なぜか涙ばかり、止まらず。
やっとの思いで、ピカリンの状況、今後心配していること、
あと、農薬の種類や、伝染病予防法の廃止とか、いろいろぐちゃぐちゃ言ったような気がするが、泣いちゃっているから、もうめちゃくちゃ。
・・・・・

 

やってもた、やってもた、やってもたー!
もうだめぽ。
きっと、何言ってるのかわからなかったよ。
あんなに一生懸命、いろいろ調べたり、考えたり、整理したりしてきたのに、
大失敗ーーー!!
全部、水泡に帰したね。

 

「おわった・・・」

 

涙でぐしゃぐしゃで、ボロボロになって公民館の隅の席に呆然と腰を下ろしたとき、

すかさず、前列に座っている男性が、勢いよく手を挙げたのを、ぼんやり見ていました。
司会に指された男性が大声で発言を始めました。
「『消毒薬』散布は、今年から即刻やめるべきです!
こうして被害者が出た以上、やってはならない!
私は、もともとあの薬は、撒いても撒かなくてもどうでもいいんだ。
あんなものは、やる必要は無いっ!」

ひ・・・っ。

ぼそぼそと「そうだよ」「そうだよ」
という声。

ここで役員からも、「しかし撒いてほしいという家庭の要求もあって、役員会も今回の件は聞いているのだが、対応を悩んでいる」的な発言。

また、やおら、とある爺さんが手を挙げ、結構えらそうに
「今のお話、なにやら大変な状況にあるようだということはわかりましたが、あなたのおっしゃることは早口でよくわからない! もう一度最初から、発言しなおしてくれませんかっ」

しゃ、さいしょからっ?!
は、早口だった、よね、多分。
さ、さいしょから・・・・ でででできない・・・?!
でも・・・、わかってもらうためには! やってみるか・・・

しかし、この爺さんの発言には、女性陣から
「何言ってるんだい、あんなに一生懸命言ったのに」
という、
”何言っているかいまいちわかんなかったけど、一生懸命がんばっている若いママ支援”の陰口が沸き起こり、
私も、立ち上がりかけたのをやめて、腰を下ろす。

 

もう、後は、ほとんど全然覚えていません。
少し議論があって、
何か、私も一度くらい、補足説明をしたような気もする。
役員が、上手にまとめてくださり、
提案3点については、了承され、
他の議題も終えて、散会。

みんながぞろぞろと帰っていく中、おばあさんが一人駆け寄ってきて、
私の手を握りながら
「あんた、よくがんばったよ。よくがんばったよ。子どものためにちゃんと言って、えらかったよ!」
と、言ってくれた。

・・・

 

行政はこうすべきだ、とか
農薬の恐ろしさ、とか、
町内会の責任問題、とか
散々固いことを頭の中でこねくり回した私は、最後のシーンで、「がんばった」姿勢だけが評価される状態となり、
どこか違ってしまったことを感じつつ、
それでも、「事実だけは伝えられたかな」

仕方ないよ、力量不足だ・・・。
でも、これで、
今年度の散布については、何らかの変化があるだろうし、
なければ、おかしいと思ってくれる人が、何人かはいるだろう。
それだけでも、前進だ。
その上で、次のアクションを起こせばいい

無力感と、
少しは前進したかな、というわずかな手ごたえ。
明日から、町内を歩くとき、ちょっと恥ずかしい・・・
という気持ちを抱え、、
とぼとぼと誰もいない家に帰宅し、
しばらく玄関でボーっと座っていました。

(注→この話は、5年前の今とは違う県に住んでいたときのお話です)

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町内会総会で伝えること(あのときのこと その5)

11日の火曜日午後2時から 13日の木曜日の午後2時まで
当ココログのメンテナンスで、記事の投稿やコメント・トラックバック受付ができなくなるそうです。
ニフティのことだから、木曜日の午後2時より遅くまでかかると思います・・・

すみません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今までのお話

その1 http://taketaketake.tea-nifty.com/cooking/2006/05/post_17a8.html

その2 http://taketaketake.tea-nifty.com/cooking/2006/05/post_7a80.html

その3 http://taketaketake.tea-nifty.com/cooking/2006/05/post_cbba.html

その4 http://taketaketake.tea-nifty.com/cooking/2006/05/post_9289.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

町内のみんなに、有機リン系殺虫剤の危険性を知らせることだけは、最低目標として、必ずやる

知らせる場所としては、やっぱり、町内会総会が一番いいのかなあ、と思っていました。そこの町内会総会は、各班(数戸ずつ分けられた班)の班長と役員は最低限は出席しており、さらに意識的な方は、それらの役職についていなくても参加している、という規模で行われていました。
町内全世帯が参加しているわけではなけれど、かなりの出席率だし、町内全地域の人が偏りなくくまなく出席しているという点で、また、直に伝えられるという点で、一番いいだろう、と思いました。

そして、何を話すかについて、以下のように伝えたい事柄と、提案を分けて整理してみました。

まず第一に、事実を伝えるということ。

調べたことを表にしたりして、有機リン系殺虫剤の怖さを科学的に喋ることもできるかもしれないけれど、
問題は町内で起こったのだから、科学的な説得の前に、ピカリンに起こった事実を具体的に、きちんとみんなに知らせること。

第二に、町内会が今置かれている立場の説明

この間のやり取りの中で、市の人が「町内での散布に市は協力している」という言い方をしていたことが、引っかかっていました。
市の方は、伝染病予防法の廃止を踏まえて言ったのかわからないのですが、「やっているのは町内会だ」という立場の言い方ですよね、これ。
多分、ずっと昔の始まりは、市の依頼だったと思うのです。
しかし、法律のない今となっては、県からの通達がない限り(あったのかもしれないですが)、薬剤は町内が主体的に撒いていることになってしまっているのです。
町内会は、そのあたりを、自覚しているのか?
今回、私は訴訟行為をしないけれど、もし、そのような事態が生じたとき、町内は、それに答える自覚や準備はできているのか?
ちゃんと考えておいたほうがいいのでは? というアドバイスの形をとった脅しになっちゃうんですが、まあ、そういう方向で、立場の自覚を促そうかと。(策略的!)

そんな説明を前提に、
提案することとして、

① 市に「消毒薬」取り扱いについての説明を、町内会として求め、その内容について、散布前に回覧にて通知・周知徹底。

②上記を行った上で、各戸の散布に関する希望をよく聞き、希望者宅には屋外にも消毒薬散布をしない。そしてこの点はシルバーセンターにも、町内会が責任を持って徹底させる。

③今後の消毒薬散布について、廃止または休止を入れた検討を行う(今この場で決定するのは難しいと思うから、役員会で検討し、他町内会とも状況について経験交流する)

私の本音は、廃止、です。
でも、廃止にならないなら、とにかく、うちにだけは撒いてもらいたくない!(②)
それから、同じ気持ちの人を、きちんと募る。みんなに事態を知らせて、みんなの意見を聞く(①と②)
もちろん、廃止の検討もしてもらうけど、いきなり廃止が怖かったら、「休止」して様子をみるという余地もあるのではないか、という譲歩した提案(③)
薬について調べている中で、同じ市内でも殺虫剤を散布していない町もあったので、役員としても、他町の様子を知ることができれば、廃止・休止の「勇気」(?)を促すことになるのではないかなあ、と、ナニゲに偉そうなアドバイス。

と、こういう形をとりました。

すっごく、当たり前の提案です!!
でも、アドレナリンたぎりまくりの中で、ここまで冷静な提案をまとめるには、かなり悶々としてました。

とにかく、一度吐き出さないと、脳内ぐちゃぐちゃで冷静になれないので、
ばー!と言いたい放題書き出してみたり。
科学的説明をするならどうなるか?と原稿書いて、読み上げた(声に出してやってみた!)ら、1時間以上かかるわ、こりゃ、とか。
こんな風な自分の頭を冷静にするための作業も結構やりました。
ひとりで、くんずほぐれつ、息を荒げて、頭と精神でバトルして、
ガスを抜くだけ抜いてから、町内会総会に参加するぞー、みたいなね。
そうやって、伝えることをまとめ、
原稿も用意して、
質問が出たら答えられるように資料も用意して、
いよいよ、総会。

この日は、とても深い付き合いのあった保育園のママ友との「飲み会」(集会?!)があり、これが、涙と激励の超盛り上がり会になることは、必至だったので、すごく出たかったし、みんなにも「出ろ」と誘われていたのですが、
一番初めに書いた、「町内のみんなに知らせ、わかってもらう」目標貫徹のためには、絶対譲れない総会参加。
泣く泣く、というか、総会に集中しすぎて「お誘いも本当は良く聞こえない」状態で、お断りして、家族には保育園飲み会に出てもらい、私は一人で、総会に足を運びました。(足に血の気なし←気弱)

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調べたこと(あのときのこと4)

ブログで、町内会農薬散布について書くからには、と、しまいこんでいた当時の資料を引っ張り出してみました。
すると、
前に書いたピカリンの「喘息用発作」は、
そういえば、
肺炎と右中葉の無気肺併発
と、ちゃんと診断名がついていました。
(入院時の診断名 喘息用発作は、これの心配がなくなっても続いたわけですが)
そうだった。
「無気肺」は放っておくと、肺が機能する範囲が狭くなったままに固定されてしまうのだ、と説明されて、思いっきり顔に縦線が入った事を思い出しました。
まず、この点を訂正いたします。

それから、どうして町内は「消毒薬」を撒くようになったのかについて、
私なりに調べた結果もまとめてありました。

町内消毒薬、は、
もとは全国的に撒かれていたものと考えられます。
平成11年3月に廃止になった『伝染病予防法』(明治30年~)というのがあり、
この中で、「伝染病を伝播する衛生害虫は市町村が駆除すること」という条文があります。この衛生害虫は蚊やハエのことです。
まだまだ、日本全体が不衛生で、
他人のタオルを使うとトラホームがうつる、とか
蚊で日本脳炎、なんて話が沢山あった頃の話で、その当時は、それなりに有効な衛生法だったのだと思います。

ただ、その方法が、市町村が町内会へと仕事を委任する形で行われ、
それが慣例化し、意味が形骸化していった過程があるのだと思います。

平成11年3月に法が廃止された後はどうなったかというと、
代わりに『感染症予防および感染症の感染者に対する医療に関する法律』というのができます。
これには、先ほど書いた条文に当たる内容はありませんが、もしあるとすれば
「都道府県において、感染症予防思索の実施に関する予防計画を定めること」
という条文の中にそれが含まれるのだと思います。

ピカリンが入院したのは平成12年ですから、もう、法律は施行されていません
市町村に、衛生害虫駆除の義務はなかったのに、漫然と、例年通りの形で、消毒薬散布が行われていたということが、散布の慣例化・形骸化を物語っていると思います。

さて、
自分が残した資料によると、私が市に対して質問したのは以下のようなものでした。
「薬剤の名前」
「効き目」
「散布に当たっての注意事項はどのように伝えているか」

これに対して、市の担当の方からのお答えは、以下のようなものでした。

薬剤名は、リサイルKC油剤で、成分は、ジクロルボス0.3%と、イソボルキオシアノアセテート1.0%である。
(効き目については答えがなかったように思うが、調べると、同様の薬剤の中で中より少し上の程度。広く撒くものとしては一般的薬剤)。乳剤もあるが、費用の関係で油剤にしている。
注意事項としては、町内に薬を渡す際に、「もし喘息の症状などが出るなどがあり、たとえ、その症状と薬の因果関係がはっきりしていなくても、そういう懸念を持っている市民の方には、その気持ちを十分に尊重するように」と伝えている。
洗濯物は取り込むよう言っている。
しかし、町内会自治会によっては、きちんと伝えているところと伝えていないところがある。
市内において、屋内に撒いているところはないと思う。

というようなことでした。

そして、「どうしてこのような質問をなさるのですか?」
と聞くので、
ピカリンのことを話し、医師から薬剤名を聞くように言われたので、と、答えました。

この有効成分ジクロルボスは、有機リン酸系の殺虫剤で、虫の神経機能を麻痺させることによって、殺虫する薬です。
一般家庭用にスーパーなどで売っている殺虫剤と根本的に違い、毒性が強いです。
市町村責任で撒いていた害虫駆除薬の中には、「取り扱い注意」マークのあるものもあればないものもあるようですが、ジクロルボスは、取り扱い注意マークつきです。よって、一般スーパーなどには出回りません。

この薬品名を、担当のK医師に伝えると、やっぱりね、
という感じで、
ピカリンの血中コリンエステラーゼ値および赤血球中赤血球コリンエステラーゼ値を示しました。

ピカリンは、幸か不幸か(?!)血液検査を結構していたので、このコリンエステラーゼ値なるものが、時系列でどのように変化しているのかを分析するのが可能でした。
そして、殺虫剤の曝露を受けてからの値の変化がひどく、これが、有機リン系殺虫剤の影響を受けている証左となるようでした。

K医師は、この経験(ピカリンの経験)をまとめて、厚生労働省に報告し、自宅周囲にこのような薬剤を撒くべきではないと進言したようです。

さて、
ここまで調べたら、次は、どのように町内会を説得するかです。

全部きちんと説明すれば、1時間はかかるだろうなあ、と思いました。
また、どういう形の提案をするべきだろうか?とも考えました。
上記、市からの説明を対応させると、
わが町内自治会は、「屋内散布希望者」のみに、注意事項を書いた紙を渡し、屋外に撒く点については、自治会会員に特別には注意事項を知らせていない。
また、わが町内が、屋内に撒いていることを、市は把握していない、などの、市とのすれ違いも見られました。
(つづく)

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行動し始めの緊張(あのときのこと3)

次に始める話は、翌年春の町内会総会までのことなのですが、
何が、どういう順番で起こったのか、日記もつけていないので、よく思い出せないのです。
3つの柱があって、
1つは、自分自身が、今回の「消毒薬」散布の「正体」を知る過程、
2つ目は、地域の人たちとどうかかわるかを悩んだり考えたりした過程、
そして3つ目が、ピカリンの症状
これら3つは、相互に関係していて、影響しあって、私自身の考え方を作っていったのだけど、
何が、どう、いつ関係しあったのかを、よく覚えていない。
だけど、そこが無いと、話に現実味がなくなってしまいますよね。
「何が理由でどう考えたか」
そのあたりがうまく書けない事が、とてももどかしいのだけれど、
その点は、申し訳ないけれど割り引いて読んでもらうことをお願いして、
綴ってみようと思います。

ピカリン(当時小1)の喘息(の様な症状)は、おさまったけれど、
だから、じゃあもうおしまいかというと、
散布は来年もある予定なわけだし、もっと気をつけてもらいたいということは、町内の人に言っていかなければならない。
もう一度、町内会役員に強くお願いする、というのもあるけれど、
本当は、こんな散布はやめてほしいのだから、
その危険性を町内の人みんなが知らなければならない。
もし、役員の人が「中止」を決定しても、どうしてか、その理由がわからないなら、
危険性を知ってもらうことにはならない。
みんなに知ってもらうことが、大事だ

ここまで考えただけで、結構、もう、どきどきした。
自分は、それまで保育園と家を往復するだけのような生活で、
それほど地域の人とかかわっていなかったし、
出たことのある町内会総会では、
子供会会長と、町内会長が、あわやつかみ合いか、みたいな状態になったのも目撃しており、決して、穏やかで物分りの良い町内関係が築かれているとも思えなかったし。

でも、何か始めなきゃ

「何の薬か調べておいて」
と、K医師が言っていたことを思い出して、
自分が知らなきゃ、他人も説得できない。
まず、ここからやらなきゃ、と動き始めることにしました。

私は、町内会がこの薬を
「消毒薬」と表現することが気になっていました
「消毒薬」というと、アルコールとかエタノールとか想像します。
ばい菌を殺すみたいな感じがしますよね。
だから、家の中に撒く、という発想になるんじゃないかな?
危険ではない、と思うんじゃないかな?
どんな「消毒薬」なのか。
まずは、そこからだ。

誰に聞けばいい?
町内会の役員だよね?
でも、町内会役員の名前も住所も連絡先も、よくわかんないよ。

勇気を出して、数件隣の、Aさんのお宅へ出かけました
なぜ、Aさんにしたのか忘れたけれど、引っ越してきたときに、ゴミ出しの方法を丁寧に教えてくれたのがAさんだったから、かもしれない。
でも、それ以来数年、会話をしたことは、ほとんどゼロだったから、訪問するというだけで、私は緊張してました。
Aさんに、町内会役員名簿を持っているか聞いて、
「消毒薬散布の担当は誰でしょう? 実は、散布薬の名前を知りたいのだけど、どの方に聞けば、知っていると思いますか?」
と、言いつつ、ピカリンの身に起こった事情について、説明した。
丸っきりの他人に説明するのは初めてだったから、拒絶されないように話そうと思って、緊張のあまり頭がくらくらしていた。
ところが(?)、それまで知らなかったのだけど、このAさんは看護士だった。
そういう事情は、町内みんなに知ってもらっておいたほうが、絶対いいよ。だって、それがみんなのためになるんだもの。悪くなんて思われないと思うよ。」と言ってくれた。
ほっとした。

ここで、どうして私がこれ程まで、町内の人との関係を気にするか
緊張するのか、
自分でも良く思い出せないのだけれど、考えてみます。

まず、自分が、人との関係の悪化を極度に嫌う性格だ、というのがひとつ。
これは、育ちや性格に関係することで、ここでどうこう書いても仕方が無い事です。

それでも、正しいことは貫こうと思う性格だけれど、
こと、問題は、ピカリンのこと。
自分だけが納得してればすむことではありません。
その頃(小1)子ども会にも参加し始めたばかりで、
とにかく、おやつだの、室内レクレーションだの(座布団とりゲームとかね!)のたびに、ハラハラしたり、人に頭を下げたりしていたので、「町内」というのには、ちょっと過敏になっていたと思います。
ピカリンのことは、できるだけ、身近な地域の人に温かく見守ってほしいと思ったし。

それから、この話はいつの時点で聞いたのか忘れたのだけれど、
隣の市で、やっぱり同じように、町内会散布薬で、ひどく健康を害した女性がいた、という話を聞いていました。
その方は、ずいぶん町内会と掛け合ったらしいのですが、理解してもらえず、「少し頭がおかしいんじゃ」みたいなことまで言われて、腹が立って訴訟準備までしていたそうです。が、結局事情で引越しをすることになり、それっきりになった、ということでした。その女性が、これらのことから受けた心身のダメージは、相当なものだったらしいです。
この話は、仲良くしていた行きつけの薬剤師さんから聞きました。薬をもらうたびに、今回のことを説明する私に、同感しながらも、そちらの女性ともよく話していたので、私のことも心配になったようで、ちょっと不安そうな表情で教えてくれたのでした。
やっぱりねー、ショック。
そういうことが、すぐそばであったということが。
具体的に、その被害にあった女性と、町内会でどういう会話がされたのかはわからないけれど、決裂したら決裂したで、手はあるけれど、できれば決裂せずに、理解してほしいと思った。だから、理解してもらうやり方について、とても慎重になってしまってました。
でも、結局どんなやり方がいいのか、皆目わからず、
だから、何もかもが気になって、緊張していたのだと思います。

それは、この後の行動にも、現れてきます。
それが、子を守る母として、ベターな態度だったのか、と問われると、
よくわかりません。
あまりに慎重で、あまりに遠慮しすぎていたかもしれない。
今もよくわからないけど、
当時の自分の中では、精一杯だったと思います。
とにかく、「知ってもらう」
これだけは、最低限のラインとして譲れない。
もちろん、もっと要求したいことはあるし、要求していくつもりだけれど、
自分で掲げた要求と、地域の人の意識のギャップに絶望して、何も得られず終わるよりは、
とにかく、理解だけはしてもらう!

その次の目標はその次。一挙に全部を獲得しようとしない。
大きな要求を考えると、萎えそうになるので、この目標だけは最低限のものとしてしっかり握り締めて、絶対くじけず、やってみようと思っていました。

そこで、まず、
町内会役員の某さんに電話し、そこではわからないので、と、別の役員某さんに電話し、
「消毒薬散布はシルバーに頼むように、という毎年恒例になっている仕事なので、具体的なことはわからないのです」という答えをもらって、
次にシルバーへ
シルバーからも、「市から渡される薬をそのまま撒いているので、薬の名前などはわからないんです」と言われ、
市の担当部局の名前を聞いて、市へ連絡を取りました。
市の担当部局も、即答はできず、改めて担当者から連絡します、ということで、市の答えを待っていました。
(今なら、こういうことを、さらっとやれると思うけど、当時はいちいち緊張してたなー)

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