カテゴリー「アレルギー界をとりまく状況」の9件の記事

アレルギー食に挑戦する調理師とは・・・? 1 (卒業式を控えて)

チクリンの卒業式まで、1ヶ月をきりました。

 

しばらく前に、式の出欠確認のお便りが来たのですが・・・・

 

私は、それを見て、目をこすりました。

 

第1部 卒業証書授与式 (本校体育館)

第2部 卒業を祝う会 (ホテル○○)

第3部 感謝の会 (ホテル○○)

第4部 クラス会

 

この、第2部をホテルで執り行う、
そのとき、子どもは、ホテルで出された食事を食べる!
このような企画は

初めての試みです!!

 

 

ハァーーーーッ (-_-;)(-_-;)(-_-;)(-_-;)(-_-;)(-_-;)

なんで、これ、やるかな・・・。

 

うちの小学校は、毎年、卒業証書授与式以外はいろんな形式をとっており、
子どもは、授与式だけで帰る年もあるし、
上のピカリンの時は、体育館で、親子で祝う会をやりました。
そのときも食事はあったんだけど、おにぎりとから揚げ みたいな、質素なもんだったので、
家で準備するのも、それほど大変じゃなかった。

 

今回は、ホテル料理!
このホテルの料理が、かなり見た目華やかなのは、私も知っております。

 

 

いきなり

盛り下がりました。

 

今まで、どんな合宿もイベントも乗り越えてきたタケ氏ですが、
思い返せば、
結構「食事を作る時間」を確保できたんです。

卒業式じゃないですか!

朝っぱらから、化粧だってマジメにやりますよ?

 

まじ、

泣ける・・・・。

初めて、やんだくなった・・・(=いやになった)

 

もう、卒業証書授与式も出るのやめよっかな、と本気で本気で思ったけど、
生徒会長みたいなことをやっているチクリンには、記念品贈呈をするとか、ハレの場面もあるだろうし、
この土地に引っ越してきた6年前、ちょうど、チクリン入学の年、そんな節目の「式」を、子どもみたいにすねて、欠席するわけにはいかないよ。

と、

思いつつ・・・

 

ハーーーーーーーーッ (-_-;)(-_-;)(-_-;)(-_-;)(-_-;)(-_-;)

 

めずらしく、かなーーり、気が重いワタクシ。

それでも、重い腰は上げねばならない。

 

ホテルの方が「できれば料理の対応をします」と、言って下さっているらしいので、
どーせ、ムリさ、
と思いつつ、
何とかなるなら、何とかして欲しいと、心の底から願いつつ、
打ち合わせに行きました。

 

(つづく)(ので、コメント欄、閉じてます・・・)

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庄内でアレルギーっ子を育てる、とは・・・

映画『アバター』を3Dで見ることのできない庄内からこんにちは!
 
アハ、アハ、アハハハハー!(T∀T)/

あ・り・え・ねぇ~~

(庄内とは、山形県の日本海側の地域を指します。奥羽山脈によって内陸の山形市とは分断されている地域です。おしん・おくりびとで有名な酒田市、藤沢周平・海坂藩で有名な鶴岡市を含みます)

 

 

なんだろ。
庄内人が、3Dでアバター観たいときは、どこに行けばいいんだろう。
新潟かな。
山形市内かな。
宮城県かなーー!!

そんで
庄内人が、除去指導受けながら、アレルギーを治していきたいときは、どこに行けばいいんだろう。
新潟かな。
山形市内かな。
宮城県かなーー!!

 

と、
つい、
いやみ臭く書いてしまいました!

 

 

薄々、あやしい・・・と思っていたのですが、
やはり・・・?
もしかして・・・?

庄内にも、山形県内にも、除去指導できるアレルギー専門医は・・・いない?!

経口減感作を試してくれる医者、じゃないですよ?
「まず、○○と、○○の摂取をやめましょうね。△△位なら、大丈夫。」とかね、そういうことを言ってくれる医者。
「痒いなら、皮膚科へ行きなさい」と言わない医者。
デスヨ?
まだ、認めたくありませんが、
先日集まった面識のない人々は、皆、県外の医師の指導を受けておりました・・・。

そうして・・・
庄内で、乳・卵以上のアレルギーがある子どもは、庄内の大きな病院に入院しても、除去食が上手に提供されない可能性があることも!この場で私は知ったのでした・・・。
薄々、怪しい・・・不安だ・・・とは思っていたのですが・・・。

 

庄内で、除去しないとマズイアレっ子を育てる場合、
「孤独」のほかに
「この地で、どうやって生き抜くか?!」
を、語り合うことも、ものすごく大事なテーマです。

「核」になる医者がいないので、
今まで、アレルギーの会もできにくかったわけです。

 

ここに6年前に引っ越してきたときに、
アレっ子を育てる会みたいのがないと知り、
「作らなきゃかな~」
と思いつつ、
どこにも除去仲間が見当たらないし、
自分は、自分でいいか!と思って、
積極的に探す気にもならず、
そんな気持ちは放置していたのですが・・・。

 

今回、
これらの人と知り合えたのは、
すべて、私の友人・知人の紹介です。
「アレルギーで困ってるの? じゃ、タケさんと話してみたら?」
・・・・・。話して、どうなんじゃーー!?
なのですが、
なぜか、タケを知る皆さんは、「タケさんと話せば良いんじゃないか」と思うようで、
「あのさ、その人に、タケさんの電話番号勝手に教えちゃった。ゴメンネ? 後で、電話いくと思うけど、よろしくね?」
と、言うのでR。
な・にーっ?!と、思っても、「おーけー、おーけー。」と、意味不明の古すぎる回答をするタケ氏。

これも、種まきの結果と言えば結果なのであろう・・・。

 

で、「会うか!」の運びになったわけです。
そうして、上記のような情報交換、庄内におけるアレルギー治療の現状なども、再認識しかけているところです。(もう少し、認識を深めたい・・・。希望が欲スイ・・・)

みんなで集まってどうするか、
とか
「会」にするのか、
とか
(まだ「会」ってわけでもない。定期的に集まろ!と言ってはいるが・・・)
あるんですが、
この地域で、集まる、というのは、
それぞれの母の心のケアと同時に、
この地域のアレルギー医療事情を分析していく
ことも
大事な仕事になると思います。

分析は最大の攻撃である

や、「攻撃」しないですけど、もう少し、生きやすくしたいな、とは思いますね~~。

おくれてるー!
とは、
言いたくない。
こういう田舎で、こういう子を育てていくには、どうしたらいいか?
もしかしたら、
核になる医者がいないなりの
なにか、いいやり方が
田舎だからこそ!ヨカッタね、のやり方が、
見つかるかもしれないし。

なんて、ひとりでボンヤリ妄想しているタケでした。

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体に合ったものを食べる権利(久々長い論文?!)

今14歳のピカリンが生まれたころは、社会全体で「除去食」を受け入れる状況はなかった。

それが、だんだんと認識されるようになって、対応してくれるところが徐々に増えてきた。

その変化を横目で見ながらずっと不安に思っていたこと。

数値(Igeなど)に出ないと対応してくれないというふうにならないか?!
医者の診断がないと、絶対駄目というふうにならないか? 
そうしたら近所に除去指導してくれない医者しかいなかったらどうするのか?

です。

たとえば、生後2ヶ月から除去対応しているチクリン君は、Igeなんて、ほとんどゼロです。
生後半年以内にアレルギーなんて出ない、といわれていた時代。
私が小麦を採れば、母乳経由で、半日後には、チクリン君の脇腹に湿疹が。
私が乳製品をとれば、半日後に顔の側面に湿疹が、
何回やってもそういう風、てな具合に、どう見てもアレルギーで、
何を見ても「アレルギー」と言うと言われているK医師、以外の医者でも
そんなチクリンを
「間違いなくアレルギー反応」
と診断するくらいの症状でした。
実は、この2ヶ月のときから、Igeはほとんど出てない

さすがに大きくなってきてからは
「母親の勝手な判断で、食べられるものも食べさせてないのか?」
という良心の呵責にかられ、すこーし食べさせてみると、
あっという間に、蕁麻疹やら、耳切れやら、もちろん湿疹勃発で、
「あわわわわ・・・」
と言って、やめる始末。
古い粘土を使った汚い爪でちょっと太ももを掻いたら、
ワーッと蕁麻疹が出たりとか、
どうしたって、過敏なアレルギー児です。

でも、
Ige無い。

通っていた保育園は「検査表を出せ」という保育園ではあったけれど、
今までの経緯を良く知っていて
「チクリン君は、アレルギーがある、ってことはよくわかっているから、いいですよ」
と言ってくれた。

「そっか。検査表を出させるのは、勝手にアレルギーだと思い込んでいる親に対処するためであって、アレルギーであることがはっきりしていれば、検査結果に数値が出ていなくても対応してくれるんだな、この保育園は

不安だったのは、この先、
自分たちが暮らす場所によって、
生半可な知識の「団体」に、

「医者の診断書」
「Ige等の結果」
が出ていない限り、
アレルギー対応はいたしません。

といわれるんじゃないかということ。
引っ越したりしたら、今までの経緯を知らない医者にかかることになるんだし。

医者によって、治療法がまちまちで、
検査の結果に出る子と出ない子といる
というのに、
「団体」に「対応」をせまるあまり、
臨機応変な「対応」がとれない、「団体」が出てくるんじゃないか
そうしたら、我が子はどうなる?!

というのが、
すごく不安だった(今も)。

 

だったら、自分は、
これから先、
社会に対して、究極的にどう認識してもらったらいいと考えるのか?

 

「医師の診断書」「Ige値だけじゃ、やだ!」と言うのなら、どうしたらいいと思うのか?

 

 

 

それからもうひとつ。

 

もし、このままアレルギー状態が改善して、
「食べても症状が出ない」という状態になったとしたら、
どーしても、給食、食べないといけないのか?

たとえば、乳製品が採れるようになったとしても、
それは「生活に支障が無い程度に採れる」であって、
この子の体に合わない、ってことははっきりしているんじゃないかなーと思っている。
それを、「治ったのなら、食べなさい!」
って、言われるのかなぁ。
「食べないのはわがまま」
になるんだろうか。
「わがままを認めていたら集団生活は成り立たない」から
「集団生活を成り立たせる」ために「症状が出ない限り食べなさい」
になるんだろうか・・・。
いつ、症状が出るかとひやひやしながらでも・・・・。


K先生は
「給食と弁当を自由選択できるようにしたらいい」
と、言っておられた。
「給食」が一日のうちで、一番まともな食事、になる子は、いる。
弁当を作るのが、どう見てもなかなかままならない家庭だってある。
だから給食はなくすべきじゃないと思う。
でも、
だからといって、給食を個々にとってベストと捉えず「弁当」を選択することもできるように、
「選択制」になれば
弁当が「特別」にはならない。
と。

私はそう解釈して、
確かにそれ、いいかもなー、と思った。

 

でも、何か、もやもやが残ったんだ。

だって、なんだか、「分かってもらえた」ことにならないんじゃないか、と思って。
「分かってもらえなきゃ」結局、違う場面で、同じような問題が出るんじゃないかと思って。

 

 

そうして思った。

私は子どもの体に合ったものを食べさせたい、と思っているだけ。

 
はじめに、本当は「同じ物を食べるべき」があって、
そこからはみ出すなら、「診断書」「検査結果」
が必要で、
症状さえ出なければ、また「同じ物を食べるべき」にもどれ、
って、
どういうことなんだろう、って。

幸か不幸か、アレルギーやらCSやらを発症して、
この子達なりの「健康を維持する食べ方」を知ることができた。

それは、好き勝手に食べたいものを食べる、というのと違って、
ちょっと硬い言い方だけど、「健康で文化的な生活を送る」(憲法25条)ために、この子らに必要な食べ方なんだ。

たとえ、湿疹が出ないといっても、だるくなったり、疲れやすかったり、アレルゲンを摂取すると分かる体調不良はいろいろある。でもそれは、「体調不良」「ちょっと体が弱い」という範疇のもので、「治療」が必要なものではない。
それくらいなら「医学的治療」はいらない
けど、でも、この子らが快活に生き生きと、思う力を思う存分発揮して生活するためには、これらアレルゲン(うちの子の場合化学物質も含む)の摂取を必要最小限度に抑える方がいいに決まっている、ってわかっているのだ。

うちの子が
うちの子を、そう育てたいと思うのは、わがままなのかな?
集団生活を乱すから、そうしないために、うちの子が多少「不健康」になっても我慢しろ、ってことになるのかな?

具体的に誰にもそんなことを言われていないけれど、そう、不安になる。

「人と違うことを要求する」というのを、日本では(たぶん)すぐ、「わがまま」と捉えるけれど、
人が人として、生き生きと、健康に、健康だから文化的に、そういう生活を送りたいんだ!と願うことがわがままとは思えない。
一人一人の人間が、健康で、たくさんのことを経験して成長することは、人類にとって、絶対いいことなんだ

人がそれぞれ、健康になるためにとる手段が違うということを、認めること

 

私の子の「体に合った食べ物を食べる権利」を認めて!

と、そう思ったとき、
なんか、ストンときました。

 

そりゃ、
「体に」「合った」「食べ物」って、なんぞや? という定義は難しいから、
これがすぐ主張できるものとは思えない。

でも、
アレルギーだから対応して、という尺度で考えても分からないし、混迷するけど、
「体に合ったものを食べる権利」
というと、
なんだか、すっきり見えてくるように思う。

うちの子の「体に合った食べ物」は「Ige」値には出ないけど、これとこれとこれ以外の食べ物なんです。とか。
子どもは「体に合ったものを食べる権利」があるから、
あまり、化学物質が入ったものを食べないほうがいいんだよ、だから、給食はなるべく自然の素材を使おうよ、とか。
アレルギーの子だってそうだけど、もっと広い範囲で、考えることができそうに思う。

昔、
すべての食べ物が「体に合った」ものであった時代とは、もう違う。
選ばなくても、必要量だけとっていた(少量しか手に入らなかった)時代とはもう違う

今は、口に入れても、即時性の毒が無い、という範囲で、合成の食べ物がいろいろ作られている。化学物質に汚染された食べ物もいっぱいある。
「毒」がなけりゃ、食べていいのか、食べなきゃいけないのか。
否。
ということではないかと思う。

難しいことだとは思うけど、
「体に合ったものを食べる権利」
ってものがある、
という認識で、いろんなことを考えられないかなー!!
とやっと思い至れた、今日この頃であります。
 

コメント欄、再び開けます。
が、
お返事できないと思うのです。
ごめんなさい!!!

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またも5月がやってくる(アレ体質の自分を大切に)

いつも適当につけている「カテゴリー」だけど、
今日は、迷った。
 

これは、「整理されてきていること」・・・?

 

ついに5月が近づいてきました。
5月の末には、
去年、写真もアップしたお祭りと、http://taketaketake.tea-nifty.com/cooking/2006/05/post.html
運動会がある。

今年は去年と違って、いろいろ「労働」しているし、
こっちの「祭り」系の仕事は削りたいのですが、
早くも、「小学生の踊り指導」のために、職場の勤務時間帯をずらす始末。

運動会のリレーは、絶対走らない!
毎年、ひざに水ためたり、肉離れしたり、
接骨院代、シップ代、テーピング代も馬鹿にならないのよ!
こんなガタガタの老体を走らせるなんて、鬼よ、若人よ!(若い母へ)
しかし、元陸上部で、
きれいな校庭の「トラック」を見ると、むずむずしてきてつい走ってしまうので、
あまり練習もいかないようにしよう。

 

そう!

自制が大切な時期

これが言いたかったのデスよ。

 

体験的アレルギーエキスパートに成長しつづけるゆうこりんが、
最近自身のブログで書いていたhttp://youcorim.blog72.fc2.com/blog-entry-90.html#moreこと。

 

思い当たるよ、考えると、いろいろ!

 

とにかく私は、乳アレ、小麦アレだったと思う!(もちろん今も)

つまんないことだけど、
私は、小さいころから、どうしてもうつぶせでないと、眠れなかった
「ねぞううらない」(爆!)などを見ると、うつ伏せで寝る人は、「悩みがある」とか「神経質な人が多い」とか、「暗い」イメージじゃん(知らねーよ)

「仰向けで大の字になって眠れる人になりたいな・・・」(続、爆!)
と、やってみるが、
どうしてもダメ。

天然明朗性格の旦那と結婚したので、だいぶ開放的な性格になったのですが、
それでも、うつぶせ寝からは離れられなかった。 

 

しかし、

ここのところ、

どんな風に形で寝入ろうが、
絶対、仰向けになっとるんですよ

 

いや、ね、
腰が痛くてね(よぼよぼ)

仰向けで寝ると、痛みがくるので、横向きに寝たいのです。
なのに、いつも仰向けに!

 

なぜ、今・・・

 

胃が、楽なんだよなあ。
うつ伏せで寝るとき、って、なんだか内臓が重い感じがして、仰向けで寝ると、体の上に何か乗っているような居心地の悪さがあって、うつぶせになっちゃってたんだと思う。

いま、自主的に小麦や乳を食べないでいるんだけど、
内臓の重さを感じないんだよ・・・・!

 

と、
なんかくだらない側面で展開しておりますが、

うつぶせ寝を始めとして、
体調維持には、小麦・乳・(もちろん卵も)除去!
これをやると、ぜんぜん違うんだよね、一日の活動量が。

これを、鉄の決まりとして、これからの1ヶ月を乗り切りたいと思う!
ビールを注がれそうなときは、
あらかじめ日本酒を持っていっておく!グラス持参!ビール代替だね。うん。
違うよ、ウーロン茶にしろよ。
はい。

と、

去年のブログのコメントと、まったく同じ展開をしておりますが、
去年よりさらに、確信を深めつつある今日この頃。

 

鉄の決まりで、
周りからの誘惑・周りに合わせてその場をしのぎたい衝動
に、
打ち勝とう!

自分のために!!
(ほとんど、自己アレブログ)

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除去は医師の指導を受けて慎重に。(混沌の4)←いきなり番号

(コメントがつけられないようになっています。ごめんなさい。理由→http://taketaketake.tea-nifty.com/cooking/2007/04/post_e0dd.html

 

書けば、いくらでも出てくるタケ氏です。

 

さっきの記事のついでに、小記事で。

 

勝手に除去食を進めてはいけません。医師の指導のもと、慎重に行ってください

どの口が言っとるんじゃ、ごるあ!
とは言いませんが、
はじめは違和感があったという程度のこのセリフも、今となって、は人差し指で机トントンしながら聞いちゃいそうです。

 

こんなこと言うけどさ、
「本当に」「きっちり」栄養指導しきっている医者、ってどんだけいんだよ?な?

あとさあ、
親が「反応出た」と言っているのに、
「医者が判断できなければ、除去しちゃダメ」
って、わからなくね? だよなあ?
だったら、おめえが、ずっと我が家で食事見てろや! できねえべ?! デスヨ。

いや、勝手に除去をして、栄養失調の子どもを作ってしまうお母さんがいるんですよ。

というのが、
この「セリフ」の根拠らしい。

わたしも、医者にかからず、勝手な除去をして、「そそそれで、だいじょうぶ?」という食生活をしている人は、実際に見たことがあります。

 

がっ! 

 

ちょっと、考えてみましょう。

 

「親の勝手な判断の」「献立で」「栄養失調に近い子ども」

って、
実は、アレルギー児以外にうようよいっぱいいるんじゃないの?
スナックばっかりとかさあ。

そいつら全部、医者が指導しろよ!

 

と、すいません。逆ギレっぽいです。

寿司のえびを食べたら蕁麻疹できて、「これから、生のえびを食べるのは控えよう!」と普通に思っている人、っていっぱいいるんじゃないの?
「だめです。医者の前で生のえびを食べて、反応でない限り、食べてください」って、言うかよ!
(すいません、逆ギレっぽいです)

 

何で、アレルギーっ子だけ、あーだこーだ、言われなきゃなんないのでしょーか。
そのたびに、親がウロウロしなきゃなんないんでしょうか。
ちょっと、このあたり、整理してくんないかな!
と思っているのは、私だけでしょうか。

 

勝手にやらせてくれ、とは言いません、
が、
ちょっと方向ずれてるんじゃないか、とは思うんですよ。

 

「食事を制限する」ことを制限することに、神経質になりすぎているのではないかと。
これでは、どこが「神経質」なのか、わからないですよね。

 

と、鼻息荒く、今日は退場。

(コメントつけられなくて、すみません。この記事は、喋りたい人がいっぱいいるような気が・・・

注;今日の記事は、K医師の事では、ありませーん。

 

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「治療」と「生活改善」、と・・・

(コメントがつけられないようになっています。ごめんなさい。理由→http://taketaketake.tea-nifty.com/cooking/2007/04/post_e0dd.html

混沌としているところはどこか 整理されているところはどこか

 

などと、お題を設定しておきながら、
「一番混沌としているのは、おのれの頭じゃー!」と突っ込みたい気持ち満載のタケ氏です。
皆さん、ご迷惑おかけしてすみませんが、
引き続き、混乱記事をあげていきます。

  

 

今日は、ちょっと、有名な(いつも書く枕詞)K医師に、かかわり始めたころの自分の気持ちの「一部」を書いてみたいと思います。

K医師は、はじめに、患者がどんなアレルギー症状であろうと、一律に「一定の生活改善」を求めてきます。
それを言うときの態度は「これができなきゃ、話になんない。来なくてヨシ」みたいな態度ね。

 

で、

わたしには、これが、大不満。

 

「私は、この子の症状を治療したくて来ているのであって、その生活改善と、この子の症状の因果関係がはっきりしていないのに、そこまで求められるのはどうよ?」

「先生が、アレルギー改善の生活がこうあるべき、というのはわかります。でも、それは、先生の個人の『考え方』の問題であって、今私がここに来ている理由の『治療』と直接の関係はないでしょう。
『理想の生活の説明』と『治療』にかかわる話は、分けて話してくれないかなあ。
『治療』としての対策なら守るけど、先生のいう『理想の生活』については、こちらが取捨選択させていただきたい」

そして、K医師がそこまで「生活改善」にこだわる理由は
「アレルギー体質の子は、いつどのようにアナフィラキシーショックを出すかわからないから、それを避けるため」とわかれば、

「アナフィラキシーショックを恐れて、そこまで生活改善を求めるというのなら、
破傷風を恐れて、外遊びさせるな、というのと50歩100歩なのではないの?
最悪の事態を想定して、全てそれに照準を合わせて生活してたら、生活なんて成り立たないでしょう

 

と、思いつつ、
自分の子が、それでアレルギー症状が出ないのなら、ふんぞり返って、えらそうに言えるところが、さっぱり症状が落ち着かないので、
「私はどこか間違っているのか?」
と思って、上記のように思いながらも、自分の考えに向かってイライラして、精神衛生上、大変よくない状態でございました。

 

結局、自分の子の「治療」と「理想の生活像」が一致してしまう、という、幸福だか不幸だかわかんない事態と相成り、悩まなくても良くなったわけなんですが。

これは、今でも良くわかんないですね。

 

おそらく、
K医師が、ほかの医者にも嫌われる(かわかんないけど)理由は、このあたりにもあるんじゃないですかね。(ほかにもあると思うけど)

でもね、
うちのようにアレルギーが進むと、
生活の仕方、とか、
環境問題、とか、
そういういうこと、ってアレルギー改善にとって、とても重要なことだというのはわかる。

そして
「治療」
という場合、
それは、今ある現状の生活を送れるようになる、
ということであって、
「今ある現状の生活」
は、いいことなのか?
と言われれば、
そうではないと思う。
「添加物だらけの食べ物をいっぱい食べられて、農薬吸い込んでも何ともないの! 私って、幸せ!」っていうふうにはならないよなあ、いまさら。
でも「治療」と言って、「目指している生活」は、「添加物、化学物質だらけの世界」を標準・基準としてそれを「普通」と称する生活であったりするわけだ。

それって、
なんか変。

たしかに、何でも食べられたほうがいい。
どこにでも出かけられたほうがいい。
だから、「理想の生活」は自分で追求しつつも、
「理想でない環境」の中でも生きられればいいじゃん?
それを目指せばいいじゃん

というのが、結論なのかもしれない。

 

うーん。でもねえ・・・。
「治療」を言うとき
「普通になりたい」
というじゃない?
「普通」って何なの?
と思うと、
なんだか、混乱するんだよね。

ここの溝の中には、何が混沌としている?

 

それもよくわかんないのですが、
今一度、このあたりの整理は放棄して、
問題点洗い出しということで、次に、いってみます。

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医師の診断2 (私個人の事情)

(今、頭の中をまとめている途中なので、大変失礼だとは思いますが、コメントがつけられないようになっています。ごめんなさいhttp://taketaketake.tea-nifty.com/cooking/2007/04/post_e0dd.html

 

前回、
「標準的治療法でいくと、我が子は死んじゃうヨ」みたいなことを書きましたが、
上のピカリンが6歳ころに、この子にとっての治療法が確立するまで、本当に悩みました。

自分が若干アレルギー体質であったので、おそらく我が子もそうであろうと、でも、「ひどい状態にしないようにして」「学校入学までには何とか」しよう、と、妊娠中から思っていました
本も読み漁り、いろんな意見の医師がいることがわかり、
「とりあえず、標準的な予防法・治療法を追求して、それでダメだったら、治療程度を上げよう」
と、
そう思っていました。

医師選びも
「良質で」「標準的な」「常識のある人」
と思って、周りの人の意見を聞いたり、訪ね歩いたり、
わからなくなると、また本を読み漁ったり、
やっぱり、相当努力したと思います。

今14歳のピカリンが生まれたころは、
「除去」は、まだまだ異端でした。
私としては、「必要ならば除去もいとわない」覚悟ではいましたが、
「必要かどうか」の基準が、
医師によってばらばらで、
当時の標準は、
ステロイドを、その強弱、塗布部分に細心の注意を払いながら様子を見、
それでもダメなくらい「ひどい」場合、初めて除去を考える。
でした。

いきなり「除去」と言うのは、
過激で常識知らずの、「異端医師」でした。(ま、今も若干そんな感じですが、昔よりは、除去が忌み嫌われていないよね)

ということで、
私も「除去」「除去」言わない医師、
常識的にコミュニケーションがとれる医師、を探していたわけです。

で、
治療する。
落ち着く。
このままいこう!と思う。
ところが、ある日を境に悪化する。
もう少し治療法を変えてみる(少しずつ除去を加える。漢方、整体、いろいろやる)。
落ち着く。
このままいこう!と思う。
ところがある日を境に悪化する。

と書けば簡単ですが、
もうその間は、落ち込んだり、外野の声に動揺したり、子どもの様子にキレたり、
そりゃあもう、暗かった。

ぜんっぜん、うちの子にぴったり合った治療状況を作れなかったんですよ。
6年間

6年間、どうしよう、どうしよう・・・ですよ、ずーーーーっと!

自分が自信をもって取り組もうと思っていた治療方針を否定される(子どもが悪化)ことの連続で、そのたびに落ち込む。自分は、ひとりよがりの、サイテー母だ!と思う。

私が否定していたあの医師が言うことが正しいの?

私が否定していたあの民間療法を取るべきだったの?

ぐちゃぐちゃの肌、夜間病院への駆け込みを繰り返す子どもと私。

楽しく明るい家庭を目指して、
そういう風に実践しているつもりでいたし、
そうであったに違いないんだけど、
舞台裏(私の心の中)では、悶々・どろどろの葛藤の連続。

うまくいっていないときは、誰とも話したくなくて、
話し掛けられると、ドキッとしてた・・・。

いろんな人を恨んで、本気で藁人形を作ろうと思ったり・・・。

 

確かに私も悪かったんだろう。

でもさ、

「この子にはこの治療法」ということを、きちんと納得させてくれる状況
が、
私に訪れなかったのも、本当なんだよね。
いろいろ努力していたにもかかわらず。

6年間、
「がんばっているね」とも言ってもらえたけれど、
自分では、ずっと責められているような気がしていた。
我が子にとってよい方法、を探すんだけど、
自分も未熟で、勇気がなくて、足を踏み出せないことも多かったし、
うまくいかないと、そういう自分の未熟な点が目に付いて、
「きっとみんなもそう思っているに違いない」
と思っちゃって、
もう泣きそう。(泣く)

「教えてよ!」「どうしたらいいか、誰か教えてよ!」
と、
いつもいつも思っていた。
でも、
「こうすればいいんだ」
と、ほっとする状況、って、ぜんぜん訪れなかったんだよね。
どうしても・・・・

 

そんな風に右往左往させられて、
「医学界を信じよ」
には、ならないですよ、やっぱり。
わかりやすく、整理されていないんだもの。
「こうなったら、こうせよ」
みたいな風になってない。

 

これは、
今もって、そうだと思う。

(つづくんで、とりあえず、切ります。すみません)

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医師の診断 1

(今、頭の中をまとめている途中なので、大変失礼だとは思いますが、コメントがつけられないようになっています。ごめんなさい)

 

自分の頭をまとめるためのお題

混沌としているところはどこか 整理されているところはどこか

 

混沌→医師の診断 1

 

以前に、アレルギー対応給食を提供する保育園に通っていました。

除去を行うには「医師の診断」と「Igeの検査表」を見せろ、と言われていました。

有名なK医師の診断を受けていて、いろいろアレルギーがらみのトラブルも多かった我が家なので、Igeの検査も提出せずに、アレルギー対応食を出していただいていましたが、

腑に落ちなかった・・・。

だって、Igeが全てでないでしょ?アレルギー症状、って。
うちのチクリン。生後2ヶ月で、誰がどう見ても、肌に症状出まくりで、
除去していたから、
Igeなんて、ほとんど出ないけど、
じゃあ、安心?
といったら、ちょっとした刺激で、すぐ蕁麻疹や湿疹、耳切れしてたからね。

 

「医師の診断書」
が求められること、って多い。
このたび、文科省も、医師の診断に基づく「学校生活管理指導表」を作成し、運動制限など学校生活上の配慮に生かす取り組みを始める、そうですが、

 

医師の診断、って、医師によって、ばらばらじゃん?

 

だいたい、
うちは3年前に引っ越してきたから、
我が家の子どもの「本当の状況」を把握している医師、って地元にいない。

隣の県にいるK医師に書いてもらえばいいんだけど、
やつなんか、(いや、「なんか」は失礼!と言いつつ書いておく・・・)
検査や何かより
「現代の日本の子どもの食事はこうあるべき」が先にあるから、
「卵」「牛乳」なんて、摂る必要なし、
と決め付けている医者だよ?
そういう医師の診断書でいいのかね。

わからん!

わからんのだよ。
整理されていないんだよ、アレルギー学会は。

たしかに、「標準の治療法」は、あるよ。
でも、「標準」だけで判断されたら、
うちの子、へたすりゃ、死んじゃいますから!(今は大丈夫だろうけど、7年位前は)

「医師の」「標準の」診断書だけで、
「それに基づく対応」しかしてもらえなかったら、文字通り、「致命的」なんだよねえ。

 

どうなの?

このあたり。

ちっともアレルギー学会と、個々のアレルギー症状の噛み合わせがうまくいっているとは思えないのに、

「医師の診断」が前面に出て一人歩きすることの怖さがあるんだよなあ。

 

「お母さんが神経質すぎ」
という批判が、
「医師の診断」の提出によって、一定程度回避されるメリット、
学校という現場が、
アレルギーに対して、一律に一定程度の理解がされていくであろうというメリットは、
絶対ある。
認めます。

腑に落ちないところがあるのですよね・・・。

 

と、まず、

書きやすいところから書いておりますが、
悶々としてんだよ!ほんと、いろいろ!
まず、第一弾。

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もうひとつ、やっぱり整理しておくべきこと

このブログをつけて1年半。

アレルギーの母暦14年。

 

心の中を整理するつもりで、始めたブログです。
ほかの皆さんのページも読ませていただくうちに、
新しいことがわかったり、認識が変わったり、書くのでなくて、「読む」ことでも、
自分が整理されてきた気がします。

この頃更新が滞るのは、
時間的に忙しいのもあるのですが、
自分の内側が整理されることで、
気持ちが外側に向かっていっていて、
どんどんやりたいこと、やらなきゃならないことが増えていて、
そちらのほうにエネルギーを裂きたい、という気持ちが強くなってきた、ということがあります。

 

でも

 

もうひとつだけ、やっぱり、どこかで一度整理しておかなきゃいけないことがある。

いまだうまくまとめられないことなので、
いつまでも保留にしていたのだけれど、
まとめる努力を、ブログの中でやっていこうと思っています。
もう、ほかの「アレルギー関連機関」や、ほかの人によって、一定の回答が出されている事項であるかもしれないのですが、
自分の中の混沌を、自分なりに整理しておきたい気持ちがあるのです。

ただ、
その「努力」はとてもエネルギーの要るものなので、
皆さんのコメントに対応するだけのエネルギーは、私の中に無いかもしれない。

「まとめる作業」は、
「心の中の整理途中の事柄をさらけ出す作業」なので、
「途中」のことに意見や質問をされても、上手に答えていく自信がなくて、すごく悩んじゃいそうなんですよね。

それで、大変申し訳ないのですが、
コメント欄無しの記事をアップしていきます。

反則技かもしれないのですが、
ある程度、まとまったら、また、皆さんと会話できたらな、と思っています。

 

ひとつの挑戦で、どこまで自分の頭と心に正直に書けるかわからないのですが、
がんばって書いてみます。

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