カテゴリー「アレルギー医者づきあい」の5件の記事

来年度のピカの主治医

下宿探しを一旦終えたピカは、その足で、主治医であるM県K医師の診察へ向かいました。

診察以外の用件は

①授業料免除願い(!)などに病気療養中を証明する医師の診断書がいる
②春から東京都民になるので、アレルギーの医者への紹介状を書いて欲しい
③薬補充
あと、④昨年10月ごろ(?)受けたアレルギー検査(Kセンセのところでは1年に一回受けることになっています)の結果を聞く
などです。

そこで!
なんと!
15年以上、Ig-E値100以上の振り切れ、レベル6(最高値)以上しかマークしたことのない、タマちゃん先生(小児科医)をして「こんな数値は見たことない」と言わしめたピカの「ダニ」値が99.7だったんすよー!
こんな数値ミタコトナイ!!!
低い!(うちにすれば)
ピカ、一人暮らしで頑張ってたんだねえー!
この数値は母でなく、完全にあなたの一人暮らしアレルギー管理の賜物だよ!!
エライよ、ピカ!!

アレルギー生活管理がピカ本人に移ってきていることを実感・・・・じーーん・・・・

そして、

K先生は
紹介状は書いてくださったけど、
「できれば二ヶ月に一回程度、ここに診察にくるように。摂取する油の管理までできる人は東京にいないから」「飲み薬の処方はできるけど、塗り薬の調合ができる人がいないから」
!!!
だそうで、

「経済観念ゼロ?! ◯カ?!」
と一瞬思ったものの、
うちとしても
ピカが油に弱いことはよくわかってるし、
医者遍歴も重ね、ピカリンという人に一番あった診断をしてくれるのはK先生かなあ、と今のところ思うので、
たとえば
行きは深夜バス
帰りは体力も考えて新幹線、などの倹約を図りながら、
K先生のところに行くのが、
実は
いいのかな

家族で話しているところです。

 

は~。

まだまだ続く、アレルギーライフ。
お金の切れ目が治療の切れ目にならないようがんばらなくては。
私たちも、ピカも。

です。

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久しぶりのKクリニック訪問

昨日、超久しぶりに、
K医院
へ、行ってまいりやした。
小さい子を抱える若いお母さんが、まぶしかった・・・。

 

チクリンが中1になり、
ちったあ、医者にもかかっとかないと、学校への説明もしどろもどろになってしまう、
というので、(チクリンは、症状皆無)
春休み、チクリンは、K医院で血液検査を受けました。
そのときは、父のたけ夫といっしょに(私とピカは、アウトレットモールでお買い物中)

その結果を、今頃聞きに行ったのです。(チクリンは地区総体の代休) 

 

今朝の家族の会話

タケ   「ちょっとぉ~。聞いて! 昨日、K先生さ、
      『食べているとは思いますが、もう少し野菜を食べてください』
      って、言ったんだよ! 食べているとは思いますが、って、言ったんだよ!」

たけ夫 「えーーーーーーっっっ!!」

ピカ   「すげぇ。アタリ。機嫌良かったんかな。良かったジャン」

タケ   「すごいよね! 譲歩する枕詞をつけるなんて、ありえないでしょ!」

と、このように、

この程度のことで、家族全員共通に驚いてしまうほど、
K先生は、いつもつっけんどんなのである。

 

 

いや~、

検査結果の説明が、もう、すごくプロフェッショナルで、ほれぼれしやした。
ほれぼれしすぎて、聞きたいことを聞くのを忘れてしまった・・・

昨日のトリビア(←?)

1.犬のアレルギーは、犬の肛門の周りにある「液」が出るところ(あるよね?)、あそこのたんぱく質で起こるので、犬を良く洗ってやるとよい。犬にも野菜をちゃんと食べさせよう。

2.トランス脂肪酸の少ない「ソルレオーネ社のグレープシードオイル」も加熱すると良くない。加熱料理にはトランス脂肪酸フリーのショートニングを使う。

3.キャノーラ油をとったときにしか出ない、検査数値がある(よって、キャノーラ油をとっているかどうかがばれる)

4.チクリンは、細菌にアレルギーを起こすが、その細菌は、歯磨きをしないでいると口にたまってしまう細菌の可能性が高い(こんなところで、歯磨きをサボっているのがばれたチクリン。「何で、血液検査でわかるんだろう・・・」と、呆然としていた)

まー、他にもいろいろありますが、
オタクとは、このように人の役に立つものでありたい!!
勉強になりました。生活改善に役立ちました。

私も、このアレルギーオタクK医師とは、縁を切らないで、
また、K医師には、元気で長生きして、研究を続けて欲しい!
と、
付き合い始めて10と○年。
これほどまでに心底思ったのは、初めてでした。

 

まだまだ続く、アレルギーライフ。

「タケ、おめ(「あなた」の意味の方言)、書くと言ったことは、どうなってんなや? 卒業式も、春休みも、ニューヨークもあったろうが!」
と、
私も心の中で思っておりますが、
今は、固く目をつむり、
今日の仕事に励みます・・・・。

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ひろさんに捧ぐ(K先生と出会った時)

ピカリン、中学3年生。

高校受験本番を一ヵ月後に控え、イライラとナイフみたいにとがっては、触るもの皆傷つけるような感じの今日この頃ですが、

本人は、そんな中でも何とか、家族ともうまくやろうとしており、
さらに、彼女のパソコンの初期画面は、こんななので→Img_1098_2
気の抜け方もちょうど良いのでしょう。

15歳のピカリン、頑張れ~!

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨年秋、K医院で、化学物質過敏の検査が行われ、私とチクリンで出かけました。

 

帰ってきてから、だんなに結果を報告。

タケ  「今日ね、Kせんせが、私に"ゴメンナサイ"って、ゆった」
たけ夫「なに! それは、事件ダ。初めてじゃないか?」

 

"ゴメンナサイ"は、ささいなケアレスミスでのことで、なんということも無いのですが、
私には、非常に新鮮な響きで、静寂な空気の中で獅子脅しが「カコーン」というような響きに聞こえてきたのでした・・・。

 

K先生は、一時期このブログでも「トラウマ」とか書きまくっていましたが、地理的に離れたことと、ブログで自分の中を整理をしてきたことで、「だいじょうぶ」になってきました。

思い返してみると、
K先生の存在と初めて遭ったときから、
実に

13年!

経っていたよ。

あれは、丑年の前のネズミ年だったのね~~~。しみじみ・・・。

 

ピカリンが2歳で、チクリンはこの世に片鱗さえ見せていない頃、
私たち一家は、埼玉県から、宮城県某市に引っ越してきました。

一番近くにある総合病院の小児科にかかった後、
病院の近くを「探検」していたときに、ぶらりと入ったお店で「うちの子、アレルギーっぽくて・・・」と言った時

店の人「へー、それじゃ、K先生のところに来たの?」
タケ  「K先生?」
店の人「K先生知らない? アレルギーで有名なんだよ。アレルギーのことなら日本で5本の指に入るんじゃないかな」
タケ  「ふう~ん」

ああ、まだ若い、13年前のタケ氏(涙)
しかし、
ここですでに警戒していました。

「アレルギーって、まだ一本の統一した治療法があるわけじゃないようだし、医者によっても主張することがまちまちな状況だ(今以上に)。なのに、“5本の指"などと言われるのは、相当、個性の強い(押しの強い)人に違いない」

 

 

「K先生、ってどういう風に厳しいの?」

何かの機会に、保育園のママともに聞いたのだったろうか。

「うーん。指導内容が厳しいんだよ。除去とかね。何でもかんでも、食べるな、って言うしね。」

 

当時の私は、「必要ならば除去もいとわない!」つもりでいたけれど、「必要なのかどうなのか」の見極めが難しい・・・と思っていました(今もだけど)。

ピカリンは、私なりの適度な調節で、うっすらの湿疹が出たりで無かったりという状態で(当時は)、卵も牛乳もほどほどにはとっていたし、小麦だってもちろん、大豆も魚もなんだって食べてました。時々、小児科医にも診断してもらっていて、まるきり自己流というわけでもなかったし、すごく専門家で無いとダメなの!!というわけではなかった。

「何でもかんでも食べるな、って言う先生か~。多分、私とは気が合わないな。避けておくことにしよう!」

 

ということで、

前にも書いたとおり、当時K先生は総合病院の小児科勤務で、他の先生もいたし、「診察前のご指名」のときには、K先生以外の医師をご指名していました。

 

しかし、初めて対面してしまったのは、チクリン妊娠中のとき。

私は、妊娠中は非常に具合が悪くなる人で、看護士さんも聞かず、私も調子が悪くてボーっとしていて、指名をするのを忘れて、なぜか、Kセンセイの診察になってしまったのでした・・・

(いつか。続く)

当時のピカリン。(宮城県塩釜市の花火大会で。この後、音が怖くて、途中で帰りました)

Img_1103_2 除去しているもの、無し。

鶏卵と牛乳を控えめにしている程度。

これなら、後は治っていくばかり、と思いますよねぇ・・・。

でも、よく見ると、首の辺り、湿疹の跡で硬くなっているし、足にも大きな湿疹の跡があります。

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アレルギーを治療してくれたお医者さん

「休むんじゃなかったのかよー」という話は、置いておいて・・・(ずびばぜん)

 

 

 

我が家のアレルギー対策は、ほぼ、角田和彦(K医師)流です。

しかし、最も感謝しているお医者さんは、

知っている人は知っている、名前書いちゃうけど、玉橋征子先生(女医さん)です。

 

K医師が、まだ総合病院に勤めていたころ、初めて彼の診察を受けて、バトル寸前で看護師さんに止められて以来、ずーっと角田医師は避けていました。
そこの病院は、小児科医がK医師を含め3~4人いたのですが、そのうちの一人が玉橋先生です。

問診時、看護師さんから「希望するお医者さんはいますか?」と聞かれて
堂々と「Kせんせい、以外」
と答えていたたけ夫。
私は控えめに「T先生か、T2先生」と答えていましたが。

で、わが夫婦は玉橋先生の大大大ファン。
(以下、タマちゃんと呼ぶ)

タマちゃんの講演会があると聞けば、とるものもとりあえず、ニコニコして二人で出かける。
タマちゃんにも「もうあなた方夫婦は、大丈夫だから、いまさら何か聞くこともないわよ」
と言われながらも、いつもタマちゃんの言うことには、納得至極!溜飲が下がり!さらに勉強にもなる!と、恍惚としていました。

タマちゃんは、私たちより一回り上の「先輩お母さん」

タマちゃんの名言のひとつ。
「今の男の人は、大人になる前に結婚してしまっている。だから、今の若いお母さんは、自分の子育てと、夫の育てと両方あって大変。さらに、おばあちゃんにまだ体力も気力もあって、できるならもう一度子育てしたい、と思っていて、それを孫でやろうとするから、さらに大変。今のお母さんは、本当に大変だ」

どーですか!
こんなふうに、講演会で、お話されてみてください!涙ものでしょう・・・!

タマちゃんに、いつも(?)ほめられて、有頂天の若い母タケ氏。
「お宅の子は、本当に丈夫ね! お母さんががんばって、体にいい食事をさせているからだね!」
「わー!こりゃかわいい! たまんないねー!(チクリンが赤ちゃんのとき)」
「よくがんばっているね!」
「あなたの書いてくれたこの表は、本当にわかりやすい。すばらしいね! この力がいつか何かに生かせるといいね!」

 

K医師の分厚いマニュアル本を一生懸命実践しながら、それについての報告や相談はタマちゃんにしていました。
タマちゃんがいたから、私はこれらのアレルギー対策をやれた、と言えます!

K先生と直接やりあっていたら、その心の葛藤だけで、疲れ果てていたかもしれません。

それでも、事情があり、K医師担当へと(泣く泣く?)シフトしたのですが、
我が家のアレルギーを改善してくれたのは、
タマちゃんだ!
と、私は絶対にそう思っています。

 

治療法が正しいとか、
見立てがうまい、腕がいい、
医者の評価はいろいろあります。

でも、家庭での「治療」が重要な疾患においては、
どれだけ、家庭の人間の気持ちの面をフォローできるか、
そういう「医学」以外の部分が
ものすごーく大事なんではないか!
それが、実は「治療」であるのではないか。
と、
タマちゃんに感謝すると同時に、思うのであります。

 

 

 (コメントつけられなくてごめんなさい)

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最近の三題③(トラウマ)

我が家は、時々「家族会議」を開く。

これは、結婚したときは、夫と毎月開いていたのだが、
子どもが生まれてから忙しくなって、時々の開催になっている。
最近、ようやく子どもも会議の主体として加われるようになってきたので、断然面白い。

 

という話は、とりあえず置いておいて・・・・

 

この「家族会議」議事録を引っ張り出すときに、いっしょに別のノートも引っ張り出してしまったら、それが、昔の「アレルギー食事日誌」だった。

そしてそこに

K医師に本格的にかかるときに
彼に提出した「ピカリンのアレルギーの経緯」をまとめた一覧表があった。
きっと聞かれるだろうから、万全を期して、きっちり書いて提出。

彼はそれを読んだり診察したりに実に1時間をかけた。

 

 

それは、レポート用紙に細かい字でびっしり5ページにわたる、妊娠期からの約7年にわたる記録である。(ピカリンが6歳のときにかかった)
すっかり忘れていた事も書いてあり、我ながら感心して読んでいたが、
その2枚目、
ピカリン3歳9ヶ月のところに次のような記述があった

「KDr.に初めてかかる(2回ほど) あまりに診察態度が悪いので(また科学的でないように思った)、とても二人三脚は組めないと立腹する。ただし、『アレルギーっ子の生活百科』は参考にして、ずいぶん生活改善した」

爆笑しました。

 

私は、この3歳のときの診察でこりごりして、二度とK医師にはかからないようにしていたので、6歳児、また、どうしてもかからざるをえない状態になったとき、嫌で嫌で、ものすごい葛藤があり、それでもピカリンのためには仕方ない!と腹をくくったものの、
あのときの「恨み」(?)は、絶対伝えないと、そこをスタート地点に置いておかないと、前へ進めない!みたいに思っていて、

「アレルギーの経緯」の中で、そのことを(軽く触れる程度に)書いたのでした。

そういう形で、彼に私の気持ちの最小限のところを伝えたのでした。

 

それを読んでいたK医師は、多分明らかに、そこの記述のところで止まっていて、私は少しだけ溜飲を下げたのでした。

 

 

久しぶりに読んで、爆笑した。

爆笑できた。

私が、ピカリンの治療で最もトラウマなことを笑えたことで、なんだか、とても気が楽になってきた。

ブログを通じて知り合った皆さんが、様々な場面であった葛藤を、様々な形で伝えている。
私は、自分の葛藤を全て「医者との付き合い方」と思っていたけれど、
実は、その「医者との付き合い方」に、今あるアレルギー治療をとりまく問題が、いっぱい絡みついて凝縮されているんではないか、と、爆笑した後の落ち着いた心で考えて、初めて思い当たった。

 

自分のトラウマを書くことは、
医者との付き合いや、恨みつらみを書くことになるんじゃないかと、
また、事実の列挙だけになって、何にもならないんじゃないかと思って、
蓋をしてきた部分があったのだけど、

実は、たくさんの問題が絡んでこうなっていたんだと思えば、
この絡まった糸をほぐしていく事は、自分にとっても、何か意義があるような気がしてきた。

まだ、どこからどうほぐしていけばいいのかわからないけど、
このブログをつけて2年。

やっと書こうかな、という気になってきました。

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