カテゴリー「アレっ子海外旅行」の23件の記事

チクリンの台湾旅行(学校行事)、GO

旅行は1ヵ月後の11月です。
But何か手続き上の問題を解決したり、取り揃えるものがあったり、現地とのやり取りに日数が必要かもしれないので、
ちょいとここらで、学校、本人と家族、それから旅行会社で問題点の洗い出しと対応を考えましょー、
全員集まった方が、手戻りとかもなくてさっさと決まっていいよね?
とタケ氏がお願いして、

昨日会議を持ちました。

 

ここで、
お泊り100回ホルダー;タケ氏の「お泊り会議のここがポイント」

ネックは食事なので、
各食事について、どういった対応をするか、考えることを軸にして、
派生する問題を考える形をとりました。(経験上、このやり方がいいよー)
食事によって、対応する機関が違ったりするから~。
できれば、対応策を複数こちらで提示してみると、先生や業者さんも
1.学校や旅行会社が別案を考えるヒントができる
2.本人のアレルギーの程度がイメージできる
3.家族がどういった程度の対応を望んでいるかが把握できる
4.ついでに対面することで、互いの様子が知れて、安心感と信頼が生まれる

という利点があるので、ちょっと面倒くさいけど、対応策を考えてから会議に臨むのがおススメ。
「こうしてほしい」という思いと、「不可能でもこういう対応、ってあり?」みたいな観点からと、いろいろ考えておくと、対応のバリエーションが広がるように思います。相手の事情は分からないから、こちらの思いでOK。「こうしてくれなきゃ嫌だ」とか「こうしてくれるのがあたりまえ」ではなく、柔軟な態度でいくと、1や4の面で、有効かと思われます。

 


今回の場合、
朝ごはんは和食のバイキングで対応
ホテル・レストランは別の食事提供(※)
お昼は白飯のかたまりのおにぎりを宿泊ホテルが持たせてくれる(+自分で何か佃煮とか)
を基本にする。食べられるものがでてきたら、食べる。

ただし、ホテル提供の食事※は「アレルギー対応食」というわけではない(肉と野菜を煮たもの、としか言われてない・・・)ので、何が出てくるのかほとんど未知。
そこで、「あまりにもひどいじゃないか?の時の対応」&「お昼用」にチクリンだけ近くの日系デパートにお買い物に行く(現地スタッフ随行)。1日目と2日目に。(1日目はまず手に入れて安心したいから。2日目は一通り1日を過ごしてみて、「やっぱり必要だ!」というものを買うため)
そのための時間と外出の許可を学校からもらい、業者さんはスタッフ用意。
先生「そのときまでに両替は済んでますよね?」
業者「はい。台湾の空港からホテルまでのバスの中で両替を行うので、手元にお金はある状態です」
タケ&チク「ほおーお」

チクは、非常時に備え、せんべいなどのお菓子やウィダーを常時持つ。行きの飛行機では機内食だが、家からの弁当持参してもよいか、航空会社に業者が確認を取る。
(チャーター便で修学旅行生しか乗らない、という特殊事情があるので、若干融通が利くようだ)

タケ「たとえば、出されたものが食べられなくておなかがすいたとき、ホテルの自室で簡単な調理ができるように、トラベルクッカーとか持っていってもいいですかね?」
業者「そりゃあ、もう。トラベルクッカーを持っていくのは旅をするのには普通のことですから」
タケ「チクリンの部屋からだけ、いいにおいがして、あ~、ちくりん、いいなぁ~、って、ことになってもいいですかね」
先生「ははは。いいんじゃないですか?」

と全てはすんなり決まり。
まあ、さびしい食事になるかもしれないけれど、
そこのところは、ちゃんと旅を楽しめるよう、鍛えてあるので大丈夫でしょう。
むしろ
タケ 「チクリンだけ、特別の一人行動、楽しみだね」
チク 「うん!」

あまりに、スムーズに全てが決まったので、全員が手持ち無沙汰になり、
タケ 「先生。誰か友達が、チクリンにくっついていっしょにデパート行きたい、って言ったらどうします?」
先生 「あー、言うでしょうね~。それは・・・”待機してろ!”です」
一同笑い
というようなやり取りを持って、とりあえず、終了です。

 

なんとかなるんじゃないかな、
という感じですね!

楽しく旅支度をしようと思います。

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台湾修学旅行 行けそう

って、行けるか。

 

いやね、
こういう言い方はあまりよくない気がするのだけど、
でも、アレルギーっ子の集団旅行ができるか否か、って、
旅行会社など、その旅行にかかわる人の
「仕事能力」に
すごく左右される
ような気がする!
実務的に、旅行が可能か否かの前に、
旅行を組み立てる気が有るか、
イレギュラーな生徒を、負担に感じず、or負担はあってもそれを乗り越える 気持ちがあるか、
が、大切ですよね。

それが、実際の旅行内容を組み立てるし、
当事者(今回は私たち家族)のココロが折れないで済む。

 

台湾の旅行会社のSさん(台湾の方)が、仕事できる人で、本当に、安心感もらえました~~。(担当の日本の旅行会社は、たいへん、不安でございました)

 

最低限
・内容はともかく、他の生徒と別のメニューは出る。
(選んで食べたら、食べるものがないくらい、小麦・海鮮物だらけ)
・昼の外行動に持っていくおにぎりも、作ってくれる(でも慣れてないからかどうかわからないけど、具入りは無理、だそうだ(^_^;))
・ホテルのそばの日系デパートで、チクリンだけ何か食べ物を買う方法を示唆してくれた(あとは学校次第だけど、大丈夫だろう)。昆布とか梅干とか、あるだろう。

ということで、
「もしかしたら、行けない?!」ってことはなさそうだ。
旅行のコーディネーター(学校を含む)が、面倒くさそうだからって良く考えもせず行動もせず「無理っすよー」と、なるのが、一番怖かったので。
あーー、よかった!
(そういや、自分が高校生のとき、担任の「無理っす(めんど)」で、修学旅行、行けなかったんだった。ちっとね、足にギブス巻いて松葉杖だったんす)

 

 

ミニ情報

台湾はまだまだ(たぶん)、料理の原材料を示すなどの対アレルギー意識はない。

(最近?)台湾への食べ物持込は厳しくなったようなので、持ち込むものは限られる。
検疫も受ける。

 

 

ということを前提に、チクリンの台湾旅行話は続く・・・と思う!(いつもこれだな)

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チクリン・たけ夫、無事帰還

2月9日夜、二人は無事に成田に到着し、
翌日科学博物館などに出没しながら、10日の夜に無事ご帰還遊ばされました。

 

もちろん!

二人のことゆえ、
旅の様子を聞きだすのが一苦労でございまして、(-_-;)
帰宅2日後の12日になって、初めてチクリンから「すっげー、楽しかったもん!」という言葉を聞いたのでした。
それまで、「楽しかった」「おもしろかった」「感動した」などの言葉、無し。

海外旅行、ってそういうところ、あるよね、きっと。

特に海外旅行に慣れていないと、「受け止め」切れないことがいっぱいで、感想を言えないんだと思います。

 

彼らが帰ってくる前に、
中学校へ行き
工事終了現場をチェック。

担任の先生が良く理解してくださり、
「壁を作って内装工事していたときの方が臭かったです」
「ついたてをはずした日から2日位はさすがに匂ったけど、今は大丈夫な感じです」
と報告してくれ、
私も、目に見えない、匂いだけではわからない化学物質ではあるけれど、
チクリンが以前、「異常」状態になった時にくらべれば、ほとんど「影響なし」だろう、という状態でした。

今回は、
「できれば」という条件付で、ダメもとでお願いした「ベークドアウト」(現場でストーブ等をぼんぼん炊いて室温を上げ、わざと化学物質を揮発させて、その後風通しをよくして、とばす)を、教育委員会がやってくれて、
ほんと
嬉しかったです。

 

で、
チクリンは、無事、学校へ復活!

 

オーストラリアでの食事の実際は、
今少しずつ聞いていますが、
いつ、具体的なことがわかるかは不明(-_-;)

 

そのうち報告できるといいな、と思っています!

 

とりあえず、

「無事」

の報告でした!!

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アレルギーサバイバイル(10代海外編)

チクリンの友達に
「で、チクリンは、オーストラリアに何をしに行ったの?」
と聞かれたので
「サバイバル」
と答えて、
あ、本当に、そうかもなあ、と思いました。

何のサバイバルかと言えば、
異国の地で、マルチアレルギーであっても、とりあえず、何とかする!サバイバルかなぁ。
大甘のサバイバルかもしれないけど^_^;

 

7年前、二人のアレルギーっ子をアメリカに連れて行ったときは(タケ初海外)、「アレルギーがあるから、海外なんて無理」という風にものを考える人になって欲しくない、工夫次第で何とかなるもんだ、と思える子になってほしい、という母の願いで決行しました。

でも、二人ともまだ小さいし(ピカ小5チク小2)、二人にとって、あくまでそれは「海外も可能なことなんだなあ」というヒトゴトでした。(それでも彼らが前向きにものを考える一助にはなってるんじゃないかと思うんだけど)

今回は、
その
実践編です。

15歳。
ティーン真っ只中・思春期真っ只中のチクリンに
「こう工夫すればやれる」「こういうことが難しい」
ということを
実践の中で感じて欲しいかな、
っちゅーのは、あると思います。

 

今回、さすがに、出かける前に現地のスーパーだのコンドミニアムだのの下調べはタケ氏がやったわけですが、
実際行ってやってみれば、何がどういう風に便利かがきっとわかって、次回以降、自分で調べられるようになるでしょう。

オーストラリアは、食べ物の持込に厳しいとネットで読んだので(ふりかけの乾燥卵とか、カップ麺の乾燥肉もダメらしい)、
非常食用の「ごはんdeケーキ」などの原材料名を、あらかじめ英語に直してカードに書いて貼り付けておいたり(byチクリン)

外国で自分が食べられるものをどう調達し、どう工夫して料理して、生きぬくか
スーパーに行ったり、
現地で買い物をすることで
いろいろ感じることもできるでしょう。

今回、小さい街なので、たぶん歩いてバックパッカー用の宿を見ることもできます。今後チクリンが一人で海外!と思ったときは、まちがいなく、この共同炊事場のあるような安宿になると思いますので、様子を見て来いよ!とアドバイスはしてみました(実際やるかどうかは、現地で考えてもらいましょう)

チクリンの高校(進学予定。まだ受験してないが・・・^_^;)は、最近修学旅行が海外になったので、それに行けるかどうかは別として、「どう工夫したら行けるか」を考える参考には、絶対なるはずです。

自分にはアレルギーがある、という英語の説明を、いろいろ練習していたチクリンです。

 

この1月に、タケ家は、3日間だけドイツの留学生をホームステイさせたのですが(まだオーストラリア旅行が決まる前、どうせ海外なんて行けっこないさ、そのかわり、生活のメリハリ付けに、ホームステイ受け入れでもやるか!と、受け入れ予定してしまっていた・・・・)
そのときに、チクリンが物怖じせずに「中学生英語」を駆使して喋るのにちょっと驚きました。
英会話にはほとんどならないのですが、
コミュニケーション能力があるというか、
他の留学生に混じって、大学の日帰りフィールドワークにまで一緒のバスに乗っていってしまいました。
チクリンて、そういう人だったの?!と、すごくビックリしたのですが、
その力を持って、
自分の、
「ハンデ」を外でどう表現して、
どう乗り越えていくのか、
今回の旅で、そのヒントくらいは見つけられるんじゃないかなぁ、と思います。

 

と、ここまでの記述で、
まるでチクリン一人旅のような書き方をしている自分を発見。
や!
たけ夫同行です!
しかし!!
初海外のたけ夫は、「お守り」のようなもので
財布も持ってるし、いれば安心なのですが、
大して役に立たないだろうなぁ、
というのが、
大方の見方です。(えええ!「大方」って?)
最近、微妙に立場逆転のたけ夫とチクリン。
たけ夫もそれを感じているのか
駅に向かう車の中で
たけ夫「チクリン。向こうで、仲良くしようねー。パワハラとか、しないでね? 『置いていくぞ』とか、言わないでね?」
と、懇願していました。

・・・・・。

 

二人は、今頃、向こうで、スーパーの買出しに出かけたところかしらん。

大丈夫かな?

成田空港で、私の作った米パンサンドイッチをほおばるチクリンの写真をたけ夫が送ってきました。

がんばれよー!

チンチクリンだから「チクリン」と命名した、マルコメ小坊主チビのチクリンはもういない・・・
(新幹線の中で)Iphone_436

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なぜ、オーストラリア?

この旅行の話が出る前に、
すでに勤めている会社に、「2月いっぱいで退社。2月は代休(有給休暇ではない)消化」と伝えていたたけ夫。
出かけることにためらいはありません。

また、
たけ夫の単身赴任期は3年。
チクリンは来年から高校生で、3年たったら家を出ます(地方の定め)。
つまり、たけ夫とチクリンが毎日一緒に過ごせる日々は、この3月までなのです。

あと、チクリンの生活上の「イベント」づくり

あと、英語モチベーション

あと、化学物質回避

 

まあ、いいこと尽くめですわね、奥様。

 

海外なんて、我が家にとってはかなり金銭的に無理している話で、
チクリンやピカリンのために貯めた学費が削られる事態で、
どうなんだ?!
なのですが
なんか、これは、後で経済的に苦しむことになっても
「行き」
なんじゃないかなぁ、と。
なんか、思った。

 

Iphone_438 でも、

なぜ、オーストラリア?

 

腐っても受験生(えええーっ)のチクリン。
時差が少ない方が、体調管理上よいでしょう。
また、
当然、外食無理なので、スーパーの近い台所つきのホテル限定。
はじめ、「フィリピン」(安いし)も考えていたのですが、なかなかこういう条件のホテルを捜すのが難しかった。
ということで、そんなキッチンつきのコンドミニアムいっぱいの英語圏オーストラリア。
向こうは夏だから、羽毛布団も使ってないでしょう。(羽毛布団のダニがダメ)
食事調達のしやすい街であること(アジアン店も近くに欲しい)。
アシ(車の運転は初海外にはハードル高し)がないから、買い物ベンリな小さい街がいいな~、
たけ夫が義足なので足がむくむと嫌だから、飛行時間もなるべく短くて、飛行機の乗換えが無くて・・・・
ってことで、
オーストラリア通なら、「じゃ、あそこでキマリね」な街へ、行くことにしてみました。

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なぜ、学校を休んでOKな気になったか

明日、オーストラリアに出発するたけ夫とチクリンです。
なぜか今日になってテンパっているたけ夫(初海外)がうっとおしくて仕方ない私ですが、
みなさん、いかがお過ごしですか?

時を同じくして、チクリンの学校では、有機溶媒が校舎内に流れ出て・・・来るかもしれません。
校舎の一部を耐震工事していたのですが(内装工事もあり)、校舎とその部分を仕切っていたついたてが、今月からはずされる予定なのです。

そう。

チクリンは、これを回避しているのです。

 

 

・・・かな?    びみょ~~~^_^;

 

話は、チクリンが去年の2学期に「学校行きたくね~な~」と、珍しく深刻に話していたところから始まります。
はじめは茶化して聞いていたタケとたけ夫でありましたが、
どうもこれは、ホントくさい
と、気がつきまして、
う~ん、どうしようか。
学校(授業)嫌いは今に始まったことではないのだが、こいつは、「行事」のために学校に行ってたようなヤツだからな~~。受験一色になってしまった学校はきついのだろうなぁ。どーしても嫌なら、休んでもいいが、むしろ、こっちで行事を作って、生活にメリハリをつけるかね?
外国にでも行ってみる? 英語を学ぶモチベーションアップにもなるかもしれないしさ(高校では英語がネックになるのではないかと思われるチクリン)。
なーんちゃって。できるわけないよね~。学校休んで、どこかに行くなんてさ~。

と、この話は、「冗談」で終わっていたのです。

12月。
タケは学校に呼ばれました。

「改築工事にともなう化学物質についての説明会」

ございます。
以前も、この手の工事はあったので、2回目で、
学校も慣れております。

その会議の席上、
「やはり、一番心配なのは、工事現場のついたてがはずされた時、どんな感じになるかですね~」
「最初の1週間が、一番、よくないと聞いているんですが~」
「う~ん。わからないですね~~」
テンテンテン・・・・

そのとき、工期日程表を見ていたタケはふと気がついたのです。

「この"危険期間”って、旅行にでも行っちゃおうかと夢想していたスケジュールとビンゴじゃん!!」

休ませちゃえ!

あー。そーだ、そーだ、そうしよう。

学校だって、「どうなんだ」「どうなんだ」と不安にしているより、休んでもらっちゃった方が、気楽でしょ?
はーい、休みマース!

と、心の中で一人で決定!!

それが、本当に実現することなのかどうかもわからなかったのですが(だからまだ学校にはそうは言わなかったけれど)、
その方向で!
ってことで、
タケは、その夜
「チクリンとたけ夫は、この時期二人で海外ね!」
と、宣言したのでした。(つづけて書くと思う)

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たけ夫と震災

全てのお話の前振りとして、
この春から、たけ夫が岩手県の復興仕事に単身赴任することをご報告だい。

最低3年? 
県で技術職を募集していて、それで応募して採用。されたのが去年の11月の終わり?
で、県から、県もしくは岩手県各市町村に配属されるんだけど、それがどこかはまだ決まってません。

ま、ね。
今の仕事辞めて、ですから、どーなんでしょう、って向きもあるかもしれません、
が、

たけ夫はねー、今までやってきた仕事の中で、『これは俺がやった』と言えるものがそんなに多くないのだけど(ええーーっ)、そのひとつが、岩手県陸前高田にあって(宮城に住んでた頃の別の会社の仕事)、それが津波で流されちゃったんだよね。で、それを担当していた職員も津波で亡くなった。・・・という後者の部分は、今回のことが決まって初めてたけ夫から聞いたんだけど、
そういうこともあって、やっぱり、自分の力を出したい気持ちが強いんだろーなー、ってことで、

私も快諾。

多少(?)、私の負担も多くなるし、生活費もプラスマイナス=マイナスになります。
が、今回の災害で受けたその地域のダメージを良い方向に持っていくためには(→「復興」ってことば、あんまり好きじゃない)、手を出す人も、多少生活のマイナスがあって当然、というか、それくらいやって初めて役に立てるんじゃないか、と、私も思ってるところがあって、
がんばろう、東北

字じゃなくて、地でいきたいと思ったわけでがんす。
本当に、採用されて出かけたところで、大した役に立てるかわかんないけどね。
でも、
たけ夫の明るさは、
どこにいっても、役に立つんじゃないかとは思う。

「自分を生かす」
って、人なら誰もが持つテーマだと思うけど、
たぶん、たけ夫のそれは、この春からの仕事にある、年齢的にも最後のチャンスかもしれない、よーな、そんな気もするので、
夫婦で頑張ってみたいと思った次第であります。

 

というタケ家の状況が、これからのお話の前提です~。
(タケ氏は引き続き、日本海側の、この酒のうまい地域に住んでいるよ~。チクリンと二人暮しになります(* ̄0 ̄)ノ)

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2回目の海外旅行?!

お久しぶりです。

放置みたいなブログに、遊びに来てくださって、本当に本当にありがとうございます。<(_ _)>

 

春から身辺に変化いろいろの、タケ家です。

が、その前に・・・・。

えー、このブログをつけ始めた頃、7年前ですか!
私は、当時8歳のチクリンと12歳のピカリンをつれて、アメリカのテキサス(当時タケ弟在住)に初海外で行ってまいりました。
マルチアレルギーの子どもを抱え、自分も初海外ということで、いろいろドタバタしましたが、

このたび

チクリン(テキサスに続き海外2回目)&たけ夫(なんと初海外)

来週
オーストラリア珍道中をすることになりました!(「珍」というのはもう決まっている)

もちろん
一般ツアーに参加するわけには参りませんので、
タケ企画「タケツアー」です。
もちろん、私、タケは仕事があるので行けません。

え。

たけ夫は?
そして、
チクリンは中学3年生では?

これには、やはり、
アレルギー&CSが、ちょろっと関係しているのですが、
そのお話は次回(下条アトム風)

書けたら書きたい。

そうして
くだらない事はいっぱい喋るが、肝心な事は話さないたけ夫と、
数学の話なら止まらないが、それ以外は「めんど」なオタクチクリンが
旅行の(有益な)話をどれだけしてくれるかは、かなり、絶望的・・・。

 

また、何か事件が起こるかも、ということで、
おもしろいことが報告できたらいいな、
と、
今は思っています。

 

ちなみに
19歳ピカリンは、明日下宿先から自宅に戻り、1ヶ月、大学2次試験に向かっておこもり勉強(させる)です。

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アレっ子連れの外国旅行を、どうやるか?

Dscf1845 ←絵葉書を接写したため、ぶれてしまってごめんなさい。(いや、田舎の写真ばかりなので、一応、それなりの都会だったんだよー、ということで・・・。向こうの方は緑が広がっていますよね、住宅はそっちの方にあるのです・・・)

 

ずっと前に、アレルギーっ子をつれて海外旅行に行った体験談、というとある表題を見て、読んでみたら、飛行機の機内食での対応の様子だけ書いてあって、うちよりも除去もゆるかったし、「全然参考にならないじゃん」と思ったことがありました。

「できるのか、できないのか!」「うちの場合はどうなんだよ!」
なんて、ちょっと不満だったのです。

でも、
今になって考えてみると、
「あなたのアレルギーの程度だと、外国旅行ができます」「できません」と、一言で、「言ってもらえる」ようなものではなかったなあ、と思います。

我が家は、今回、
自炊+知り合いのうちで食事
という方法を取れたため、旅行をすることができました。
自炊も、知り合い(弟夫婦)の協力があったから、
車であちこちのスーパーも連れて行ってもらえたし、
そのスーパーもいろいろ下調べしてくれてあったし、
観光だって、ホテルの予約だって、してくれたんですよ。

でも、それなら、知り合いがいないとダメなのか、
といったら、
語学がそこそこできれば、予約もできるだろうし、旅行代理店にも頼める。
車も国際ライセンス(書類のみでOKらしいです)があれば、レンタカーで自分で乗れる(ただし、ある程度運転に自信のある人、になるけど)。
街中の自炊つきホテルにすれば、車無しで、歩いて買い物にいけるかもしれない。
卵抜き程度だったら、対応可能なホテルもあるかもしれない。
知り合いが、親戚でなくて、友人でも、少ないアドバイスと協力で、こなせる環境があるかもしれない。
私は初海外だったけど、何回か行ったことがある人なら、私ほどの不安は無いかもしれない。

アレルギーの程度や、
その人の能力や、
その人が手に入れられる環境、
訪れる地域

そういうことを一つ一つ組み合わせることで、
実行可能な、海外旅行を作れる
可能性がある。

だから、
アレルギーっ子をつれて、海外旅行ができるのか?
という質問に答えるとしたら、

浮遊物に反応するほどの重度アレルギーではなく(これも、すいている飛行機にすればクリアできる可能性もあるが、何が起こるかわからないので、リスクはやはり高いといわざるを得ないと思う)、
そして、
自分たちが、クリアすべき課題は何か?を
具体的に考える力があれば、
旅行は、可能なのでは。

ということになると思う。

今回、長い体験記で、
自分たちは事前準備として何をしたか、も少し書いたけれど、
これは、何回か国内旅行をした経験、それからアレルギー関係の本などを参考に、考え付いたことだった。

その上で、
足りない語学力は、一夜漬け的だけど、それでも私なりに努力して、ブライアンに来てもらうことで、なんとか少しは「やれるかな」という気分になったし、
遠く地域のK医師にお願いして、英文の診断書を書いてもらったり、
外国旅行ならではの穴埋めもした。

不安は、どうしてもあって、
でも、その不安の払拭の仕方は人それぞれだと思う。

私は不安が大きかったから、
弟が、少しは医学に明るく、少しは英語が喋れる、
ってことが、すごく不安払拭につながり、
海外旅行をしよう、という決断につながった。

そんな風に、
具体的にどうするか?
自分の不安は、どうすれば払拭できるか?
そのための手立てはどうすればいいか?

そういうことを考える力があって、
そして、それをクリアする条件を自分なり、または環境に応じて講じれば、
アレルギーっ子連れの、海外旅行も可能なのではないか

というのが、

今回、旅行を経験してみて、最後に感じたことでした。

まとめると、
海外旅行をしたいとき、具体的に何が不安か。
その不安は、旅行先の条件や、こちらの準備で、クリアできることか。
具体的にクリアしても残る不安な気持ちを安定させるには、どんな手立てで自分を安心させたらよいか。
それを、考え、実践することができれば、
きっと、その人なりの海外旅行ができる

と思う。

今は、ツアー旅行などもあって、
申し込んで、旅行代理店に言われたものを準備して、
ってことで、とりあえず海外に行けちゃう。
アレルギーっ子連れでは、そういうお手軽旅行はできない。

けど、
自分のそれまでの経験や、学んだことを総結集すれば
自分なりに、アレっ子連れの海外旅行を、クリエイトできるんじゃないかなあ、
と、
思いました。

ピカリンは、「大人になったら、世界中を旅行する!」と
鼻息を荒くしているし、
(旅先で、1人でレジカウンターでお土産を買うピカリン→)Dscf1626
チクリンも、二言目には、「またアメリカ行きてえ~」
と言っています。
そういう子供の言葉を聞くと、
なんか、自己満足かもしれないけれど、
子供の可能性の扉をひとつ増やせたような気がして、
嬉しかったりしています。

まー
なにより、
自分が、すごく面白かった!
めちゃくちゃ、面白い体験だった!
いろーーんなこと、すべてひっくるめて。

子供づれだと、陽気な国民性を持つ方たちは、とっても気軽に話しかけてくれる。
こっちも、子連れの外国の人に話しかけてみたくてうずうずしてくる。
これは、若い頃の、友人たちとの旅行では、たぶん、決して味わえない思いだと思う。

臆せず、チャレンジする価値は、十分あると思う。

だから、
もちろん、先立つものも必要なのだけど、
もし、アレルギーだということで、「ダメに決まっている」と思う方がいたら、
まずは、その思いは、横に置き、
国内旅行からでも、始めてみる。
国内旅行がこなせれば、
たぶん、海外旅行も、かなり難しい応用問題ではあるけれど、
こなせる可能性は、十分あると、
私は思います。Dscf1649

←NASAの職員。
カメラのレンズが汚れていて、すみません。

ということで!長い長い、体験記を、一応終わってみます。

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旅行中の雑感

私は、知らない土地を歩くときは、まず、そこの博物館に行くことにしています。
そこの土地の歴史の大体を知ったり、できれば古地図と現代の地図を見比べて、
昔の地理の大体を頭に入れてから歩くと、そこの土地が、すごく厚みをもって感じられるのです(変わっていると言われます)。

それで、サンアントニオでも博物館に行きましたが、
皆さんご存知のとおり、アメリカの歴史は、そう古いものではありません(ネイティブアメリカン=いわゆるインディアンと呼ばれた人々を除いて)。
だから、その土地の歴史をどう描いているのだろう、と、若干の不安を持ちながら訪れたわけです。
まず、入り口に、おびただしい、他国の旗。 Dscf1619_2
インターナショナルな雰囲気に、国際交流会館、というイメージはあっても、博物館、というイメージはわかず、入ってみると…。

展示は、国別。
つまり、この土地の歴史は、世界のいたるところからやってきた人々が、ここに来たばかりの頃はどんな生活をして、どういう風に変わってきたか、という歴史の展示なのです。
日本の人も、みのを着て、田植えをしている写真がありました。木製脱穀機の展示もありました。

いろんな国の生活が、そのまま、この土地にやってきて、融合して、今があるのです。
同じ場所で、全然違う各国の生活を展開して、その上で、接点を作って、影響しあって、現代の状態があるのです。
つまり、
この土地の人にとって、隣人の生活が理解できない異質なもの、というのは当たり前で、それを受け入れて、協力していかなければ、自分の生活もやっていけない。
それが、アメリカの歴史を作ってきたんだなあ、と。
とりわけ、サンアントニオはその色が濃いかもしれません。
州により、たとえば、過去農業が中心で、奴隷として働かされていた黒人が多い土地もあるだろうし、移民といっても、ほとんどがイギリス系の人、という場所もあるでしょう。ただ、「違っていて当たり前」「それを受け入れなければ、社会は機能していかない」というのは、アメリカの根底にあるのだなあ、と思いました。

こういうことは、どこかに良く書いてあることかもしれないけど、それを博物館で、本当に実感した。

Dscn1786 アラモ砦という、歴史名所があって、
ここは、当時テキサスを占領していたメキシコ軍から、テキサスをアメリカの一部として独立する契機になった戦闘が繰り広げられたところです。アラモ砦の戦闘に限っては、メキシコ軍の圧勝に終わり、沢山の人が、メキシコ軍に殺されました。
が、その、遺跡の案内人はメキシコ軍服。
日本だったら、敵の服、って感じになるんじゃないかな?
でも、歴史は歴史。別にメキシコは敵じゃない。
歴史の中に共存する、隣人でしかない。
この感覚にはびっくりしました。

異質なものを受け容れる力が、アメリカにはあるんだなあ、
と思ったとき、
じゃあ、日本は?
とやっぱり思って、
・・・・・・・だから、アレルギーっ子も、つらくなる場面が多いのかも・・・。


旅行中の足元の石畳を踏みしめながら、思った。

食べるものが無い、とか
生活改善がタイヘン、とか
医療が確立されていない、
とか、そういうのももちろん大変だけど、

「異質なものを受け容れない」
という拒否的雰囲気を、目の前で感じるとき、
やっぱり、精神的にダメージを受ける。
これが、日本は、きっと、強いよなあ・・・

って。

じゃあ、アメリカは楽か?
といわれれば、それはよくわからないけど、
ムラ社会からはじかれるような、そういう怖さは感じにくいかもしれない、とは思った。

この国にいれば、
「うち、アレルギーなんですよ」
って、全くの躊躇無く言えそうな気がした。
(今までも言っていたけど、やっぱり相手を観察して、言葉を選んでいたと思う)

 

そういう心持をふと持てた時、
「ああ、日本でも、自分は、この心持でやっていこう」
って、
なんか、思えた。

アメリカの、自分とは違うものと共存する国民性みたいなものを、自分自身で感じたとき、
自分も、
そういう心持でいたいな、
と、
何か、すっと心が軽い方へ転換するような、
そんな感じを

 

味わうことができました。

 

かなり歳がいってからの初海外旅行だったわけだけれど、
なんだか、
別の文化を感じて、自分のものにできる
というような経験ができて、
すごくよかったなー、
と、

思ったのでした。

(プライバシー保護のため、一部画像を処理してあります)

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